第14話 突破


「ここ、だよ」

「おう。案内ありがとな。にしてもこれは……」


 目の前のバリケードを見て、トバリは思わず吐息をこぼしていた。


 学校の勉強机が、ぎっしりと山積みにされている。

 廊下の天井まで隙間なく積まれているそれが、同じように奥にも何列も並んでいるのが視認できた。

 机の隙間には椅子がガムテープとロープで固定されており、そう簡単には解けそうにない。


 これならば、十分にゾンビの侵入を防ぐことができるだろう。

 それが普通のゾンビなら、という条件付きではあるが。


「でも、けっこう隙間空いてるよな? ユリの身体の小ささなら、隙間を通って突破できるんじゃないか?」

「無理、だった」

「へえ、意外だな。まあそれだけこのバリケードがしっかりしてるってことか」


 身体の小さいユリでも、このバリケードの間を縫って突破することはできなかったらしい。

 まあ、本人が無理だったと言っているのだから、無理だったのだろう。


「にしても……」

「どうした、の?」


 トバリはバリケードを確認しながら、不自然な点を見つけていた。


「さっきのあの女は、どこから出てきたんだ?」


 バリケードはどこも崩れた様子がなく、綺麗な状態を保っている。

 それならば、トイレに駆け込んでいたさっきの女は、いったいどこから出てきたのだろうか。

 

「それは、たぶん、あいつらが、窓から、落としたんだよ」

「ああ、なるほど。その手があったか」

「あいつら、いつも、窓から、人を、捨ててたから」


 思い返してみると、ユリは安藤に窓から放り投げられたのだ。

 あれが、彼らの手軽な処刑方法だったのだろう。


 女が追い出されていた詳しい理由も、トバリにはわからない。

 まあ十中八九、食料問題のせいだろうが。


「やっぱり、ユリも我慢しきれなくなってあいつらの食料を食べちゃったのか?」


 トバリがそう尋ねると、ユリは少しムッとした表情になって、


「ユリは、食べてない。あの女に、ハメられた」

「え、マジかよ……。やっぱりロクでもない奴だったんだな」


 女の姿を思い出し、やはり殺されても仕方のない人間だったのだということを再確認する。

 どんな極限状態の中でも、そんな人間にはなりたくないものだ。


「――さて、と。それじゃ、始めますかね」

「そう、だね」


 トバリは微笑を浮かべながら、後ろを振り向く。


 彼とユリの後ろには、おびただしい数のゾンビ達がついてきていた。

 その数、百は下らない。


 階段を登るのが苦手なゾンビ達を、三階まで誘導するのはなかなかに骨が折れた。

 しかし努力の甲斐あって、かなりの数のゾンビを集めることができている。


「よし。お前ら、このバリケードぶっ壊しちまえ。手段は問わない」


 トバリがそう命令するや否や、百を超える数のゾンビたちはおぞましい声を上げながら、一斉にバリケードへと向かっていく。

 ユリはトバリがあらかじめ命令対象から外していたために、バリケードを突破するゾンビたちの仲間には加わっていない。


「うーん。やっぱり時間かかりそうだな」


 ゾンビたちは頑張ってバリケードを突破しようとしているが、やはり生前の知恵は失われているようで、道具を使っている者はいない。

 爪で表面を引っ掻いたり、机に体当たりするだけでは、この強固なバリケードを突破するのにどれくらいの時間がかかるのか見当もつかなかった。


 その光景を見かねたユリが、若干不満げな表情を浮かべてトバリに尋ねる。


「あれで、いいの?」

「いいんだよ。あれだけデカい音を鳴らしてたら、それだけで篭城してる奴らにプレッシャーを与えられる」


 奴らの精神は、ここ数日の篭城で既に限界に達しているはずだ。

 そこにゾンビたちの立てる物音で、圧力をかけていく。


「どうせあの数のゾンビからは逃げられないんだ。まずは嫌がらせから始めようぜ」

「……そう、だね」


 廊下はゾンビで溢れかえっているし、奴ら自身がバリケードで完全に出入りを封じている以上、廊下は絶対に使えない。

 それに、奴らが篭城している教室の直下のグラウンドには、多くのゾンビを配置してある。

 飛び降りて助かるのを祈るのは、彼らにとってはあまりにも分が悪い賭けと言えた。


「――クソっ!! なんだよ、なんなんだよこれっ!?」


 そして案の定、焦りで状況が見えなくなっている馬鹿が一人、奥の教室から飛び出してきた。

 ユリの記憶の中でも見た顔の男だ。


 その男の顔を見た瞬間、ユリの目つきが鋭くなる。

 今にも飛び出していきそうなユリに向かって、トバリは静止の声をかけた。


「落ち着けユリ。僕たちが動くのは、ゾンビたちがバリケードを突破してからでも遅くない」

「……それは、そう、だけど」


 ユリは不服そうだが、まだユリに動く許可を出すわけにはいかない。

 中にいる男共を確実に全員殺すためには、慎重な行動が求められるからだ。


 ゾンビ達の影に隠れながら、トバリとユリは男の様子をうかがう。


「どうなってんだ!? なんでこんなにゾンビが……」


 男はうわ言のように同じような言葉を繰り返すばかりで、何か行動を起こすような気配はなかった。


「どうした? えらく騒がしいが……」

「あ、東(あずま)さん! 実はかなりマズイことになってまして……」


 教室の中から、新しい男が出てきた。


「あいつは……」

「っ……」


 ユリが僅かに身体を震わせ、唇を噛む。

 トバリにも、あの男には見覚えがあった。

 ユリの追想の中で見た、リーダー格の男だ。


 リーダー格の男は、バリケードを突破しようとしているゾンビたちの姿を見て、その表情を驚きの色に染めている。


「あいつら、あんな動きもできたのか」

「ええ……。あんなの、オレも初めて見ました」


 彼らがそんな感想を抱くのも無理もないことだ。

 本来、ゾンビたちは集団で何かをする、ということはない。

 パッと見では数えられないほどの数のゾンビたちが、自分たちが作ったバリケードを突破しようとしている様は、さぞ男たちに恐怖心を抱かせることだろう。


「とにかく、バリケードを突破されたら俺たちは終わりだ。迎撃するぞ」

「は、はい!」


 リーダー格の男の声に従い、男は教室の中へと戻っていった。


「……あの東って奴、面倒だな」

「そう、だね。あいつが一番、殺すのに、苦労すると、思う」


 ユリもトバリの意見に同意する。

 あれは、こんな異常な状態にもかかわらず、さほど焦ったような様子を見せているわけでもなく、冷静に物事に対処できる力を持っている人間だ。

 性犯罪者でさえなければ、頼れる男としてまともな集団の中心的存在になっていたかもしれない。


「いや……。考えるだけ無駄だよな」


 そんな仮定を考えたところで、誰も幸せにはならない。


 ゾンビたちはゆっくり、しかし確実にバリケードを破壊し始めている。

 バリケードを突破できるのも時間の問題だった。


 そして、そのときがやってきた。

 バリケードの真ん中あたりに小さな穴が空き、ゾンビたちがそこから次々とバリケードの向こう側に侵入していく。


 だが、さすがに男たちのほうもただ待っているだけではなかった。


「おらァ!!」


 金属バットを持った男とリーダー格の男は、侵入してくるゾンビたちを迎撃する。

 鈍い音を立てて、金属の塊がゾンビたちの頭を潰していく。


「マズイな……普通に対処されてる」


 男たちはかなりゾンビ慣れしており、物量作戦でもそう簡単にはやられてくれそうになかった。

 空いている穴が小さいというのも、トバリ達に不利に働いている。

 ゾンビが一体ずつしか入れないため、その一体にさえ注意していれば迎撃は容易(たやす)い。


「どう、するの?」

「――頭を守れ。体当たりして動きを止めろ」


 トバリがそう命令すると、ゾンビたちの挙動が一斉に変わった。

 それまで無防備だった頭を庇うような動きで、小さな穴を走り抜け、男たちに向かって体当たりを始めた。


「くっ……!」


 ゾンビたちの行動パターンの変化に遅れて気付き、迎撃しようとした男が、ゾンビの突進をモロに受けて転倒した。

 一度体勢を崩してしまえば、あとはゾンビたちの餌になる未来しかない。


「ひっ……く、来るな! 来るなぁああああああああああ!!」

「落ち着け! パニックになったら……あー、クソ。もうダメか」


 足を後続のゾンビに噛まれ、ゾンビたちに埋もれて見えなくなっていく男を見て、リーダー格の男は諦めの表情を浮かべた。

 そして何かを覚悟した顔で、落ち着いてゾンビたちに対処しながら、教室の中へと戻るような動きを見せる。


「っ……! 逃がすかよ!」


 放置しておけば、こいつらは繰り返す。

 また他の生存者たちに寄生して、食糧を奪い、女を犯し、善良な男を殺す。


「だから、ここで殺さなきゃいけないんだよ……!」

「――そう、だよね」


 トバリが命令する前に、ユリが走り出していた。

 驚くほど俊敏な動きでバリケードを突破し、ひしめくゾンビたちの間を縫って、リーダー格の男の元へ迫る。


「っ! お前は――」


 リーダー格の男がユリの接近に気付いたが、あまりにも遅かった。

 男が握っていた金属バットが、近くにいたゾンビの頭を叩き潰したのと同時に、ユリは男の足に噛み付いていた。


「クソがっ!」


 リーダー格の男がユリに向かって金属バットを振るう。

 が、ユリは身体を少し後ろにずらすだけで、その一撃を回避した。


 そして、ユリを狙ってそのバットを振るったということは、他のゾンビたちへの警戒を怠ったということにほかならない。

 できた隙を突いて、ゾンビたちが一斉に男に襲いかかる。


「ひっ! や、やめろっ! やめろぉおおおおおおおお!!」


 半狂乱になりながら、自分に襲いかかるゾンビたちをふり解こうとする男。

 しかし、それらすべてがあまりにも無駄な抵抗だった。

 ゾンビたちの執念はすさまじく、男が多少抵抗した程度では、その肉に深く食いこんだ歯は抜ける気配がなかった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああッ!!」


 生きたままゾンビたちに貪られる苦痛に身もだえしながら、男はただ叫び声を上げることしかできない。


 しばらくすると、それすらも聞こえなくなった。

 ゾンビたちが肉を咀嚼(そしゃく)する音だけが、辺りに響いている。


「……ふぅ」


 終わった。

 少しユリが危ない場面はあったが、クズたちを二人殺した。


「どう、したの?」

「ん? 僕は大丈夫だよ。それよりも、ユリは怪我とかしてない?」

「ユリは、大丈夫」


 ユリは少し首を傾げていたが、すぐに姿勢を元に戻して教室のドアを見た。


「――いるな」

「うん」


 あそこからはまだ、生きている人間の気配がする。

 男たちの肉を貪っているゾンビたちの間を抜けて、トバリとユリは教室の前へとたどり着いた。

 男たちが使っていた金属バットを回収するのも忘れない。


「開けるぞ」

「うん」


 トバリは、教室のドアを開けた。


「臭っ……」


 最初にトバリが感じたのは、鼻につく異臭だった。

 長いあいだ人間が生活していると、ここまでひどい臭いが発生するものなのだろうか。

 そして。


「――あ?」


 教室の中心部。

 そこで、呆気にとられたような顔をした安藤が、トバリたちを凝視していた。

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