二十三、祟りの噂

 左介は翌日の昼下がりに目を覚ましたが、祭りの前後の記憶はぼんやりしていると話した。清潮祭から数日を経た今でも、左慈たちは漁を再開していない。皆一様に、祭事の只中に起きた不幸を引きずっているのだ。

 左介や一路、和一といった、左慈もよく知る阿見村の者たちは、各々が大なり小なり怪我を負いつつも助かることができた。だが、影海岩の沖側から縄を引いていた、沖江村と巳浦村の若い男が、それぞれ一人ずつ行方知れずとなっており、昼間は動ける男が総出で彼らの身体を探して海に出ていた。漁夫たちは漁具の代わりに長い竹竿を持ち、海底をまさぐっては手応えのなさに肩を落としておかへと戻ることを繰り返していた。


「もう沖まで流されたんだろう」

「そろそろ、漁に戻らにゃな」

「どうせ不漁だ、今と変わりゃしないさ」

「影海様の祟りって、おめえ信じてるか」

「年寄りが騒いでいるだけだろう」

「そうでもねえさ。知ってるかい、騒動の最中、何人かが妙な人影をみたんだと」

「ああ、女の姿がどうのこうのって。俺は見てないけどな」

「影海様がお怒りになって姿を現したとかなんとか、他の村でも噂になってら」

 男たちの会話を背にして、左慈はそそくさと村に戻った。


「お、左慈。左介の調子はどうだい」

 家に戻る途中に、和一とばったり出くわした。彼は両手に水の入った桶を抱えて重心が下がっていることもあってか、少しやつれたように見えた。

「家で大人しくしてるよ。和さんは」

「俺ぁもう元気よ。明日からは海にも出ようと思っている」

「あと……」

「一路か? あいつももう、大丈夫なはずなんだがなあ。まだ首が痛えだのなんだのって、さぼりやがってんだ」

 和一につられて左慈も笑ったが、いつもなら豪快な和一の笑顔も、今は空元気な気がした。


「で、見つかったか」

「あ、えっと……」

 すぐには、なんの話をしているのかわからなかったが、左慈は察して和一から目を逸らした。

「いや、たぶん、沈む前に流されてんじゃないかって」

「そうか。そいつらの家族を思えば、見つけてやりてえなあ」

「でも、どこかの岸に打ち上げられてない限りはもう……」

 言いかけた左慈は、和一が苦笑を漏らしたのを見て言葉を止めた。

「助かってるなんざ、もう誰も思っちゃいねえよ。せめて体だけでも戻ってくれなきゃあ、悔しさばっかり引きずっちまうだろ。んで、有りのままの姿形はちゃんと思い出してやれなくなる」

「和さん……」

 閑散とした村の道半ばで、和一は海の方を眺めながらしみじみ語った。なんと言葉をかけていいかわからず様子を見ていると、彼ははっとして、それから気恥ずかしげに鼻の頭を掻いた。持ったままの桶から水が少し跳ねる。

「——はは、俺の親父は時化た海に出ちまってそれきりでな……いや、この話前にしたか? まあいいや、湿っぽくなって悪かったな」

「大丈夫だけど、和さんは」

「そういうことだから、助けると思ってもう少し探してみてもいいんじゃねえかな」

 一方的に告げて、和一は去ってしまった。わずかに重そうな左足には白い布切が巻かれていて、彼がまだ本調子でないことを表していた。うちにも怪我人、それも一番大怪我をした者がいることを思い出して、左慈は気持ち家路を急いだ。


「おう、おかえり」

 家には、左介がひとりだけであった。

「おかあと花姉は」

「畑仕事の手伝いだ。俺のことは左慈に任せて仕事してくる、だとよ。薄情な母親と嫁だあ」

 左介は肘から先に添え木をした右腕を少し振りながら、冗談まじりに愚痴をこぼした。左慈は「あまり動かすなよ」と諫めながら部屋に上がると、放ったらかしにされた兄に変わって囲炉裏に火をくべて湯を沸かす。

「悪いなあ、利き手が使えなくて」

「頭の方は大丈夫なのか」

「なんだよ、馬鹿になったってか」

「本気で案じているんだぞ」

「冗談だって。ま、大したことねえよ、多分」

 古びた茶器の歪んだ蓋が音を鳴らして震え、湯が沸いたことを知らせた。左慈は兄の分まで茶を入れると、飲みやすいよう左側に湯飲みを置いてやった。左介は湯飲みには口をつけずに戸口を見遣り、「戸を閉めてくれ」と頼んだ。左慈は言われたとおりにすると、囲炉裏を挟んで左介の前に腰を下ろした。


「噂が広まっているわけだが」

「俺は何もしていないよ」

 その話がしたいのだろうと当たりをつけていたため、さほど動揺はせずに済んだ。左介はぎこちない手つきで湯飲みを口元に運び、茶を飲んでその熱さに口を歪めた。

「疑ってはいねえよ。お前ひとりでどうにかできるとも思っちゃいない。けど、お前も見たんじゃないか、そのお方の姿ってやつを」

「……確かに、岩場にいたよ」

「俺が話を聞く限りじゃあ、他に見た連中はそう多くない。けど、もう噂は広まっちまってる。影海様の怒りだとか祟りだとかで、みんな殺伐としちまってるのはお前も知ってるだろう」

「知ってるさ。けど、それは彼女のせいではないと——」


「俺が怖いのは、そこじゃねえよ」

 左慈の弁解を止めて、左介は手に取った湯飲みを見つめながら続けた。

「おっかねえって、ただそう騒がれるだけならマシだ。みんな、この事態から抜け出すためにどうするか考えてんだよ。何が悪かったんだ、誰のせいなんだってな」

「なっ」

 胸が不穏に跳ねて、左慈は思わず身を乗り出した。左介は顔を上げると、深刻な面持ちで頷き、また茶を飲んだ。

「きっと阿見村だけじゃねえ、波間も、沖江も、巳浦も似たようなことになっていると俺は踏んでる。たぶん、今から一月も立たずに村同士で元凶はどこにあるか探り合いが始まる」

 左介は深々と嘆息して、それから言いにくそうに口籠もった。

「あと、さっき村長が見舞いに来て、岩場の女の影について心当たりがないかとも聞かれたよ」

「い、言ったのか」

「ばか、言えるか」

 そう吐き捨てる左介。左慈は狼狽を治めようと未だ熱い茶を啜った。

「すまない……少し焦った」

「いいか、村同士が探り合ってるってことは、裏を返せば、どの村も自分のとこから元凶なんて出したくないんだ。きっかけがお前……この村にあると知られれば、村ごと網元から手を切られかねない。そうなりゃ村は立ち行かないし、俺たちは一家まとめて吊し上げられたっておかしくない。だから、左慈」


 左介の声は静かで低くて、しかしこちらを見つめる目は、左慈を見定めているように険しく、切迫している。

「お前、間違うなよ」

「わかってるよ、そんなの」

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