♯ Halrem Shuffle ♯

 音に沈む。心に満ちた寂しさが溢れて洪水となって僕を押し流す。

 自分の中に渦巻く音楽に閉じ込められるのが恐ろしくて、僕は当てもなくただ闇雲に走った。


 寝覚めの悪い朝だった。起きたばかりだと言うのに耳鳴りが酷い。

 テストが終わって今日は一日まるっと空いたから、ゆっくり寝ていようかと思ったけど、耳鼻科の定期検診の予約を入れていたことを思い出した。


 嫌々起き上がり黒いパーカーとジーンズに着替えて携帯を見ると、数件のメッセージが入っていた。

 地元の友人や遠方に住んでいる祖父母、今は海外にいるらしい両親。


『お誕生日おめでとう』


(あ、今日誕生日だった)


 だから変な夢を見たのかな、と思いながら、コードレスイヤフォンを装着した。

 耳鳴りと沈んだ気分を一掃したくて、今日の出だしはノリのいい『Halrem Shuffle《ハーレムシャッフル》』

 古いカートゥーンに出てくる曲っぽくて、楽しい。オリジナルのボブ&アールじゃなく、サイケなローリングストーンズ。イントロが流れ始めてから部屋を出る。


You move it to the left,

yeah, and you go for yourself.


♪左に動かすんだ

そう 自分でそうするのさ♪




 ちょうど7歳の誕生日のあの日、僕は事故に遭った。


(起きてしまったことは仕方ないし、特に悲観もしてないけど)


 昼間は祖父母に祝ってもらって嬉しかったのに、夜、急に寂しくなった。一人きりで歌いながら外に出て、夜の闇に怯えながら走った。


 小学校に入るまでは、僕も両親の演奏旅行について行った。父は色んなバンドでアシストをするプロのサキソフォン奏者で、母はピアニスト兼歌手。

 ステージの袖から演奏に興奮する観客の顔を覗き見たり、開演前に父が練習する風景を見たりするのが好きだった。

 父はどんな楽器でも上手く弾けたけど、朝、一人で練習するアルペジオは幼い僕にとっては複雑怪奇で幻想の中にいるような気がしたものだ。

 夜は母がピアノを弾きながら歌うのを聞いて眠りに落ち、いつの間にかホテルのベッドの上で朝を迎える。

 子供にはあまり良くない環境だったかもしれないが、音楽と両親の温もりがあれば僕は幸せな少年でいられた。


「おはよう、方倉くん。荷物が届いてるよ」


 外出簿に記入していると、佐藤さんという寮監のおじさんがにこにこしながら僕に話しかけてきた。僕はいったん音楽を止めて、頭を下げる。


「おはようございます。これから出かけるので預かってていただけますか?」

「いいよ。じゃあ、戻ってきたら声かけてね。行ってらっしゃい」

「ありがとうございます。行ってきます」




 本当は危ないからあまり良くないやり方だけど、歩きながら携帯のメッセージをチェックする。


Now take it kinda slow,

with a whole lot of soul.


♪さあ ゆっくりやってみな

魂全部込めて♪


『綾人。お誕生日おめでとう。プレゼントを贈っておいたよ』


(お祖父ちゃんとお祖母ちゃん。元気にしてるかな)


 少し厳しいお祖父ちゃんと、優しいお祖母ちゃん。「夏休みに会いに行くね」と返信して、次のメッセージを開く。


『AYATO!Buon compleanno!(誕生日おめでとう)美味い物送っておいた!』


(お父さんたち……今どこよ……。まあ、いいけど)


「ありがとう」と返信して、嬉しさ半分、寂しさ半分。曲に合わせて、体が少し揺れた。


Yeah ya do, real cool.

You slide it to the limbo.

Yeah, how low can you go?


♪そうクールに決めるんだ

だんだん上体をそらしな

そう どれだけ低くできる?♪


『放課後、俺達の愛を受け取りに来い』


(なんだこれは。先輩達か……)


 グループの画面に「誕生日おめでとう」と言うゴリラのスタンプと気味の悪いメッセージ。教えた覚えのない誕生日がバレているのも今さら驚かないけど、今日はあの騒ぎに巻き込まれるのはなんとなく嫌だな、と思う。


You scratch just like a monkey.

Yeah ya do, real cool.


♪猿みたいにscratch

そう coolに決めるんだ♪


『渡したいものがあるの。時間取れる?』


(葵ちゃん。また実習で何か作ったのかな?)


 僕は病院から戻る頃を予測して、会えそうな時間を返信した。よく美味しいお菓子をくれるので、最近はすっかり楽しみになっている。


Now come on baby, come on baby!

Don't fall down on me now.


♪さあ やりな そうさ ベイビー

俺に倒れ掛かるなよ♪


 思わず踊りそうになって、ちょっと我慢する。踊りながら歩いたら危ないし変な奴だと思われる。僕は慌てて携帯をポケットにしまった。




「特に異常は見られないね。めまいはどう?」


 地元の病院から紹介された耳鼻科の仁村先生は中肉中背の年配の男性医師。検査結果を見ながら、僕に微笑みかける。目尻の皺が深まった優しそうな笑顔が安心感を与えてくれる。


「めまいはありません」

「薬物療法もあるけど、自律神経の乱れも考えられるから、音響療法や心理療法の方がいいのかな。よく眠れてる?」

「ええ、まあ」

「静かにし過ぎないで、音楽やラジオを聴くといいね」

「はい、前の病院でもそう言われました。最近はツボ押しを教えてくれる友達もいて……」


(静かすぎるどころか、最近じゃうるさすぎる……)


 さっきの浮かれた気分のまま、そんなことを口走って、一人で赤くなってしまう。「おや?」と、眉を上げた仁村先生が、にこにこと頷きながら僕に言った。 

 

「すぐに良くなるなんてことは言えないけど、一緒に考えていこうね」

「……はい」




(そんなに悪い気分じゃないな)


 今日は先に池のほとりに立っていた葵ちゃんの姿を見つけたら、なんとなくそう思った。ふわふわと風に揺れる肩までの髪が白い頬に掛かっているのも構わずに、じっと池の表面を見ている。


 周りの人に気に掛けて貰ってるのはちゃんと分かっているし、時々どうしようもない気分に陥るのは、思春期だから仕方ない。心と身体のバランスが悪くて自分自身がコントロール不能。

 

「遅くなってごめんね」

「……だいじ」


 振り向いた葵ちゃんは、恥ずかしそうに笑った。合言葉みたいにその言葉を使って、2人で笑ってしまう時間が好きだ。


「これ、白あんにハスの実をいれた月餅なの。お誕生日に月餅ってどうかと思ったんだけど、いつも洋菓子ばかりだから」

「ありがとう。誕生日知ってたんだ」

「学生証返してくれた時に言ってたでしょ?……本多先輩が」

「あ、そうか」


(そういえば勝手に僕の個人情報喋ってたな)


 そのお陰で祝ってもらえるなら悪くはないか、と思っていると、葵ちゃんはポケットからもう1つ小さな包みを取り出した。


「あと、これも。喜んでもらえるかどうか分からないけど……」

「なに?開けていい?」

「うん」


 袋を開けると、手の平に乗るサイズのギターの形をしたキーホルダー。茶色の革を縫い合わせた小さなギターは、昔僕が家で弾いていたものに似ていた。

 じわじわと何かが胸にり上がってきて、何を言っていいかも分からずに口を開く。


「……ありがとう。えーと……嬉しい」

「よかった」


(あー、可愛い……)


 僕のことを考えて選んでくれた贈り物が嬉しい。にこりと笑った彼女の頬が苺みたいに赤く色づいて、すごく美味しそう。思わず手を伸ばして、ふと我に返る。


(あぶねー。急に触ったらだめじゃん。なに美味しそうって。自分がきもい、しぬ………)


 羞恥に震えていたら、中途半端に出した僕の手を、一歩前に進み出た彼女の小さな両手が包み込んだ。


(わわわ近い!手すごい柔らかちっちゃかわいいぃぃ)


 心臓が鼓動ビートを刻み、音響と色彩が頭の中から洪水みたいに溢れ出す。自分の奏でる音楽の中に沈み込み、次の瞬間には閉じ込められていた音の中から浮き上がる。


Just move it right here

do the Harlem Shuffle.

Huh, yeah, yeah, yeah,

do the Harlem Shuffle.

Yeah, yeah, yeah,

do the Harlem Shuffle.


♪そう、右に倒れるように

ハーレム・シャッフルさ

yeah, yeah, yeah,

ハーレム・シャッフルさ

yeah, yeah, yeah,

ハーレム・シャッフルを踊ろう♪


 倒れるように踊るゴリラとキノコとナス、桃色の琵琶法師、そしてシャウトするミック・ジャガー。頭の中がシャッフルされてるみたいだ。


「……私、歌だけじゃなくて、方倉くんのギター聞いてみたい」


 耳鳴りとは違う音と色の洪水の向こうで、真っ赤な顔をした彼女がそう呟いた―――。




 音酔いしたようにふらふら歩いていたら、いつの間にか寮の前にいた。女子寮に戻る彼女と別れ、その後どうやって歩いたのか記憶が曖昧だ。


 寮監の佐藤さんに大きな荷物を渡されよろよろしながら部屋に戻る。

 苦労して箱を開けてみたら、そこには元々父のものだった調弦済みの古いリッケンバッカーが入っていた。


(これをどうしろと……)


『お父さんに頼まれて、送ったよ。軽音部に入ったって聞いて喜んでた』


 一緒に出てきたメッセージカードに書かれたお祖父ちゃんの文字を読んで、僕はギターを抱えたまま、後ろ向きでベッドにダイブした。

 音の洪水はまだ止まない。表向き平静なのに、内面が激しく波打つ。ドキドキと早い鼓動に脳を冒され、呟くように歌っているうちに、いつしか僕は眠り込んでしまった。


 

 翌日、部活に行くと、「なんで来なかった」と本多先輩に詰め寄られ、古川先輩と一緒にオモチャのピアノ伴奏で地獄のバースデーソングを歌われた。

 そして飛原先輩からは自分で作ったという緑色の簡易袈裟を贈られ、金田先輩は家から持ってきた僧服を贈り物としてくれた。



◇◇◇◇◇



【後記】


【註】

ハーレム・・・米国のスラム街


Bob&Earl・・・1690年代の米国のR&B、Soulデュオ。

The Rolling Stones・・・英国のロックバンド

ミック・ジャガー・・・英国のロック・ミュージシャン


【曲】

『Halrem Shuffle』

オリジナル1963年

カバー1986年


キース・リチャーズはこの曲をソロ活動をしていたミック・ジャガーを指して「ミック向け」と皮肉を込めて言い、「男の子のソロ活動」のダブルミーニングでディスって……たのかも。

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