第24話 剥ぎ取り


「ふむ……。どうやら、ここには先客がいたようですね」


 夜の小学校。

 その校舎の中を、ゆっくりと歩く人影があった。


 純白の法衣が、月明かりに照らされている。

 その顔色は病人のように悪く、その双眸(そうぼう)は、どこかここではない場所を見つめているように、虚ろで覇気がない。


 そして彼の後ろには、黒いフードを被った人間たちが続いている。

 全身を黒い布で覆っている彼らは、ずるずると何かを引き摺(ず)るような音を立てながら、一言も声を発することなく、法衣の男の後ろを歩いているのだった。


「ぁあ……これはこれは、なるほど。ぁあ、実に興味深い。これを突破するのは容易なことではなかったでしょうに。いやぁ、胸が躍りますねぇ」


 無残に破壊されたバリケードをしげしげと眺めながら、彼――法衣の男は、そんな言葉を漏らした。

 バリケードの残骸を見た限り、ちゃんとした知識のある人間が作り上げたものであることは疑いようがない。

 それでもなお、このバリケードが破られたということは、


「それを凌駕(りょうが)する、より強い力を持った人間が、この近くにいるということ。そして、わたしの成すべきことがまだ残っているという証左に他ならない。ぁあ、感謝します。我らが神よ」


 バリケードの残骸を踏み越えて、法衣の男は廊下の奥へとその足を進める。

 やがて、一番奥の廊下へとたどり着いた。


 低いうなり声を上げて徘徊(はいかい)するゾンビたちを尻目に、法衣の男は教室のドアを開ける。

 不快なにおいが法衣の男の鼻をかすめたが、その程度では、彼の行動を止めることなどできない。


 法衣の男は、教室の中をぐるりと見渡す。

 図工室という特殊な教室でこそあるものの、中は他の教室と大して変わらないように見える。

 女のゾンビが一匹徘徊しているが、それだけだ。


「……ぁあ。ぁああああ。ぁあああああ……っ……」


 だが法衣の男は、教室のある一点を見つめると、床に膝をついて、声を上げて泣き始めた。

 彼の声につられるように、法衣の男の後ろに立っている黒い人影たちも、法衣の男が頭を下げている方向に向かって頭を下げている。

 まるで、目の前にあるモノに対して、最上の敬意を払っているかのように。


 それは、あまりにも異様な光景だった。


「――ぁあ、よかった。本当に、よかった。わたしは運がいい。本当に運がいい。わたしたちの神が、わたしに味方してくださっているのを感じますねぇ」


 法衣の男の目の前には、頭が血に塗(まみ)れた男の死体がある。

 頭蓋骨が陥没骨折しており、顔面もひどい状態だ。

 金属の棒のようなもので、何度も何度も何度も殴りつけなければできないような傷を負っている。


 ……それは、安藤の死体だ。


 殴られすぎているため、顔面の識別は困難を極めるだろうが、法衣の男にとって、そんなものは些細(ささい)な問題だった。

 なぜなら、法衣の男にとってそれはただの肉の塊であり、彼が敬意を示したのは、そんな粗大ゴミに対してなどではないからだ。




 その死体の、胸の真ん中あたり。

 そこから、僅かに光が漏れ出している。

 法衣の男にとっては、それ以上に重要なものなど、この場に存在しない。




「そのゾンビがあなたの死肉に目も向けていないのが、あなたが『資格』を持っていることの何よりの証! 少し手間取りましたが……ようやく見つけることができましたよ。――わたしたちの真なる希望……! わたしたちの、セフィラ……!!」


 法衣の男は感動に打ち震えるように、がたがたとその身を震わせる。

 しばらくしてそれが収まると、彼はゆっくりと身体を起こし、その死体の元へと歩み寄った。


「……おや? もしかしてあなた、この前わたしたちから逃げた、坊やではありませんかね?」


 安藤の死体の頭を掴み、その潰れた顔面をしげしげと眺めながら、法衣の男はそんな言葉を漏らす。

 その一致に気付いた男は、優しげな笑みを浮かべる。


「あれだけ必死の形相で我々から逃げておきながら、こんなところで一人ぼっちで死んでいるなんて……あなた、本当に面白い人ですね」


 法衣の男は安藤の頭から手を離すと、その死体を足蹴りにした。

 まるで、その死体に対して礼儀を払うことすらおこがましいとでも言うかのような、そんな不遜な態度だ。


「セフィラは、貴方のような低能な猿が持つにはあまりにもったいない。このわたしが、有効に活用してさしあげましょう」


 そう言って、法衣の男は安藤の死体の胸部に自らの腕を突き刺した。

 何かをまさぐるようなしぐさをしたかと思うと、すぐにその手は引き抜かれた。


 法衣の男の手の中には、ビー玉ほどの大きさの透明な玉が握られている。

 安藤の血に濡れた手の中で、それ自体が淡いオレンジ色の光を放っていた。


「橙(だいだい)色――『栄光(ホド)』のセフィラですね」


 法衣の男はそれを確認すると、その玉を自身の懐へと入れた。

 そして、安藤の死体のほうへと向き直り、


「本当であれば、あなたにも救いが訪れるはずだったのですが、頭がその状態では致し方ありませんね。……お前たち、彼を残さずに食べて差し上げなさい」


 法衣の男がそう言うや否や、彼の後ろで静寂を保っていたローブを纏った人間たちが、安藤の死体へと群がっていく。

 そのローブの隙間から、おぞましいほどの数の触手を出して、安藤の頭を、肩を、腕を、胸を、腹部を、下腹部を、ふとももを、ふくらはぎを切り開き、その中をまさぐっていく。


 彼らは決して人間ではなかった。

 なにか、他の別の、理解が及ばないものだった。


「……さて、と。これからどうしたものでしょうかねぇ」


 法衣の男は、安藤の死体が彼らに食い荒らされていく様子を満足そうに眺めながら、今後の行動について考えを巡らせる。


「駒(こま)の数も十分ですし、また『資格』を持つ人間を探しましょうか。この辺りにもう一人ぐらいはいそうですからね」


 『資格』持ちの少年が殺されていた以上、この近くにもう一人『資格』持ちの人間がいることは確定的だ。

 『資格』があるのと無いのとでは、この世界における生きにくさが恐ろしいほどに違う。


 『資格』持ちは、『資格』持ちにしか殺せないと言っても過言ではない。

 法衣の男は、そう考えていた。


「しかし、死体からセフィラが奪われていなかったところを見ると、彼を殺した人間は、何も知らないのでしょうね」


 彼を殺した襲撃者がセフィラの存在を知っていたならば、彼からセフィラを奪わない理由がない。

 セフィラの効果は、ゾンビから襲われなくなるだけではない。

 ゾンビウイルスの発症の抑制や人体機能の適応化など、その効能は多岐にわたる。


 いずれも、この世界で生きていくために役に立ちこそすれ、邪魔になることはない。


 耳障りな咀嚼音(そしゃくおん)を聞き流しながら、法衣の男は思考の中へと沈んでいく。


「この辺りで複数人の人間たちが篭城できそうな場所……そんな場所はまだまだいくらでもありますね。非効率的ではありますが、他に人間たちが篭城していそうなところを、片っ端から回っていくことにしましょうか」


 その言葉を聞いて、化け物の一匹が法衣の男のほうを向いた。


「ん? どうしたのです?」


 法衣の男は化け物に近づき、その口に耳を当てるような体勢をとる。

 しばらくすると、法衣の男は頷き、


「……なるほど。たしかに、神の救いを受け入れようとしない愚かな人間たちがたくさんいそうですね」


 法衣の男は、化け物たちの意見に同意するようなそぶりを見せる。

 まるで化け物たちの言葉を、理解しているとでも言わんばかりの態度。


「さて、それでは行きましょう。ここでの用事は終わりましたからね」


 法衣の男がそう言うと、化け物たちは安藤の死体から離れた。

 彼の死体があった場所には、少量の血痕と肉片が残っているだけだ。


 彼らが残さずに人肉を食べたことを好ましく思いながら、法衣の男は窓のほうを向いた。


「どうかわたしたちを見守っていてください、神よ――」


 窓の外には、満天の星空が広がっている。

 地上にはほとんど光がないため、世界が終わる前よりも星たちがはっきりと視認できる。


 法衣の男は、窓から星空を見上げて、その腰を深く曲げた。

 背後にいる化け物たちも、それに倣って異様な体勢をとる。




「――この『知恵(コクマー)』の名にかけて、喜んでこの世界を救うための礎(いしずえ)となりましょう」




 そう言って、法衣の男――『知恵(コクマー)』は、化け物たちに微笑みかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る