♯ 禅禅禅武 ♯

「文化祭へのエントリーの件なんだが」


 金田先輩が言うとだいたいなんでも厳かに聞こえるのだけど、今日はいつにもまして荘厳な面持ちで切り出したその言葉に、全員が黙って続きを待った。全員と言っても本多先輩はまだ来ていない。


(あの人リーダーじゃなかったっけ?)


 先輩は必要事項を記載するエントリーシートをひらひらと振りながら説明を続ける。


「僕が参加するとなるとあれこれ口さがない方々もいらっしゃるので、今回は匿名でエントリーすることにした」

「そんなこと出来るんですか?」


 僕の質問に、金田先輩はなんの裏もないような清らかで美しい笑みを浮かべた。後光が差すような清廉な気をまとう先輩に思わず手を合わせかけたその時……。


「生徒会の権限でなんとでもなる。これは秘匿ひとく事項なので口外はしないように」


(あ、言ってること黒かった)


「いいんじゃないか。今後の活動に支障が出ても困る」

「俺は演奏できればなんでもいいけどな~」


 飛原・古川ご夫妻も異論はないようだし、僕も特に反対する理由がないので頷いたのだが。


「俺は顔出ししたいぞ!せっかく目立つチャンスじゃねえか」


 またもや窓から入って来た本多先輩が赤髪を振り乱し声高に叫ぶ。いったいどうやって、と思っていたが、耐震補強で校舎に斜交いに取り付けられた鉄柱をよじ登ってきているらしかった。


(さすがゴリラ……じゃなくて)


「本多先輩、危ないですよ」

「こまけーことは気にすんな。それより金田、文化祭くらいいいだろ?」

「駄目だ。ステージ上で顔出しはしない条件で入ったんだからな」

「ちっ、石頭め。どうせ声でバレるだろう」

「誰も僕が本気でこの部に参加してるとは思ってない。父に迷惑かけたくないしね。顔さえ見えなければ知らぬ存ぜぬで通すよ」


(嘘も方便とはこのことか……)


 思ったより腹黒な発言に少し引いたけど、しがらみというのは僕が想像するより面倒なものらしい。誰もが本多先輩みたいに自由に生きている訳じゃない。

 しかし本多先輩は納得いかないのかソファにダイブして駄々っ子のように足をバタバタさせている。


「ええ~、つまんないつまんない。俺の野望が〜」

「お前の野望とは?」

「女の子にキャーキャー言われたい!」

「今だって似たようなものだろう。深編笠で出て行けば騒がれるんじゃないか?」

「そういう意味じゃなくてぇ」


 古びた革のソファが本多先輩の激しい動きにきしむ。金田先輩は一重の涼し気な目を細め、ゴミ箱に入れたゴミを見る目付きでその様子を眺めた。


「嫌ならエントリー自体取り消すが?」

「だめっ!それはだめっ。ごめんなさい、当真くん!アタシもうワガママ言わないから!」

「分かればよろしい。きゃーきゃー言われるにもミステリアスさは多分必要だ」


(なんか違う気がするけど…)


 足元に本多先輩をまとわりつかせたまま、金田先輩は鷹揚おうように頷いて、エントリーシートにバンド名を書き込んだ。


(金田先輩も本多先輩の扱い分かってきたな)


 ようやく意見がまとまったところで、やっと何を演奏するかの話し合いが始まった。

 一組ごとの割り振りは1~2曲なので、今出来上がっている曲の中から選ばなくてはいけない。でも僕が思うにどれも文化祭でウケそうな曲ではない。

「一切合切金輪際」はほぼギター演奏特化だし、「釈迦釈迦 荒魂ロック」にしても歌詞がマニアック過ぎるし、「八面六臂BOUZ」のデスボイスが一般的な女の子に受け入れられるとは思えない。


「あの……これは文化祭に出していいものなんでしょうか。作っておいて難ですけど、一般受けはしなさそうですよね」

「今さらぁ?」

「ここまで続けてきて急に正気に返るなよ。それをどうこう言い出したら、この部の存続自体怪しくなる」


 古川先輩と飛原先輩に口々に言われ、僕は黙り込む。金田先輩は作詞作曲以前に忙しすぎるし、本多先輩の曲はまだ聞いたことはない。でも他の先輩方の場合、複雑に入り組んだコード進行が好きなようなので、あまりキャッチーな感じではない。

 別にそれ自体が悪い訳ではなくて、本多先輩のいうところの女子受けを狙うなら、もう少しソフトな感じの曲や歌詞を取り入れてもいいのではないだろうか。

 すると金田先輩はいったん夫婦めおと先輩達を制して、床に転がっている本多先輩に尋ねた。


「まあ、待て。綾人の言う事にも一理ある。なあ本多、オリジナルじゃないと駄目なのか?」

「いや、別になんでもいいけど~?」

「じゃあ、1曲はオリジナルにして、最初に演奏するのはカバーでもいいんじゃないか?」

「うーん、あんまり時間もねえしなあ」


 そのやり取りをぼんやり眺めていたら、制服のズボンの尻ポケットの中で携帯が一度だけブルルと震えた。

 誰かがメッセージを、と言っても僕にそれを送ってくるのは家族か最近文化祭関連で繋がったクラスの子達だろうか。あとは葵ちゃんくらいしかいない。

 後者の可能性を考えたら、なんとなくこの場では確認がしづらい。絶対変な顔をしてしまう自信があるし、先輩達に気づかれたら死ぬほどイジラレまくる未来しか見えない。

 しかし無情にも携帯はまたぶるぶると震え、異常に耳の良い古川先輩が僕の方を見た。


「綾人、携帯鳴ってんぞ」

「いや、多分クラスの連絡だとおも」

「イチゴちゃんからかもしれないだろ。早く確認しろ」


(ああ、もう!こんな時ばっかり気が回るんだから!)


 僕は仕方なく携帯を取り出して通知を見た。葵ちゃんからだ。寮に帰ってから内容を読もうと思ってまたポケットに入れようとしたら、床に転がっていたとは思えない素早さで起き上がった本多先輩が手の中の携帯を覗き込んできた。


「お、やっぱりイチゴちゃんじゃーん」

「勝手に見ないでください」


 肩にのしかかる暑苦しい筋肉の重みを押しのけようとしていると、反対側から古川先輩が絡んでくる。


「照れんなよ〜、なんて?なんて?」

「ウザ」


(なんでみんなそんなに他人の事情に首突っ込みたがるんだよ)


「ねーねー、手つないだ?チューした?」

「アタシにも聞かせてっ!」

「本多、古川、やめろ。下世話なことはするな。そういうことは自然に任せておけ」


 飛原先輩も口は出さないまでも生温い眼差しで見守る中、我が部の良心、金田先輩だけは止めに入ってくれる。


「いやいや、ここは是非とも協力して恩を売っておかないと」

「そーだそーだー」

「まあでも脱線するな。今は話し合いが先だ」

「え~、金田つまんなーい」


(先輩を面白がらせる為に生きてる訳じゃないってば)


 金田先輩の指摘はもっともだが、ゴリラとキノコはまだ不満そうだ。そこに飛原先輩が近づいてきて、一緒になだめてくれるのかと思いきや、彼は澄ました顔で歌い出した。


「やっと手はつないだか~い♪それなのになぜチューは済ませやしないんだい♪」

「遅いよと怒るキミ~♪これでもやれるだけ堪えてきたんだよ♪」

「なんですか、その替え歌、やめてください、古川先輩まで」


(これで本多先輩まで歌い出したら目も当てられない)


 思わず背後の本多先輩を振り返る。右肩に乗った先輩の顔の中で、灰青ブルーグレーの瞳がきらきらと明るく輝いているのが見えて、背中がぞわっとした。


(これは良くない兆候では?)


「金田ぁ~、カバーこれにする?」

「そうだな」

「え、ちょ、やめてください」

「誰もお前の歌なんて言ってねえだろ。思春期の全性少年に贈る歌詞にしようぜ~」


(今、青の字が違ってたような気がしたけど……)


 かくして、先輩方の悪ノリによる「前前前世」の替え歌のタイトルは、最初「全全全性」になりかけたが、顧問の井原先生に待ったをかけられ「禅禅禅武」に改名されたのだった。

 歌詞については下ネタが酷すぎたので一部訂正が入ったとだけ言っておく。


 今まで作ったどの曲より嬉しそうに練習する先輩方を遠い目で見ながら、僕は金田先輩が心配になった。


「金田先輩、いいんですか?歌うの先輩ですよ?」

「別にいいよ。これも禅だろう」

「そうなんですか?題名だけでしょ?禅関係あります?」

「分からんが……禅僧だった一休宗純の『狂雲集』はほぼ下ネタだ」

「それ関係あります?」


 金田先輩は僕の問いには答えず、禅定ぜんじょうに達したかのような静かな面持ちで、歌詞の書かれた紙をじっと見つめていた。



◇◇◇◇◇



【後記】


一応レイティングなしなので下ネタ歌詞は割愛。


【註】


禅定・・・あるいは禅那ぜんなとは、心が動揺することがなくなった一定の状態


【曲】


『前前前世』RADWIMPS


【参照】


『狂雲集』一休宗純

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