♯ La Traviata ♯
Libiamo, libiamo, ne' lieti calici
che la bellezza infiora,
♪友よ、いざ飲みあかそう
こころゆくまで♪
なぜだろう。今、僕は
先輩達も揃っていて、本多先輩は曲に合わせて武器のように生ハムの原木を振り回している。
(みんな楽しそう……)
その朝、僕はとても困っていた。
どうやらヨーロッパを演奏旅行中の両親から、空輸で大量の誕生日プレゼントが届いたからだ。
(美味い物ってこれかあ)
どうにも愛の重い両親は、旅先から色んな物を送ってくる。いつもなら祖父の家に届くそれは、今日、寮の僕の部屋に届いている。少し日にちがずれたのは、空輸が遅れがちだからだろう。
しかし近所にお裾分けできる祖父の家ならまだしも、一人で大量の食材をどうやって捌けばいいのやら。
生ハム原木 (こん棒みたいなやつ)、ラクレットチーズ (塊)、グリッシーニ (細長いイタリアの乾パン)、ドライトマトにオリーブの水煮、オリーブオイル、そして大量のパスタ。
(日持ちするものはいいけど生ハムとラクレットなんて部屋の小さい冷蔵庫に入る訳ない……)
沖縄から大量の海ブドウや豚足が届いた時も、新潟から丸々一匹の
(お祖父ちゃんちに送ろうかな……)
学院には調理コースもあるので、共用キッチンは広い。冷蔵庫もそれなりの大きさがあるが、使わせてもらえたとしても一人で場所を取る訳にもいかない。
一応許可は貰ったものの、共用キッチンの冷蔵庫前で途方に暮れていると、飛原先輩が友達と喋りながらやってきた。
「あれ?綾人、どうした?」
「……飛原先輩……」
「すげえ!なんだこれ!イベリコ豚?生ハム原木?」
「もしかしてレアル・ベジョータ!?ラクレットもホールじゃん!」
先輩も興奮しているが、調理コースの友達らしき数人もガヤガヤ集まって来て、僕はあっという間に囲まれてしまった。
(いつもやりすぎなんだよね……お父さん)
「どうしたの?これ」
「親が誕生日にって送って来たんですが、一人で食べきれる量じゃなくて」
「お前の親何者!?」
「……ただのオヤジです……いつもこんな感じで」
「確かにこの量はヤバい」
先輩は興奮を抑えきれない様子で、生ハムをじっと見ている。眼鏡の奥の瞳はキラキラ光り、頬が興奮で赤らんでいる。
「料理が俺の趣味の一つって言ったっけ?」
「いえ、初耳です」
こないだの絡子手作りといい、飛原先輩は手先が器用だ。たまに部室でデザインの課題なんかもやってるし、絵も上手い。きっと多趣味なんだろう。その一つが料理でも驚かない。
「綾人、これ、俺が調理してもいい?」
「僕には捌ききれないから、お願いできるなら頼みたいですけど。部屋にパスタもありますよ」
「後でちゃんと見せて。お前の誕生日、ちゃんと祝えなかったから今日祝おう」
「え、どこで?」
「ちょっと待ってて」
先輩はそう言うと、携帯を取り出してどこかに電話をかけ始めた。何本か電話を掛けて、最後に掛けた相手が……。
「あ、蛍?お前んち貸して。ん?いい物手に入ったからパーティーしようぜ」
電話の向こうから、本多先輩の奇声が聞こえてくる。どうやら喜んでいるらしい。
(怖い……やな予感しかしない)
そんな訳で、僕はいつもの先輩方、何故かシェフ服を着た数人の調理コースの人達と、顧問の井原先生の「乾杯の歌」を聞いている。
本多先輩の家、というかマンションは広くて、ダイニングとキッチンだけで30畳くらいはあるんじゃないかと思われる。ベースやアンプ、アップライトのピアノが置かれたダイニングで贅沢にも
コンシェルジュ付きの2LDK、一人暮らし。てっきり実家が金持ちだからかと思ったら、「祖父ちゃんに教えてもらった株で儲けた」とシレッと言っていた。未成年だから後見が必要だが、個人資産は15歳から持っているらしい。
(バイトする必要なくない?)
本多先輩の考えてることは分からないが、どうせ「バンドやってモテたい」とか「趣味と実益を兼ねて」とかいう理由なんだろう。
(チートはどこまでもチートだなあ)
最初は井原先生が来ることを拒んでいたが、生ハムの原木を見たらすっかり大はしゃぎでバットのように振り回して遊んでいる。そんな先輩を見ていたらもう溜息しか出ない。
(あれ?僕の為のパーティーでは?)
首を傾げていると、来客を告げるチャイムの音。ハムを飛原先輩に投げた本多先輩が玄関に走って行く。大きな生ハムを受け止めた飛原先輩が悪態をついている。
「ケーキが来たぞ!」
そう言って連れてきたのは、大きな箱を抱えた葵ちゃんと、製菓コースの数人の女の子。どうやら本多先輩が呼んだらしい。
(いつの間に連絡先交換したんだ……)
ちょっとムッとしてたら、くすくす笑う友達に押し出された葵ちゃんが照れくさそうに笑いながら箱を渡してきた。
「お誕生日おめでとう。これ、みんなで作ったの」
「あ、あ、ありがと……」
「上手くできたか分からないけど……」
先日の記憶が蘇って、心臓が痛くなる。箱を挟んで2人で赤面していたら、後ろから古川先輩が「紹介しろ」とぶつかって来た。
(僕も葵ちゃんしか知らないんだけど?)
Godiam, c'invita, c'invita, un fervido
accento lusinghier,
ah! ah! ne scopra il di,
ah! ah! ne scopra il di,
ah! si!
♪若い日は夢とはかなく
消えてしまう
ああ、過ぎてゆく
ああ、過ぎてゆく
嗚呼!!♪
みんなにもみくちゃにされ、大きなテーブルの上には飛原先輩と調理コースの先輩方が作った料理が所狭しと並ぶ。
生地から手作りしてたっぷりチーズをかけたピザや持ち込みのパスタ、飛原先輩が厳かな手付きで原木を削り取った生ハムは美味しかった気もするけど、周りが盛り上がれば盛り上がるほど、僕はなんだか寂しくなった。
騒がしい室内から逃れて、ルーフ付きのバルコニーでぼーっとしていた。夏に近づいた夜の空気はもったりして、高層階から見上げたオレンジ色の月はぼんやり霞んで見える。
「主役なのに中にいなくていいの?」
「あの人たちは僕をダシにして騒ぎたいだけじゃないですか?」
後ろから話しかけてきた金田先輩に、つい皮肉な物言いをしてしまう。実際、室内は僕が居なくても大盛り上がりで、それが余計寂しさを募らせる。
(ああ、嫌だな)
あの事故の夜もそんな気分だった。夜の空気に溶けてしまいたくなる。楽しいのに、心から楽しめない。そんな自分が嫌だ。
先輩は、僕の隣で月を見上げながら、独り言のように呟いた。
「……僕には6歳違いの弟がいるんだけど」
「?」
「訳あって今は離れて暮らしてるんだ。やんちゃな子でさ。女の子と川に飛び込んで大怪我したんだよ」
「え……?心中?」
思わず聞いた僕に、先輩が苦笑する。
「違うよ。子供の度胸試し。父達は大目玉で退院したら親戚の寺に預けた。夏休みくらいしか会えないけど、いつも帰ってくると、今の綾人みたいな顔してるよ」
「………」
「仲良しだった女の子の両親にも会うなって言われて、めげずに会いに行ってるけど、まだ会えないみたい」
「そうなんですか。寂しいですね」
「……そうだね。誰かを、何かを強く思う心は執着を生む。でも僕達は、独りで生まれて、独りで死んでいかなければならない。お釈迦様はそれを『
(難しくてよく分からない……結局どうすればいいのかな)
「……どうすれば寂しくなくなります?」
「五感を研ぎ澄まして自分の中の寂しさを見つめて……出来れば誰か信頼できる人に『秘密の蔵』の中身を打ち明けるんだよ」
「秘密の蔵……先輩の家の土蔵みたいなものですか」
「いっぱい詰まっていて、自分でも把握してないものを探すのは難しいけどね」
宝探しめいた言葉に笑ってしまう。先輩も静かに微笑みながら、月を見上げている。
「まだ知り合って間もないけど、本多や飛原や古川、あと、葵ちゃんだっけ……もちろん僕も、綾人の事を大事に思っているからさ。何も言わなくてもいいから、そういう存在があるってことだけ覚えておいて……」
深い声は、有難い説法を聞いている気分にさせられる。僕達はそれきり黙って部屋の中から聞こえてくる微かなピアノの旋律に耳を澄ませた。
『Fly Me To The Moon』、しっとりしたジャズのスタンダードナンバー。
(先生多才だなあ……)
いつの間にか、先輩はいなくなっていて、隣には葵ちゃんが来ていた。
「ケーキ食べようか。中戻ろ」
「……うん」
そっと手を繋がれて、引かれる。ドキドキはするけど、そうするのが自然な気がして、僕もその小さな手を握り返した。
いつか、寂しさの正体が分かるだろうか。いつか、僕の「秘密の蔵」で探した宝物を、誰かに見せることができるだろうか。
ピアノが奏でる優しい音と、月の光の中で、僕は少しだけ寂しさを忘れていた。
◇◇◇◇◇
【後記】
高級生ハム超美味し。原木誰かください。
鱈も牡蠣も海ブドウも実話ですねん。
金田先輩の弟の話は「香水~香りの物語~ロータス編」
https://kakuyomu.jp/works/16817330649642278134/episodes/16817330649841863283
【曲】
オペラ『椿姫 La traviata』1853年
『乾杯の歌』
作/ジュゼッペ・ヴェルディ
原作/アレクサンドル・デュマ・フィス
『Fly Me to the Moon』1954年
作詞・作曲/バート・ハワード、ジョン・ラトゥーシュ、ジェローム・モロス
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