戯れ。



 ──カロロロッ……!


 遊ばれてる。


「いっギ──……!?」


 もてあそばれてる。


 巨木の並ぶ森を走り、心臓が裂けそうな程に血を巡らせ、筋肉を駆動させて驚異から逃げ続ける。


 しかし、化け物は猫みたいにしなやかな動きで森の中を歩き、悠々と俺を追い掛ける。そして大きな一歩で俺の百歩を踏み潰し、子供がボールで遊ぶように俺を蹴飛ばす。


 衝撃によって重力のくびきから解き放たれた俺は一瞬だけ浮遊し、そして進行方向にあった巨木の幹に激突する。


 肩から突っ込んだせいで、たったこれだけの事で左腕が完全に死んだ。当たり前に激痛が走って気が振れそうになるが、今この場で正気を失ったらそのまま死んでしまう。


 だって、蹴り飛ばされる最中に見た竜の顔は、ニタニタといやらしく笑っていたんだから。


 猫が鼠を弄んで殺すように、この竜も俺を玩具にしてから殺す気らしい。最後が大地のシミになるのか、奴の胃袋に消えるのかは分からないし興味も無いが、このままでは確実にそうなってしまう。


 怖い。恐ろしい。意味が分からない。


 歯が噛み合わず、恐怖にガチガチと音を鳴らすが、それに構わずまた走る。


 全身が痛い。明らかな手加減をされてたとは言え、人ひとりが蹴り飛ばされて宙を飛んだのだ。打ちどころが悪ければそれだけで死んでいただろう。


 いつでも殺される。奴がその気になった瞬間に俺は死ぬ。


 こんな、右も左も分からない森に落とされて、何も分からないままに殺される。それが堪らなく恐ろしいから、俺には走る事しか出来ない。


 反撃? 無理だ。人と比べて、明らかに生き物としての格が違い過ぎる。俺が銃で武装してたとしても勝てる未来が一切視えない。


 じゃぁ、スキルを使う?


 無理だ。あんな化け物を相手に何をしろと言うのか。パワーショベルを呼び出したって蹴り転がされて終わりだろう。乗り込む前に壊されるのがオチだし、何より俺には重機の動かし方なんて分からない。乗り込んだ瞬間に重機が鉄の棺桶に変わるだけだ。


 どうすれば良い? どうすれば俺は生き残れる? 死なずに済む?


 怖い。死ぬのが怖い。死にたくない。


 ──ガララァァアアアッ!


「ガッ──……」


 また、蹴られる。


「────あがぁアっ!?」


 今度は巨木にはぶつからず、代わりに地面を滑って体を擦りおろされる。硬い地面で皮膚が持っていかれ、血と肉が大地に線を引く。


「あっ…………」


 そして、気が付けばまた宙に放り出されてる。


「が、けっ…………!?」


 地面を滑った結果、俺は崖から落ちてる最中らしい。もう落下が始まって、地面を転がった勢いが加わって回転も始まる。右も左も分からず、地面も空も分からない。おおよそ最悪の落ち方をしてるのが分かる。


「────────ィギッ……!?」






 そして俺は、訳も分からないままに気を失った。






 ◇


 目が覚めた事は、幸運なんだろうか。


 結構な高さから落ちたと思ったけど、何故か俺は生きていた。


「……………………げほっ、うぇっ! ……あぁクソ、めちゃくちゃクセェ」


 取り敢えず新鮮な空気を肺に入れようと深呼吸したら、とんでもない悪臭がしてせてしまう。深呼吸に失敗したし、噎せた反動で全身が軋むように痛い。特に左肩から先は神経をヤスリで削ったような痛みが断続的に響く。


 生き残った事は、本当に幸運なんだろうか?


「ここは、なんだ。竜か何かの便所か?」


 辺りを見ると、崖の下と思われる場所に異臭を放つ黒い物体にまみれた場所だった。恐らくは何かしらの糞だろう。


 どうやら俺は、その上に落ちたから生き残ったらしい。時間が立って乾いてる糞の上だったから多少はマシだが、これがだった場合は全身が糞塗れだった事だろう。どちらにせよ最悪の目覚めである。


「ああ、こんな場所に落ちたから、生き延びたのか。…………二重の意味で」


 あの厭らしく嗤う黒竜が、崖から落ちたを見逃すとは思えない。いくら視界から外れたと言っても、野生動物なら人間よりも鼻が効くだろうし、気を失ってた俺を探すのは容易だったはず。


 だけど、こんな強烈な臭いが充満する場所に落ちたもんだから、俺の匂いを辿れなくなったと考えれば、生き残ったのも納得出来る。


 どうやら俺は、この文字通りの糞共に崖から救われ、竜の追跡からも救われたらしい。結果だけ見れば上々だが、心情的には最悪だ。


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