第30話 激情


「へぇー。こんな感じになってるんだな」

「……すごい」

「まあ、みんなで力を合わせて頑張ったからね。ある程度プライバシーを守れるようにはしてるつもりだよ」


 トバリとユリが感心したような表情を浮かべると、辻はそう言って胸を張ってみせる。


 少し休んだトバリとユリは、城谷と辻からスーパーの中を案内してもらっていた。

 すれ違う人に会釈しながら、トバリは見慣れないスーパーの一階部分をしげしげと眺めている。


 床に家具を置いたり、棚を移動させたりすることで、擬似的に部屋のようなスペースが大量に作られている。

 ホームセンターから持ってきたのか、カーテンがかけてあったり、カーペットが床に敷いてあったりした。

 避難している人たちは全員、ここで生活しているようだ。


「スーパーというより、避難所って言ったほうがしっくりくるぞ……」

「実際、避難所だからな。避難してきた人は、全員ここに集まってる。一階は男が使ってて、地下一階は女子供に使わせてるな。ずっと家で篭城してたけど、食糧が尽きたり、情報を求めてやってくる人もいるよ。夜月みたいに」


 もっとも、純粋に情報の共有だけを目的にしてやってくる奴は今までいなかったけどな、と城谷は付け加えた。


「僕も純粋に情報だけを求めてやってきたわけじゃないけどね。まとまった集団と繋がりを持っておいたほうがいい、っていう打算も、もちろんあったよ」


 それについては、トバリは十分に目的を果たせたと言っていい。

 城谷や辻が改心している事から見ても、ここにいるのは相当にまともな集団のはずだ。

 ここのリーダーと思われる三田も、少し冷たい印象は受けるが、悪い人間ではなさそうだった。


「さっき、避難してきた人たちを受け入れてるって言ってたけど……食糧にも、余裕があるのか?」

「まあまあだな。しばらくは大丈夫だけど、いつまでもこうしてるわけにはいかないって感じ。そのうち自衛隊か何かが救援に来てくれたらいいんだが……国は何やってんのかねぇ……」


 城谷の言葉に、トバリは同意する。

 トバリの知る限り、自衛隊が動いている気配はない。

 国も、その機能を完全に停止しているように思える。


「まあ、世界中が今の状態になってるってネットには出てたし、救助自体が追いついてないんじゃないかな。夜月くんも、自衛隊のヘリコプターとか見てないよね?」

「ああ。見てないな」


 城谷や辻も、この近辺で自衛隊の姿を見たことはないらしい。

 となると、やはり自衛隊は動いていないのだろう。


 救援は来ないと考えたほうがよさそうだ。

 もっとも、救援が来たところで、トバリはそれについて行くつもりは微塵もなかった。


 トバリには、ゾンビと化してしまった刹那がいる。

 もちろん、そんな彼女を避難民と共に連れて行けるはずもない。


 彼女を置いてどこか遠くへ行くなど、トバリにはどうしても考えられなかった。

 ユリは悩むだろうが、今の状態ではトバリから離れることはないだろう。


「まあ最悪、ここでの生活をずっと続けるっていう可能性もあるんだよな。その場合は、ここにいる奴らの食糧を自給自足しなきゃいけなくなるんだけど……あ、そうだ。次は屋上を案内しようか」

「……? 屋上に、何かあるのか?」

「まあ、ついてきたらわかるよ」


 城谷と辻に背中を押されて、トバリとユリは屋上へと向かった。




 屋上――三階の駐車場へと案内されたトバリは、目を丸くした。


「これは……」


 目の前には、広大な菜園が広がっていた。

 もともとは駐車場だったはずだが、自動車はほとんど見当たらない。

 少しだけ端の方に寄せてあるのは、車のキーが見つからなかった自動車だろうか。


「いわゆる家庭菜園ってやつさ。ホームセンターには、そういう土とかもいっぱい置いてあったんだよ。もちろん、まだほとんど育ってはないんだけどな」


 少し誇らしげに、城谷は笑う。


「いや、でもこれはすごいな……」


 トバリに菜園の知識は無いが、目の前のそれが、かなりしっかりと栽培されているのはわかる。

 これなら、十分に食糧源として期待できるのではないだろうか。


「でも、ここも『セフィロトの樹』の奴らに襲われるなら、あまり意味がなくなるのかもしれないんだよね……」


 そう言う辻は、少し寂しげな表情をしていた。

 無理もない。

 自分たちで作ったものが、意味をなさなくなるかもしれないというのは、それなりの精神的苦痛を伴うものだ。


 とはいえ、方向性自体は素晴らしいと、トバリは思った。

 たしかに、今後はこういった方向で食糧を調達する必要がありそうだ。

 自給自足というのは、この終わってしまった世界においては一つの正解であるように思われた。


「これも全部、三田さんが案を出したんだ」

「え、そうなのか?」

「あの人はすごいよ。なんか、農業系の勉強をしてたらしくてね。ぼくたちも詳しくは知らないんだけど、色々と役に立つ知識を教えてくれるよ」

「それに、あの人は多分、警察官か何かだったんじゃねーかな。じゃないと普通、素人が拳銃なんて扱えないだろうし」


 辻と城谷が、少し頬を紅潮させながら三田のことを賞賛する。

 トバリはその様子を、内心で少し苦々しく思いながら見ていた。


 おそらく、城谷と辻を改心させたのは三田だ。

 それはこのスーパーにいる人間たちにしてみれば好ましい変化だったのだろうが、トバリにとっては、はた迷惑なことこの上ない。


 表面上は友好的に接しているが、トバリの決意は変わらない。

 タイミングを見計らって、城谷と辻は確実に殺すつもりだ。


「三田さんと言えば、おれたちがここに避難することになったのも、三田さんのおかげだしな」

「……そういえば聞くの忘れてたけど、城谷と辻はどうしてここに避難することになったんだ?」

「ああ、話せば長くなるんだが――」


 城谷と辻は、八月二十五日から今日までのことを、トバリとユリに話してくれた。


 登校日の朝、普通に登校したこと。

 亜樹が少し遅れてやってきたこと。

 昼休みに、亜樹から近くで暴動が起きたらしいという話を聞いたこと。


 放課後になって、学校側から帰宅禁止を言い渡されたにもかかわらず、亜樹がそれを無視したために、一緒に帰ることになったこと。

 亜樹が帰ったあと、城谷と辻は帰る方向が同じだったために、そのまま自転車に乗って一緒に帰ったこと。


 ……ここからが、トバリが一切知らなかった城谷と辻の行動だ。


 城谷と辻が自転車で走っていると、明らかに様子がおかしい人間たちが、その辺をうろついていた。

 この近辺での暴動が、そのうろついている奴らの仕業だと思った城谷と辻は、一旦家に帰ったらしい。

 だが城谷の家にも辻の家にも、他の家族は誰一人としていなかった。


 何かおかしいと思った城谷と辻は、その日は城谷の家に泊まることにしたそうだ。

 次の日、様子を見ようと家の外に出ると、そのあたりをふらふらと歩いていた人間に襲われそうになった。

 そのときに助けてくれたのが、たまたまそこに自動車で通りかかった三田だった、というわけだ。


「あのとき、もし三田さんに助けられてなかったらと思うと……。でも、そのおかげでぼくと城谷くんは、ここに避難することができたんだ」


 三田はそのとき、既にあらかたの状況を理解しており、避難所を作る必要性を強く感じていた。

 そこで近くにあったこの大型スーパーの存在を思い出し、食糧もそれなりにあり、かなりの広さを誇るこの場所に篭城するのがいいと判断したらしい。


「最初のほうは、今よりもっともっと大変だったんだぜ? 店の中にいたゾンビ共をぶっ殺したり、慣れない運転で車を移動させたりさ。……でも、そういうことをやってて、気付いたこともある」


 城谷は目を細めてトバリのほうに向き直り、


「ここでいろんな人たちに、たくさんのことを教えてもらって、自分たちがどれだけ恥ずかしいことをしてたのか、実感できた」

「夜月くんに許してもらえるとは思わないけど、でも、これからは一人の友人として仲良くしてくれたらいいな、って、思ってる……」


 そう言って、城谷と辻は手を差し出してきた。


「……うん。これからよろしくな。城谷、辻」

「……っ!! そう言ってもらえて、本当に嬉しい……」

「ありがとう……ありがとう……っ!」


 虫酸が走るのを堪えながら、トバリは微笑を浮かべる。

 城谷と辻は、そんなトバリの姿を見て、深い感動を覚えているようだった。


 トバリは、そんな二人の様子を、内心では冷めた目で眺めていた。






「……ただいまー、刹那ー」

「ただいまー、せつなー」


 あの後スーパーを出て、トバリとユリは自宅へと戻ってきた。

 そんな二人を、リビングにある椅子に座っていた刹那が出迎える。


「はぁー……」


 リビングの床に二人して寝転がり、長い息を吐いた。


「今日は疲れたなぁ……」

「そう……だね……」


 ぐったりと仰向けで寝転びながら、ユリは早くも瞳を閉じている。

 このまま寝てしまいそうな勢いだ。


「ユリ、さすがにそのまま寝ると風邪ひくから、お風呂だけ入っちゃおう」

「んー……」


 トバリがそう呼びかけても、ユリの反応は薄い。

 ユリを揺さぶっても、だらりと垂れ下がった身体が、ゆらゆらと揺れるだけだ。


「……だっこ」

「自分で立てよ……ったく、しょうがないな……」


 ユリを動かすのを諦めて、トバリは干したままだった布団を取り込み、リビングまで持ってきた。

 その上に、抱っこしたユリをそっと寝かせてやる。


「しかし、今日もかなり収穫があったな。無事にあそこの集団と接触できたし、他にも連絡を取り合ってる拠点があるらしいし。もしかしたらそこに、中西や佐々木たちもいるかもしれない」

「そう、だね……ふぁぁぁぁぁあ……」


 目を閉じてあくびをしながら、ユリはトバリの言葉に頷いている。

 おそらく、何も聞いていないのだろう。

 時間ももう遅いし、仕方のないことだとはトバリも思うのだが。


「城谷と辻をどうするかも、考えないとな……」


 現段階では、あの閉鎖空間で城谷と辻を殺して脱出するのは難しい。

 なんとか、トバリがやったのがバレないように殺すか、バレても問題ないようにする必要がある。


「……えっ?」

「ん? どうした、ユリ?」


 突然、布団の中にいるユリが目を開いた。

 ユリは、急に不安そうな顔をして、




「トバリ。あの人たち、殺さないんでしょ?」




「…………」

「……トバリ?」


 顔を俯かせ、何も言わないトバリに、ユリが再び声をかける。

 すると、トバリはゆっくりと顔を上げた。

 そして、告げる。




「――なに言ってんの? 殺すに決まってるじゃん」




「――ぇ?」


 トバリは、胸の中に怒りがふつふつと湧きあがってくるのを感じていた。

 それは、昼間に必死で抑え込んでいた激情に他ならない。


「おれたちが悪かった? ごめんなさい? 許してくれ? まぁ、好き勝手言っちゃって……。なんで許されるかもしれないと思ったの? そんな可能性があると本気で夢みてたのかな、あいつら? ありえないよね。許すわけないじゃん、馬鹿かっての。いや、馬鹿か。そんなこともわからない人間が、馬鹿以外の何だってんだよ。そもそもさぁ、あいつら自分が許されたいから謝ってるだけだよね。違うだろ。そうじゃないだろ。許されたいから謝るんじゃなくて、自分で自分がしでかしたことが悪いことだと認めてるから、だからそれを謝るんだろ? 目的を履き違えてんじゃねぇよ。結局はあいつら、自分たちが楽になりたいから謝ってるだけじゃねえか。だいたいあいつらは、亜樹(あき)という狂った指導者を失って、新しいまともな指導者の下について改心したフリをしているだけだ。いや、もしかしたら本当に改心しているつもりなのかもしれない。本気で僕に対して行った蛮行を悔いて、僕に精一杯の謝罪をしたつもりなのかもしれない。でもそれでも、あいつらの本質は、腐った汚泥のような救いようのない人格なんだよ。だいたい、僕が亜樹から刹那を守るために、どれほど屈辱的な目に遭ってきたのか、あいつらはわかってたのかな? 制服と体操服をカッターで切りつけられてボロボロにされた。かばんを教科書ごとドブ川に捨てられた。上靴と下履を隠された。便所のタワシで顔を擦られた。靴に画鋲が入れられてた。殴る蹴るの暴行も日常茶飯事だ。……でも、やっぱり一番許せなかったのは、刹那が一生懸命僕のために作ってくれた弁当に泥水を入れられてたことかな。あれのせいで僕は、刹那と一緒にお昼ご飯を食べることすらできなくなったんだっけ。僕が学校にいたら、一緒にいる刹那にまで迷惑がかかってしまう。刹那があいつらに何をされるかわからない。僕にやられるのはまだいい。いや、よくないけど、まだいい。でも、刹那はダメだ。刹那があいつらのいじめの対象になったりしたら、僕は耐えられない。そう思ったから、僕は刹那と距離を置いたんだ。だから僕は、亜樹と約束して、学校に行くことをやめたんだ。……話がズレたな。とにかく僕は、あいつらを許すつもりも、あいつらを殺すのをやめるつもりもない。城谷と辻は、僕の手で確実に殺す。例外はない。わかったか?」


 ふと、ユリのほうを見ると、彼女は少し震えていた。

 ユリは、両目から透明な雫を流して、おずおずとトバリに抱きつく。


「ユリが、まちがってた。ごめん、ね。トバリ……」

「わかってくれたらいいんだ。一緒に、あいつらを殺そう」

「……うん」


 こんな小さい子を気遣わせてしまったことに、小さな罪悪感を覚えながら、トバリはユリの頭を優しく撫でる。


「悪いけど、今日は先に一階で寝ておいてくれ。あとで僕と刹那も、ユリのところに行くから」

「う、うん……わかった」


 ユリが布団の中に入ったのを見届けたトバリは、刹那を連れて自分の部屋へと向かった。

 ドアに鍵をかけると、トバリは夢中で刹那の唇に吸い付く。


 どうしても、自分の中にある衝動を抑えることができなかった。

 トバリは、刹那をベッドに押し倒した。




 その夜、トバリは刹那を抱いた。

 自分の中にある激情を発散する方法は、それ以外に思いつかなかった。

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