♯ 諸行無常 ♯

 べよーん。べよーん。


 よれた音がする。5月も半ばを過ぎた頃、放課後の部室に来ていた僕は、生徒会の仕事を終えてやってきた金田先輩に、ギターのチューニングを教えていた。


「なんだか上手くいかないな」

「最初はそんなもんですよ。楽器は扱ったことあるんでしょう?」

「5弦琵琶なら……」

「5弦琵琶弾いたことある人の方が珍しいですよ」

「よっ、琵琶法師!」


(なんだその掛け声)


 僕はソファでだらだらしている本多先輩を無視してギターの弦を巻き直した。そもそも金田先輩に何か弾いてみろと言ったのは彼なのに、なぜか僕に丸投げだ。

 金田先輩が「家の土蔵にあった」と持ってきたのはギブソンJ200。渋い。綺麗な装飾のあるアコースティックギターだけど、少し大きい。保存状態はいいし、先輩なら体格がいいから弾きこなせそう。でも、如何いかんせん古い。


「ねえ、名前どうするぅ?」

「うーん、そうだな」


 さっきから子供の名前を決めている新婚夫婦のように話しているのは飛原先輩と古川先輩。

 何の名前かというと、バンドの名前。ドラムを担当する古川先輩は、かたかたと落ち着きなくテーブルを軽く叩きながら、キーボード(P)担当の飛原先輩がノートに書き込む文字を覗き込んでいる。

 あの日、無事どこかで (ドンキじゃなかった)笠を調達してきた本多先輩は、もう自分の仕事は終わったとでもいうように無関心。


「せっかく虚無僧だしな……なんか面白いのがいい」

「コミックバンドだと思われねえ?」

「それもそう」


(もう既に恰好からしてコミックバンドなのでは?)


 頭の中で冷静にツッコミを入れながら、弦の調整をする。俗にいう「ギブソン巻き」というやつを黙々とこなしていく。まあ、詳しい手順は説明も退屈なのでやりながら教えるとして。


べよーん。


(なんかやっぱり変)


 寝っ転がって眠そうな本多先輩が、半眼で天井を見つめながらブツブツ言い始めた。


「祇園精舎の鐘の声……」


べべよーん。かたかたかたかた……


(だから違うって)


「諸行無常の響きあり…」

「沙羅双樹の花の色…」


 なぜか、古川先輩まで参加し始めた。


べよーん。かたかたかたかた……シャーン。


(平家琵琶だったっけ?これ)


「盛者必衰の理をあらわす……」

「驕れる者は久しからず……」

「ただ春の夜の夢のごとし~♪」


べべ……ぎょわーん、ジャジャーン。かたかたかたかた、シャーン。


「やかましい!こっちの音が拾えんわ!」


 見ればいつの間にか起き上がってベースを持った本多先輩と、ドラムセットの前に座った古川先輩が、きょとんとした顔で僕を見ていた。


(おっと、つい取り乱した。ったく、どいつもこいつも)


「綾人くん?」

「……すみませんが、静かにしてもらえます?気が散るんで」

「ハイ」


 3人はこそこそと額を寄せ合って、こっちを見ている。金田先輩はその綺麗な一重の目を細めて穏やかに言った。


「頼りない先輩達でごめんね」

「いえ、金田先輩が謝ることでは……」


(悪いのはあの赤毛とキノコだ)


「なんか、ダメですね。専門のとこ持ってって調整してもらった方がいいかも」

「そうか。分かった」


 金田先輩は素直にギターを受け取って、自分の鞄の傍に置いておいたギターケースにしまいに行った。その様子を見ていた本多先輩が、テーブルの向こうで手を振った。何故か買ったばかりの虚無僧の笠を被っている。


(何しに来てんだろ、あの人)


「終わったんなら名前一緒に考えようぜ~ああ~大変だな~」

「本多先輩は何もしてないじゃないですか。もう帰りたい……なんかその虚無僧ヅラ見たらどっと疲れが出ました」

「虚無僧……どっと♪……♪どっとこ〜♪走るよ虚無太郎♪」

「本当にくっそ下手ですね、歌。突っ込んで欲しいですか?」

「いやん、綾人ちん、ちょーご機嫌ななめ!」


(誰のせいだと思ってる。時々出てくる謎のおねえキャラはなんなんだ)


 もう喋る気も失せて、帰り支度を始めると、ノートに何か書き込んでいた飛原先輩が顔を上げた。


(まさか今のもメモったの?)


「どっとこ虚無太郎……ドット…虚無僧。ドット虚無とかどう?commercial(コマーシャル)、広告、商用って意味だけど」

「お、いんじゃね?」

「採用!!」

「ええ!?」


(そんな適当でいいの?)


 心配になって金田先輩をチラリと見ると、なんだか悟りの境地に達した仏のような慈愛に満ちた顔で3人を見守っていらっしゃる……。


「ドットか。あの点は仏の額にある白毫びゃくごうのようだね」


(あ、この軽音部の最後の良心までもがおイカレになった。先輩、生徒会と兼任でお疲れなの?)


「額の白毫は、第6チャクラ。直感、集中、人生を先入観なしに公平に見る力。仏教においては教令・教勅きょうちょく、衆生を救い教え戒める意味もあるんだよ」

「へえ、なんかよくわかんねーけどすげーな。それにしようぜー」

「ライブとは布教活動だ。人々の心を救おう」

「おーそーだそーだー」


 絶対そんなことは思ってもいないであろう軽い口調で、先輩たちが口々に言う。何故か、テーブル組3人は笠を被って手を振り上げている。


(さてはみんなもう帰りたいんだな?)


「待ってください。もう少し考えてからにしましょう。せめて1日置くとか」

「綾人、こういうのはノリと勢いが大事だ」


 笠を被ったままの本多先輩が、椅子の上に立ち上がり、宣言する。


「バンド名は『ドット虚無』にけってーい。異論は認めませーん。ハイ、かいさーん!」


 叫んで「とぉー!」と着地した先輩は、笠を被ったまま意気揚々と部室を出て行った。


 異論というか、色々ツッコミたい。万が一奇跡が起こって将来バンドの名前の由来とか聞かれたらどうするんだ。


(インタビューなんてされるかどうかもわかんないけどさ……)


 脱力する僕の脳裏を、ひまわりの種が大好きな例の小動物が駆け抜けて行った。


(明日こそはきっといい日になるよね、虚無太郎……)



べよーん………。



◇◇◇◇◇


【後記】

【引用】

『平家物語』


【曲】

『ハム太郎とっとこうた』2000年


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