07 目つきが怖いベレー帽の子供

「おらよ、その棒を思うように動かしてみろ。まずは想像通りのスピードにコントロールできるまでコレをやる」


「スゥ――はい。頑張ります」


 あの一件の後、ただでさえ若いフリーナが後任を扱うのは重荷だと組織内で一悶着あったそうだが、結局あの男がいくつか条件を出して溜飲を下げたらしい。そして2日後から特殊訓練が始まった。しかし合点がいっていないのか、フリーナは家に帰って来てからずっとうなだれて本と睨み合っている。レーナが庭を走り回りながら重量感ある金属と戯れ始めても、彼女はその横でぶっきらぼうに指示を投げてくるだけだ。


「動かし方がテキトーすぎる!もっと丁寧にやらないと見てるこっちは何もわからん」


「すいません!!はっ!飛べ!回れ!あっ!!どこいくの!??ちょっと!すいませえん!!」


「はァ…めんどくさ…」


った!こっちくんな!飛べ!あっ待って!止まれ!止まって!!」


「えっ、はあ!?馬ッ鹿!家を壊すな家を!!!」


「あばば、落ち着かせてください!許して!」


「許すわけねーだろ!!」


 こんな調子だから、しまいにレーナは鉄棒に頭を打って倒れ込んだ。さすがのフリーナもそれには焦ったようだが、半日ほど経って目を覚ますと痛みは引いていた。そこからはスキルを使って夕食作りを手伝わされたが、危うく自分の手首から先がなくなるところまで行ったために中断した。


 そうしてなんとなく一日中スキルを扱ってみて分かったのは…”ドリーム”は基本言葉を通して発動され、必要になるエネルギーはレーナの体からまるごと代償として支払われる、ということだ。つまり、スキルを使って木を切るにしても、それに必要な体力は結局体から失われてしまう。


 薄々分かってはいたことだが、万能なスキルが無料タダで使えるなんてことはまずない。フリーナもそこは「当たり前だ」といって流していた。



(でも…それじゃあ期待に応えられるようなスキルには…?というかドリームって覚醒してもこんなモンなのかぁ?)真夜中、薄い布団の中でレーナは考える。シークで必要とされるには最低でも人間を殺せる能力が要るハズで、そのためには相当経験を積んでおかねばなるまい――。


「えぇ?これからどうすりゃいいんだろ…何を思って殺しを、天職だとか思ったのかなあ?…俺」


 大の字になって天井を見上げ、”ドリーム”に関する記憶を手繰ってみる。だが一、度しか経験していないスキルの使用なんて覚えている訳もない。


「スキル使えなくても、特殊効果の勉強くらいはしとくべきだったな…」


 たかがオマケ能力だと舐めてかかっていた過去の自分を殴りたくなってきた。権力を持って何年もの間、殆どなにも学ばなかったというのはあまりに酷いと痛感する。


「なにもわからねえ…じゃあ、子供に転生できて良かったんだな、マジで」


 同じ世界に転生してきたハズなのに、自分には分からない事だらけだ。…あまり考えすぎても無駄なだけと割り切り、レーナは布団に顔をうずめて視界が暗くなるのを待った。



「起きろー、殴るぞー」


「あちょゥ…やめれぐだざい…」


 怒気を纏った声に殴打されるような感覚と共に、段々と意識が戻ってくる。自分に被さった布が蹴飛ばされ、レーナはうめきながら腰を抑えて立ち上がった。


「今日も朝早えっつったろ、アンタが上脱いだらすぐ出発するから」


「ふぁあああああ。今日ぉ……?っと、急ぎます!」


 慌てすぎて苦戦しながらもレーナが白い上着を脱ぎ捨てると、フリーナはまるで消えるような速さで玄関から飛び出た。


「はんや…まだ起きて一分も経ってませんケド…?待ってくださいよ、こっちは髪もボッサボサなんですよ…」レーナも、半ば呆れて頭を掻きながら扉から出る。と、眼前にある道の真ん中でフリーナが尊大そうに腕組みをして立っていた。


「どーしたんです?ふわぁぁぁぁ…」


「いや、まだ私のスキル見せてなかったからな…。いい機会だから見せてやろうと思ったんだ。知りたいんなら、早く足に掴まれ」


「あー、いきなり?まあ、ありがとうございます。で…足に?」


「そうだ」


(なんで足?うぅんやっぱ…この人は事前の説明を全くしないな…というか、ここに来てからそういう人しかいねえし――困っちゃうねぇー)


 あくび混じりの溜め息を漏らしながら目の前の細い足に手を当てると、彼女は「もっと強く持て」ととくしてくる。少しためらいながらも、レーナは両腕を使ってしがみついた。


「ハハ!しっかり掴まんねえと死ぬかもな!メインスキル――——ウイング!」


 フリーナが呟くと、頭上にある彼女の背中からバカでかい白翼が生えてきた。視界を埋め尽くされ、レーナは感嘆の叫びを上げる。


「ギェっ!ままま待って待って待って待って!飛ぶんですかァ!!?」


「オラあ!!振り落とされるなよ!」


(人の話聞きましょ!?)眠気も吹っ飛んでしまったレーナは、怒鳴りたいのをこらえながら腕に力を込める。そこから1秒となく、フリーナは一瞬にして力強く翼を振り下ろした。


 たちまち足が地面から引きはがされ、家屋の屋根が視界にずらりと並んだ。レーナの甲高い悲鳴を意にも介さずに、フリーナはもう一度翼を振るう。


 直後、顔面を激しい気流が襲う。息苦しさに後ろを向くも、腕の力が抜けてきたことを感じ取ってすぐに前に向き直る。フリーナが羽ばたく度に、殴られるような爆風と目眩に襲われて気分が悪くなっていく。


(寝起きにする事じゃないでしょこんなん!吐き気してきた、怖い怖い。下見れねーよ…)


 フリーナに降りるよう急かすが、風のうなりに掻き消されて全く届かない。やがて諦めたレーナは太ももを掴む両腕だけに力を入れて、足をぐったりと垂らした。



 浮遊感と揺れはそのまま永続するようにも思えたが、空の旅はレーナの想像より遥かに早く終わりを告げた。フリーナは翼を大きく広げて右下にある事務所を見据え、そこに向かって一直線に下降していく。


「よお、もう着いたから降りていいぞ」


「う、嘘じゃないですよね!」


「殴るぞ」


 風が止んだ後、恐る恐る手を離して前を見渡すと、そこでは昨日の女性が睨むようにこちらを指差していた。


「…ちょっとフリーナ、出勤にスキル使うのやめろって言ってんでしょ」


「クレインさん…すいませんって。ちょっと調子乗ってコイツに見せたくなっただけです」


「ならハネだけ見せればいいでしょ~!この~!!!調子乗るな!」


 クレインはいきなりフリーナの肩を揺すった。しかしフリーナが抵抗せず手を合わせると、やがて渋い顔で事務所の中へと突っ込んでいった。


 フリーナが気怠そうにガラスの向こうへ歩くのを見送ると、クレインは腰に手を当ててこちらを優しく見下ろしてくる。レーナは無意識のうちに姿勢を正した。


「レーナちゃんだっけ?今日は子供たち来てるからそっちいこー、殺されないようにねー」


「え、嫌なんですけど」


「じゃあ見るだけでいいの!?」


「当たり前じゃないですか」


「君は大人しいんだねー…」


「どうも」小声で返すと、クレインは笑いながら事務所に戻っていく。踵を返したいのはやまやまだが、数秒迷った末にレーナも、クレインの小さい背中を追うように扉を引っぱった。



 [TR]と書かれた某部屋の中は前回と違い賑やかであった。ドアを開けるなり、こちらと同じ高さの視線が四方から飛んで来る。


「誰?」


「誰?」


「誰?」


 背中に視線を感じながらも見知った白髭の男に歩み寄ると、そこにもう一人立っていた小柄な少年がためらいつつ真っ先に声を掛けてくる。


「…誰?」



 思わず吹き出したレーナを、少年はじっくりと覗き見た。無垢な瞳が目の前にあると自ずと緊張するものだろうが、レーナはすぐに咳払いをして話を切り出す。


「わ?私はレーナといいまして…見学者っていうのかな?今日はあなた達のことを知るためにきたんです」


「見学だと?」間を開けずに男の声が頭上から飛んできた。ぞっとして見上げると、男は肩をすくめて遠くに目くばせの様な動きをしていた。


「…?」


 恐る恐る振り向く。男の目線の先には何人もの子供たちがいたが、こちらに歩いてくるベレー帽の少女からはひときわ攻撃的な視線が向けられていた。


「——っ」気圧けおされて後ずさるも、男に肩を強く押され前のめりになる。冷や汗を背中に感じながら、レーナは少女と向かい合った。


「勘違いしないで欲しいんだが、俺はお前をあなどっている訳でも認めていない訳でもない。むしろその逆…このガキらのいい調味料になると踏んだ。そして丁度ここに来たんだ…今日は小手調べ程度に、こいつの相手をさせてやる」


「ウェイカーさんさぁ、私のことコイツとか言わないでくださいよ」


 眉一つ動かさない男へそう呟くと、少女はおもむろに腰を下げ、深く息を吸ってファイティングポーズを取る。


(待て待て待て待て待て!!!いきなり殺す気じゃんこの子!)


 狼狽して腕を前に突き出すが、それを見た少女は更に腰を落としてポーズを洗練させた。周りからも、彼女の動きを追おうと視線が集まってくる。


「君、レーナっていうの?」さりげない問いかけにも殺気が混ざっているようで、彼女を真剣に直視する気になれない。しかし動きがないあたり、こちらがやる気になるのを待っているんだろう。レーナは心中で諦めをつけると、気だるげに「そうだよ」と言って、目の焦点を少女の黒い瞳に合わせた。


「フーン、私はエルア……で、君は戦えんの?」


(いや戦えないです)早口で叫びたいのをこらえ、無難に「さぁ?」と返す。エルアと名乗った少女はベレー帽を揺らして満足そうだが、こちらの身にもなって頂きたい。


「スゥ…」


「ぐっ――」


 彼女の深呼吸に動きを感じ、レーナは無意識下でガードの姿勢を取る。エルアは微笑み、小さく拳を振りかぶった。



 来る――。そう悟った瞬間に目を見開いて身構える。だが、予測したタイミングにはそよ風一つ来ることは無かった。


「…?」ガードを僅かに緩めてエルアの動きを覗き込む。そこには薄い影しかなく、代わりに攻撃の気配を感じたのは――――——右後ろ!?


「はぁぁっ!!」澄んだたけりが耳の奥に刺さると同時、脇腹が鉄球にぶち抜かれるような感触が走った。腹に突き刺さった鉄棒のような何かがねじ込まれ、レーナの体は小石の如く吹っ飛ぶ。


「ら゛あああああああ!!」壁にぶつかって大声を上げると、周りからの視線が一気に冷たくなった気がした。歯を食いしばり、レーナは脇腹を押さえてなんとか立ち上がろうとする。


「んー、遅いよ?」


 エルアに容赦はなかった。まだ体勢を立て直せないレーナに死角から足払いを入れ、宙に浮くほどの勢いで転倒させる。


「痛っだあ゛!」顎を打ち、痛みに顔が歪む。ハタから見た自分の姿は、無様極まりないことだろう。


(死ぬ…スキル使わねえと死ぬ!!クソっ!)


 床に着いた手を薙ぎ払われ、反撃どころかその場に立つことさえできないレーナに選択肢は無かった。


「フンフン…いや、大丈夫なの君?」


「がッ…!?ああ!わァったよ!この…!!」その隙にも絶え間なく放たれる足技の合間に、レーナは強引に腕を突き出す。


 拳を構えたエルアの帽子が目と鼻の先まで来た時、レーナは限界まで力を込め、心底しんていをさらけ出すように叫んだ。


「とま!!れっ!!!!!」



「…!?——んな…」エルアの拳は、腹の真ん中を捉えたまさにその瞬間止まった。彼女が困惑の表情を浮かべると共に、レーナも相当な体力を奪い取られる。


「ハァ――ハァ――。ごめんね、いきなり…。で?スキル使うのはアリなんですか?ウェイカー…さん」


「やってみろ、レーナ」


「ハハ…。エルア…私、死にたくないし…ずっとこのままにしてもいいかな?」


 そう聞いたエルアが動き出そうと必死になったのか、レーナの体には益々ますます大きな疲労感が襲いかかってくる。


「なにすんの…っ!動けな…動けないんだけど」


「そっちが殺す気ならしょうがないだろ…ッ、てかった――。特殊効果、鎮痛」


 試しに言ってみただけだが、体から僅かに痛みが引いていく。レーナはそれに満足して頷くと、残った力を振り絞ってエルアの前に立ちあがった。


「さ!もうこれ以上殴られないよ!」


「ッ…殺す気ないんだけど…早く…離してほしいなあ!?」


「嫌!!」


「ぐ!!離せぇ!!!」

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