第29話 謝罪


「――とりあえず、城谷が話したいことがあるそうだから、聞いてやってくれないか?」


 トバリたちが保っていた静寂を破ったのは、拳銃を持っている男のそんな言葉だった。


「わ、わかりました」


 いま、彼らの話を聞かないという選択肢が取れるはずもない。

 トバリはそう答えて、頷くしかなかった。


「……ありがとうございます、三田(みた)さん」


 城谷は拳銃を持っている男――三田にお礼の言葉をかけ、トバリに向き直った。


「ちょっとだけじっとしててな。今手錠外すから」

「あ、ああ……?」


 城谷はそう言うと、手慣れた動きでトバリの手錠を外した。

 ユリも、その両手の拘束が解かれている。


「いいのか?」

「もちろん。もう必要ないからね」


 辻の言葉に、城谷も頷く。

 要するに、少なくとも敵ではないと判断されたということだろうか。


「で、話、なんだけど……」


 城谷の表情は硬い。

 これから話すことが、城谷にとって相当の覚悟を要するものであることは、なんとなくトバリにも察しがついた。


 さて、いったいどんな言葉が飛び出してくるのだろ――、




「――ごめん! おれが悪かった!」

「ぼくも悪かった。本当にごめんなさい……!」




 城谷と辻が、その場でトバリに向かって土下座していた。


「は? …………え?」


 それが何を意味しているのか、トバリには一瞬わからなかった。

 数秒ほど遅れて、それが誠意を込めた謝罪であることをおぼろげながら理解する。


 理解の範疇(はんちゅう)を超えた出来事が、トバリの目の前で起きている。

 そんなトバリを置き去りにしたまま、城谷と辻の懺悔(ざんげ)は続いていった。


「あの頃のぼくたちは本当に馬鹿で、愚かで、どうしようもない人間だった。夜月くんにひどいことをたくさんしたし、決して許されないだろうことも、いっぱいした。今考えると怖気が走るよ。ぼくたちは、どれほど酷いことをしていたんだろう、って……」


 土下座の姿勢を保ちながら、辻がそんな言葉を並べる。

 その言葉の一つひとつに、心の底からトバリにしたことを悔いているような感情があるように、トバリには思われた。


「夜月にしたことは、到底許されることじゃないと思う。寄ってたかって夜月をいじめてたおれたちを許してほしいなんて、そんなことを言うのもおこがましいと思ってる。でも、それでも、今はおれたちのことを、許してくれないか……?」


 城谷は、額を床に擦り付けて、トバリの足元にひざまずいている。

 その態度からは、間違いなく本気の謝罪の色が見て取れた。


「…………」


 トバリにとって、これはあまりにも予想とかけ離れた状況だ。

 城谷と辻が、トバリに対して行ったいじめについて、本気で謝罪の言葉をかけてくるなど、どうしてトバリに想像できるだろうか。


 周りの男たちも、黙ってトバリたちのほうを見つめている。

 それは、トバリたちのことを見守っているような、そんな視線に感じられた。


「……僕は」


 口の中が、カラカラに乾いていた。

 唾を飲み込み、トバリは自分の考えを城谷と辻に述べる。


「……僕は、城谷と辻のことを、今すぐに許すことはできない。正直、ここにお前らがいること自体が予想外だったからな……。心の準備ができていなかったってのもある」

「まあ、そりゃそうだよね……」


 トバリのその言葉に、辻の身体が小さく震える。

 きっと、しょんぼりとした顔をしていることだろう。


「――でも、城谷と辻は、僕に謝ってくれた」

「――!!」


 城谷と辻が、おそるおそる顔を上げる。


「ここにいる他の人たちは、城谷と辻が僕に対してどんなことをしてきたのかなんて知っているはずがない。だから、適当なことを言ってごまかして……極端なことを言えば、殺すこともできたわけだ。……でも、城谷と辻はそれをしなかった。僕に誠意を込めた謝罪をして、歩み寄るっていう選択をしてくれた。僕はそれを……とても、嬉しく思う」


 ――身体が、声が、震えている。


 それは、トバリが心の底から漏れ出そうになっている情動を、必死にこらえている証だ。

 だが、城谷と辻が、トバリのそんなサインに気付くはずもない。


「だから、これからは、友人として、仲良くしてくれたらと思うよ」

「――っ!! ああ、もちろんだ! ありがとう、夜月……っ!」

「ありがとう、夜月くん……!」


 トバリのそんな言葉に、城谷と辻は救われたような表情を浮かべている。

 立ち上がり、トバリの顔色を伺うようにおそるおそると手を差し出してきた。


 その手にトバリは一瞬だけ固まったが、すぐにその手を握り返した。

 これからしばらくは付き合っていかなければならない相手だ。

 悪印象を与えるのはできるだけ避けたい。


 ――もちろん、せいぜい利用させてもらうだけなのだが。




 こうして、トバリと城谷と辻は、表面上・・・の和解を果たしたのだった。







「――それで、夜月、だったか? お前はなぜここに来た?」


 拳銃を持っていた男――三田が、トバリにそう問いかける。

 それに対して、トバリはあらかじめ用意していた答えを返した。


「僕がここに来た理由は、とある組織についての情報が欲しかったからです。お互いが知らない情報の共有、と言ったほうが適切かもしれません」

「情報……?」


 不可解そうな顔をする男たちに向けて、トバリはその名前を口にした。


「みなさんは、『セフィロトの樹』という名前に、聞き覚えはありませんか?」

「――っ!!」


 その名前を出した瞬間、男たちの顔色が目に見えて変わった。


「……知ってるんですね」

「……夜月は、『セフィロトの樹』の存在をどこで知ったんだ?」


 城谷の顔は険しい。

 おそらく、何かがあったのだろう。

 ここにいる人間にとっても無視できない、何かが。


「えっと、話せば長くなるんだけど……」


 トバリは、『セフィロトの樹』について知ることになった経緯を話した。


 とはいえ、すべてのことを正直に話すつもりはなかった。

 具体的に言うと、ゾンビ化している刹那を家に置いていることと、ユリとトバリがゾンビから襲われない半ゾンビのような状態になっているということ。


 この二点についての言及を避けて、多少の嘘も交えながらできるだけ自然に繋げて話していく。


 パンデミックが起こってから、しばらくは自宅で過ごしていたこと。

 情報を求めて小学校に行き、いまだ蛮行を続けていた安藤に出会ったこと。

 そこでユリと出会ったこと。


 そのあと、安藤を無力化して問い詰めたこと。

 詰問の過程で、高校に篭城していた人間たちが『セフィロトの樹』の人間と化け物たちに襲撃され、その多くが命を落としたという話を聞いたこと。

 あらかたの話を聞き終わった後、安藤を殺害したこと。


「安藤を、殺したのか……?」


 そのあたりの話になると、男たちの目が、少し警戒の色の強いものになった。

 このあたりのことは嘘偽りなく話そうと思って、そのまま話したのが裏目に出てしまったか。

 そんなことを考えながらも、トバリは言葉を続けていく。


「あいつは本当に救いようのないクズだったんだよ。強姦も殺人も、まるで武勇伝みたいに語ってた。今思い出してもイライラするね……」

「だからって、それで安藤を殺していい理由には……」

「あいつを、殺したのは、トバリじゃない。あいつを、殺したのは、ユリ」


 ユリのそんな言葉に、近くにいた辻がビクリと身体を震わせる。


「あいつは、ユリのおかあさんを殺した。だから、ぜったいにゆるせなかった」

「……なるほど。それなら、お前たちを責めることはできないな……。いや、そもそもおれたちにはお前らを責める資格なんて最初から……」


 城谷は、自分を責めるような言葉をブツブツとつぶやいている。

 男たちは皆、そんな城谷のことを気にもかけていない。

 どうやら、城谷のこの状態は日常的に陥るものらしかった。


「自責の念に駆られているところ悪いが、先に進んでいいか?」

「あ、ああ。もちろん。頼む、夜月」


 それから、ユリを家に連れ帰り、行動を共にするようになったこと。

 『セフィロトの樹』について何か手がかりになるものが残っていないかと考え高校に行ったが、ゾンビが多すぎて断念したこと。


 後日、物資を調達するために、このスーパーの目と鼻の先にあるホームセンターへと行ったこと。

 そこで物資を調達し終えて車に戻ると、スーパーの立体駐車場へと入っていく白いトラックの姿が見えたこと。

 そこに生き残りがいると確信したトバリは今日、ユリを連れてここまでやって来たというわけだ。


「なるほど。夜月くんの話はだいたいわかったよ」


 男たちを代表して、辻がそんな声を上げた。


「そうか……。大変だったなあ、嬢ちゃんも……」

「……?」


 男の一人がそう言ってユリの頭を撫でるが、ユリは何を言われているのかわかっていない様子だ。

 まあ、ユリたちは適当に放置しておいて問題ない。


「それで、三田さんたちはどうして『セフィロトの樹』のことを知ってるんですか?」


 トバリにそう尋ねられた三田は、目を閉じてゆっくりと話し始めた。


「俺たちは、いくつかの拠点と繋がっていてな。定期的に車を出して連絡を取り合っているんだが……先日、その拠点の一つだった中学校が壊滅した」


 それを聞いて、トバリの頭の中に、ある可能性が思い浮かんだ。


「拠点が、壊滅? ……もしかして」

「ああ。そこに残されていた手帳に、何が起こったのかが詳細に記されていたよ。もっとも、その手帳を書いた奴も、何が起こっていたのか、わかる範囲でしか書いていなかったがね」


 そのときのことを思い出しているのか、三田の表情は険しいものだ。


「その拠点にいた奴らは、どうやら『セフィロトの樹』とかいう組織の人間から、襲撃を受けたようだった。主犯格の男の特徴と……信じられない話だが、人の形をした化け物たちの特徴が、わかる限り記してあった」


 どうやら、その中学校を襲撃したのは、女ではなく、法衣の男のほうらしい。

 いや、もしかすると三人目以降の構成員という可能性もあるが……それは推測の域を出ない話だ。


「とにかく、夜月の話を聞く限り、『セフィロトの樹』は、何かを探して各地を襲撃して回っているみたいだな。それが何なのかは、手帳の記述からはわからないけど……」


 城谷が、これまでの話をまとめる。

 しかしトバリは、その言葉に僅かな違和感を覚えていた。

 

「……そういえば」

「ん? どうした?」

「あ、いや。……なんでも、ない」


 『セフィロトの樹』は、何かを探して、各地を襲撃して回っている。

 城谷はそう言った。


 奴らは安藤を狙っていた。

 いや、厳密に言えば安藤を狙っていたわけではない。

 たしか、『資格』がどうとか……。


「…………」


 なにか、重大なことを見落としている気がする。


 そうだ。思い出せ。

 法衣の男は、『資格』を持つ者を探している、と。

 そういった風なことを、安藤は言っていたはずだ。


 あのときはそれどころではなかったが、いま冷静に考えてみると……。


「…………」


 ふと、ある恐ろしい予想が、トバリの頭の中に浮かんできた。




 ……その『資格』というのは、ゾンビに襲われない、安藤やトバリやユリのような、半ゾンビの体質のことではなかったか。

 そして、それはつまり――、




「……っ!」


 どうして見落としていたのか、今となってはわからない。

 ということは、狙われているのは――、


「……? どうしたの夜月くん? 顔色が悪いよ?」

「だ、大丈夫……」


 深く息を吐いて、自分を落ち着かせる。


 大丈夫だ。

 狙われているかもしれないとはいえ、トバリと法衣の男に、直接の面識はない。


 それよりも、このスーパーで法衣の男を迎撃する準備を整えたほうがいい。

 法衣の男と化け物たちがスーパーに進入してきたら、ユリと一緒に逃げ出せばいいだけの話なのだから。

 逃げるだけならば、そう難しい話ではない。


 むしろ、家に閉じこもっているほうが危険だ。

 家の周りを化け物で包囲でもされたら、トバリたちに勝ち目はない。


 まだトバリの情報は『セフィロトの樹』側には伝わっていないはずだが、確実に大丈夫だとはとても断言できない。

 一旦家に帰って、荷造りをしておいたほうがいいかもしれない。


 考えをまとめながら、トバリは軽く頭を押さえる。


「色々なことがあって、気疲れしちゃったみたいだ。ちょっと休ませてもらえないかな……?」

「そういうことなら、一階にあるスペースを使うといい。有益な情報をくれた同胞を無下に扱うわけにもいかないからな」

「ありがとうございます。使わせてもらいます」

「夜月、こっちだ」


 トバリは三田に礼を言うと、城谷の案内でスーパーの一階に降りていった。


 こうして、話し合いは一旦の終わりを迎えた。

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