♯ 僕たちは何度も馬鹿になる ♯
「あぁやぁとぉぉぉおおおお!!!」
(うわぁあああ!また来たよ!!)
こっそり教室から顔を出した途端、普通科男子棟の廊下の向こうから走ってきたのは2年の
(怖っ!)
「今日こそ俺のものなれ!」
「………嫌です」
周囲のざわめきに身の置き所がない。ここは男子高だ。いや、女子もいることはいるけど、マンモス校なので敷地が男女別になっているのだ。もちろん僕が通う普通科にも女子など欠片も存在しない。
私立・
普通科・芸術科コースに分かれ、制服・私服どちらでも選んでいいけど、僕は毎日着替えを考えるのが面倒なので紺のブレザーと学年を表す緑のレジメンタルタイを着用している。今年の1年は緑、2年は赤、3年は黄色。
授業も選択制で必須単位取得とテストの点数が進級条件なので、毎日通わなくていいところが気に入っている。そんな不定期な授業システムなのに、何故か本多先輩は僕の居所を嗅ぎつけて、毎日こうしてやってくる。
「そんな事言って、ほんとは好きなんだろ?」
「誤解を招く言い方はやめてください」
教室の後ろのドアを塞ぐように壁ドン (ドアドン?)されているから、皆の注目の的だ。
(恥ずかしい…)
しかも本多先輩は189㎝あるそうで(勝手に自己紹介してた)172㎝の僕とは20㎝近く差がある。背中に竜が刺繍された赤のスタジャンも相まって威圧感が半端ない。
(チンピラかな?)
今日はさっさと寮の自室に戻って数学の課題をやろうと思っていたのに、こんな所で捕まってしまったら終わりそうもない。
この学校には寮もあって、地方からの生徒の受け入れもやっている。音楽家の両親が演奏旅行で忙しいので、僕はそこに入っている。
親が音楽をやっているからって子供まで才能を受け継いでいるとは限らない。だから選んだ普通科だけど、芸術科に転科する事も可能で、そこは自分の未練だな……なんて考えて少し落ち込んだ。
(もう、音楽なんて関わりたくない)
そう思っているのに、オリエンテーションの後にやらかしたせいで、こうして先輩にしつこく勧誘されているのだ。軽音部に。
「俺 (達)の (軽音部の)もの (ギタリスト)になれ」ってことだ。きっとわざと言っている。
「お前のテクは最高だ」
「エアで何が分かるんですか」
「考えるな、感じろ!見れば分かる!」
(ちょ…さっきからほんとやめて欲しい)
「好き?」「感じろ?」「テクが最高?」というひそひそ声が聞こえてくる。ただでさえ、選択制授業で入れ替えの激しいクラス。友達の1人も出来ずに浮いているのに、これ以上目立ちたくない。
「………迷惑です。帰ります」
「今日は帰さない!!」
(おい!話聞けよ!)
言うが早いか僕をリュックごと袋のように担ぎ上げた先輩は、そのままダッシュで芸術科棟に向けて走り出した。なんつー馬鹿力。身長は先輩ほどじゃなくても、僕だって男なんだから体重はそれなりにあるというのに。
「おおい、本多、廊下走るなよ~」
「はーい!!」
どうやら本多先輩は校内でも有名人らしい。しかし先生も呑気だ。
(誰か止めてくれ〜〜!!)
返事はいいけど全然スピードが緩まなくて、上下に揺さぶられている僕はもう吐きそうだ。
そうして芸術科棟の音楽コースにある第3音楽準備室に連れ込まれた頃には、立ち上がれないほどふらふらになっていた。
「お、1年。大丈夫か?」
そう言ってペットボトルのお茶を差し出してくれたのは、芸術科・音楽コース2年、
愛嬌があって人当たりはいいけど、油断は禁物。あの日、本多先輩と一緒に僕を囲んで「お願いだから俺達の軽音部に入って」と頼み込んできた1人だから。
音楽コースがあるだけあって、他にも軽音部はあるけど、何せ本多先輩の性格がアレなので、新たに発足したばかりで部員が集まらないらしい。
「……ありがとうございます……」
「蛍、あんま無茶すんなよ」
そう言って本多先輩をたしなめるのは同じく芸術科・デザインコース2年の
青い縦襟のシャツを着た彼も私服組で、一見クールな感じの眼鏡だけど意外と優しい……と言ってもやっぱり安心は出来ない。
「大事なギタリストが使い物にならなくなったらどうするんだ」
(ほらやっぱり。やっぱりこれだよ)
「大丈夫!振動軽減機能抜群のこのクッション!見よ!この僧帽筋!」
「脱ぐな。お前の筋肉の話なんかどうでもいいんだよ」
「すげえ!どうやって鍛えてんの!?」
「ライブハウスでスタッフのバイト。大事な機材も優しく筋肉で包み込みます」
「あひゃひゃひゃひゃ!本多くん、素敵ーー!!」
僕はお茶をチビチビ飲み、上半身裸になっている本多先輩と、筋肉を叩いて喜んでいる古川先輩から、そっと目を逸らした。ちなみにバイトは禁止されていない。
(馬鹿なのかな、この人たち……)
勝手な自己紹介で言ってたけど、本多先輩、これでも頭はいいらしい。普通科理系コース、学年トップだって信じられるか?
(馬鹿と何とかは紙一重ってやつかな……)
ぼーっとしていると、揺さぶられたせいもあって、なんだか耳鳴りがしてくる。この耳鳴りも憂鬱だ。
幼い頃、両親の演奏旅行の間祖父母に預けられていた僕は、寂しくて1人で家を抜け出して車に轢かれる事故に遭った。幸い命に別状はなかったけど、後遺症で時々耳鳴りがする。音楽を聴いていれば少しは軽減するが、それも焼け石に水でしかない。
演奏なんてとても無理だ。あまり激しく動いても耳鳴りは襲ってくる。静かに
「……僕には無理です。耳鳴りもあるし、人前で演奏するなんて無理」
「その事ならうちの耳鼻咽喉科には腕のいい耳鳴り専門治療の医師がいるから紹介するぞ?」
そう、上半身裸で親切ぶってるこの人、これでも医者の息子。地元でも有名な本多総合病院の跡取りだというのだから、チートもいいとこだ。恵まれた体格と頭脳、人生思い通りにならなかった事なんてなかったんだろうな。
「耳鼻咽喉科ならもう通ってます。事故の後遺症はほとんど残ってないはずだって言われました」
「……なら精神的なもんかもな」
飛原先輩がポツリと言う。そうかもしれない。子供の頃から何かと音楽に関わって来たけど、いつもそこには両親の影がチラついていた。勝手に変なプレッシャーを感じて素直に演奏を楽しめなくなっていたのも確か。
俯く僕に、本多先輩が両手を広げた。上裸で。
「綾人。無理にポジティブにならなくていい。人間は選択的に感情を麻痺させることは出来ないんだ。ここに来てくれるだけで十分。やりたくなったらやればいいさ………お前、
「………」
良い事言ってる風なのに、上半身裸では全然恰好がつかない。僕は可笑しくて笑いたいのに、何故か泣きそうになった。
「余計なお世話だ」とか「ほっといてくれ」と言いたいのに、喉の奥が痛くて熱くて声にならない。
本当にこの人は意味不明で強引なのに、妙な包容力がある。
「あ、本多君、1年泣かした~。先生に言ってやろ」
「小学生か、古川」
「………泣いてません」
「どれどれ、俺の胸筋を貸してやろう。本当は女子限定だがお前は特別だ」
「いりません」
ワチャワチャと先輩たちに囲まれ、ああだこうだともみくちゃにされながら、僕は苦笑した。
(僕も馬鹿なのかもなあ……何度離れても結局
「……来るだけですよ」
「よっしゃ!」
「じゃあ気が変わらないうちに入部届!」
あっという間に古川先輩にペンを握らされ、入部届に名前を書かされていると、飛原先輩が眼鏡のブリッジを押し上げながら呟いた。
「後はボーカルか……俺も古川もあんま自信ないし、蛍の歌はひでぇしな」
「任せろ。俺に心当たりがある」
失礼な事を言われているというのに気にしてないのは本多先輩の性格か2人の関係の長さか。
ニヤリと笑った本多先輩の顔を見て、「また気の毒な犠牲者が増えるんだな」と、僕は遠い目になった。
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