第38話 状況確認





 ――夢を、見ていた。




 トバリは、大きな木の下にいた。

 空からは太陽の光がさんさんと降り注いでおり、地面には大量の芝が生い茂っている。


 しかし、その木の周りは見渡す限り荒廃した大地が続いていた。

 土は干からび、草は枯れ、木々は腐敗している。

 もちろん、生き物の気配などあるはずもない。


 それをぼんやりと見つめてから、トバリは目の前の巨木を見上げる。


 たくさんの赤い実をつけた、大きな木だ。

 緑色の葉を茂らせ、太陽の光をその一身に浴びている。


「あれ?」


 そこでトバリは、その光源が太陽にしてはあまりにも近く、そして小さすぎることに気がついた。

 トバリの頭上で光り輝いているのは太陽ではなく、大きな光の玉だ。


「……どこだ、ここ」


 そこまで考えて、ようやくトバリはその当然の疑問を抱くに至った。


 トバリはどうやって、この場所に来たのだろうか。


 そしてトバリは、不意に気づく。

 これは、夢なのだと。


「もしくは、死後の世界、ってことも考えられるな」


 トバリは冗談めかしてそう呟いたが、自分で言っておきながらあまり笑えない。

 自分でも『死』が迫ってくるのがわかるほどの致命傷を負い、目の前には無傷の『知恵(コクマー)』がいた。

 あのあと、意識を失ったトバリの命を『知恵(コクマー)』が奪っていたとしても、何も不思議ではない。


「……あのあと、どうなったんだ?」


 『知恵(コクマー)』に胸を貫かれ、その場に崩れ落ちたところまではおぼろげながら覚えている。

 だが、そこから先の記憶がない。


「ん?」


 広がっている枝の下に、木の実が落ちていた。

 近づいてそれを見てみる。


 赤い木の実だ。

 大きさや色はリンゴに似ているが、微妙に形が違う。

 どうやら、この目の前の木に実っているのと同じもののようだ。




 そして、それを誰かが拾い上げた。




「……刹那?」


 トバリの目の前に現れたのは、刹那だった。

 なぜか『知恵(コクマー)』が身に付けているものと同じような法衣を身に纏(まと)い、トバリのほうを見つめている。


 刹那は黙って、その木の実をトバリに差し出してきた。


「食べろって?」


 刹那は頷く。

 そういえば、刹那が自分の意思で何か行動を起こす姿を、久しぶりに見たような気がする。


 ……いや、そうでもないか。

 刹那はトバリが命令しなくても、いつもちょこちょこ動いている。


「それじゃあ、ありがたく」


 トバリはそれを受け取る。

 得体の知れない木の実だったが、不思議とそれを口にすることは躊躇(ためら)われなかった。


「……美味いな」


 それを口にすると、濃厚な味わいが口の中に広がった。

 食感や味は、果実というよりも肉に近い。

 身体中に血が通い、生命力が漲(みなぎ)ってくる。


 その実を咀嚼(そしゃく)していると、不意に刹那が口を開いた。

 彼女は、祈るような、慈しむような表情を浮かべて、




「――いきて」




 そこで、夢は終わった。






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 意識が覚醒する。

 泥の底にあったそれがゆっくりと浮上し、肉の身体へと戻っていく。


「――っ!」


 周囲の喧騒が耳に入ってくる。

 無意味な雑音として処理されていたそれが、意識がはっきりしていくにつれて意味のあるものになっていく。


 聞こえてくるのは、断続的な戦闘音と、人間の怒声と悲鳴。

 スーパーの中が安全でなくなったことは明白だった。


「ぼふ、は……?」


 声を発しようとして、初めて何かが口に入っていることに気付く。

 口の中にあるものを改めて認識するために、舌を動かした。


 おそらく、何かの肉だ。

 濃厚な味わいが口の中に広がり、身体の奥底から求めていたものが満たされていくような錯覚があった。

 その肉をよく味わって飲み込んでから、トバリは目を開く。


「……ん?」


 周囲に、大量のゾンビたちが集まってきていた。

 彼らは全員、間違いなくトバリのほうを見ている。


 トバリを襲うそぶりがあるわけではなかったが、今までここまで多くのゾンビたちに接近されたことがなかったために、少し気押される。


「というか、ここはどこだ?」


 周りを見てみると、スーパーの裏手の道で寝ていたようだった。

 『知恵(コクマー)』の姿はない。


「ユリが僕を逃がしてくれたのか? ――っ! そうだ、ユリは!?」


 そこまで考えて、トバリは自分が誰かの腕の中にいることに気がついた。


「……ユリ?」


 トバリを抱きしめるようにして、ユリが地面に横たわっている。

 その瞳は閉じられており、微動だにしない。


「ユリ! しっかりし――っ!?」


 そこで、トバリは気づいてしまった。


 さっきまでトバリの頭を抱えるような格好をしていたユリの腕が、不自然な形に抉(えぐ)れている。

 ちょうどゾンビに噛み付かれて、そのまま肉を抉り取られたかのような痛々しい傷痕だ。


 しかし、ユリはゾンビに襲われない。

 『知恵(コクマー)』につけられた傷だという線もあったが、トバリの頭の中には、ある恐ろしい想像が浮かんでいた。


 さっき、トバリが食べていたもの。




 あれは、ユリの腕の肉だったのではないか。




 ……いや、今はそんなことは後回しだ。


 トバリはユリの身体を抱き起こす。

 身体は冷たいが、一応呼吸はしていた。


 何かに齧(かじ)られたことによる腕からの流血以外にも、両足が腫れているように見える。

 逆に言えば、目立った外傷はそれだけだ。


 とりあえず死んではいないようだが、このままの状態が続けばどうなってしまうかわからない。

 早急に手を打つ必要がある。


 とはいえ、トバリにできることはそう多くない。

 ここには治療できるようなものは何一つないのだ。


「……いや。あるにはあるか」


 トバリは、周りにいるゾンビたちを眺めた。

 ふらふらと歩き続けている彼らの肉は、ユリにとっては治療薬の役割も果たすという。


 とにかく、早急にユリに目覚めてもらう必要がある。

 そのために人肉が必要なのだと言うのであれば、なりふり構っていられない。

 今までは倫理観や忌避感が邪魔をして人肉は食べさせなかったが、有力な手段の一つとして考えるべきだ。


「……っ痛え!」


 そんな思考は、突如襲ってきた胸部からの痛みによって遮断される。

 自分の胸部を見ると、赤黒い塊が胸の傷口を覆っていた。


「とりあえず塞ぎました、って感じだな……。違和感があるとかいうレベルじゃないぞ」


 そのあまりにもいびつな自然治癒に、トバリも気分が悪くなる。

 いや、まともな人間の身体であれば即死レベルの重傷だったのだ。

 文句を垂れるのは筋違いというものだろう。


「くっ……やっぱりまともに動くのはキツイか。『知恵(コクマー)』の野郎、絶対にぶっ殺してやる……!」


 負傷の原因である『知恵(コクマー)』への怒りを静かに燃やしながら、トバリはなんとか立ち上がる。


「……僕も、食べる必要がありそうだな」


 ここまで重傷なのであれば、トバリ自身も人肉を摂取したほうがいい。

 患部の雑な自然治癒から見てわかる通り、明らかに血肉が足りていない。

 『知恵(コクマー)』を倒すことを目標にするのならば、万全の状態で臨むべきだ。


 そう考えたトバリは、近くにいた一匹のゾンビに狙いを定める。

 若い女のゾンビだ。

 腕に少しだけ齧られた跡があるが、それ以外は綺麗なものだった。


「じゃあ、ちょっといただきますね」


 少し躊躇しながらも、トバリは女のゾンビの腕に噛み付いた。


「っ!!」


 最初は噛み付くだけに止めておこうと思っていたのだが、気がつくと歯を立てて腕の肉を抉り取っていた。

 そのまま、女の肉を咀嚼する。

 生の肉の感触を舌でたっぷりと味わい、細かく噛み砕いた肉片を嚥下(えんげ)した。


「……これは、すごいな」


 身体の奥底から、力が溢れてくる。

 ずっと足りていなかった栄養素を摂取できたことを、身体が喜んでいるのがわかる。


 それはいいのだが、


「なんか、寒いような……」


 建物の陰になっているとはいえ、今は九月の昼間だ。

 照りつける太陽のおかげで、暑くなることはあっても、寒気を感じることなどないはずなのだが……。


「……そういえば」


 トバリは、自身の胸を見る。

 その部分は相変わらず痛々しい傷跡を晒しているが、トバリが気になったのは正確にはそこではない。


「なんか、変な感じがするんだよな」


 それは他でもない、そこにあったはずのものが消えているような、喪失感。

 しかし、それが何なのかわからない。

 

「いや……待てよ」


 『知恵(コクマー)』の言葉を思い出す。

 彼の言葉によれば、『資格』を持つ証であるセフィラという球体が、その人間の胸のあたりに埋め込まれているらしい。


 そして、『知恵(コクマー)』はトバリの胸を狙ってきた。

 頭でも腹部でも足でもなく、胸を。


 ……わざわざ、触手でトバリの胸を狙ってきた理由。

 そんなもの、一つしか考えられない。

 『資格』持ちの人間からセフィラを奪うためだ。


 そこでようやく、




「まさか……『知恵(コクマー)』にセフィラを取られたのか?」




 トバリは、その結論に思い至ったのだった。


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