第6話 ベテラン保母の存在は、「糧」たりえたのか?
「ところで、ぼくが3年前にこちらに伺ったときにお聞きしたことで、もう一つ、気になった言葉がある」
大宮氏の指摘がどの方向からくるのか、大槻氏はいささか読み切れていない模様。
「何か、大宮さんに失礼なことでも申し上げましたでしょうか? あるいは、他の職員に対する批判的な言動で、ヒンシュクレベルのことでもありましたか?」
大宮氏の指摘は、それらの方向のものとは異なっていた。
いや、そんなことはない。
確かに大槻君は、前園長の東先生に対して「教員くずれ」という言葉を使って表現された。それは確かに失礼な言葉かもしれんが、君がそこまで言いたくなることは十二分にわかるし、ぼくも、職場内外の先輩で「何とかくずれ」と言いたくなるような人はいないでもないから、そんなことでぼくが君をたしなめる資格なんかないよ。
あ、ぼく自身が、若い頃は「司法試験くずれ」みたいなものだったな(苦笑)。
それはともあれ、問題は、そんなことじゃない。
山上先生の存在というものが、よつ葉園の理事会である理事から、今の若い職員や子どもらにとって「糧」となる部分もあるのではないかと。
そういうことを言われたと、君はおっしゃっていた。
ぼくが聞きたいのは、その部分に対する君の意見だ。
山上さんのお若い頃のことはともかく・・・、そうだな、じゃあ時間を区切ろう。
昭和50年度から昭和59年度。
言うなら「昭和50年代」、1975年4月から1985年3月末日までの、山上敬子先生にとってはこのよつ葉園に勤められた最後の10年間ということになるね。
大槻園長におかれては、その間を振り返ってみていただきたい。
その間の山上保母の言動であるが、その存在は、その頃このよつ葉園にいた子どもたちにとって、役に立っている部分はあったのだろうか?
それは、他の若い保母や男性職員らにとっても同じく、見ていただきたい。
どうだろうか?
彼女ら、彼らにとって、よつ葉園にいる山上敬子というベテラン保母は、糧となるべき部分が、いくらかでも、あったと言えるのだろうか?
もし言えるなら、どんなところか?
言えぬとしたら、どんな点が、か?
そこは、園長である大槻君御自身がきちんと分析して、それを日々の業務、いや、これからのよつ葉園を運営していく上で、また、そのよつ葉園を運営する社会福祉法人の常務理事として、どう活かしていくべきであると総括するのか?
何とか赤軍じゃないから、何も、「総括」と称して人を殺すわけじゃない。
しかしながら、人を生かし、さらに成長させていくためには、そのことを君自身が総括し、それをもとに明確な意識を持てないと、君もまた山上さんと同じように、形を変えて、これからの若い人から何かの舞台を追い出されることになりかねない。
さあ、大槻君。山上さんの存在、特に彼女が勤めた最後の10年間をみて、彼女は君自身にとって、主任児童指導員、そして園長としての大槻和男にとって、どんな糧となりえているのかな?
せっかく今日ここに伺った以上、君からはぜひ、このことをお聞きしたい。
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