05 御玉杓子

うそ——」


 愕然とするフリーナは、まさに猛獣を前にした齧歯類げっしるいのように後ずさった。老いた鑑定家もその顔を歪め、少女の額に浮かんだ紋様もんようを何度も指でなぞっている。レーナは疲れきっていたが、2人の驚きようが普通でないことは明瞭にわかった。


「もう一度言って…ください」か細い声で問いかける。鑑定家は自らの頭を抑えながら、鋭い眼光を覗かせておもむろに口を開く。


「このスキルは…どうしたんだ?わしには、嬢ちゃんがまだ10歳ほどに見える。なのに…いや、信じられん――。こんな例はどこにも見たことが…」


 目をこれでもかと見開いた老人は、ぶつぶつと何か呟きながら辞典のような書物を後ろへほうった。そしてレーナの小さい肩を掴み、顔をぐいと寄せてくる。


「何も覚えていないのか?この若さで、なにがあったというのだ…」


 不気味なものを感じたレーナの眉尻が一気に下る。フリーナの方へ目を逸らすが、彼女もショックからか明後日の方向を向いて立ちすくんでいた。


 渋々しぶしぶ鑑定家の方に向き直り、肩をすくめて説明を促すと、興奮冷めやらぬ様子の老人はパイプを投げ捨ててべらぼうに大きな声で話を始める。


「不思議な事があるもんだ…!儂は孤児なぞ何千人と見てきたが――スキルをろくに扱える子にさえ出会ったことがない。それを君は…既に覚醒していると言っても過言ではない領域にいる!!」


「へ?」何言ってんだ?どういう話?スキルは?


「あの!私、なんのスキルなんです…?」


「聞いてなかったかい?」老人は白髪の混ざる頭を掻く。「まず、君のスキルは”ドリーム”だ」


 ああ、やっぱりそうか。ならなんで、この鑑定家はここまで仰天してるんだ?そりゃあ、ドリームは最上位スキルと言って過言でないモノだが…。彼は明らかに異様なテンションをしている。


「…そ、それは、どんなスキル?ですか?」おどろおどろしい老人だと思いながらも、レーナは不審に思われないよう用意していた言葉で質問する。


 それに返ってきたのは、思わず耳を疑うような答えだった。


「それが、さっぱりわからないんだよねえ…。オタマジャクシを一目見て成長した姿を想像できないように…スキルもひとたび覚醒したら、どんな力かは使うまで判断できないんだ。すまないね、せっかく料金貰ったのに」


「…???」レーナはその一言に頭を攪乱かくらんされた。今まで、スキルの覚醒なんてものとは無縁の生活をしてきたから。一応、皇帝時代に覚醒者と何回か会ったことはあるのだが、それも昔の話だ。唐突にアナタ覚醒しましたよなんて言われてもピンとこない。


「そうですか…あ、ありがとうございます…?」レーナはすっきりしないまま席を立つ。それを見たフリーナも、落胆したように首を横に振ってポケットに手を突っ込んだ。


「わかんねえ事が多いな…おいレーナ、どうするよ?いや、あとは自分で調べでもしてくれればいいか…」


「うッ――」彼女の言葉が針のように刺さる。これでは事態を先延ばしにしただけだ…。どうにかして、自分のスキルを探らなければ!!


 そんな風に考えていると、既にドアを押し開けたフリーナに腕を掴まれて強引に店の外に出された。


「爺さんあんがとなー。それじゃあ、一旦家帰っか…」


「そ、そうですね…」ドアが閉まると、レーナは震えた声で応える。フリーナと離れたら、どう生活していこうか…そこまで考えておかないとマズい。心臓の音が不規則に胸から届いてくる。


 そしていざ階段を降り始めると、あまりにおぼつかない少女の足取りにフリーナは目をしばたかせて足を止めた。彼女なりに気にかけたのか、「どった」と声を掛けてくる。


「いえ、ちょっと…不安で」多くの言葉が思い浮かばず、俯いたまま小声で返す。


「え、なんの不安?まーだ面倒な事あんの?」フリーナが低い声で頭上から問いかけてくる。


「そりゃ、無駄にお金払わせちゃって、申し訳ないですよ…フリーナさんには」


「いや?」フリーナは首を傾げる。「無駄なわけはねえ、覚醒者なんて組織からすりゃ喉から手が出るくらいには欲しい人材だぞ」


 平然としたその言葉を数秒かけて飲み込むと、レーナはハッとしてフリーナの方へ視線を上げた。


「え!もう!?住ませてくれるんですか!?」


「うるさいうるさい…嫌かよ」


「そんなことないです!ありがとうございます!」


 階段を一段降りてフリーナと向き合い、深く頭を下げる。ぶつぶつと何か呟く声が聞こえたが、やがて彼女は気怠そうに階段を駆け下りてこちらを指差してきた。


「言っとくがな、私のいる組織——シーク・マーダー――は、そんな生温いトコじゃねえんだ。あいつらは最高の素材を探している…覚悟がねえようなら、平気で切り捨てられるんだ。私はもっと殺し屋、増えて欲しいと思うけどよ――今ンところ、アンタはただ飢え死にしたくないだけのガキに見える…。私達についてくれば安心なんて思わない方がいいぞ」


 そう言ってフリーナはこちらに背を向けて歩き出した。レーナは声をかける暇もなく慌てて追いかけ始めるが、心の隅に一抹の不安が漂っている事だけは、はっきりと感じられた。


『シークのヤツらに気をつけろ』——かつて、権力者の間で共通認識だった言葉だ。一国のトップにいてなお、あの組織が最も危険視すべき相手なのは間違いなかった…そうか、フリーナはそこまで洗練されたアサシンだったのか。


 小刻みに揺れる彼女の長い黒髪が、急に遠いものに見えてきた。レーナは一瞬立ち止まったが、すぐに思い直して歩き出し、その足を速める。今は彼女に恩を売りすぎないほうがいい…僭越とは思いながらも、橙色オレンジに染まった街の中でレーナは思い立った。

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