♯ Haven't Met You Yet ♯
現代日本で暮らしていたら、日常で着物を着ることはあまりないと思う。例え実家が呉服屋だったとしても、着物愛好家でもない限り、日頃から着ている人はそう見かけない。
僕も例に漏れず、お祭りや七五三以外で着物を着たことはなく、今日はみんなで金田先輩に僧衣の着方を習っていた。
「虚無僧は通常の僧ではないから、袴や七条袈裟みたいなものは必要ないと思う。実際修行僧はそんなにゴテゴテしてないだろう?」
そう説明しながらみんなの周りを回って着付け方をチェックしてくれる。なんでも出てくる先輩の家の土蔵から出たお古の単衣と帯を、おうちの方が部の為に寄付してくれたらしい。
一応最初に実践して見せてくれた金田先輩は、既にピンクの絡子を身にまとっている。
(男前は何色でも似合うな……)
「綾人、
教えてもらっているのに、余計なことを考えていた僕は、
「めんどくせー。甚兵衛とかじゃ駄目なの?
「
「なんでも売ってんだな」
意外と着るものに煩い飛原先輩が、謎の拘りを見せて揃えてきた手甲と脚絆も身に着けていく。
(器用だなあ)
「つーかさー。なんで俺、黄色な訳?戦隊ものでも黄色の立ち位置って微妙じゃね?お笑い系だったり、女子キャラだったりするじゃん」
「お前にぴったりじゃないか」
「まあ!アタシが可愛いからって嫉妬してるのね!」
「はいはい、可愛い可愛い」
「何よ!そのテキトーなあしらい方!」
「めんどくせえな、お前」
(おねえキャラってこの部の特色なの?)
こんなんでも古川先輩は絶対音感を身につけているらしく、ふざけた言動も多いし真面目かどうかは置いといて、部活には毎日マメに参加している。先輩たちの夫婦漫才を聞きながら、僕はふと疑問に思ったことを聞いてみた。
「古川先輩ってどうしてドラムやろうと思ったんですか?絶対音感あるなら他の楽器でもいいんじゃないですか?」
音階がない楽器であるドラムを演奏するのに、聞いただけで音階が分かる能力はそれほど必要でもない気がするのだけど、ないよりはあった方が役立つのだろうか。
「チチチ、分かってないわね、綾人ちゃん。曲の全体を把握するドラムはリズム以外の要素の理解も必要なのよ」
(何キャラだよ、この人)
芝居がかった仕草で人差し指を振った古川先輩は、まだガウンのように適当に前を広げたまま僕の前でくるりと回った。
「あれは、アタシが12歳の頃だったわ……」
(何か始まった……)
「うちの両親は普通のサラリーマンだけどね。音楽が好きだったの。よく色んなコンサートに連れて行ってくれたわ」
「はあ」
「ある日、北インドの民族楽器の演奏会に行ったの。シタールとかタブラって聞いたことある?」
「名前だけなら」
(
ジョージ・ハリスンやジミー・ペイジ、ブライアン・ジョーンズなんかはシタールを弾いていたので、コレクターの父が音の比較研究の為に置いておいた気がする。
「アタシ、タブラの演奏を聞いて衝撃を受けたわ。ギターとスネアドラム、ベースとバスドラムを合わせたような音を手で叩く太鼓だけで表現するなんて初めて聞いたの」
「そうなんですか」
「小さな演奏会だったからすぐさま奏者の方に質問を浴びせたのだけど、タブラって本当に耳が良くないと演奏できないって分ったの。あれ、全部三味線みたいに口伝なのよ。楽譜がないの」
「ほお」
「例えば高音の基本はNa《ナー》、Teke《テケ》、Tin《ティン》。低音はGe《ゲ》、Ke《ケー》、GeとNaを合わせてDha《ダー》。くちタブラもやってくれたんだけど、簡単なのでも『ダーダーティーティーダーダートゥナ』って訳わかんないでしょ?」
「……まあ」
のめり込むと早口になる古川先輩の言葉を聞き取るのも一苦労。飛原先輩は「また始まった」という顔をして彼を見ていたが、そのうちめんどくさそうに自分の着替えに戻ってしまった。
(あ、見捨てられた)
「でもアタシ、すっごく興味湧いちゃったから、弟子入り志願したのよ」
「ええ?」
「断られても押しかけて、師匠には迷惑だったかもしれないけど、めげなかったわ」
「……すごいですね」
「行ったのはいいけど、最初から『タテテタテテタダテテタケティナティナタデタケナダテケルダテタケティナティナ、ほい、やってみ』なんて早口で言われて楽器もまともに触った事ない12歳のアタシに出来る訳ないじゃない。師匠も意地が悪いわぁ」
マッシュルームのような頭を傾けながら腕を組んで、先輩は当時に思いを馳せているらしい。
(どうでもいいけどおねえキャラはいつまで続けるんだろ)
「それでも通い詰めて、なんとか耳が追い付くようになったわ。中学を出たらそのまま弟子入りしたかったんだけど、『高校には行きなさい』って言われて仕方なくここに入ったの。タブラはないけどドラムは出来るから」
「はあ、そうだったんですか……」
「それになんかあれが出来たら女の子にモテそうな気がするし」
(そうかなあ……)
「ははははは、痴れ者め。ギターやベース、ピアノの方がモテるに決まっているではないか」
いつの間にか現れた本多先輩が、完璧な虚無僧の恰好で仁王立ちしながら悪役のように高笑いしている。絡子の色は、赤。
「偏見よ!あんたなんかインド人もビックリの超絶音痴のくせに!」
「じゃあ、貴様は彼女がいたことがあるのか?」
「アタシは完璧な彼氏よ?まだ彼女に出会ってないだけだもん」
「ふふん。負け惜しみか。せいぜい妄想の彼女に慰めてもらうがいい」
「あんただって今彼女いないでしょ!」
「さあ、どうかな」
(すっごい低レベルな争い……)
妙に勝ち誇った顔をする本多先輩に、古川先輩が一瞬だけたじろぐ。確かにこんな性格でも顔は悪くないからそれなりにモテてはいるらしい。
また騒ぎが大きくならなければいいな、と金田先輩の方をチラリと見ると、彼は端正な顔を引き攣らせて2人の様子を眺めていた。
(金田先輩、真面目だからなあ。このくらいで動揺するのは修行が足りないとか思ってるのかもしれない)
「じゃ、じゃあ、じゃあ、これ出来る!?ターンケルタクタクテリケルタクダハニタケデンダカデンデレデレデレデケダーデレテレダクダーテリケルダーダーッテラー」
(お、おお……早口言葉対決みたいになってきた……)
「簡単だ!ターンケルタクタクテリケルタクダハニタケデンダカデンデレデレデレデケダーデレテレダクダーテリケルダーダーッテラー!!」
「くうううう!!!負けた!!そんな耳いいのになんで音痴なのよ!!」
ガクリと膝をついた古川先輩が小袖の袂を絞って悔しがるのを見た本多先輩は、再び体をのけ反らせて高笑いを始めた。
(小学生かな……?)
「君たち……そろそろ本題に戻らないか?」
「うるさいわね!年中モテ男にアタシの気持ちが分かってたまるもんですか!あんたもさっきのやってみなさいよ!」
鋼の忍耐を持って穏やかに切り出した金田先輩に、古川先輩が八つ当たりする。また「喝!」が出るかな、とハラハラ見守っていると、金田先輩は涼しい顔で口伝を繰り返した。
「ターンケルタクタクテリケルタクダハニタケデンダカデンデレデレデレデケダーデレテレダクダーテリケルダーダーッテラー」
「ええええ!?なんで!?」
「経典みたいだな。というかこれ元々
「うそ!嘘よそんなの!ねえ、綾人?あんたは出来ないでしょ?」
「はあ。できませんね」
(興味も覚える気もないし……縋るのやめて欲しい)
そこへ青の絡子を着け終えた飛原先輩が来て、古川先輩の肩を優しく叩いた。
「……古川、もう諦めろ。俺がいるじゃないか。俺には絶対音感も優れた記憶力もないぞ」
「一輝!やっぱりアタシにはあなただけ!と思ったけどやっぱり彼女欲しい!」
「裏切り早っ」
「何!?裏切者だと!?俺が成敗してくれる!」
虚無僧笠とベースを持った本多先輩がまた戻って来て、その場がますます騒がしくなった。
金田先輩はもう諦めたのか、戦隊ごっこを始めた本多先輩達を無視して、僕の着物の衿を微調整してくれた。
「もっと簡単に着られるように改良した方がいいのかもしれないな」
「そうですね。準備に時間かかる。ライブのたびにこれじゃ、金田先輩が一番大変でしょう」
「……ものすごくまともな意見をありがとう」
「いえ、あの人たちがおかしいだけだと思います」
ベースを担いでランチャーを撃つ真似をしている本多先輩と、
(慣れていいんだろうか。この状況……いや、ダメだよな。反語)
◇◇◇◇◇
【後記】
【註】
シタール・・・北インドの伝統弦楽器
タブラ・・・北インドの伝統打楽器
※口伝は地方によって異なる。作中のくちタブラは適当です。梵語ではないと思います。
ジョージ・ハリスン・・・英国のギタリスト(ビートルズ)
ジミー・ペイジ・・・英国のギタリスト(レッドツェッペリン)
ブライアン・ジョーンズ・・・英国のギタリスト(ローリングストーンズ)
【映画】
『デスペラード』1995年
『マトリックス』1999年
【曲】
『Have't Met You Yet(素顔の君に)』2009年・Michael Bublé
まだ君に会えていないけど、完璧な彼氏になるよ、という歌。
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