♯ その声は悠久の調べ ♯

 その日、僕達は軽音部の部室兼音楽準備室で、本多先輩に引きずってこられた、赤のレジメンタルタイを締めた制服姿の背の高い人物を見て言葉を失っていた。


「蛍……本気マジか……?」


 鼻からずり下がった眼鏡を直しもせずに飛原先輩がようやく問いかけると、本多先輩は鼻息も荒く胸を張った。

 5月ともなれば日差しはあるが、まだまだ過ごしやすい気候だと言うのに、体格のいい男子高校生が詰まった部室の中は、妙に息苦しい気がする。


(暑苦しい……)


「おう。本気も本気、MajiでKoiする5秒前だ」

「本多……こないだから何言ってるんだ」


 訝しげに開いた上品な形の薄い唇から漏れたのは、深く心に沁み入るような美声。綺麗に整えられた漆黒の髪、真っ直ぐに伸びた背筋、すっと通った鼻筋に墨を刷いたような黒く形の良い眉、切れ長の一重の瞳には柔和で知的な光が溢れた神々しいまでの美形。

 本多先輩と双璧を成すこの学院の有名人、2年の金田かねだ当真とうま先輩が立っていた。


(確かに声はいい。うん。でも……)


 この学院の現・生徒会副会長にて次期・生徒会長。容姿端麗、頭脳明晰、成績優秀、普通科・文系コースのトップ。本多先輩とは真逆の真面目で穏やかな人柄でも知られている。

 都市伝説かもしれないが、合唱コンクールでソロパートを歌った時はクラス優勝をかっさらったばかりか学院長から個人的に特別賞をもらったとか、生徒会立候補の演説の時、その美しく深い声が奏でる調べに何人もの女生徒がバタバタ倒れたとか……。


(いや、どう考えても無理でしょ)


 本多先輩は邪険に手を振り払われてもめげずにその両手を握り締めて叫んだ。


「金田!俺はお前 (の声)に惚れてる!俺 (達)の (軽音部の)もの (ボーカル)になってくれ!」

「はあぁぁぁ??」


(またこの本多は……そういう言い方を)


 整った顔を歪めて嫌そうにする金田先輩に同情を禁じえない。少し前までは僕も同じ立場だったし。

 最近は変な目で見られるのも減って来たけど、追いかけまわされている時は大変だった。本多先輩はゲイだって噂も立ってるのに、本人は全く気にしてない。


「蛍……その言い方は駄目だ。俺がちゃんと説明する」


 気を取り直すかのように眼鏡のブリッジを押し上げて、飛原先輩が前に出る。金田先輩は怯えた表情で部室のドアまで後退った。


(うんうん……分かる。分かるよ。怖いよね。意味不明だもんね)


 事の成り行きを眺める僕と古川先輩、後は任せたとばかりに部室に置いてあるソファにゴロリと横になってしまう本多先輩。


(この人、飛原先輩がいたからここまでやってこれたんじゃ……)


 長い足をソファからはみ出させてぶらぶらさせている先輩を見て、飛原先輩の苦労に思いを馳せる……。




「話は分かった……いや、分からんが、とにかくボーカリストが欲しいという事だな?」

「そうなんだよ~。当真くーん、おねがーい」

「よせ、気持ち悪い」

「蛍、真面目にやれ。他のメンバーは揃ったんだけど、みんな歌には自信なくてな。なんとかお願い出来ないか?」

「……僕も歌はそう上手くはないけど?」


 本多先輩をどかせて、ソファに座らされた金田先輩は、とりあえず出されたペットボトルのお茶を前に難しい顔で考え込んだ。


(なんだろう……現世の苦難を耐え忍ぶ修行者の如きこの雰囲気)


「大丈夫!お前なら声だけでれる!」

「殺してどうする。もうお前、黙っとけ」


 無責任に煽る本多先輩の腹に割と本気のボディーブローをかました飛原先輩は、心配そうに金田先輩の顔を覗き込んだ。本多先輩は声もなく蹲っている。

 金田先輩はといえば膝の上に手を置き、背筋を伸ばし目を閉じて黙考している。ぽく、ぽく、ぽく、という木魚の幻聴が聞こえてくる。


(あれ?大丈夫かな、僕……)


 耳鳴りだけじゃなくて幻聴まで聞こえて来たかと心配になった頃、金田先輩は「カッ」とばかりにその秀麗な瞳を見開いた。


ちーん。


(あ、御鈴の音まで……)


「分かった。これも現世修行の一環として受け入れよう」

「マジか!やった!!」

「ただし!条件がある」

「え?何なに?蛍、なんでも聞いちゃうぅ~」


 気持ちの悪いしなを作って擦り寄る本多先輩に、金田先輩はその深い美声で厳かに告げた。


「……ステージに立つなら顔出しはNGだ」

「なにーーー!?おま、その顔出さないって!?なんでだよー!顔だけでもいけるって!」

「なんでも聞くって言っただろう」

「えー!!やだやだやだやだ!俺ライブしたいもん!女の子にきゃーきゃー言われたいもん!バイト先のオーナーもメンバー揃ったらやらせてくれるって言ったもん!うわーん!」


 縋る本多先輩に、氷のような眼差しを向けた金田先輩はにべもなく足を振り払う。

 バタバタ床を転げまわる本多先輩を、窓の桟に溜まる死んだ虫を見るような目で見ているが、その気持ちはよく分かるので何も言わないでおこう。


(あれ、掃除するの嫌だよね)




 そして僕は知らなかった事だけど、金田先輩は近隣の大きな金全寺きんぜんじというお寺の跡取りで、あまり目立つことをすると檀家さんに煩く言われるのだそうだ。


(だから顔出しNGなのか。なるほどね……)


 謎の木魚と御鈴の幻聴に妙に納得した。将来のお坊さんか。あの綺麗なサラサラの髪、剃っちゃったりするのかな。


(それはそれで似合いそうだけど)


 男前はきっと何しても似合う……。謎の敗北感に打ちひしがれた僕は、床を転げまわる本多先輩を意味もなく蹴りたくなった。 


(マジでこの人うざい)


 しかしこれでメンバーは一応揃った?訳だけど、これからどうなるのか見当もつかない。

 本多先輩は不貞腐れてしばらく床に寝転がっていたが、急にニカッと笑って腹筋だけで起き上がった。


「ま、いいか!コスプレって手もある!KISSもマンウィズも顔の原形分からんしな!」

「いや、KISSは地獄から来た悪魔の軍団でシモンズは口から火吹くんだぞ?マンウィズアミッションは頭は狼で体が人間の究極生命体で地球の最果てエレクトリックレディーランドでジミヘンに作られてちょっと前まで南極で氷漬けにされてた奴らだ。俺達凡人とは次元が違う」

「……古川、まさかお前、それ信じてんのか……?」

「当たり前だろ!ロックは夢見させてなんぼだ!」


(わあ、この人ヤバい人だ)


 拳を固めて超早口で力説する古川先輩の目が本気だ。まだ古川先輩に馴染みのない金田先輩はもちろん、話についていけてない飛原先輩も僕もドン引きだ。さすがの本多先輩も引いてる。


「……いっそのこと青く塗るか?」

「ブルーマンはもういるだろ」


 飛原先輩が混乱している。ビートに乗りながら一言も喋らない青い顔のパフォーマンス集団では、せっかく乗り気になってくれた金田先輩ボーカルの意味がない。


「マリリン・マンソンは?」

「ばっか、なんか系統違うだろ」


 先輩達がどんな系統を目指しているのか分からないが、アメリカの国民的セクシー女優マリリン・モンローと殺人鬼チャールズ・マンソンを組み合わせた名前のアーティストは、高校生には少し刺激が強すぎると思う。


(シルクハットはちょっとカッコイイ気もするけど……話ずれてってない?)


 ああでもないこうでもないと言い合っている3人の先輩達を、腕を組んで黙って見ていた金田先輩が、ボソリと言った。


「……虚無僧の笠でも被る?僧服なら貸し出すし」


 少しの沈黙の後、本多先輩がキラキラと目を輝かせて叫んだ。


「採用!!」

「え……冗談……」

「よーし、早速、鈍器ドンキホーテで笠探して来よう!」

「いや、あの、ドンキにそんなもん売ってんのかって、そうじゃなくて、待て、本多!本多ーーー!!!」


 青褪めた金田先輩、部室のドアを蹴破る勢いで走り出て行った本多先輩を呼び止める手の行き場がない。


(あの行動力、どっか他で活かしてくれないかなぁ……)


 僕は爽やかな風薫る5月の青い空を眺め、現実逃避に国民的アニメの曲を脳内で口ずさんだ。


(今日もいい天気~♪)



◇◇◇◇◇



【後】


金田先輩、一休さん?


【註】

KISS・・・米国のハードロック・バンド

マンウィズアミッション・・・日本の5人組バンド。狼の頭。通称マンウィズ。

マリリン・マンソン (Marilyn Manson) ・・・米国のロックバンド。(オルタナティヴ・メタル、グラムロック、ゴシック・ロック、ハードロック、ヘヴィメタル、インダストリアル・メタルインダストリアル・ロック)

ブルーマン・・・米国NY発青いペインティングのパフォーマンス集団。

ジミ・ヘンドリックス・・・米国のギタリスト。


【曲】

『Majiでkoiする5秒前』1997年

歌/広末涼子


『サザエさん』1969年

歌/宇野ゆう子

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