♯ 本日の営業は終了しました ♯
お祖父ちゃんが言っていた。人の話はよく聞きなさい、と。
それはまったくもってその通りだと言わざるを得ない。
断じて女装趣味はないが、僕はメイド服を着て、膝上の黒いミニスカートの裾を必死になって押さえ、スカスカしたその頼りない布切れが捲れあがらないようにしながらその言葉を思い出していた。
葵ちゃんからの連絡は、「文化祭の衣装合わせ」についてだった。そういえば、クラスからの連絡事項にもそんなものがあったような……放課後、会場である女子棟の教室にノコノコ出かけていくと、そこに待ち受けていたのは黒の執事服とメイド服。
手の空いていた数人のクラスメイトの顔もちらほら見えていて、皆ワイワイ言いながら服を手に取っている。
「え、ナニコレ」
「衣装だよ。これ着て接客するって話し合いしたよね?」
(え、そうだったっけ?全く覚えがない)
葵ちゃんが僕に合うサイズの服を当てながら、くるんとした大きな目を向けてくる。どうやら僕はその話し合いを適当に聞き流していたらしい。
それはいいとして、なぜ葵ちゃんはスカートを持っているのだろうか。僕は首を傾げながら、執事服の方を指さした。
「ねえ、間違ってない?あっちでしょ?」
「やだなあ、綾人くん。『男女逆転メイド喫茶』にするって話し合いもしたじゃない」
「……聞いてなかった」
(聞いてたら絶対反対したのに!)
「ファッションコースの子も協力して改造してくれたの。さあさあ、衣装合わせしよ。隣の教室でこれに着替えてきてね!」
葵ちゃんの目がらんらんと輝き、僕ににじり寄ってくるのが少し怖い。勢いに押されて渡されたお仕着せを受け取ってしまう。
(どうしたものか……)
「おお~っ」
誰のものか分からない複数のどよめきが教室の空気を揺らす。視線が集まるのを感じながら、開いたドアから恐る恐る教室の中に入ると、葵ちゃんが真っ先に歩み寄って来た。
着替えた僕を上から下までじっくりと眺める。フリルの白襟付きの黒いワンピース。白いフリルのエプロンも着けたし、着方は合ってるはずだ。でも葵ちゃんの綺麗に弧を描く眉は、不満げに下がる。
「どうしてズボン穿いてるの?」
「合わせるだけならこの上からでもいいでしょ?」
「だーめ、ウエストも合わせないと。ニーハイも穿くんだよ?当日はズボン穿かないんだからね?ほら、全部脱いで」
これがまた別のシチュエーションだったらもう少し違うニュアンスになるのに。こんな防御力の低い布切れ1枚になれだなんて、どうかしてる。スカートを穿く女の子やキルトが伝統衣装のスコットランド人はいつもこんな気分を味わっているのだろうか。もっと言えば、数百年前の日本人だって日常的に着物を着てた訳で……。
葵ちゃんはソックスを片手に、僕の顔をじっと見つめる。小さい唇が尖ってて可愛い。可愛いけど、要求が可愛くない。もたもたしていると、鴇田が横から口を挟んできた。
「方倉ぁ、覚悟決めろ~」
既に着替えた彼のメイド服姿は、目を覆いたくなる惨状だった。僕より背が高くてごつごつしてるし、すね毛も丸見えだし、とにかく人目に触れさせていいものじゃない。
「……誰得なの?これ」
「ウケ狙いでいいんだよ。いいから脱げって」
「ふわあ!」
しゃがみ込んだ鴇田に半分脱ぎかけていたズボンを一気に下され、変な声が出た。股間が急にスースーして、落ち着かない。鴇田はそのままの姿勢で僕の足を凝視している。
「お前、すね毛剃ってる?」
「剃ってないけど……いつまで見てんだよ」
「うわー、こりゃマジだわー、ウケないわー、男でこの足反則だわー」
「触んな」
伸びてきた手を蹴散らし、葵ちゃんの方を見ると、彼女は両手を胸の前に組んで満面の笑みを浮かべていた。
「綾人くん、可愛い!」
「嬉しくない」
(もう帰りたい)
「Auld Lang Syne (ほたるの光)」、頭の中でバグパイプの音がする。元の民謡は旧友と酒を酌み交わす歌だけど、日本では閉店時などに流れる別れの歌だ。この曲を聴くと無条件に帰りたくなるのは既に日本語の歌詞と文化が浸透しているからなのかもしれない。
そう言えば両親とヨーロッパを回った時、お父さんの友達のスコットランド人のオジサンがタータンチェックのキルトを着てバグパイプを吹いてくれたっけ。せっかくだからと上から下まで揃えた正装で。
確か曲は「Amazing Grace (アメイジンググレイス)」や「Auld Lang Syne (オールド・ラング・サイン)」の他に「アンパンマンのマーチ」、僕らが日本人だから気を遣ってくれたのかもしれないけど、僕は当時そのアニメを観ていなかった。
(なんであの曲知ってたんだろう)
グレートハイランドバグパイプはもちろん珍しかった。物悲しい独特の音色で奏でられる曲は幼い僕の心にも郷愁めいたものを呼びさました。でも大柄な男の人のスカート姿の方に興味津々だった僕は、オジサンに近づいて下から中を覗き込んでしまった。そして衝撃のあまり知恵熱を出し三日は寝込んだ。
(あれはまさにアメイジングだった)
古典的スタイルのキルト、フェーリア・モールに則って中はノーパンだったのだ。防御力はほぼゼロだから、ベルトに提げた革のスポーラン(ポーチ)で前を保護しているのだとか。
あまり甦って欲しくもない記憶。背の高いオジサンのスカートの中の小宇宙。ビビッて固まる僕に、オジサンは豪快に笑いながら「コマンドー!」って叫んでた。後から聞いたら「ノーパン」て意味のスラングらしい。
(パンツ穿いてる僕はまだマシなのかも)
僕は無理矢理自分を納得させ、現実逃避することにした。今や日本では着物と並ぶ伝統衣装とも言うべきコスプレメイド服、そうだ、これはおそらくジャパニーズトラディショナル。さっさと終わらせてこの場を離れるに限る。
葵ちゃんに渡された白いニーハイソックスを履きながら、「これは足袋、これは足袋」と言い聞かせた。着替えが終わると今度は手を引っ張られ、教室の前の方に置いてあった姿見の前まで連れて行かれる。
「ほら、見て、似合ってるから」
「見たくない」
(無だ、ここは無になろう)
深呼吸して鏡を覗き込むと、そこには虚ろな目をしたメイドさんが映っていた。さらさらの茶色の髪、色白でヒゲもあまり生えない母譲りのつるんとした中性的な顔立ち、体毛が薄いので足もつるつるだ。背丈だけはそれなりにあるから、細身のボーイッシュな少女に見えなくもない。
そもそもウケ狙いなのだから、少女に見える必要はないのかもしれないが、意外にもしっくりくるその姿形にしばしの間ボーッと見入る。その鏡越しに頬を上気させた葵ちゃんの姿も映り、すぐ隣で弾んだ声がした。
「ね~?すっごい可愛い!お肌すべすべだし、お化粧も映えそうだね」
「それはさすがに嫌だ」
どこかで携帯カメラのシャッター音が聞こえ、ざわざわと周りに人が集まり始めていた。「可愛い」「美少女だ」「あんなやついたか」などという言葉が波のように僕の耳に押し寄せる。
(え、こわっ)
「方倉、俺、なんか新しい扉開きそう」
「開くな」
いつの間にか背後に鴇田が現れ、心なしか息が荒い。ニキビ面をだらしなく緩め、トロンとした目で僕を見つめている。悪夢か。
ほたるのひかり、バグパイプ、アンパンマン、伝統衣装とニーハイソックス、コマンドーの小宇宙。なんだか耳鳴りと頭痛がしてきた。
「葵ちゃん、衣装これでいい?」
「うん、ばっちり」
「そっか。じゃあもう帰るよ」
「大丈夫?綾人くん。顔色悪いね。送ってく?」
葵ちゃんが心配そうにそう言った途端、なぜか周りにいた男子が我も我もと群がって来た。今までまともに口を利いたこともないクラスメイトまで混じっているのはどういう訳だ。
「方倉、同じ寮だったよな。俺が送ってってやるよ」
「大丈夫か?水買ってこようか?」
「気分悪いなら保健室連れてってやるぞ」
あまりの勢いに身の危険を感じた僕は、テンパって訳の分からないことを口走ってしまった。
「いえ、結構です。そろそろ営業終了なので失礼します」
なぜかそれすらも「そうかそうか」と好意的に受け取られ、大急ぎで制服に着替えた後は、みんなに見送られながら女子棟から逃げ出した。
(蛍の光、窓の雪。本日の方倉綾人は終了しました!!)
その後文化祭が終わってもしばらくはその扱いが続くことになるなんて知ってたら、あんな恰好は絶対しなかったのに……。
本当に、人の話は良く聞くものだ。お祖父ちゃんの言うことはいつだって正しい。
◇◇◇◇◇
【曲】
「Amazing Grace」スコットランド民謡(諸説あり)・作詞/ジョン・ニュートン
「Auld Lang Syne」スコットランド民謡・作詞/ロバート・バーンズ等
「蛍の光」訳詞/稲垣 千穎(いながきちかい)
「別れのワルツ」編曲/古関裕而(こせきゆうじ)
「アンパンマンのマーチ」
作詞/やなせたかし
作曲/三木たかし
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