第34話 宴


 黒衣の下で食い散らかされる少年を見て、ユリは戦慄に支配されていた。

 そして今、化け物の魔の手は、他の男の子たちにも伸びている。


「く――そっ!」


 もたもたしてはいられない。

 男の子の一人に巻きつく触手をなんとか外そうと、ユリが腕に力を込める。


 だが、緩みこそするものの、触手が男の子から外れる気配はなかった。

 それならばと、ユリはその触手に噛み付いた。


「……!?」


 肉から染み出す淡い塩味と、タコのような食感に、ユリは困惑する。

 それを無視して、ユリは男の子に絡みついていた触手の一本を噛み千切った。


 噛み千切られた触手は、地面に落ちてもなお、うねうねと動いている。

 その光景に生理的な嫌悪感を覚えながらも、ユリは少年に巻き付いている触手に歯を立てていく。


 やがて全ての触手を噛み千切ると、少年は拘束から解放された。


「あ、ありがとう……」

「いい。それより、ほかの子たちを――」


 ユリがそう言い終わる前に、目の前の少年の胸に、太い触手が突き刺さっていた。

 驚愕の表情で固まっている少年はその場に崩れ落ち、再び触手で足を絡め取られる。

 そしてそのまま、黒っぽい布を被った化け物の布の中へと連れて行かれた。


 そしてまた、耳障りな咀嚼音(そしゃくおん)が、ユリたちの鼓膜を叩き始める。


「…………ッ!!」


 助けられなかった。

 その事実が、ユリの中に突き刺さる。


「ユリちゃん! 逃げなきゃ!」

「ダメ……。まだ、あの子が――」


 まだ、触手に捕らわれている男の子が一人いる。

 今ならまだ間に合う。

 助けなければ……!


「あなたは、逃げて」

「ダメ! ユリちゃん!」


 ユリは少女を置いて、いまだに触手に拘束されている男の子のところへと向かう。

 少女は少しの間迷っていたものの、すぐに屋上から二階へと下りていった。


「だいじょうぶ!?」

「あ……ぁあああ……」


 男の子は、涙を流しながら放心したような表情で、その場に座り込んでいる。

 よく見ると、ズボンがビショビショに濡れていた。


 幸いにも、化け物は先ほど捕まえた二匹の獲物に夢中で、こちらに関心を向けている様子はない。

 ユリは男の子に絡みついている触手を噛み千切り、男の子の拘束を解除する。

 そして、いまだに泣きじゃくる男の子に向かって、屋上の入り口を指差した。


「あそこから逃げて。もうすぐ、助けが来るから」

「うっ……うう……ひっく……」


 ユリがそう言うが、男の子は腰を抜かしてしまっているようで、その場から動けそうにない。

 涙も止まらないようで、会話もまともに成り立ちそうになかった。


 仕方がないので、ユリが屋上の入り口のところまで引っ張っていこうとしたが、


「……あれ。おかしい、な……」


 なんだか、妙に重い。

 この前までは、人間の一人ぐらい楽に運べたはずなのだが、今は腕にそこまで力が入らない。


 とはいえ、男の子を引きずっていくぐらいのことはできるので、なんとか男の子を避難させることはできた。

 屋上の入り口のところまで来たが、まだ助けが来る気配はない。

 しかし、もうすぐだろう。


 おそらく、ユリ一人ではあの化け物を殺し切ることはできない。

 もう避難させる人間がいない以上、ユリにできることは一つだ。




 ――助けが来るまで、できるだけ補給させてもらうことにしよう。




 そう思い、ユリは化け物に向き直った。

 ユリの視線に気がついたのか、黒衣を纏った化け物が、ユリのほうに意識を向ける。


「……あなたは、なんなの?」


 化け物は答えない。

 ただ、そこらじゅうに伸ばした触手をうねらせるだけだ。


 ここまで来ても、ユリには化け物の正体が完全には掴めないままだ。

 ユリが噛み付いたにもかかわらず、化け物がゾンビ化する気配はない。

 ということは少なくとも、この化け物は人間ではない。


 ……しかし、やはりそういうことなのだろうか。

 この終わってしまった世界を、我が物顔で平然と闊歩(かっぽ)できる存在など、ユリは一つしか知らない。

 だから、


「――食べて、あげるね」


 ユリがそう宣言すると、化け物は怯えるかのように身を震わせる。

 そんな化け物の挙動を確認することなく、ユリは飛び出していた。


 この前までと比べてキレは無いが、それでも化け物が伸ばしてくる触手に捕まるほど遅くはない。

 ユリを拘束せんと動く触手は、逆にユリの動きに翻弄されていた。


「はぁ――っ!」


 ユリが触手に噛みつき、そのままそれを噛み千切る。

 今度は、僅かな抵抗もなかった。


「――ッ!!」


 それを咀嚼すると、今まで足りていなかったものが、補給されていく感覚を覚えた。

 力が漲(みなぎ)る。


 しっかり噛み砕けば、口の中で触手が動くこともない。

 そのまま嚥下(えんげ)し、久々の肉の味を楽しんだ。


 気分が高揚している。

 高揚しているのに、心の奥底のほうは冷たいような、そんな感覚。

 ゾンビに混じって生活を送っていた、あの頃に近い感覚。


 ――もっと欲しい。

 ユリの脳裏に、そんな考えが浮かぶと、




「――オラぁああああ!!」




 ユリの目の前で、触手が切断された。

 銀色の軌跡がユリの目の前を過(よぎ)り、ユリの隣に一人の少年が現れる。


「無事か、ユリ!?」

「……だい、じょうぶ」


 鬼気迫った表情のトバリに返答しながら、ユリは周りの様子を伺う。

 トバリの他にも、何人か男が来ている。

 たしか、三田とかいう男と、トバリの復讐対象である城谷と辻だ。


「よし。もう大丈夫だからな」

「……うん」


 トバリに頭をポンポンと撫でられると、ユリは心が温かくなった。

 それと共に、さっきまで感じていた冷たい感覚が消える。


「…………」


 しかし、ユリはしばらく肉がおあずけになったことに、僅かな不満を感じていた。

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