♯ 釈迦釈迦荒魂 【後編】♯

 昼食後にまたエール合戦があって、次の借り物競争では「ドラマー」のお題を引いた女の子と手を繋いだ古川先輩がドラムを装着したままぶっちぎりで1位を獲得した。


 競技を終えた先輩キノコは得意げな顔をして、ぐりぐりとマルチタムごと僕に詰め寄ってきた。


「俺サマの実力があればチョロいもんよ。次の騎馬戦とリレーで得点稼げば黄色の優勝も夢じゃないな」

「……うちも負けませんけど?」


 イラッとしてドラムのヘッド部分を叩けば、「ベイン!」と思ったより勇ましい音が出て自分でもびっくりする。古川先輩も驚いた顔で僕を見つめた。


「綾人ってそういうタイプだった?イベントとか冷めてそうな感じなのに」

「僕にも負けられない戦いもあるということです」

「お、おお……なんかよく分からんが、お互い頑張ろうぜ」


 今の僕はキノコやゴリラをなぎ倒してストロベリー姫を助けに行く勇者にならないといけないので、若干引いている古川先輩に大きく頷いて見せた。むしろカメでもイカでもなんでも来い、という気分だった。


 幸いにも騎馬戦では僕が乗る岩座のりものは陸上部で小回りの利く部員ばかりだったので、力で衝突しても絶対敵わない強豪たちの裏をかくことが出来た。

 彼等は確かに優れているかもしれないが、だからと言って他の人達との連携が上手く行く訳ではない。我が道を行く本多先輩がいい例だ。

 クラスでも背の高いグループと機動力の勝る僕のグループで別れ、僕らが走り回って周りを攪乱している隙に背の高い彼らがハチマキを奪い取る作戦はかなりの戦果を上げた。


「方倉、お前の言う通りにしたら上手く行ったな!」

「実はすげーやつだった?」

「綾人君、すごいね!」


 思わぬところでクラスメイトに認められて、少々バツが悪い。葵ちゃんの為に頑張ったと言うのもなんとなく気恥ずかしい。それに実際走り回ったのは陸上部の人たちで、僕は指示を出していただけだ。


「次はリレーだね」

「うん」

「必ず助けに来てね」

「……うん」


 2人だけの秘密の遊びを内緒話のように囁かれた耳元も心もこそばゆい。それでも僕は、葵ちゃんの目を見てしっかり頷いた。



『さあ、いよいよ最後の『チーム・クラス対抗リレー』です。天下分け目の最終決戦、どのチームが勝利を手にするか、ここで決まります』


 飛原先輩のアナウンスにも力が入る。僕はアンカーのタスキを掛けて、砂埃舞うグラウンドの片隅に控えていた。

 運動部を差し置いてなぜ文化部の僕がアンカーなんだとか、埃っぽいのが嫌だとか、うだうだしたネガティブ思考は全部捨てる。

 やはり赤が強い、他の色も善戦してるけど、1年は僅差で並んでいる。順調にバトンが引き継がれていくのを見ていたが、僕の数人前で誰かがバトンを落としてしまって他との差が開いた。


 勝利は絶望的かもしれないが、僕は別のことを考えていた。髭はないけど僕は『M』のロゴ入りの赤帽子を被った陽気なイタリア系配管工になりきらなくてはいけない。

 頭の中にあの電子音が鳴り響く。地味に精神統一、イメージトレーニングは大事。バトンはスターだ。星は無敵。自分が理想とするイメージに入り込み、力が湧き立つ感覚を身体全体で味わう。


(走れる、行こう)


「方倉!」


 バトンを受け取った前傾姿勢から背筋を伸ばし、ただ真っ直ぐ前だけを見た。足が地面を蹴る。聞こえるのは自分の荒い呼吸。BPMはあり得ない速さ。周囲の物音は消え、葵ちゃんの姿だけが映る。


 ゴールテープを切った感触もしなかった。遠くで誰かが歓声を上げていた。自分を囲む興奮した人だかりを掻き分け、僕はそのまま走り続けた。

 葵ちゃんしか見えていなくて、途中誰かにぶつかるのも気にせず、応援席にいた彼女目掛けて真っ直ぐ駆け寄ると、手を取ってまた走り出した。

  

「綾人君!おめで……」

「助けに来た!」

「え、ちょっと!?きゃああ!」




 次に僕が我に返ったのは、蓮池のほとりで2人してゼイゼイ息を切らせている時だった。葵ちゃんは真っ赤な顔をして、しゃがみ込んでいる。


(やってしまった……)


 エアギターの時もそうだったけど、僕は何かに入り込むと周りが見えなくなる癖がある。少しイメージ過多だったかもしれない。僕は葵ちゃんの前に膝をついて、小さな顔を覗き込んだ。


「ご、ごめんね。大丈夫?」

「……ふふ、ふふふ、綾人君、面白い」


 勢いまかせに引っ張ってきてしまって怒られるかな、と思いきや、葵ちゃんは肩を震わせて笑い出した。つないだままの手から、小刻みな振動と、まだ治まらない速い鼓動が伝わってくる。


「ごめん。入り込みすぎちゃった」

「何考えてたの?」

「ゲームのキャラ。星で無敵になるやつ」

「ふっ…ふふ、やだ、想像しちゃった」


 言いながら自分でも可笑しくなって笑い出してしまう。


「あはは」

「ふふ……ありがとう。助けに来てくれて」

「どういたしまして?」


 お互い汗ばんだ額をくっつけ合うようにして笑い合う。奇妙な達成感と高揚感。

 涼しい風が髪を撫でて、ふと訪れた沈黙。笑い過ぎて涙に潤んだ大きな瞳が僕を見つめた。


(可愛いなあ……)


 遠くから聞こえる喧騒、ここは静かなのに、さっきから全然心臓が落ち着かない。

 葵ちゃんは可愛い。でも、それだけじゃない。もどかしいようなじりじりした感覚に支配され、僕は自分から少しだけ身体を寄せた。



Got a feeling inside (Can't explain)

胸の中のこの感じ 説明できない

It's a certain kind (Can't explain)

絶対そこにあるんだけど 説明できない

I feel hot and cold (Can't explain)

熱くてそして冷たくて 説明できない

Yeah, down in my soul, yeah (Can't explain)

魂のずっと奥の方 説明できない



 甘い香り、触れ合わせた鼻先、目の前の丸い瞳が半分隠れて、長い睫毛がふるりと揺れる。じわり、と上がる体温。耳の奥でドクドク鳴る鼓動。

 変に焦る。その瞳が閉じ切る前にどうにかしなくちゃいけない気がして、僕はそっと頬を傾けた……。


「おー!!いたいた!本日のMVP!!」


 突然聞こえた大声と、とんでもなく大きなドラムの音にビクリと背中が強張った。

 慌てて振り仰げばマルチタムを抱えた古川先輩。バツが悪そうに僕らを見下ろしている。


「あれ?邪魔しちゃった?」

「いえ……」

「閉会式始まるぜ?お前表彰されるぞ」

「え、どうして?」

「あんだけ何人もぶっちぎっといて覚えてないのか?」

「そ、そうだよ、綾人君。1位だったんだから」


(あ、そうだったんだ)


 慌てて言い募る葵ちゃんを見下ろすと、白い耳が真っ赤に染まっていた。いくらなんでもそれが日焼けしたせいじゃないのは僕にも分かった。釣られて僕まで耳が熱くなる。

 古川先輩は無言で俯く僕らを見て、「もう少し後で来れば良かった?」と、珍しく真顔で呟いた。



 その日の優勝カラーはピンク、僕はチームに貢献したとして壇上で表彰され、後日賞状と杯を貰った。

 そして何故か古川先輩は「昨日の綾人に感動した」と、翌日の部活に歌詞を書いて持ってきた。


(いや、忘れて欲しいんだが……?)




『釈迦釈迦 荒魂ロック』作詞/千手観音サハスラブジャ 作曲/薬師如来バイシャジャグル


1.天!上!天!下!唯我独尊! (応供おうぐ!!×3)★

タターガタ!タターガタ!覚醒めざめし者よ!(応供!!)★


降魔成道ごうまじょうどう 天魔マーラを祓え

何人なんぴとたりとも 邪魔させない


欲界・色界・無色界 三の迷界

全ての尊き衆生を救う


2.★繰り返し


梵天勧請ぼんてんかんじょう 流れに逆らえ

尊き方よ ダルマを鳴らせ


苦・集・滅・道 四聖諦ししょうたい

全ての苦悩を滅す日まで


3.★繰り返し


初転法輪しょてんぽうりん 鹿野苑サールナート

樹に依りて 五比丘ごびく預琉果よるか


流転・還元 十二の縁起

涅槃寂静 輪廻を終えろ


★繰り返し



◇◇◇◇◇



【註】


読み飛ばし推奨歌詞注釈


天上天下唯我独尊・・・釈迦生誕時に立って七歩歩き右手は天を指し左手は地を指し言ったとされる言葉。毘婆尸仏びばしぶつが言ったともされる。

応供・・・宗教的に最高の境地に達した聖者

降魔成道・・・釈尊が悟りを開くのを邪魔する魔の軍勢が攻撃してきた際、その攻撃を退けて勝利し開悟(成道)した。

天魔・・・悪魔

梵天勧請・・・梵天が釈迦が得た悟りを他の人にも説けと説得したこと。

法(ダルマ)・・・インド思想「保つもの」。法律・倫理・道徳・正義などを含む人生の正しい行い。

四聖諦・・・釈迦の説いた四つの真理。苦諦・集諦・滅諦・道諦。

初転法輪・・・釈迦が初めて仏教の教義を人に説いた出来事。

鹿野苑・・・インドのウッタル・プラデーシュ州にある地名。仏教の四大聖地の一つ。

樹・・・釈迦が悟りを開いた菩提樹

五比丘・・・釈迦の最初の五人の弟子

預琉果・・・煩悩を断じ終えて三悪道に堕ちることのない状態。

十二縁起・・・苦しみの元になるもの。むみょうぎょうしき名色みょうしき六処ろくしょそくじゅ・愛・しゅしょう・老死。

涅槃寂静・・・煩悩の火の吹き消された悟りの境地。


【曲】

『I Can't explain』The Who

『スーパーマリオブラザーズ・star theme』

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