♯ 青春アナゴさん ♯
明慶は2学期制なので夏休みが終わったらすぐ期末テストがある。その後秋休みに入って体育祭。休み明けに行事が目白押しだ。
その後は学祭があるからそこで演奏するなら、そろそろ本腰入れて曲を作らないと……。
8月も終わりに近づいたある日。
古川先輩は師匠に付いて演奏会に行ってしまったし、金田先輩は生徒会の仕事があるらしい。他2人の先輩は気まぐれだから部活に行っても現れるかどうか分からない。
1日ぽっかり空いたので、貸してもらった仏教辞典を片手に歌詞を考えていたけど、脳がパンパンになってきたので気晴らしに買い物に出ることにした。
本屋で参考書を買い、中古レコード屋を数軒回って楽器店で替えのピックや弦を買い、そろそろ何か食べようかなと思っていたら、前方から見覚えのある人物2人がぶらぶら歩いてくるのが見えた。
目に痛い蛍光黄緑のTシャツにジーンズ姿の赤毛の大男と、白っぽい麻のシャツにカーキのチノパンを合わせた眼鏡の長身の男が、なぜかボロボロの姿で肩を組んで近づいてくる。トラブルの予感しかしない。
(他人のふり……)
そう思ってそっと人混みに紛れようとしたら、後ろから襟首を掴まれた。
「よぉ、綾人。買い物か?」
「無視?冷たいんじゃねえの?」
「あ、こんにちは……奇遇ですね……」
(見つかってしまった)
チンピラに絡まれているような気分で恐る恐る見上げれば、あちこち擦り傷のある本多先輩と、微妙に形の歪んだ眼鏡をかけた飛原先輩がニヤニヤしながら僕を見下ろしていた。
「俺らこれから昼飯食いに行くんだけど、お前も一緒に行こうぜ」
「奢ってやるよ~」
「いえ、結構です」
「まあ、そう言わずに」
「俺ギョーザ食いてぇ~」
「ああああああああああ」
捕獲された宇宙人よろしく両脇から腕を掴まれ、僕は為す術もなく連行されていった。
そんな訳で、僕は大量の餃子と大盛りの炒飯とチャーシュー麵を飲むように腹に収めていく2人の先輩を見ながら呆然としていた。
僕の目の前にも同じ量が置かれているが、彼らを見ているだけで胸焼けがしてきた。
(こんなに食べられないよ!!)
「暴れると腹減るな」
「……俺の方が1人多かった」
「いや、俺だね」
「え、何が?」
『相手ぶっ潰した数』
「………」
異口同音に返されて、口を挟んだことを後悔しながら餃子を一口かじる。美味しい。美味しいけど食べた気がしない。
お互い殴り合いの喧嘩をしたとかじゃなくて、誰かを殴ってきたということらしい。
「最初に蛍に難癖付けてきた奴は俺がやっただろ」
「その後2人やったのは俺だ」
(……くだらないマウント合戦だった……)
「大体お前がいつもそんな派手なナリしてるから俺まで巻き込まれるんだろうが」
「これは生まれつきだ。黒く染めろってか」
「え??地毛なんですか???」
てっきり染めているのかと思ったら、まさかの地毛説。どういうことだと首を捻っていると、本多先輩が僕を見て、ニヤッと笑って顔を近づけてきた。
(にんにく臭い……)
「ほれほれ、よく見ろ。生え際も赤いだろう。目の色は青っぽいグレーなんだぞ。子供の頃はもっと青かった」
「え、いや、そういう情報いりませんので」
「もっと他人に興味を持て。まあ聞けよ」
そう言って本多先輩は餃子に箸を伸ばしながら、唐突に昔語りを始めた。
いや、確かに赤茶けた髪は本物みたいだし、彫りが深くてゴリラっぽいなと思っていたけど!衝撃的な重い過去とか出生の秘密なんて聞きたくないんだが?
(お前こそ人の話を聞け!!)
父・豊太郎は早くに父親を亡くし、医師を志した彼は大学でも成績優秀な成績を修め、奨学金を受けドイツに留学した。
学友にも恵まれ外国語にも慣れた頃、一人の女性と出会う。生真面目で勉学一辺倒だった彼の友人の中にも悪友は居り、その人物に誘われて出かけた酒場で美しい踊り子エリスに出会う。
青く清らかに透き通る瞳、その瞳を烟らせる長い睫毛、水を含んだばかりのように濡れた朱の唇。そして燃え盛る紅蓮の長い髪。彼は一目で恋に堕ちた。
そのしなやかな肉体が、青白い
だが運命は無情にも若い2人を引き離そうと画策する。ある日、豊太郎に援助をしていた大病院の院長から帰国命令が下る。一人娘との結婚を急がせる為だ。一度は断ったものの、資金を打ち切られては生活もままならない。
2人の生活は
そして1年後、独り留学先から帰った豊太郎の腕には赤い髪の男児が抱かれていた―――。
本多先輩は話し終えると重い息を吐いて、遠くを見つめた。僕は途中から体がブルブル震えて声を出すのも一苦労だった。
「今の母親は再婚相手だ」
「うっ…うっ………えぐっ、じゃあ一人暮らししてるのって……新しい家族に気を遣って……とか……?」
なぜか本多先輩と飛原先輩はニヤニヤしながら顔を見合わせている。
(ん?なんか覚えのあるパターン)
「綾人は素直で良い子だなあ。怪しい壺とか買わされそうでお兄さん心配になるよ」
「蛍……色々脚色してるけど、それ森鴎外の『舞姫』のパクリだろう」
そこで僕は、騙されていたことにやっと気づいた。
本多先輩も飛原先輩も本当に人が悪い。こういう時の2人は妙な結束力があるというか、似た者同士というか……井原先生の話の時もそうだったけど……なんとなくパターンが読めてきた。
「……本当は?」
「父親は元々本多の跡継ぎで名前は本多
「もう何も信じません」
「学生結婚で駆け落ち同然に結婚したけど、1年も保たずに俺連れて帰って来たんだがな」
(それはそれで複雑なのでは……?)
涙も引っ込んでジッと見つめると、本多先輩は人の悪い笑顔で僕を見下ろした。本多先輩の人格が破綻してるのは複雑な家庭環境のせいではないだろうかと
飛原先輩は僕の心情などお構いなしに、ラーメンを飲みながら炒飯にも手を伸ばしている。
(胸焼けがひどい……)
「双子の異母妹弟がいるけど別に家族仲は悪くねえし、実の母親とは今でも連絡取ってるぜ?」
「そうなんですか……」
「おっかねえババアだけど」
「エリスおばさん美人じゃん」
2人とも食べる手は休めないので、どうやって喋っているのか疑問。でも今そんなことは取るに足らない問題だ。彼らが話せば話すだけ混乱が増して、別の意味でお腹いっぱいになる。
「一輝、本人の前でおばさんとか絶対言うなよ。殺されるぞ」
「分かってるよ」
「別れたのだって元は親父の浮気が原因だし、まだどっかに兄弟とかいるんじゃねえの?自由だからな、あの親父」
(あ、遺伝だった)
望みを絶たれた僕は、俯いて炒飯をもそもそと食べるしかなかった。いつの間にか追加でやってきた餃子を貪り食った本多先輩は、結局僕の分まで全て平らげて、その上デザートまで食べに行こうと提案したのだった……。
「し♪おーれたちはいつでもぉ〜2人で1つだったぁじぃ〜もとじゃま・け・し・ら・ずぅ〜♪」
ニンニク臭に挟まれて、またもや連行される。本多先輩は上機嫌に歌っていて、道行く人の視線も耳も痛い。
(もう帰りたい。僕このあと臓器でも売られるんじゃないか?)
「歌うな、蛍。餃子吐くわ。あとその歌聞くと居たたまれない気持ちになるからやめろ」
「なんでだよ~。照れんなよアナーゴ」
「相変わらず馬鹿だな。それを言うならアミーゴだろ、フグ田くん」
ウシシシ、と肩を揺らして笑うお馬鹿な
3段のアイスクリームにかぶり付く先輩達を見ながら、僕は奢って貰ったアイスティーを啜る。これ以上固形物は入らない。
「あ!てめえら!やっと見つけたぞ!」
物騒な声がして振り向けば、先輩達以上にボロボロになったスキンヘッド3人組が肩を怒らせてこっちに突進してくるのが見えた。
「やべえ」
「逃げるぞ、綾人」
(え?何?なに何!?)
再び両脇を掴まれて、駆け出した先輩達の間ですごい速さで変わっていく風景がガクガク揺れる。
(あああああああ!!誰か助けてーーー!!吐きそう!!)
「こ……金輪際関わりたくありません。外で声かけないでください」
寮の入口まで送り届けられて、思わずそう言ってしまった僕は悪くない。胃の中身は逆流しそうだし、まだ目の前が揺れている。
「まあそう言うなよ、アナーゴ」
「だからアミーゴだろ、フグ田くん」
(僕がアナゴだったら突っ込む飛原先輩は誰なんだ)
にやにや笑いでチェシャ猫のように消えていく先輩達に目眩が止まらない。でももうそんなことはどうでもいい。
早々にベッドに潜り込んだ僕は、コード譜アプリに恨みを込めて曲を書き殴り、そのまま勢いで部の共有データに載せてしまったのだった。
翌日後悔して覗いてみると、バイシャジャグルの名で歌詞とタイトルが付けられていて、取り消そうにも取り消せない状態になっていた。
(仕事はやっ!!)
『
「(前奏・ギターソロ)
1.九山 八海 須弥四州 俺達ギリギリ金輪際
水輪 風輪 宇宙の果てに 不可説転の夢を見る
那由多 不可思議 無量大数 一切合切 喰い尽くせ☆
イズレイタレ不可説不可説転 辿り着けるさ 俺達なら
2.
弐千
☆繰り返し
イズレイタレ可能性は無限大 掴めるさ 俺達なら
(間奏・ギターソロ)
3.尽きぬ
五戒 十戒
☆繰り返し
イズレイタレ
(旅立ちたくないよーーー!!!)
◇◇◇◇◇
【註】
あ、カーマはヒンドゥー教ですね。
【以下、長いので読み飛ばし推奨の注釈】
那由多・不可思議・無量大数・不可説転・不可説不可説転・・・とても大きな数
九山・八海・須弥四州・水輪・風輪・金輪・須弥山・有情世間・器世間・閻浮提・・・大雑把に言うと仏教の宇宙観
由旬・・・仏教における長さの単位 (1由旬=約7~8km・諸説あり)
無尽法界・・・限りなく広大な宇宙
五悪・・・殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒
五戒・・・不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒
十戒・・・不殺生・不盗・不淫・不妄語・不飲酒・不著香華鬘不香塗身・不歌舞伎娼妓不往観聴・不坐高広大床・不非時食・不捉持生像金銀宝物
正思惟・・・正しい動機
解脱・・・煩悩から脱して自由になること
涅槃・・・煩悩の火を吹き消したこと(悟りの智慧を完成した境地)
【曲】
『青春アミーゴ』2005年
修二と彰
【参照】
『舞姫』森鴎外
『サザエさん』長谷川町子
『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル
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