第11話 蹂躙


 少女は、どんどんトバリのほうに近づいていく。

 トバリはその場から一歩も動けない。


 そして、ゾンビの少女はトバリのことを不思議そうに見つめながら、トバリの身体に触れた。


「……うん?」


 何をしてくるのかと身構えていたが、少女はただトバリの腹部をぺたぺたと触っているだけだ。

 敵意はない。

 こうしていると、ただの無口な少女に戯れられているように見えなくもなかった。


「ビビった……」


 トバリは脱力して、大きく息を吐く。

 少なくとも襲われたりすることはなさそうだった。


「でも、なんなんだお前は?」


 他のゾンビとは明らかに異なるその様子に、トバリも困惑する。

 他のゾンビは、トバリにここまで近づいてくることはないし、トバリに触ってきたりもしない。

 不思議なゾンビだった。


 とりあえず、ここにいても仕方ないので、部屋の外に出ることにした。


「……なんでついてくるんだ?」


 トバリが部屋の外に出ると、ゾンビの少女もトバリの後ろをついてきた。

 トバリのそんな問いかけに対しても、少女は無反応だ。

 おそらくゾンビは喋らないので、それも仕方ないことなのだが。


「止まれ」


 少女の動きが止まった。

 どうやら、命令はしっかりと遵守するようだ。

 しかし心なしか、トバリを見つめる少女の視線が若干厳しくなったような気がする。


 「もういいぞ」と言って少女の拘束を解くと、彼女の視線は再び穏やかなものになった。

 そんな彼女の様子を見て、トバリは頭を悩ませる。


 通常のゾンビとは明らかに異なるこの少女を、野放しにしておいていいものなのか。

 そんな思考に対する答えが出ないまま、事態は進行してしまった。




「きゃぁぁぁぁあっ!!」




「っ!?」


 女の悲鳴が聞こえた。

 かなり近い。おそらく小学校の中からだ。


 やはり、ここには生き残りがいたのだ。


 そしてその声が聞こえた瞬間、少女の様子が明らかに変わった。

 ぼんやりとしていたまなざしは鋭いものになり、声の気配を探るかのように廊下の天井を見つめている。


 やがて何かを追うかのように、少女のゾンビは階段のほうに向かって走っていった。

 それはあまりにも人間的な動きだった。

 トバリが今までに見たことがあるゾンビとは明らかに違う。


 トバリは、少女のあとを追うことにした。






「あいつ足速すぎだろ!」


 ぜえぜえと息を吐きながら、トバリは悪態をつく。


 トバリは少女を見失っていた。

 三階に繋がる階段を登っていたところまでは見ていたのだが、そこからどこに行ったのかまったくわからないのだ。


 今まで下の階をうろついているだけだったゾンビ達も、生きている人間の気配を嗅ぎつけたのか、だんだんと上の階に上がってきている。

 三階に生存者がいるのは明白だった。


「あ! いた!」


 ゾンビの少女が、女子トイレの中に入っていった。

 少しだけ躊躇したあと、トバリもすぐにそのあとに続く。


 トイレの中には、少女以外にも一匹のゾンビがいた。

 一つだけ閉まったドアを開けようとしているのか、断続的にドアの表面を爪でガリガリと削っている。


 そしてその個室の中から、女のすすり泣くような声が聞こえてくる。

 さっき悲鳴をあげていた女かもしれない。


 ゾンビの少女はトイレのドアの上に手をかけ、上から個室の中を覗き込んだ。

 流れるようなその動きに、トバリは咄嗟に反応できない。


「……ゆりちゃん? よかった、無事だったのね!」


 一瞬の空白のあと、個室の中から再会を喜ぶような声が聞こえてきた。

 もしかすると、ゾンビの少女のことを知っていた人間なのかもしれない。


 だが、ゾンビの少女は笑っていた。


「……ゆり、ちゃん?」

 

 それは、捕食者が獲物を見つけたという喜びの現れにほかならない。

 それ以外の感情があるとしても、それは決して再会を喜ぶようなものではないだろう。


 少女の瞳の中にあるのは、憎しみだ。

 人間に対する、溢れんばかりの憎しみ。


 そして、それは間違いではなかった。

 ゾンビの少女は、まるで蛇のような動きでトイレの個室に忍び込んだ。


「ゆりちゃ……あああああぁぁあぁああああ!!」


 次いで、女の絶叫がトイレにこだまする。

 個室のドアが開き、ゾンビの少女に首を噛み付かれたままの女が、わけのわからない言葉を発しながら暴れまわる。


 その声が決定打となり、トイレの辺りにいたゾンビたちが女のほうに引き寄せられていく。

 我先にとトイレになだれ込むゾンビたちに道を譲り、トバリはその一部始終を静観していた。


 女の身体が壊れていく。

 ゾンビの少女に首を抉り取られ、男のゾンビに指を噛み切られ、女のゾンビに足の肉を齧られ、女がただの肉の塊に変わっていく。


 その光景を、トバリは穏やかな気持ちで見つめていた。

 ゾンビの少女のその憎しみが、トバリにはひどく心地よかった。


 やがて肉を貪るのにも飽きたのか、ゾンビたちは女から離れ、ふらふらとどこかへ去っていった。

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