♯ I've been Working on the Railroad【後編】 ♯

 コインロッカーに大きな荷物だけ預けて、駅から出ているシャトルバスに乗る。そこから動物園のある西ゲートを目指す。

 葵ちゃんの実家は僕より遠いから、時間の関係で今回は動物園の方を重点的に回ることになっていた。「余裕があったら遊園地も行きたいね」と言われて夢見心地に頷く。


 開園してまもない時間だったからか、ゲート近くで出迎えてくれたマスコットキャラクター、作務衣を着た象の「ぜんぞーくん」に葵ちゃんは大喜び。

 抱きついてる彼女にぜんぞーくんとの写真をせがまれて、ちょっと妬ける。


(中に入ってるのがオッサンだったら嫌だな……)


 係の人が撮影係を買って出てくれたので、僕と葵ちゃんで象を挟むようにして撮ってもらう。ぜんぞーくんに肩を抱かれて嬉しそうな葵ちゃんは可愛いけど、なんかムカつく。僕には塩対応だったから、絶対中の人は汗臭いオッサン確定だ。


「園内バスに乗ろうよ!時短できるね!」

「うん。お昼はフラワーパークで食べよ」

「うふふ、お弁当楽しみ」

「あんまり期待しないで……」


 一応、飛原先輩のお奨めレシピとCookpadを参考に、前日夜に下ごしらえして朝5時に起きて準備したけど、家族以外に食べさせるのは初めてだから自信がない。美味しいと言ってもらえても、身内の評価はあまり当てにならないものだ。

 

 西ゲートの近くにあるプールを横目に通り過ぎると、葵ちゃんが遠くに見えるウォータースライダーを眺めながら、弾んだ声を上げる。


「プールも出来たんだね!今度ゆっくり来よう?」

「う、うん……」


(今度の約束まで……葵ちゃんの水着姿、可愛いだろうな)


 ビキニよりワンピースタイプの方が…色が白いから赤いチェックのフリルがついたやつなんかが似合うかも……と具体的に想像しかけて、慌てて頭を振る。


(違う違う、今日は動物園。象とかキリンを見に来たんだ!)



 綺麗な毛並みの金絲猴ゴールデンモンキー、ゴリラの昼寝、長い首の優雅なキリン、クールなフンボルトペンギンの餌やりタイム、凛々しいホワイトタイガー、もこもこのアルパカ。

 そしてふれあい動物園で、メガネザルやキツネザルと戯れる。モルモットやウサギなどもいて、ふわふわの小動物を抱っこする葵ちゃんの姿を思わず連写してしまった。


「方倉君も抱っこしてみたら?可愛いよ~」

「うん」


(か……可愛すぎる……ウサギより葵ちゃんの方が可愛い)


 なんて言えるわけもないので、差し出された白い子ウサギを恐る恐る受け取ったら、小さな鼻でふんふんと手を嗅がれてジタバタと暴れられてしまう。


「お尻を支えて体の近くに寄せてあげるんだよ。体勢が不安定だと怖がるから」

「そっか。こうかな」

「うん。上手。ほら、安心してるみたい」


 きめの細かい白い毛をそっと撫でる。小さく震えているような体温が少し不安で、でも愛おしい気持ちにさせられる。


「僕、動物飼ったことないんだ」

「私は実家で犬と猫とウサギ飼ってたの。あと、ハムスターと文鳥」

「すごいね」

「お父さんもお母さんも忙しかったし、お祖母ちゃんが寂しくないようにって」


 そう言った葵ちゃんの横顔は、いつもの元気さが鳴りを潜めて、少し寂しそうに見えた。お祖母ちゃんがやっていた鍼灸院を継いだご両親は、きっと忙しかったのだろう。僕も両親が不在がちだったので、その気持ちはなんとなく分かる。


「……そろそろお昼にしようか」


 相変わらず気の利いた言葉も言えない僕は、子ウサギを地面に下して立ち上がった。すると葵ちゃんはにこっと笑って、手を差し出してきた。


(え?え?引っ張って……ってこと?)


 ドキドキしながら小さな手を握って引っ張り起こすと、そのまま手を繋いで葵ちゃんが走り出す。


「お腹空いたね!早く行こ!」

「う、うん」


(やっぱり僕、命日かもしれない……)




 色とりどりの季節の花々が曼荼羅の形に配された花壇の近くの木陰でレジャーシートを敷いて、持ってきたお弁当を広げる。

 お祖母ちゃん秘伝の唐揚げ、甘めの出汁巻き卵、梅とシソを巻いて焼いた豚肉、ハーブ塩とオリーブオイルに漬けておいたミニトマト、白出汁とゴマ油に漬けたうずらの卵、カレー粉で炒めたブロッコリー、どれも食べやすい大きさにして、ラップに包んだ小さめサイズのおにぎりも詰め込んだ。

 おやつを持って来てくれるって言ってたから、品数は控えたけど結構頑張ったと自分では思う。


「うわあ!すごい!綺麗!美味しそう!」

「お口に合うかどうか……」

「食べてもいい?」

「もちろん。どうぞ」

「いただきます!」


 きちんと手を合わせてから、お箸を持つ葵ちゃん。食べ方も綺麗だし、こういうところも好感が持てる。おにぎりを頬張っている姿がハムスターみたいで可愛い。


「方倉君、料理も上手なんだね」

「そうかな」

「うん、どれも美味しい!幸せ~」


(僕も幸せです)



 ……なんて、浸っていられたのはその時までだった。

 お昼を食べて、また少し園内を回ったら時間がまだあったので、遊園地の方まで行こうということになった。

 浮かれてて忘れてたけど、僕は乗り物に弱い……回転系は特に。


 メリーゴーランドやコーヒーカップまではまだ良かった。回転ブランコ辺りで怪しくなってきて、絶叫系が好きだという葵ちゃんに付き合って「宙吊り阿鼻叫喚地獄コースター」に乗ったら、胃の中身が逆流しそうになって、頭がぐわんぐわんしてきた。

 足がぶらぶらする宙吊り状態で三回転半、ほぼ直角の角度からの急降下・急加速、制御なく座席が自由に回転し、予想がつかない動きをする。まさに地獄の異次元体験。


(死ぬかと思った……)


 見栄を張ったのが良くなかった。素直に「苦手」と言っていれば、今頃は葵ちゃんの作った美味しい焼きドーナツを食べていたかもしれないのに。

 僕は木陰のベンチに横になって、葵ちゃんが買ってきてくれたペットボトルの水を額に当てていた。


「平気?ごめんね、付き合わせちゃって……」

「……いいよ。僕の方こそごめんね」

「誰にでも苦手なものはあるよ」


「お化け屋敷は苦手なの」と、少しおどける彼女の優しさが沁みる……。僕の頭の横に腰かけて、ハンカチでパタパタと仰いでくれていた彼女が、ふと思いついたように言った。


「ちょっと頭貸してね」


 なんだろうと思っていたら、僕の頭をそっと持ち上げて、ハンカチを敷いた彼女の膝の上に乗せてくれた。布越しにふわふわした太ももが首の下と後頭部に触れて、僕は軽くパニックになる。


(う、わ、うわぁぁぁ、柔らかっ!)


「この方が楽?どう?」

「あ、はい。大丈夫です……」

「うふふ、なんで敬語なの?」


 恥ずかしくて、引き続き手で顔を扇いでくれる彼女の顔をまともに見られない。ぎゅっと目を閉じていたら、柔らかい手の平が前髪を撫でる。

 子供の頃、祖父母や両親に撫でられたものとは違う感触だけど、優しくて慈愛に満ちた仕草は僕の波立った心を少し鎮めてくれた。

 さわさわと、風が梢を揺らす。子供たちのはしゃぐ声や園内放送の音楽が遠のいて、まるで世界に2人だけ取り残されたみたいな気持ちになった。でも寂しさではなく、温かい感情に満たされる。




 ほんの少し目を閉じていただけだと思っていたのに、僕は夢を見ていた。


 悲しみをまき散らす邪悪な魔王が支配する世界、僕はギターを背負った勇者で、癒しの手を持つ葵ちゃんと旅をする。

 音楽とお菓子で人々を幸せにしようとする僕らの前に立ち塞がる魔王の手先。散々魔物に振り回されてふらふらになった僕達が辿り着いた神秘の泉。

 うっかり水にギターを落とした僕の目の前に、お釈迦様みたいな恰好をしたピート・タウンゼントが現れる。


「お前が落としたのはギブソンレスポールデラックスか、それともフェンダーテレキャスターか」

「いえ、僕が落としたのは普通のリッケンバッカーです」

「今どき珍しい正直者だ。この2本のギターにサインを入れてお前にやろう……」


 そう言ってピートは再び泉の中に沈んでいった。その後僕はその神器を使って魔王を倒し、葵ちゃんにプロポーズした。僕達は森の中の小さな一軒家で末永く幸せに暮らした……めでたしめでたし―――。




「……倉君、方倉君?だいじ?」

「……うん。きみを大事にする」


 目を開けると、葵ちゃんが心配そうに僕を見下ろしていた。夢の続きかと思って、ぼんやりしたまま手を伸ばしてその頬に触れる。そっと引き寄せても抵抗がないので、吐息が触れそうな距離まで近づいても僕は夢から覚めないままだった。


 低い低い怨嗟えんさのこもった声がその甘い夢をぶち壊すまでは……。


「……滅せよ、リア充……」


 ビクッとして辺りを見れば、青い象のゆるキャラが近くに迫っていた。園内放送が『さあ!パレードの時間だよ!』と明るい声で喚き立てているのがやけに白々しく響く。


「あ、ごめん……寝てたみたい」

「う…ううん。いいの。気分は良くなった?」

「ありがとう。だいぶ治った」


 葵ちゃんは頬を真っ赤に染めて、僕を見下ろしている。その目を見ることも出来なくて、ゆっくり体を起こすと、近くにいたぜんぞーくんが『ふん』と言いながら去って行った。


(あの野太い声は絶対オッサンだ)


 僕はうすら寒いものを感じながら、蓮の上に乗った象がのしのしと歩き去る背中を見送った。

 パレードを見ていたら遅くなってしまうので、僕らはそこで帰ることにして、園内を後にする。


「今日は楽しかった。また今度ゆっくり来ようね」

「うん、僕も楽しかったよ」

「乗り物は控えめにしよ」

「もう……」


 くすくす笑う少し意地悪な葵ちゃんも新鮮だけど、僕は立つ瀬がない。駅のホームで葵ちゃんが乗る電車を待っていると、彼女は荷物の中からカラフルな紙袋を取り出して、僕に手渡した。


「これ、オヤツ食べる時間なかったから、あとで食べてね」

「ありがとう」


 ありがたく受け取ってお礼を言うと、葵ちゃんは何か言いたげに僕をじっと見つめた。


「あの……」

「ん?なあに?」

「あのね」


 何かを言いかけた彼女の声を掻き消すように、到着のアナウンスが響く。『禅武動物公園駅』名物、『ぜんぞーくんマーチ』の陽気なメロディが一緒に流れて、葵ちゃんは口を噤んでしまった。


(何を言いかけたんだろう)


 やってきた電車に乗り込んで、出入口の所で小さく手を振る彼女に手を振り返す。陽気なメロディと共に走り去る電車を、僕はしばらくぼんやり見送っていた。


(またぜんぞーに邪魔された……)



 僕も電車に乗って祖父母の家に到着すると、顔をくしゃくしゃにして喜ぶ祖母に出迎えられ、祖父はキッチンの椅子に座ったまま、目だけで笑って迎えてくれた。

 無口だけどこれでも喜んでいるのだと分かっているから、僕も「ただいま」と挨拶する。言葉は返ってこなかったけど、頷いてくれたからそれで十分だった。


(楽しかった……可愛かった……)


 祖母のご馳走をお腹いっぱい食べて、お風呂上りに余韻に浸っていたら、葵ちゃんからメッセージがきた。


『無事に着いたよ。今日は方倉君と動物園行けて楽しかった。お弁当も美味しかった。ありがとう』

『こちらこそありがとう。迷惑かけちゃってごめん』

『だいじ。今度はプールも行こうね』


 ギターを弾くペンギンが頷いているスタンプを送る。あまりスタンプは使わないけど、電車の中で今日のお礼を言おうと考えている時に見つけて買ったんだ。葵ちゃんからは、白いウサギが泳いでいるスタンプが送られてくる。


(プール……楽しみ)


 少し間が空いてから、また携帯がピコンと音を立てた。葵ちゃんからだ。


『さっき聞こうと思ったんだけど』

『なに?』

『名前で呼んでもいい?』


(それであんなに迷ってたの?可愛いんだけど!)


『いいよ。僕も葵ちゃんて呼んでるし』


 それからまた『ありがとう』と『お休み』を言い合って、スタンプを送り合って、キリがない。

 幸せな気持ちで眠りにつく僕の枕元で、貰った焼きドーナツの甘い香りがいつまでも漂っていた。



◇◇◇◇◇



【後記】


https://kakuyomu.jp/users/toriokan/news/16817330650855950016(イラスト)


ぜんぞー(中の人)の気持ちが分かる……。


【クイズ】


Q:可愛いって何回言った(思った)でしょう?

A:知らんがな!!

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