♯ Waiting For Love ♯

 御釈迦様は極楽の蓮池のほとりで、今日も明慶学院・第三軽音部の様子を御覧になっていらっしゃいます。

 ここまで彼らのてんやわんやをじっと見守って来られましたが、最近どうやら若者たちはそれぞれ懊悩おうのうを抱えてぼんやりしているようです。


 御釈迦様は、出来るなら彼らを憂いから救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、珠のような水滴がいくつかキラキラと光っております。

 御釈迦様はその光の珠をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある下界へ降り注ぎました。


―――どれ、ひとつ様子を見てみましょうか。




「はああああああ……」


 お盆が終わって部活にやってきたら、なぜか飛原先輩を除く他の先輩達全員がテーブルに突っ伏して盛大な溜息をついていた。部の空気が重い。

 僕は気を取り直して、お土産の草〇煎餅をテーブルの上に置いた。サラサラの前髪の間から、いつもは涼やかな目に濁った光を浮かべた金田先輩が虚ろに煎餅を見つめる。


「金田先輩まで……」

「疲れた……なのに翔真いやしがいない……」

「ご愁傷さまです」

「同情するなら翔真いやしをくれ」


(だめだ、これは。放っておこう)


 諦めてその隣を見ると、なぜか頬にクッキリと手形を付けた古川先輩が、魂が抜けたように放心している。


「古川先輩、その頬っぺたどうしたんですか?」

「師匠に怒られた……」

「そりゃまたどうして」


 先輩のことだからまた調子に乗って何かやらかしたのだろう。古川先輩はテーブルに頬を付けて両手をわきわきさせながら、ぶつぶつ言い始める。


「ししょーのおっぱいが……」

「は!?」

「古川、師匠って爺さんじゃねえのか?『ワシ』って言ってなかった?」


 向かいにいた本多先輩が反応してガバッと頭を起こす。古川先輩はわきわきしたまま煎餅に手を伸ばしてボリボリ食べ始めた。


「いんや。25歳。G……多分あれはGカップ。サリーが似合うエキゾチック美女」

「聞いてねえ!」

「言ってねえ」


(僕も初耳。まさかそれ目当て……?)


「なんだよ、羨ましいな」

「……どうせ俺なんかただのキノコだ。高嶺の花すぎる……」


(珍しく古川先輩がネガティブだ……)


「古川先輩、元気出してください」

「そうだそうだ」


 そう言う本多先輩は何を悩んでいるのだろうか。この人が悩むなんて天変地異の前触れか。

 赤毛の大男は、彫りの深い目元を眇めてもの言いたげにじーっと僕を見ている。大して聞きたくはないが、順番に聞いてきたので、自分も聞いて欲しいのかもしれない。


(無言の圧を感じる……)


「……本多先輩は……?」

「俺は恋をした」


(即答かよ)


「はあ……」

「なんだその気のない返事は」

「だっていつものことじゃないですか。どうせまた誰か口説こうとかそういう話でしょ。コーラスでも増やすんですか?」


 呆れて投げ遣りな返事を返せば、本多先輩は急にテーブルを叩いてついでに煎餅を数枚叩き割った。


「そんな簡単なことじゃない!!」

「うるさ……」

「相手は誰か聞かないのか?ん?」


(うわあ、鬱陶しい)


「……オ相手ハ、ドナタデスカ?」

「うちの病院の看護学生だ。少し前から実習に来てる。ちょー可愛い。一目惚れだ」

「別に悩むことないんじゃないですか?」


 自分の家の病院に来てるなら、それこそ声を掛けるのも簡単なんじゃないだろうか。本多先輩なら気軽に口説きそうな気がするんだけど。


「病院で声掛けたら院長の息子ってだけで不都合あるだろ」

「そういうもんですか」


 こう見えて色々しがらみみたいなものがあるのかもしれない。意外とまともな神経も持っているのだな、と。常日頃から本多先輩の突拍子もない言動に振り回されているから、つい失礼な感心の仕方をしてしまった。

 すると少し離れたところで電子キーボードをいじっていた飛原先輩が、口を挟んでくる。


「蛍の親父が許さないだろうよ。こいつ前にやらかしてるからな」

「やらかしたって言うか、あれは俺のせいじゃないぞ。看護師のお姉さんたちが勝手に俺を巡って喧嘩しただけだ」

「思わせぶりなことするからだろが。ほんとお前らは……」

「お前ら?」

「いや、なんでもない」


 飛原先輩はぷいと顔を背けて、キーボードで曲を弾き始めた。ピアノから始まるEDMだ。シンセやドラム、ベースをミックスして、独特のリズムを刻む。


Where there's a will, there's a way, kinda beautiful

意志があるところに道は拓けるんだ 美しいよね♪

And every night has its day, so magical

どんな夜もいつか明ける まるで魔法みたいに♪


(飛原先輩、意外と歌が上手い)


 飛原先輩は、こちらの会話に加わる気を失くしたようで、あれこれエフェクトをいじりながら一人で歌っている。僕は仕方なく本多先輩に話を振った。


「誰の曲でしたっけ?」

「Avicii(アヴィーチー)だよ」

「飛原先輩はクラシック派なのかと思ってました」

「最初はな。あいつの姉ちゃんダンスやってて、色々弾かされるみたいだぞ」

「ふーん」

「一輝の家、すげーぞ。ダンスの練習室にグランドピアノとDJブースがあってミラーボールまであるんだ」


(え、何その組み合わせ。ていうかお金持ち……)


「アヴィーチーって梵語サンスクリットで『無間地獄むけんじごく』って意味だな」

「そうなんですか」


 いつの間にか復活した金田先輩が僕の隣で飛原先輩の演奏に聞き入っている。アフロの件で恨みを込めて呟いていた例の最底辺の地獄のことか。

 あれから少し勉強したけど、「他の七大地獄が生温く感じるほど無限の責め苦を受ける地獄」なんだそうだ。


(そう考えるとすごいアーティスト名だな)


And if there's love in this life, there's no obstacle

そして、人生に愛があれば♪

That can't be defeated

乗り越えられない壁はない♪


 軽やかで力強いメロディなのに、少しの切なさを滲ませる曲調が、かつてあった「Love」を失った人間の悲哀を感じさせる、そんな歌詞だった。

 古川先輩がお行儀悪く煎餅を口にくわえたまま踊り始め、本多先輩も四つ打ちしながらそれに加わる。


(……なにしてんのこの人たち。盆踊り?)


Monday left me broken

捨てられてボロボロになった 月曜日♪

Tuesday I was through with hoping

夢見ることにもうんざりする 火曜日♪


 哀切を帯びた歌声に、なんだか妙に感動してしまう。いつも飄々としてる飛原先輩らしくないけど、やけにしっくりくる。

 最初僕と金田先輩はぼーっと突っ立って見ていたが、本多先輩と古川先輩に引っ張られて、時季外れの盆踊りの輪に組み込まれる。でも曲を聴きにライブは行くけどクラブなんて行かないので勝手など分からない。


「ちょ、何すんですか、僕踊れませんよ!」

「テキトーでいいんだよ!考えるな、踊れ」

「おお、念仏踊りか」

「それちょっと違うんじゃね??金田おもしれー!!」


 いつもの調子を取り戻した本多先輩と古川先輩が笑っている。良く分かってない金田先輩もぎこちなく体を揺らし、飛原先輩の歌も続く。


(まあ、落ち込んでて暗いよりいいのかな)


 音に乗るのが楽しくて、時間を忘れる。飛原先輩はその後も何曲か弾いてくれて、いつしか僕らは笑いながら踊っていた。

 自分で演奏する時とは違う、色と音、キラキラの光の洪水と、金色に光る珠。僕らのやけくそな高揚感グルーヴ


 盆踊りに宗教的な意味はあまりない気がするけど、「地上の人間が地面を踏んで、お盆にお迎えしたご先祖様の霊を封じ込める」という意味があると、後で金田先輩が教えてくれた。

 かつてこの世に存在していた「愛」を送り出す儀式は、少し切ない。みんなで踊ることによって、団結力や士気を高める意味もあったんじゃないかな。


(団結力が上がったかどうかは別として……)


I'll be waiting for love, waiting for love

それでも僕らは愛を待ちわびて♪

To come around

愛がくるのを待ちわびてる♪




 御釈迦様は下界の様子を御覧になって微笑まれ、またぶらぶらと御歩きになられました。

 舞い上がった珠のような光の粒は、御釈迦様の御足おみあしの周りにキラキラと踊るように戯れておりました―――。




◇◇◇◇◇



【後記】


盆DanceとEDMの組合せってどうなのかと思いつつ……。

「ダンシングヒーロー」で踊る地域もあるくらいだし。

お盆には欠かせない伝統行事ですね。


【曲】


『Waiting for Love』2015年

Avicii、Martin Garrix


【参照】


『蜘蛛の糸』芥川龍之介

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