第17話 吉村保母の意見と感想 2
吉村保母は、玉露茶を少しすすって、話を続ける。
山上先生も、御本人なりにいろいろと思われるところがあるのだなと、そんなことを思いながら日々の業務にあたっておりましたが、保育の現場も去ることながら、小学生以上の児童ら、特に、年長の児童ですね、男子も女子もですが、特に男子児童、年頃の男の子らは、あの先生のことをどう思っているのかと、ある時ふと、思うところがありまして、来ている時で彼らと接触のあるときを見計らって、いろいろ、話を聞いてみようと思いました。
あまり私が出張ってもというのもありましたから、まずは、毎日の朝礼や職員会議でそういう子らの話が出たときには、とにもかくにも、耳を傾けてどんな状況かをしっかり聞き取るように心がけました。
特に問題児といわれるような子の話は、いやというほど出ますよね。
あるいはその逆に、とびぬけた力のあるような子の話だって、時には出ます。
そんな時に限って大きな問題点といいますか、下手すればよつ葉園どころか、大げさでもなんでもなく、社会福祉全体のイメージにさえかかわりかねない内容をはらむ話になるじゃないですか。
そういった子らへの山上先生の思いというのですか、御意見を、私は、その会議などで耳にするたびに、これは相当まずい状態になりつつあるなという思いをますます強めていきました。
しかし、そうはいっても、だからと言って山上さんにさっさとお引取り願えばいいのかというと、それはそれで違うような気も、していました。
私の見立てが甘いだけかもしれません。
あるいは、この世界の大先輩に遠慮がありすぎたのかもしれません。
何とか山上さんにご理解いただいて、認識を少しでも修正していただければと、そんなことを思い始めました。
先ほど私が申しあげましたよね。
私としては、よつ葉園の子どもたちの「母親」としての役割をこれまで十二分にお勤めになってこられた山上先生を、年齢だけを理由にお引取り願うというのは、やはり忍びないと。
ですから、これからはもう、親子以上の、それこそ祖母と孫ほどの年齢差でもおかしくないところまで来てしまっている以上、「母親」から、「おばあさん」のような役割をしていただければ、よつ葉園にとっても山上先生にとっても、何よりこの地にいる子どもたちにとっても、いい形になるのではないかと、そう強く思いました。
ですから、そうですね、昭和58年の春先くらいからでしょうか。
保育の時間というのは、案外間の空く時間帯ってあります。
そんなときに、あるいは、若い保母さんにお任せできている時などを見計らって、私は、とにかく、山上先生といろいろお話しするようになりました。それまで気づけなかった山上さんのことをいろいろ知ることができたと、今も思っています。
あの時間は、私にとって最も人生の糧を得られたときだったのかもしれません。
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