06 大嘘か、天才か


 瞼の裏が白く光っている。もう朝か…今日は何の夢も見られなかったらしいな。目をこすりながら体を起こすと、右に垂れた首がズキズキ痛む。


「やっぱ枕ないと駄目だな…どうしよ」伸びと共に呟き、暖炉の前で姿勢よく寝息を立てているフリーナへ目を向ける。壁の端に一つだけ張られた窓から差し込む光で、彼女の顔は一層と白く見えていた。


(ぱっと見はただ年頃の女性なのに…この人の目的ってなんなんだ?俺はついて行って大丈夫か?シークマーダーって…。ああ、今生こんじょうでもまともな人生は歩めないな、あの怪物どもの輪に入るなんて正気じゃねえ。今のところは逃げられるよう保険もかけるか?どうすればいい?あー、不安だなぁ…)


「はー…」ひとしきり悩むとレーナは浅い溜め息と共に立ち上がり、部屋の奥に見える扉へ手を伸ばす。記憶が薄いが、トイレは向かいの部屋だったはずだ…。昨日は御馳走にもなったし、そろそろ用を足さねば。


 …と、嫌な事を思い出した。今の自分は年端もいかない少女…中身が成人男性ともなれば、鏡を見ることさえはばかられる姿なのだ。用を足すのであれば、相応の覚悟がいるだろう。


「うぅん、どうするかな」さて困ったとばかりにレーナは寝癖をかきむしる。いや、どうするもこうするも覚悟を決めるしかないか。


 立ち止まってうじうじしながらも心を決めると、「ああ…主よ、お許しを…」なんて言いながらドアノブに手を掛けた。大した覚悟はしていないが、万一フリーナが起きたら色々と…まずい気がする。


「不可抗力…不可抗力…えぇ…?」



「おあァ、アンタ…やっぱり起きてたんかぁ」


「あ…。おはようございます…」


「おはよゥ…」


 後ろめたい気持ちで部屋に戻ると、丁度フリーナが伸びをしていた。彼女は腕を伸ばしたまま3回あくびをするとおもむろに立ち上がり、そのままフラフラと奥の扉へ歩いて行った。


「…ふーん?」扉の向こうへ見送ったフリーナがあまりに頼りなげに見え、レーナはぽかんと口を開ける。目つきは悪いままだったが、気が抜けるとあんな風になるのか。分からないもんだ。



 しかし、その後数分経って戻ってきたフリーナは服を着替え、昨日と同じような威厳を感じさせる表情をしていた。そしてじろじろ見つめてくるレーナを気味悪そうに瞥見べっけんし、壁に掛かった茶色のバッグを肩にかけながら「早く出掛けんぞ」と急かしてくる。


「昨日、すぐ出発って言ったろ?今日はアンタがいるから早く行かねえといけねンだよ」


「なるほど、はい!了解です」威勢のいい返事を返し、レーナは小さい靴を手に取って玄関へ駆け込んでいった。



「…ここが、シークマーダーの?」


「そぉだが、口外したら殺すからな…一般人にこんな場所を漏らしたら私までどうなるか分かんねえ」


「わ、わかりました…」


(こわッ。そんな目で見ないでくれ――うう。に、しても…ここがシークの本部?)…もっと廃墟のような場所を想像していたが、なんだ。ただの街中に建ってる事務所じゃないか。こちとら素人だから、死臭だのそういうたぐいは一切わからないな…壁の向こうも普通の造りだといいのだが。


「はぁ…独り言はよしてくれ」ぶつぶつ言いながら建造物を凝視する金髪をよそに、フリーナは壁に吊るされた呼び鈴を叩く。レーナはハッとして後ずさり、目の前の扉と向かい合った。


 と、間髪入れずに扉が重い音を立て始める。そうして取っ手の付いた金属の板が半分ほど開いた頃、中から甲高い声が響いてきた。


「馬ッ鹿!何やってんの!だからそうじゃないって!!もう!!焼いてある奴なんだから焦げるでしょ!!ちょっと、フリーナも早く入って来て!!!やばいわコイツ!!!」


 叫びながら扉から出てきた短身の女性はフリーナの手をひったくるように掴むと、目を丸くして驚く彼女を引きずるように中へと戻ろうとする。


「な、ちょ、待ってくださぁい!」2人が見えなくなるギリギリのところでレーナは声を振り絞った。


 そうすると、女性はフリーナの手を今度は放り投げるようにしてこちらへ視線を泳がせ、不可解そうな表情を見せた。


「え、ん?誰です?」


「えあ、フリーナさんに連れてこられた…えっとォ…」


「なんで?え、ちょ、フリーナ!この子誰!?なんで連れてきた?」


「いってて…なにするんですか…」フリーナは腰をさすり、呆れたような顔で女性を睨む。女性は慌てて「あ、ごめん」と手を合わせた。


「まったく…。で、コイツは…飢え死にそうだった所を私が拾ってきたヤツです。当たりスキルっぽかったんでココに連れてきました」


「ふーん」軽く返すと、女性はこちらを観察するように真っすぐ視線を向けてきた。


「…珍しいね、フリーナがこういう事するの」


「悪いですか?」フリーナは不機嫌そうに腕を組む。女性は微かに笑いながら「そんなことない」と流し、2人の手を掴んで扉の中へと引いて行った。



「…へぇ」


 そして入った事務所の中は存外、変哲のないオフィスのようだった。奥行きのある青一色の玄関の先にも至って綺麗な観葉植物しかなく、禍々しさなど微塵も感じられない。このアジトは想像よりも街にカモフラージュしている様だ。


(にしても、シークってこんなに小さい建物使ってたのか?あれだけ社会に知れていれば、数百人くらいは所属しているはずだが)レーナは立ち止まって天井を見上げながら考え込む。


 と、いきなり全身を襲う浮遊感。「あッ!怖!」真っ青になって無意識に叫ぶが、抱き上げられていて抵抗もできず、そこからはただ情けないうめき声しか出せない。


「あ、怖かった!?でも降ろせない!我慢して!」自分を掴んでいる腕の後方から、先程の女性の慌てたような声が聞こえる。それと同時に浮いた体を強く揺らされ、レーナは思わず更に大きい声を出した。


「わああ!!!?ちゃ、いや、だっだだ大丈夫ですけど!なんで!?」なんで持ち上げたんです?なんで降ろせないんです?


 助けを求めるように首を回して振り返るも、フリーナは既に玄関ホールから姿を消していた。くそ、どうやら今日は一日中、このキまってる女性に引き回されて過ごすみたいだな…。



「…あっ、ど!どこいくんですか」


「いやあ。養成場使えなくなっちゃったからねえ、子供は事務所の2階で鍛えてもらうことになったンだよ」


「え、養成場??」


「そう、君みたいな孤児を訓練する場所があったのよ。でも、ある日突然バレちゃってね…見張られるようになったからもう使えないんだ。それでここの狭いホールしか場所がなくなったの」


「あっ、そうなんですね……。それで一体なにするんですか?子供たちは」


「まー、君が考える訓練と大体一緒だよ。時々…いや結構、変なことするけど」


「…そうなんですね」


「そんで、裏稼業っつっても仲間は大事だから…今いる子達とは仲良くしてほしいんだな、君にも。…ただ、子供は新入生にやたら喜ぶけど、ウチの子らは感情終わってるから難しいかなー。まー頑張って」


「…そういう事ですか。…で、仲いいんですか?皆さんは」


「チームワークは大事だからー。少なくとも君は、私とは仲良くなれそうだね」


「あ、はい――」


「ハハハ、よいしょっと」


 そこまで会話が進んだところで、階段を登り切った女性から降ろされる。レーナは一瞬ふらつきながら通路の奥を見据えた。


「左手2つ目の部屋が第一訓練室!そこにいるオッサンにまず話しかけるわよ」女性は大声とともに早歩きをして、[TR]と書かれたドアの前に立つ。レーナが小走りでそれに追いつくと、彼女は大振りな動作でドアを3度ノックした。


「失礼します」


 ――部屋の中は異様なほどに明るかった。そして真白の壁に囲まれたその空間では、銀色にも似た白髭を蓄えた男が腕を組んでこちらに視線を突き刺している。レーナは少し覗いただけで寒気がするようで、俯きながらおずおずと入室した。


「どうした?そいつは」


 間を開けずに男はこちらへ指を向け、乾ききった声で女性に尋ねた。


「フリーナが連れてきた子らしいんですが…今日は訓練生の子達いないんですか?ちょっとタイミング悪いなあ」女性は渋そうな表情で返し、レーナの背中を押して男の前に出した。男はレーナを見下ろすように立ち、深く息を吐き出す。


「そうか…。じゃあまず名乗れ。そして幾つだ。スキルはなんだ。なぜここに来た」


 彼は口を開くなり、矢継ぎ早に直球な問いを投げてくる。レーナは困惑して一瞬後ずさろうとしたが、目の前にいる男の覇気がそれを許さない。次の瞬間には、自分でも驚くほどの速さで返答を口走っていた。


「れれ、レーナと言います。えっと……12歳で、フリーナさんから…素質があると誘われて来ました。スキルはドリーム…です!」


 目を泳がせながらなんとか言い切ると、男は小さく頷いて女性の方を向き、レーナを顎で示した。


「アイツがそこまで言うんならある程度見込みはある…クレイン、お前は仕事に戻れ。ガキ共がいないうちにコイツは見定めておく」


「あッはい、了解でーす!じゃあねレーナ」クレインはそう言うと、こちらに会釈をしながら軽い足取りでドアの隙間を抜けていった。


 彼女を見送ると、男は再び鋭い目線をこちらに送ってくる。暫くの沈黙の後、彼は無言のまま懐から空きびんを取り出してそれを眺め、そのまま転がすようにこちらへ投げてきた。


ドリームの使い方には個人差があるが、ある程度は把握しているつもりだ。さあ…そのビンをヒビ一つ入れないよう俺の前で切ってみろ」


 彼はそう呟いたが、はっきり言って意味が分からなかった。「なんで?」と口から出そうになる言葉を必死に抑えて渋々しぶしぶ瓶に掌を向けてみるが、何も起きない。


(いや、切れっつったって、どうすれば切れんだこれ?そもそもそんなことがドリームに出来んのか?まあ…なんでもいいから…切れろ、切れろ、切れろ)


 顔をしかめて掌に力を込めるがなにも起きない。


 しばし時間が経つと、男がつかつかと歩み寄り、こちらに目線を合わせてきた。レーナの苛立ちが更に募っていく。


(こいつ、開口一番に罵る気だろうな…ああもう、とっとと切れろよ!なにやってんだ!)


 痺れを切らしたのか、男の手がこちらへ伸びてくる。くそ、くそ!本気で切れって言ってんのかよ!!


「…切れろ!!!!!」


 焦りのあまり、心の内が口をついて出る。多少驚いたのか男の手が引っ込められ、彼は立ち上がって再び腕を組んだ。


「あ…」そこから一瞬の沈黙があり、レーナの顎を伝って冷や汗が垂れる。歯ぎしりしながら手を下ろすと、全身の力が抜ける感覚が走った。


 間違いなく、この男に罵倒を浴びせられると思った。しかし彼は何を思ったか一歩下がり、こちらを素早く指差して口を開いた。


「おい、耳を塞げ」


「へ?」一瞬、疑問符が頭上に浮かんで行動が起きなかった。そしてそこから考える時間もなく、コンマ数秒後にビンが轟音を発して破裂する。


「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」



「うるせーな。自分で起こしたんだろうが――」


 思わず尻餅をつきそうになったレーナとは相反し、男は眉一つ動かさずにガラス片を拾い始める。ある程度冷静になると、レーナもきまり悪く自分の前に飛んできた欠片に手を伸ばすが、男が「やめろ」と言って遮ってきた。


「そんな馬鹿力で組織に居座られても困る…制御可能になるまではフリーナにでも稽古つけてもらうことを勧めるぞ、話は俺がつけてやるからもう帰れ」


「そう…ですか」


 レーナはそこから顔を上げることなく部屋を出た。その顔には、可憐な少女には似合わぬ嚙み殺したような笑みが浮かんでいる。



(なるほどな。このスキル…最高かもしれないぞ!アサシンなんぞお断りしたいところだったがな、はは――見つけちゃったよ!!天職ってヤツを!!!!)

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