第四話 頭いいね

「はぁっ、はぁっ…」


 ここまで来ればもう大丈夫だ。多分。レーナは立ち止まり、膝を押さえて息を切らした。エルアも満足げに胸をなでおろしている。


 しかし。


「ここどこ?」誰も分からない。暗い水平線に灯台の見える砂浜で、3人は立ち尽くした。


「まず、ここはアラジアなの?誘拐されたけど」


「さあ」レーナは肩をすくめる。何一つ見覚えのない景色なのに、そんなことが分かるか。


 だが3人で暫く周りを見渡していると、ソルスがエルアの背中で感嘆したような声を上げた。わざとらしい声にレーナは「なに?」と問いかける。


「ねえおねさん、この辺の国で海に面してるのって、アラジアとギラだけだよね?」


 少年から唐突に発せられた知的な疑問にレーナはたじろぎつつ、首を縦に振る。


「そうだけど…なんでそんな事を?」


「いや、つまりここはアラジアかギラなんでしょ?てことはさ、使われている文字を見ればどっちの国か分かるよね」


「なっるほどぉ!!」エルアが吠え、おぶったソルスの頭を撫でる。レーナもうなって顎を引いた。


「ソルス、君頭いいね…。確かに、2つの国では文字の書き方に細かい違いがある」


 ソルスは歓喜のピースサインを見せると、エルアの頭からさらに身を乗り出す。


「でしょ?そして、あの灯台の隣にある漁船…!」


 ソルスの指差す方向に、2人の視線が行く。


「色々書いてあるけど、どれもアラジアの表記じゃない。つまり、アレはギラの漁船だよ」


 ソルスがそう言った次の瞬間、レーナの頭にひらめきが宿る。


「そうか…!アラジアは昔からずっと、ギラの船を全て締め出している!つまりここはギラ、ってことか!」


「うへえ、2人ともよく分かるねそんな事」エルアの手は既にソルスの頭を撫でているというよか、搔きむしっている。


 痛々しい視線を向けながら、レーナは押し寄せる波をちらと見た。そして、ある事が頭をよぎる。


「ねえ」声を僅かに震わせて、ソルスの目を見た。


「方角さえ分かればもうアラジアには行けるわけだけど…。まさか、船を乗っ取ろうと…?」


「おお、ご名答」ソルスは水を得た魚のように目を輝かせた。エルアの瞳が上に寄る。


「なに?天才なの?」


「もしかしたら、天才かもしれない」


 遠くの海面に、鳥が飛び込む音がした。



「よし、真夜中でよかった…!この漁船、だれもいないよ」


 安堵の溜め息を漏らし、レーナは音もたてず船へ乗り込む。そそくさと電球を点け、甲板に上がって錨を探した。


「あそこか…よし、なんとかなりそうだな。メインスキル、ドリーム」


 下方の鉄塊に掌を向け、力を込める。


「外れろ」


 肩に衝突する疲労感と共に、3つの錨が海へ落ちていくのが見えた。船は大きく揺れ、絶妙に回転しながら海原へ動き始める。


 次の瞬間、甲板の端から恐ろしい勢いでエルアが飛び出してきた。その顔は紙のように白い。


「おええ、船酔いぃ」


「早すぎでしょ!…うーん、まあ、あっちで休んでて」


「ごべぇん」


 船の中央でバランスを取り始めるエルアをよそに、レーナはいそいそと北極星を探し始める。


 そのうち、ソルスも加わって空を凝視し始めた。エルアは既に魚の餌を撒き散らしている。


 そうして数十分は経った頃だろうか、ソルスが目を限界まで細くして叫んだ。


「あれ!あれ!あの大きい星じゃない!?」


 慌てて彼の視線の先を見やる。たしかに隣に折れ曲がったカシオペア座が見え、位置的に間違いはないように思えた。しかし。


「デカすぎない…?」そう、見るからに大きすぎる。一等星だとかそういう次元ではない。あれはもはや月だ。


「確かに…。それに、なんだかどんどん大きくなってる気が…」


 口を拭うエルアも上空を見上げた。そして顔を青くして失笑を上げる。


「なにあれ。星じゃないでしょ。こっち来るし」


 段々と輪郭をあらわにしたその物体は、スケールは違えどまさに軍艦の様な姿をしていた。夜空にうなりを上げて海面に迫ってくるそのサマは、おぞましくも美しい。


 だが、そんな事を言っている場合ではない。レーナは「進め」と叫び、船を旋回させて岸から遠ざける。


「間に合うか!?」


 床に伏せ、空を伺う。エルアは謎の状況と船酔いに圧倒され、あられもなく泡を吹いて気絶した。


 そしてとうとう、巨大な軍艦が海面に降り立つ。波とともに船が大きく揺れ、危うく転覆するところであった。


 しかし青ざめるレーナの意思に反し、ソルスは軍艦の方へ甲板を走り出した。


「ちょ!」引き留めようとするも、彼は止まらず身を乗り出す。して振り返り、レーナに向かって満面の笑みを見せた。


「おねさん!助かった!」


「え!?」


 訳も分からず歩み寄ると、ソルスは遠方に見える軍艦の天辺てっぺんを指差す。そこには、小さなひとつの丸い影があった。


「うんん?」目を凝らす。漆黒に塗られた物体が月に照らされ、頂上に微かな緑色の光を映し出していた。


「まさか…」レーナは息を呑む。ソルスは手を振り、軍艦に向かって大声を上げた。



「おぉぉぉぉぉぉおい!!?」


 軍艦がこちらへ寄ってくる。大きさが山ほどもあるそれは船の目前で止まり、緑色に光る塊を船の甲板にボトリと投げ込んできた。


「!?」


 はたしてそれは、人が入りそうな大きさの真珠貝であった。戸惑っているうちにそれは開き、内から発光しはじめる。


「うっ、まぶ――」目を覆う。と、光の中から見覚えのある人影が出てきた。


「3人とも、無事でよかった…。そして――」


 腰を抜かすレーナの前に神々しく姿を現したクレインは、落ち着いた動作で手を腹の前に組んだ。


「ショートコント、ヴィーナスの誕生」


「くっだらね!」

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