第12話 少女の記憶
トイレに残ったのは、無残にも食い荒らされた女の死体と、ゾンビの少女、それにトバリだけだ。
「……そいつが、憎かったのか?」
ゾンビの少女は答えない。
少女はトバリのほうをじっと見つめて、微動だにしなかった。
まるで、何かをトバリに訴えかけるかのように。
「……」
トバリは、自分がどうすればいいのかわかっていた。
お互いを深く理解し合うために必要なことが、本能的に理解できる。
トバリは右手で、少女の頭に触れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
景色がぶれる。
目の前にあったトイレが消え去り、そこにあるはずのないもの――どこかの教室がトバリの網膜に映し出された。
「これは……」
どんどん鮮明になっていく風景を前にして、トバリは一つの確信を得ていた。
「記憶の共有、ってとこか」
自分の中のゾンビに影響された部分が、今から目の前に映し出される映像は、そのゾンビが体験した出来事なのだということを教えてくれている。
どうやらトバリには、ゾンビの頭に触れると、そのゾンビが過去に見た光景を見ることができる能力があるようだ。
……自分の知らないことなのに、確信を持ってそれが正しいと考えることができるのは、あまり気持ちのいい感覚ではなかった。
普通に自分の身体を動かすことができているので、視点は少女のものではなく、トバリのものとして見ることができる。
やがてそこにあるものがはっきりと映し出されると、トバリの瞳は驚愕の色に染まった。
「うっ……」
トバリの口から、うめき声のようなものが漏れる。
目の前に広がっていたのは、地獄だった。
ガタイのいい男が女の人を組み伏せている。
女性には、もはや抵抗する気力すら残されていないらしく、ただ男になされるがままになっていた。
辺りを見回すと、同じような体勢の男女が他にも数人いるのが確認できる。
男の醜い欲望を受け入れている女性たちは、完全に瞳から光が消えていた。
それはまるで、今のこの世界に絶望し切っているかのような、そんな表情だった。
「……ん? 安藤(あんどう)……?」
そこでトバリは、その中の一人に見覚えがあることに気付いた。
180センチはあろうかという長身に、いつも何かに怯えているかのようにぎょろぎょろしている目が印象的な少年だ。
今も目をぎょろつかせながら、女の人に腰を打ち付け続けている。
その顔を、トバリが忘れるはずがない。
なぜなら安藤は、トバリのことをいじめていたクラスメイト達の一人だからだ。
しかし、なぜこんなところに安藤がいるのか。
そんな疑問がトバリの中で膨れあがる。
「いや……今はそれはいいか。後で見つけたら殺せばいいだけだし」
そんな思考を、トバリは切って捨てた。
今するべきことは、ゾンビの少女の身に何が起こったのかを知ることだ。
そう判断したトバリは、教室の中にいるはずの少女の姿を探し始めた。
「お、いたいた」
少女はすぐに見つかった。
女性たちが凌辱されている様子を、教室の片隅から見つめる少女。
彼女は静かな憎悪の光を瞳に灯し、男たちが油断する瞬間を、ただひたすら待っているように見えた。
――視界が暗転する。
景色が変わった。
「――この子が食料を盗み食いしてたんです! わたし見ました!」
「……わたし、やってない」
「嘘をつくんじゃないよ小娘が! アンタじゃないなら誰がやったっていうんだ!?」
ヒステリックな叫び声を上げながら、女が床に転がされている少女を罵倒する。
よく見ると、その女には見覚えがあった。
先ほど、トイレでゾンビたちに無惨にも食い殺された女性だ。
周りの男たちも、厳しい表情で少女のことを見つめている。
トバリには、今の男たちは何をしてもおかしくないような、非常に危険な状態であるように見えた。
――食料の盗み食い。
それは、この極限状態の中において、最もしてはいけないことの一つだっただろう。
この小学校の教室の中にどれだけの食料があったのかはわからないが、決して余裕があるわけではなかったはずだ。
「罰は、必要だな」
リーダー格の男がそう言うと、男たちによる暴行が始まった。
少女は男たちに殴られ、蹴られ、まるでボロ雑巾のようになっていた。
顔の形が変わるほど殴られた跡が、ひどい暴行を受けた少女の様子を物語っている。
「お願いです、もうやめてください!! 娘が死んでしまいます……っ!」
そんな少女に駆け寄り、胸元に抱き寄せる女性がいた。
ひどくやつれているが、その顔は少女とよく似ている。
おそらく親子だろう。
「どけ」
そんな親子に向かって、憮然とした顔でそんな声を投げかけた男がいた。
安藤だ。
「お願いしますっ! どうか……どうか娘だけは……!」
「俺はな、こいつみたいな卑怯なガキが大嫌いなんだよ」
安藤はそう言うと、少女を思いきり蹴り上げた。
少女の身体は面白いほど吹き飛び、教室の壁に叩きつけられた。
「か……はっ……」
少女の口の端から血の泡が漏れ出し、彼女の端正な顔が赤で汚れている。
今の一撃で、内臓がやられてしまったらしい。
少女から、命の灯し火が消えつつあった。
「……安藤、やり過ぎだ。殺したら母親が発狂するぞ」
「あっ、すいません。つい」
リーダー格の男が、安藤をたしなめる。
その声に反応して安藤が適当に謝罪したが、それに何の意味があるというのか。
少女は取り返しのつかない怪我を負い、助かる見込みはない。
そしてこの中で、死にかけの少女をそのままにしておくほど優しい男など、いるはずもなかった。
「でも、教室に死体を残しておくわけにもいかない。ユリちゃんには、ゾンビの餌になってもらうしかないっすよね」
にんまりと笑い、少女に残酷な言葉を突き付ける安藤。
その顔は、こらえることのできないほどの愉悦に歪んでいた。
リーダー格の男は、しばらく難しい顔をして黙り込んでいたが、やがて口を開いた。
「……やむを得んな」
それは、少女の死刑宣告にほかならなかった。
「やめてぇええええええええええ!!!」
「イチイチうるせぇんだよ。お前もちょっと黙れ」
安藤が、女性の腹部を殴りつけた。
目を見開き、腹部を押さえて女性がその場に崩れ落ちる。
女性はそのまま動かなくなった。
その様子を満足そうに確認した安藤は、床に横たわっている少女の服の胸元を掴み、乱暴に持ち上げた。
「じゃあお外に行こうか、クソガキ」
「…………」
少女は、安藤の顔を無表情で見つめている。
それが気に食わなかったのか、安藤は眉を上げて少女を床に叩きつけた。
「ぐ……っ」
「死ぬ直前まで俺をイライラさせるのかお前は。本当にどうしようもないカスだな」
安藤は再び少女を持ち上げ、教室の窓際まで足を進めた。
窓から見える夜の校庭は真っ暗だ。
しかし、僅かな明かりが校庭を照らすと、そこに蠢(うごめ)くモノたちがいるのがトバリにも視認できた。
「じゃあな」
そして、あまりにもあっさりと、安藤は少女を窓から教室の外へ投げ捨てた。
「――――」
闇の中へ落ちていく少女の瞳が憎悪の炎で爛々と輝き、安藤のほうを見つめていた。
ただ、その瞳だけが、闇の中で輝いていた。
そして、少女の姿は闇の中へと消えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――っ!!」
視界が再び暗転し、今トバリがいるトイレへと戻ってきた。
ゾンビの少女は、なんの感情も感じさせない顔でトバリのことを見つめている。
それはあまりにも無機質な視線だったが、トバリの心は少女の憎しみに、自然と共感に似た感情を抱いていた。
「……人間が憎いか?」
少女はこくりと頷いた。
その瞳の中には、未だ消えぬ憎悪の炎が灯っている。
「僕と来い。そうすれば、お前の復讐を必ず遂げさせてやる」
ゾンビの少女は再び頷いた。
それはすなわち、少女がトバリと共に憎き人間共に復讐することに同意したという意思表示だ。
「お前の名前は、『ユリ』でいいのか?」
ゾンビの少女――ユリは、トバリの言葉に深々と頷く。
「そうか」
それを見届けたトバリは、フッと笑った。
この場所で、使い勝手の良さそうなゾンビを手に入れることができたのは幸運だった。
それに、
「僕としても、ここには確実に掃除しなくちゃいけないゴミがいるみたいだからな」
安藤。
他のグズ共ももちろんだが、あいつだけは確実に殺さなければならない。
ユリの記憶の中でも、安藤は相変わらずクズだった。
あんな人間を生かしておいても、不幸になる人が増えるだけだ。殺してしまったほうがいい。
そもそも、ここにはもう気の触れた人間しか残っていないのだ。
ならば、トバリがそれを実行するのに、ためらう理由など一つもなかった。
「殺そう。一匹残らず」
ユリが頷く。
その瞳には、隠しきれない狂喜の色が見え隠れしていた。
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