第五話 戦場の全能神

  記憶を掘り起こす。あれからすぐ軍艦に担ぎ込まれて眠ったところだけ覚えているが、疲れが残留していない事を鑑みると相当な時間は寝ていたらしい。


 分厚い布を吹き飛ばすように体を起こすと、黒い天井が真っ先に視界を覆いつくす。白い椅子の上で煙草をふかすクレインを遠目に、レーナはゆっくりとベッドから降りた。


「やあ、起きたか」


「やあ…」


 目をこすると、目の前が一層いっそうと黒一色になる。無駄すぎるほどに広いホールをよそよそしく歩き、レーナは巨大なテーブルの前に立った。


「クレインさん…あれからどのくらい経ちました?」


「そうだねえ、一日と数時間くらいかな」


 そういって、クレインは煙草を灰皿に投げ捨てる。レーナは視線を落とした。


「一日か…危ないかもな」


「何が?」クレインがすかさず問いかけてくる。


「いや、仕方なく3人だけで逃げたので、他の訓練生がどうなっているか分からなくて」


「…まじ?」


 クレインの瞳から色が消える。と、彼女はホールの中央にそびえる3段ベッドへ視線を移し、腰に手を当てた。


「起きろお!朝!朝!」


「嫌だ!!」


 エルアが布団にもぐりこむ音が聞こえる。それに呼応するように、3段ベッドの最上部で梯子はしごを外すソルス。クレインは顔を僅かに赤くしてベッドにつかつかと歩み寄った。


「起きてー、仲間が危ないよお」


「そうなの?」2段目からエルアが顔を出す。クレインは見上げたまま頷いた。


「じゃあ…起きるから…到着したら言って」


「到着?」


「私達を監禁してた建物ですよ。すぐ近くにあります」


 レーナが言い添えると、クレインは振り向いて首を傾ける。


「ふぅん…案内してくれる?」


 クレインが血走った目を見せると共に、軍艦の高度が一気に落ちた。



 軍艦をしばらく走らせたのち、窓とにらめっこしていたエルアが唐突にベッドから飛び降りた。続いて、ソルスも梯子を伝って地面に降り立つ。2人は揃って声を上げた。


「多分ここ!」


 うなりを上げ、軍艦が急停止する。クレインは上着を羽織ると、窓の前に立って下界を見下ろした。


「ここなの?ボロ屋敷じゃん…」


 レーナも興味本位にクレインの横へ駆け寄る。上空から見えたその建物は、今にも倒壊しそうであった。アレに閉じ込められていたと思うと心外である。


「真上から攻撃できたらなあ」


 その言葉にクレインは軽く頷くと、「ま、それじゃあ」といって更に高度を下げる。


 床が開き、準備万端といったところだ。そこで、ある考えがレーナの頭を巡る。


「クレインさん、ふた手に分かれます?」


「ああ確かに」


 こちらに目を向けたクレインは髪をかき上げ、親指を立てる。


 ソルスが彼女の足元へ駆け寄った。


「それなら僕は先生と一緒にいきますか?」


「いいや」クレインは首を振る。「危ないかもしらないわ。あなたはここにいなさい」


「ええ、ああ、わかりました」


 驚いた調子だったが、ソルスはすぐ踵を返した。クレインは顔をほころばせ、床に開けた穴へ黒く染められたロープを垂らした。


「よっと」


 穴に体を放り、クレインの体が吸い込まれるように消える。背中にかすかな寒気が走るのが分かった。


「エルア…先降りて」


「いいけど。怖いかい?」


「そりゃあね」


「はは。それじゃ私が先に落ちて潰れといてあげよう」


 そう言い残して、エルアも肌寒い外気へ体を晒す。思いのほかおずおずと降りるエルアにならって、レーナも力強くロープにしがみついた。


「じゃあねソルス」最後に言い残して、レーナは軍艦を後にした。床穴が閉じ、ソルスの表情も視界から消えた。


「さて」


 必死に上だけを見て降りると、さして嫌な景色でもないと思った。レーナは手の力を僅かに抜いて、一気に下へ下へと降りる。


 幾度か急降下を繰り返すと、足の裏に鈍い感触が走った。レーナはしがみついていたロープを離し、ゆっくり背筋を伸ばす。


「ああ、こわ」


 力が抜け、視線を前に動かす。ひび割れた基地の成れ果ての隣に、2つの影が見えた。


「エルアー?クレインさーん?」


 声を張ると、腕が振られた。レーナは彼女らの横まで一息に駆け寄り、うなじに手を回す。


「クレインさんは正面から行って下さい、時間がないかもしれないので…私達が2人がかりで探したほうが早いでしょう?」


 クレインは頷きを見せる。正門を一瞥したのち、再びこちらに向き直って口を開いた。


「一旦、敵全員消すから。安心していきなさい」


「ひえ」


 思わず声が出る。クレインは口を押さえて笑いながら、日の差す正門へ歩き出した。


「さ、私達も裏からいくよ」エルアが去り際に肩を叩いてくる。レーナははっとして腰を回し、エルアの後を追った。


 緊張感こそないが、この基地が地獄に化けることをレーナは強く感じ取った。

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