二十、言葉足らず

 ウシオと最後に言葉を交わしていくつかの夜が過ぎ、「こもり」の三ヶ日が訪れた。

 あれから、昼も夜も問わず左慈の記憶は靄がかったように曖昧で、時を虚ろに浪費していた。そのくせ月が高く登っても意識ばかりは冴えきって、眠気のあまり吐き気すら催す日々に戻りつつあった。

「おう左慈、お前どこ行ってたんだ」

 そろそろ日も暮れる頃に左慈が家に戻ると、左介はすでに帰っており、囲炉裏の前でくつろいでいた。

 こもりに入り、皆が清潮祭の支度で忙しなく他の村から人の出入りも増える中、左慈は人を避けて村の外れや山の中を徘徊していた。


「……柴が足りないと思って」

 祭の支度を手伝わずにいる言い訳が欲しかっただけである。左慈は抱えていた籠を土間の隅に置くと、疲れに軋む体を引きずって部屋に上がった。

「あれ、そうだったかい。ありがとうね」

 まづの声も、膜を張ったように遠く聞こえる気がした。すると左介が眉を潜めて、俯く左慈の顔をうかがった。

「大丈夫か、無理はするなよ」

「左慈さんここのところ、また寝れていないんじゃないかしら」

「そういえばあんた、最近夜中に抜け出さないね。寒くなっちまったからかい」

「いい、別に……大丈夫だから」

 労る声は、これまで以上に耳に障り煩わしく聞こえた。左慈は嘆息混じりにそう返すと、放っておいてくれと言う代わりに壁に背を預けて目を閉じた。


「都合よくこもりに入ったからいいが、そんなんで漁に出てたら海に落っこっちまうぜ。祭りの支度や家のことはいいから、ゆっくり休んでろよ」

「分かった、分かったよ」

 左介の話を力なく制して、いつの間にか傍らに用意されていた茶に口をつけた。

「そういえば、和一もあんたのこと気にかけてたねえ。それに、近頃は一路以外と口も聞かなくなったみたいじゃない。あんたみんなに迷惑かけてんじゃないだろうね」

「おかあ、止してやれよ」

「止すものかい。訳を何にも話さないのはこの子の昔っからの悪い癖さね。この先ずっとそんな調子じゃあ、嫁をもらうどころか村中から腫れ物扱いだ」

「弱ってる時に言い過ぎだろう、こいつにも色々あるんだろうし」

「この子が怠そうなのはいつものことだし、柴を集めて回る元気があるんだから大袈裟だよ。そんなことより、あたしゃ心配でたまらないの」


 話の中心にいるはずの左慈は、二人のやりとりから置いてきぼりだ。花乃は何か用事があるのかそれとも家に漂い始めた剣呑な匂いを感じ取ったのか、いつのまにかどこかに行ってしまっていた。取り残された左慈は、言いたいことを茶と共に飲み込む。自然と眉間に皺が寄ったが、左介とまづはそれに気づかず、方や台所で、方や囲炉裏の前に座って、徐々に声を大きくしながら言い合い続けた。

「そんだけ落ち込んでいても、親には何にも話さないで一体何考えてんだい。いつまでも家にいる気なら、心配しているこっちの身にもなって理由を教えとくれよ」

「おかあは焦り過ぎなんだ。いつかはちゃんと話してくれるさ、なあ」

「…………」

 左慈は湯飲みを握りしめて押し黙った。まづはふんと鼻を鳴らして、少し潤んだ声で言った。

「ほれみなさいな。都合の悪いことは言わずじまいさ」

「……左慈、奥で休んでろ。おかあとは俺が話しとくから」


「そんなんじゃあ慈郎の方が先に家を出ちまうよ。ねえ左慈、頼むから並の生活をしとくれ。和一から聞いたよ、波間村の娘とうまくいかなかったんだって? 嫁もらって所帯持つことの何にそんな及び腰になってんのさ」

 何も分かってくれないくせに。


「左慈は参ってんだ、その話は今じゃないだろうっ」

「こんな時じゃないと、この子はまたはぐらかすんだっ」

 はぐらかしていると決めつけないでくれ。


「わあった、あとで俺が聞いとくから……。今はそっとしといてやれ」

 上っ面の慰めばかりで、何も聞いちゃくれないくせに。


「左慈、あんたの話なんだよ。兄貴にばかり頼ってないで————」

「うるさいんだよ!」


 手に持っていた湯飲みは、いつのまにか勢いよく床に叩きつけられて方々に散った。左慈は、それを自分がやったことだと気づくのに時間がかかった。正気に返った左慈の目に飛び込んできたのは、まづと左介の口を開けて茫然とする表情であった。途端に、二人に対する自責の念が左慈の身体中を侵し、周りの全てが仇にでもなったような感覚に陥る。

「……もう、放っておいてくれ」

 声にならないほどの呟きを残して、左慈は表に飛び出した。

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