15 鳩

「へぇー、これが軍の内通者一覧ねえ、随分と無防備に置いてあるじゃないの」


 そう言ったフリーナがホルダーを手に取ると、大音量のサイレンが鳴り響く。


「やべ、そういうタイプかよ」すぐさまホルダーを鞄に放り込み、全速力で管理棟から飛び出す。


 と、目の前を通りがかった男と目が合う。


「こ!こいつだ!侵入者だ!」


「チィ!!しねっ!」叫んだ男に早打ちする。男の命は闇に葬り去ったが、もはや後の祭りだ。


「おい!なんの騒ぎだ!?」


 武装した男たちが視界の隅に現れる。無駄に行動が早い奴らだと舌を打ち、フリーナは反対方向へ駆け出す。


 だが、次の瞬間には向かい側の扉が開き、もう一つの集団が顔を出してきた。


「逃がさねええ!」


 怒号を上げながら廊下を走ってくる集団に、フリーナの肝が少し冷える。面倒なことになった。


「くそ、しょうがねえな。メインスキル、ウイング」平静を保ちながら、即席で生やした翼を振るう。巻き起こる風に集団が怯んだ刹那を見計らい、窓に向かって5発発砲はっぽうして出口を作った。


「待て!何を盗んだ貴様!!」


 先頭の男がなにやら叫んでいるが、応える義理はない。フリーナはにやりと笑って翼をたたみ、窓からその身を投げ出した。


「バイバーイ!情報ありがとなあ!!」


「馬鹿な!ここは6階だぞ!?畜生!外に出ろ!奴を追う!」


 男たちはぞろぞろと階段を下りていったが、その程度の足で追いつくことは不可能だ。フリーナはたたんだ翼を一気に広げ、地面スレスレから徐々に上昇する。


 先程の集団が基地から出てきた頃には、フリーナは既に基地が建っている山の上を旋回していた。


「へへ、任務完了。かき回してやったぜ」


 鞄の中が一杯になったことを確認すると、フリーナは背中の翼をはためかせながら一直線に滑空していった。




 レーナが目を覚ますと、無数のルビーが宙に浮いて発光していた。なんだ夢かと思ったが、なにか硬い物に頬を叩かれて激しく現実に引き戻される。


「いっでぇ!!だぁ!なにすんの!」


 振り回す手が空を切る。仕方なく起き上がると、そこではド派手な柄のブラウスを着たエルアが手を招きながら片足で立っていた。


「起きろレーナ!遅れるぞ!」


 生憎寝起きなので何を言っているのか飲み込めないが、まあ急がねばならんのだろう。レーナは延々とあくびをしながら立ち上がる。


「ぐぉ、おはよ」


「早く着替えて!もう時間だよ!」


 足踏みするエルアをよそに、レーナは驚異的なマイペースで引き出しから着替えを取り出す。エルアの地団駄が加速した。


「まずいよ!急いで!…あぁもう!駄目だ間に合わない!先に行ってるから!」


 エルアは赤い帽子と巨大なバックパックを手に取り、玄関まで駆けていった。


「ほーい?」何なのだろう。まあいいか、先に行ってくれればこちらも落ち着いて準備できるというものだ。


 寝ぼけながら着込み、エルアが焼いてくれたパンを手に取る。不思議と幸せな時間に感じられた。


 そして顔を洗い、視界がはっきりしてきた頃、外から変な重低音が聞こえてきた。


「なんだぁ?朝から。いや、エルア急いでたしもう昼時なのかな?」


 どうでもいい疑問に頭を捻らせる。どうでもよくはないか?うん、どうでもよくはないな。


 さて、それじゃあこっちも準備して事務所行きますか…。


 革靴を取り出し、ドアに向き合う。


「あぎゃ!?」手を伸ばした瞬間、天井から落ちてきた木くずが頭にぶつかる。


「いってて…。…あー、なんだ?」不意の事故に頭を抱える。そのうち、なぜだか先程の重低音まで嫌がらせのように大きくなってきた。レーナは眉に力を込めつつ靴を履く。


「もう、なんだよ…」完全に目が覚めたレーナは、怒りをあらわにしながらドアを思い切り開く。


 ——その瞬間だった。


「ぎょええええええええ!!!!!」


 眼前の地面をぶち抜き、太すぎる無数のツルが上空目掛けて生えてきたのだ。レーナの腰が抜ける。


 異変はそれだけに留まらず、蔓からおびただしい数のヘラクレスオオカブトが出てきた。


「?????????????」


 上空を見上げる。綺麗だった空は黒い艶のあるカブトムシで埋め尽くされ、近隣住民はベランダから蔦の木を指差し、泡を吹いていた。


「なんじゃこりゃ…」


 末期的な光景にすくんでいたレーナは、これが誰の仕業か瞬時に理解した。


 クレイン!どこだ、近くにいるのか。というかなんでヘラクレスオオカブトなのか。


「いたいたぁ!レーナ!遅刻だよお」


 真横から声がした。グラサン姿のクレインが分厚いコートを羽織って立っている。なんとも粋な雰囲気を醸しているものの、酷い茶番である。


「虫くんたちが迎えに来たよ」


 嘘言え。いくらなんでも怖すぎるだろこの数は。


「なんで遅れたの?エルアはちゃんと来たよ?」


 寝坊ですよはいはい。すいませんね寝つきが悪くて。


「滝つぼ行こ?」


 おい待て。それは違うだろ。


「…すいませんでした。許してくださいクレイン先生」


「よし」



 どうやらクレインはまともなことにスキルを使えないらしい。というか、使う気がないらしい。


「どっひゃああ!壮観!!」


 今も上空で巨大なハトに跨り、3人が死にかけながら山を駆け上がっている姿を嘲笑している。


「ルイっ…待って」


「お断りだ!」


 エルアはルイのさらに先をゆく。レーナは足を泥だらけにしながら一人足を動かしていた。


「早すぎぃ、待って待って…。あ!足ハマった!」


「きゃはは!」クレインの笑い声が響いてくる。むっとしたが、成す術などあろうはずもない。レーナはひたすらに太ももを引っ張り、なんとか引き抜いた。


 道のない山登りとはここまで過酷なのか。地獄を見た気分である。それをなんの障壁もないかのようにこなしていくエルアも、随分と気味が悪い。


「滑る…こわあ。もっとマシな訓練させろよ」


 渾身の溜め息はクレインに届かない。ただただ歩みを進める。


 やがて、遥か遠くから甲高い歓声が響いてきた。ついにエルアが登頂したらしい。レーナは歯を食いしばって足に力を込める。


 と、土が吹き飛び、体が横転する。レーナは顎を木の根に強く打ち付けた。


「あぐぁっ!いってぇ」


「あらら」流石のクレインも失笑を見せる。しかし、なにくそと立ち上がって近くにあった枝に足を掛けると、彼女は愉悦の笑みと共に空から降りてきた。


「がんばれレーナ!もう少しだよ」


 完全に、子供を相手にする態度だ。それがまたしゃくさわる。レーナはつっぱって無言になり、足を速めた。


 足首まで土に埋めて歩いていると、ひょっとして滝壺修行の方がマシだったのでは、とさえ思う。一人取り残されることもないし…。あ、ルイも登頂したっぽいな。


「チクショウ!あと少しなんだろうな!!!うおおおお!!」


 がむしゃらに両手を出す。四肢を茶色に染めながら突き進む姿はさながら本物の子供のようだった。


 クレインが親身な声援を飛ばしてくるのは心底うっとおしいが、無下にもできまいと思ったので仕方なく気合を込めた。



 そしてどれくらい経っただろうか、爪先がズキズキ痛む感覚と共に、足元の傾斜が僅かに緩やかになった。レーナは息を呑む。


「あ…あ…」


 これはもしや。


 その後も平坦になり続ける山道を、レーナは思い切り走る。ようやく、ようやくだ。


「——ああ」


 茂る木々を抜けると一気に視界が開けた。遠くの丘で、エルアがあぐらをかいているのが見える。


「おーい!」


「…!お、おーい」


 清純なエルアの呼びかけに対し、レーナは力を振り絞って手を振る。


 今だけは、この場所が天空の聖域に思えた。


「お疲れ様。初めてなのにようがんばった」


 クレインも地面に降り立ち、労いの言葉をかけてくる。


「はぁ、はぁ。…ッ!!」


 レーナの体は、徐々に実感と達成感で包まれてくる。彼女は膝に手を当て、笑顔で頷きながら地面に汗を滴らせた。


「やっと…ッ!」


「ああ、諦めるかと思ったがよくやったもんだ」丘の上でルイが優しい笑みを見せる。


 自分だけ泥に塗れた汚らしいナリをしているようだが、誰もそんなことは構わない。レーナは震える足を引きずり、丘のふもとまで歩いていった。


 頂上で腕を組むエルアの寸前で、レーナは倒れ込む。


「はぁ…。終わってみれば、楽しかった…カモ」


「っはは、よく言うよ。私はこの景色だけ見たら、もう帰りたい」


 そう彼女が指差す方向には、見渡す限りに山々と海が広がっていた。青と緑、そして夕暮れ。なんだか感極まってしまいそうな雰囲気を纏う風景だ。


「もうこんな時間か…」呟く。疲労感が凄まじいせいで、今は口しか動かせない。


「こんな待ってた私、偉い」エルアが自画自賛する。それとも当てつけだろうか分からないが、レーナは無心で頷いた。


 しばらくそうして浮ついていると、クレインが煙草を片手に口を開く。


「たまにはこういうのもいいかもねぇ。私も見てて楽しかったよお」


 一行はそれを無視する。


「ぐふん。それはともかく。君らに話がある」


「…なんですか?」ルイが小声で反応する。


「うちのプロたちが戦場で戦ってるのは知ってるよね」


「うん」エルアが頷く。


 レーナは目を見開いた。まさかアラジアで戦が起こっていたなんて。


 考え込むレーナをよそに、クレインは続ける。


「それでさ…最近は依頼を蹴ることが増えたんだけど…。ついに今朝、ウェイカーさんが言ったんだよ。全ての依頼を断ち切る事にしたって」


 クレインは惜し気な口調でゆっくりと告げた。


「…つまり?」恐る恐る問いかける。クレインは勢いよくこちらに顔を向けた。


「つまり、シークマーダー事務所はもぬけの殻になり、私達全員が戦争に参加することになる」


 この言葉には流石のエルアも度肝を抜かれたようで、わなわなと震え始めた。


 そうか、戦争か。レーナは悟った。敵国はあらかた予想がつく。



 アラジア帝国の真上、技術者の巣窟と言われる大国ギラ…あそこしかない。正面から戦うのであれば、暗殺組織なんていう都合のいい武器庫は無視できないだろう。


 隣国同士での争いをさんざ見せられた自分には痛い程分かる。この2国の戦争が、いかに壮絶なものになるのかが。

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