♯ 如来さまにお願い【前編】 ♯

 人混みや騒がしい場所にあっては、周りの音に負けないように自分の声も大きくなってしまいがちだ。


 本多先輩の性格そのものみたいな独創的な演奏プレースタイルや、耳は良いのに空気を読まずに突っ走る古川先輩が競って派手な演奏をしようとするものだから、結果的に僕らも引きずられる。さらに本多先輩の場合、筋力に任せて弾くから弦が切れそうで怖い。

 

「ストップ!ストーップ!!」


 防音壁が役に立たないのではないかと思われる大音量の中で、飛原先輩と金田先輩が叫んだ。2人とも肩で息をして、疲れ切った顔をしている。このところの練習でよく見られる光景だ。

 残響の中、飛原先輩は汗で滑る眼鏡のブリッジを神経質に押し上げて、深い深い溜息をつく。


「蛍、古川。お前らもう少しみんなに合わせろ。2人で張り合うな」


 カバー曲の他に演奏するのは「釈迦釈迦 荒魂ロック」にしようと話はまとまっていたが、どうにも上手く行かない。

 後方支援バッキングで主旋律の裏を奏でる飛原先輩は目立ちすぎずにボーカルやリードギターを引き立たせるすべを自然に心得ているけれど、他の2人が自由気まま過ぎる。


(ほんとそれ)


 僕は内心大きく頷き、3人を眺める。飛原先輩の指摘に古川先輩は「ごめん」と申し訳なさそうな顔をしたが、本多先輩は不満げに赤毛を掻き上げた。

 外は涼しくなり始めているというのに、髪の先から汗が雫になって落ちるほど噴き出ている。演奏中暑くなったのか、今日着てきたピンクの迷彩柄Tシャツはとうの昔に脱いでしまっていて、無駄に綺麗に割れた腹筋をこれ見よがしにさらしていた。


(まさか本番では脱がないよね?)


「え~、ノッてきたら全部吹っ飛ぶだろ、そんなもん。人に合わせるなんて俺にはむ~り~、お前らが合わせろよぉ」

「子供か。本番まで時間もないんだからワガママばっかり言うな」


 珍しく苛立った様子の飛原先輩の語気が強まる。でも本多先輩も譲る気はないらしい。


「うるせえ、そういうお前はオカンかよ」

「てめえがそんなんだから第一軽音クビになったんじゃねえのか?」

「あ゛あ゛ん゛?」


(ヤカラだ、ヤカラがいる!)


 元ヤン?幼馴染み同士の遠慮ない睨み合いに、場の空気が一気に緊迫する。思うに普段、飛原先輩が一歩引いていなければ、こんな風になることは当然かもしれなかった。


(うわあ……殴り合いとか始まったらどうしよう)


 餃子の一件で彼らが割と喧嘩っ早いことを知っていた僕は、ハラハラして止めに入ろうかどうしようか迷っていた。でも僕が間に入っても簡単に吹っ飛ばされそうな気がする。

 先輩達がウェルター、もしくはミドル級くらいだとしても、こっちはフライ級どころか塵芥ダストにも等しい。

 今にもゴングがなりそうな一触即発な雰囲気に、いつもは空気を読まない古川先輩もさすがにオロオロし始めたが、そこへ金田先輩がレフェリーよろしくするりと入り込んだ。


「2人とも、いったん休憩しようか」


 なだめるでもなく提案という形を取った金田先輩は、前世でどれだけ徳を積んだのか、はたまた人間何回目なのか、落ち着き払った微笑アルカイックスマイルみと法力ボイスで本多ゴリラ先輩と飛原ナス先輩の怒気を削いでいく。

 それでもぷいと顔を背け合い、厚めの唇を子供のようにへの字に曲げた本多先輩は、Tシャツを掴んで窓から出て行き、飛原先輩も気を落ち着かせるように大きく息を吐き出してから、ドアの向こうへ消えた。


「はー、ビビった。尊敬するわ、金田。あいつらの喧嘩いつもはもっとすげーんだぜ?」


 古川先輩は緊張状態から解放されて、肩の力を抜いた。そして感心したようにキラキラと目を輝かせ金田先輩を見上げる。


(やっぱりそうなんだ)


「でも2人とも出てっちゃったけど、大丈夫なんでしょうか」

「分からないね。なるようにしかならないよ」


 薄い唇に笑みを残し、金田先輩は背筋の伸びた整った所作で楽譜に目を落とした。こういう時の先輩は本当に何を考えているのか分からない。いい加減な本多先輩や古川先輩の方がまだ分かりやすいくらいだ。

 その古川先輩といえば、スティックをくるくる回しながらリズムを取って、キノコ頭を揺らしている。


「まあ、なんとかなるんじゃね?派手にやり合っても次の日にはケロッとしてるし」

「そうなんですか?文化祭もうすぐなのに」

「いざとなったら金田が喝入れてくれるよ〜」

「そんな他力本願な……」


(呑気だな、この人)


 僕は手持無沙汰にギターの弦をはじいた。アンプに繋いでないから音は聞き取りづらい。生音で弾くのはあまり練習としては良くないし。先輩2人が抜けてしまったので今日はこれ以上進められない。


(もう帰ろうか……それとも金田先輩の練習に付き合うか)


 真面目な金田先輩は、生徒会の活動もあるのに他のメンバーとの練習が終わった後で楽器だけ自主練している。本多先輩に指導を丸投げされたからという訳じゃないけど、僕もなるべくそれに付き合うようにしていた。

 メトロノームアプリを起動して一人黙々と基礎練習をしている金田先輩に近づき、邪魔にならない場所に椅子を置いて腰を下ろす。


「金田先輩リズム取るの上手いですよね」

「ん〜?毎日木魚叩いてるからかなあ」


(そういうもんかな。あれもパーカッションと言えなくもない?)


 先輩はアコースティックギターの弦をつま弾きながら、僕の方を見ずに呟いた。


「さっきの他力本願ていうのはね、綾人。他人任せにするって意味じゃないんだ」

「どういう意味なんですか?」

「他力は阿弥陀仏の力のことだよ。それ以外の意味はない」

「へえ」

「阿弥陀仏の『一切衆生を救う』という本願、その力を信じて委ねるのが本来の他力本願なんだよ」


(難しくて良く分からない)


 僕が首を傾げていると、古川先輩も近くに寄って来て、僕の椅子に凭れかかった。


「それって神頼みみたいなもん?」

「うーん、ちょっと違うかな。それが出来なければ仏にはならないと仰った阿弥陀様が仏になっているということは、既に本願は成就している訳だ。だから僕らはそれを信じ切ればいいだけなんだよね」

「だけって言われてもなあ……自分以外のものを信じ切るって難しくないか?」


(自分でさえ信じられないのに)


 それが出来れば誰も苦労はしてない。金田先輩は話を聞いているだけだった僕の思考を読んだかのように笑みを深め、「まあそうだよね」と小さく呟いた。

 頭の中が「?」マークでいっぱいになっている僕とは対照的に、何か思いついた様子の古川先輩が急に歌い出した。

 

「さあ不思議な願い遠い昔に叶えば♪さあそのスイッチを強い他力に合わせて♪阿弥陀如来におねがい~♪ってこと?」

「サディスティック・ミカ・バンドですか」

「なんかピッタリじゃね?」

 

 僕もお父さんのレコードで聞いたことがある。古川先輩は「阿弥陀如来におねがい」というフレーズが気に入ったようで、1人で歌いながら椅子の縁を叩いている。


(僕の座ってる椅子叩かないで欲しい)


 金田先輩は苦笑いして、古川先輩の歌を聞いていたが、そのうち耳で覚えたらしいその節をギターで奏で始めた。


「ははは、案外ハマるもんだね」

「極楽浄土に行けるわハハーン♪一切衆生を救うのフッフー♪阿弥陀如来にお願い~♪阿弥陀如来にお願い~♪」


(いいのか、それ)


 とは思ったけど、古川先輩のデタラメな歌詞を聞いてるうちに笑いが込み上げてしまい、僕もギターを手に取って一緒に弾き始めた。3人だけのデタラメ即興セッション。これが思いのほか楽しくて少しの間さっきのモヤモヤした気分を忘れていた。


 しばらくして戻って来た飛原先輩は、珍しく遊んでいる金田先輩を見てポカンとしていた。再び窓から戻って来た本多先輩に至っては、「俺も混ぜろ」と乱入してきて、また大騒ぎになったのだけど、少なくとも2人を仲直りさせるのは成功したみたいだった。


(問題は解決した訳じゃないけどね)



◇◇◇◇◇



【参照】


『顕浄土真実教行証文類』親鸞聖人

『歎異抄』著者不明


【曲】


『タイムマシンにお願い』

サディスティック・ミカ・バンド

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