第40話 脱出
スーパーの中は阿鼻叫喚の地獄と化していた。
突如として屋上から現れた触手のゾンビたちと法衣の男によって、戦線は完全に崩壊している。
このままでは、このスーパーに篭城していた人間が全員殺害されるのも時間の問題だ。
そんな中、三田と城谷、それに辻が率いる集団は、まだ根強い抵抗を続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――右に行ったぞ!」
「りょーかいっす! オラぁああッ!!」
三田の声に城谷が反応し、金属バットの重い一撃が触手のゾンビの頭部を襲う。
鈍い音が辺りに響き渡り、そのゾンビは倒れて動かなくなった。
「クソ、キリがないな……」
三田がそう愚痴をこぼす。
倒れたゾンビの間を埋めるようにして、すぐに新しいゾンビが姿を現していた。
倒しても倒しても、ゾンビたちは際限なく湧き出てくる。
一方で、篭城組の人間たちは一人、また一人とその数を減らしていた。
このままでは、いつか限界が来る。
しかし脱出しようにも、脱出用のトラックが置いてある二階の立体駐車場は、大量のゾンビたちで溢(あふ)れかえっている。
そして、そんな大量のゾンビたちを倒せる手段を、三田たちは持ち合わせていなかった。
その道を開くために、三田を中心とするチームが二階の立体駐車場でゾンビたちとの戦闘を行っているが、戦況は芳(かんば)しくない。
戦えそうにない女子供は、既に二階にある従業員スペースに移してある。
目の前のゾンビたちさえ処理できれば、すぐにでも彼らを連れて脱出できるのだが、今はその未来があまりにも遠い。
「これじゃあ、脱出することも……」
最悪の予想が、三田の脳裏をよぎる。
このまま脱出できずに、触手のゾンビたちの餌になるという未来が近づいているような気がしてならない。
そんな妄想を振り払い、三田は金属バットを振るう。
目の前にいたゾンビの頭を叩き潰しながら、なんとか道を確保できないかと考えを巡らせる。
「一階にいる奴らが法衣の男を引きつけている、今がチャンスなんだ……」
大量の触手のゾンビたちを置いて、一人で一階へと向かった法衣の男の行動に不安がないわけではなかったが、さすがに奴一人に一階にいる人間が全滅させられることはないだろう。
そう信じていたかった。
一階へと法衣の男を誘導した男たちは、いずれもこのゾンビだらけの世界で生き残ってきた人間だ。
そう簡単にやられはしない。
三田がそんなことを考えていた、そのときだった。
「――おーい! ゾンビ共ー!!」
立体駐車場の中に、そんな声が響き渡ったのは。
「な、なんだ!?」
城谷が慌てた様子であたりを見回すが、声の主の姿は見当たらない。
「お前らスーパーの中なんてほっつき歩いてないで、さっさと僕のところに来やがれぇええええ!!」
あまり声を出し慣れていないのか、かなり無理をしている感じがあった。
いや、今はそれはどうでもいい。
それより、三田もこの声には聞き覚えがあった。
「……夜月?」
そう、夜月の声だ。
駐車場の一階、入り口がある方から聴こえてくる。
そして、三田たちの前にいるゾンビたちが、一斉にそちらへと視線を向けた。
ゾンビたちはそのまま、駐車場の一階のほうへと足を進めていく。
「まさか……大声を出すことでゾンビたちを引きつけているのか?」
そのあまりにも無謀な作戦に、三田は驚愕する。
たしかにこの方法ならば、ゾンビたちを引き付けることができるだろう。
しかし、それで自分に及ぶ危険を考えると、とても実行に移す気にはなれない。
自分なら絶対に取らないであろう選択肢を選んだ夜月に対し、三田は感心せざるを得なかった。
「夜月……あの馬鹿……ッ! あれじゃあ自分はどうやって逃げるんだよ!」
辻は苦々しげな表情を浮かべている。
心の底から、夜月のことを心配しているようだった。
やがて、ゾンビたちが完全に目の前からいなくなると、三田は言った。
「脱出する。先に女子供をトラックに乗せて、運転できる人間は運転席に乗ってくれ。俺は一階に残っている奴らの様子を見てから、後でそちらへ合流する」
「……わかりました」
城谷は何か言いたいことがありそうな顔をしていたが、それを飲み込んだようだ。
それに対して辻は、信じられない、と言うかのような表情で、
「わかりました、って……それじゃあ夜月はどうするんですか!? まさか、このまま助けてもらっておいて、見捨てていくつもりですか!?」
「……夜月の行動を無駄にするな。あいつは自分の行動が招く結果を熟考して、その上で判断した。お前の指摘は見当違いも甚(はなは)だしい……と、言いたいところだが」
三田はそこで一度言葉を切って、
「俺も、あいつを見捨てていく気には、どうしてもなれないな。夜月はこれからも俺たちにとって必要不可欠な人間になるはずだ。こんなところで死なせるのはもったいない」
「三田さん……!」
「軽トラがまだ一台あったな? 城谷と辻は脱出するときあれを使って、ついでに夜月を探してくれ。運が良ければ見つかるはずだ」
これが三田にできる最大限の譲歩だった。
夜月はたしかに素晴らしい功績を残したが、彼を助けるために多くの人員を割いてしまうのでは本末転倒だ。
そこで、夜月といい意味でも悪い意味でも縁の深い二人に任せることにした。
大量のゾンビたちに追われることになった夜月を無事に救出するのは至難のわざだろうが、そこはもう天運に期待するしかない。
だが、どうしてだろうか。
三田には、夜月が死ぬ未来が全く見えなかった。
「行こう。俺たちはまだ、死ぬわけにはいかない」
「はい!」
先ほどまでの、絶望に支配された顔ではない。
そこにはたしかに、希望が満ち溢れていた。
皆それぞれ未来を描き、そこに向かって突き進むのだ。
それを、法衣の男やゾンビたちに邪魔などさせない。
こうして、篭城組の脱出が始まったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんとか、引きつけられたみたいだな」
「そう、だね」
スーパーの中からうじゃうじゃと溢れてくるゾンビたちを眺めながら、トバリはそんな感想を漏らしていた。
やったことは単純だ。
トバリは、スーパーの中にいるゾンビたちに向かって命令した。
こっちに来るように、と。
叫び声は、スーパーに篭城している人間たちを納得させるためのブラフと、ゾンビたちに命令を届けるためという両方の目的をしっかりと果たしてくれた。
ゾンビは、セフィラを持つトバリの声にはほとんど反応しない。
しかし、それが自分たちへの命令となれば、話は変わってくるのだ。
「しかし、思いのほか、ちゃんと効くんだな。スーパーのなかにいるやつらを百パーセント誘導するのは無理だと思ってたけど、これ相当多いよな?」
「うん。たぶん、ほとんどの、ゾンビを、スーパーから、追い出してると、思う」
今、トバリたちはスーパーから少しだけ離れたところに来ている。
脱出するトラックの邪魔にならないようにするためだ。
やってきたゾンビたちを、このあたりに縛りつけるための命令をするのも忘れない。
「ゾンビを食べまくったせいか、身体の調子もいいしな」
胸の傷は、とっくに塞がっていた。
身体は軽く、頭は冴えている。
これにセフィラさえあれば、万全の状態と言えるだろう。
「トバリ」
「ん? どうしたユリ」
ユリのほうも、あれほど弱っていたのがまるで嘘だったかのように、しっかりと自分の足で立っている。
複雑そうな表情を浮かべるユリは、トバリに尋ねた。
「ほんとに、これでよかったの?」
「ああ。今はこれでいい。城谷と辻は、僕の手で殺されなきゃいけない。あいつらを殺すのは『知恵(コクマー)』じゃない。僕だ」
城谷や辻がゾンビに殺されて死ぬのはいい。
だが、それはトバリの意思によって、トバリが使役するゾンビによってでなければ意味がない。
トバリは、彼らを事故死させたいわけではないのだ。
「それに、あそこにはユリの友達がまだ残ってるだろ? あの子までみすみす死なせてしまうのは、僕としても不本意だからね」
本音を言ってしまうと、こちらのほうが問題だった。
ユリにせっかくできた友達がこんな形で奪われてしまうのは、トバリとしてもあまり気分が良くない。
「それも、だけど。いまは、そっちじゃなくて」
「ん?」
しかし、ユリは首を横に振る。
篭城している人間たちを助ける手助けをしたことについてではないのなら、ユリが何を問題視しているのかわからない。
「……人間の、肉を、食べたこと」
「ああ、そっちか」
それは、トバリにとっては今更という感じがする問題だった。
「まあ、前から覚悟はしてたからね。『セフィロトの樹』と戦うことになれば、それは避けては通れない道だったし」
覚悟を決めるための時間は十分にあった。
そして、それが必要であるのなら、トバリはその手段を選ぶことを躊躇(ためら)わない。
……それに、ユリだけに食人の経験があるなど、そんな重荷を背負わせるわけにはいかない。
それはユリだけではなく、トバリも背負うべきものだ。
トバリは手を差し出し、
「行こう、ユリ。『知恵(コクマー)』を倒しに」
「……うん!」
そんなトバリの声に、ユリは元気よく頷いた。
しばらくすると、スーパーの中から数台のトラックが姿を現した。
「……よし。うまくいったみたいだな」
トラックは縦に並ぶように、ゾンビたちが少ない方向に向かって進んでいく。
そのほとんどすべてが、中に避難民を入れたものだろう。
スーパーの中からそれ以上トラックが出てこないことを確認したトバリとユリは、スーパーの中へと向かった。
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