第六話 修羅

 悲鳴が聞こえてくるのに、そう時間はかからなかった。壁がひび割れる程の衝撃と共に、無数の大蛇が基地全体を飛び交う。


「クレインさんえぐいねえ、私らまで死ぬんじゃない?」エルアは捜索のさなか半笑いで歩みを進める。荒廃した部屋を幾つも抜けると、蛇の鱗がそびえる空間でもいくらか視界が通るようになってきた。


 さらに2つ部屋を抜けると、暗闇に繋がる階段が視界の隅に見受けられた。地下通路だ。エルアは見つけるなり、瞬く間に走って階段をくだる。


 廊下に出ると、看守らしき男が数人立ちふさがっていた。しかし直後に大蛇が天井から彼らに巻き付き、牙を突き立てる。


「うへえ」凄惨な光景に身震いしつつも、レーナは奥へ奥へ走り続ける。エルアはベレー帽を押さえてレーナの先を行った。


 そして角を数回曲がる。だが、再び先の階段に戻ってきてしまった。レーナはその奥に、さらに下へとつながる階段を見つける。


「まだ下か…」エルアは苦虫を嚙み潰した顔で階段に足を走らせる。上階ともはや変わらない廊下を走り、またも階段の場所へと戻ってきた。


「どんだけ低いとこに監禁してやがるんだ…」レーナの歯がきしむ。さらに下の階に行くと、明かりが数段暗くなった廊下が眼前に現れた。そしてその周辺にも、誰かを監禁した痕跡は残っていない。


「クッソ、まだ下かよ!」


 エルアと問答を繰り返して下に降り続け、地下に広がる階層が2ケタになった頃だ。


「この基地はそこまで広くない!なのになんで地下だけこんな広がり方してんの?おかしくない!?」


 エルアが辛抱ならないと悲痛な声を上げた。レーナもこれに合意したが、何か推理できる状況でもない。僅かに足を止めた2人だったが、首を振るとすぐにまた階段へ足を速めた。


 段々と蛇の数が減ってくる。それに反比例するように汗の勢いは増していく。


 とうとう、地下18階まで来た。どれだけの技術をもってすればこんな建造物を作れるのだろうか?レーナは恐怖し始めた。エルアの口数も減り、廊下間は両者の顔が認識できない程に暗くなっている。


 地下19階。階段を蹴って廊下に出ると、そこはもはや洞窟であった。暗闇を前にして背筋に冷たいものを覚えながら、2人は勢いを殺して歩き進める。


 1つ目の角を曲がった。静まり返った空間を、1匹の蛇が横切る。


 2つ目の角を曲がった。危うく、壁を認識できずにぶつかりかける。地面は酸っぱい刺激臭のある液体で濡れていた。


 3つ目の角を…曲がろうとしたレーナは、ある光に気が付いた。足元の壁から差し込んでくるその光を指差し、エルアを引き留める。


「なに、これ」エルアは極限まで目を細める。レーナは首を横に振った。


「それじゃあ、こっから直接行きますか」


 忍耐力の限界だったのだろう、エルアは迷わずダイヤモンドを光が漏れる隙間へ突き刺した。息つく暇もなくそれを捻り、脆くなった岩を砕く。


 光が強くなり、レーナは目を覆う。暗闇に慣れてきたと思ったらこれだ。


 そして地面に岩が落ちる音がする。エルアが開けた穴の先には、手術室のような白色の部屋が広がっていた。


「こぉれが一筋の光ってやつですか」エルアは首を突っ込んで中を覗く。一瞬の間の後、彼女は飛び上がって穴を指差した。


「なんかいる!!」小声でささやき、再び顔を足元に寄せる。今度はじっくりと眺めたのちに立ち上がり、歪んだ顔をレーナに向けた。


「でかいかごみたいな鉄檻が置かれてる。上の階にはあんなの無かった…あれに袋詰めにされててもおかしくない」


 レーナは小声のエルアを気遣い、頷くに留めた。


 エルアは握りしめたダイヤモンドのきりを再度押し込み、肩幅ほどに広がった穴から目下の地面を見据えた。


ず檻を開けよう。誰かがいても、からでもすぐ逃げる。明るいってことは敵が見てるかもしれないから…」


 そういったエルアの手元に、T字の棒が現れる。彼女は床にそれを引っ掛け、穴の下へくだる道を作った。


「れっつご!」とだけ耳打ちし、エルアは白い部屋へと滑った。


「よいしょ…?」レーナも後を追う。


 低い天井から床に降り立つと、そこにはエルアの言葉通り巨大な檻がそびえていた。光沢のない鉄は何重にも重ねられ、中を見ようとする者の視界を遮っている。


「だれかいる!?オラッ!!」


 エルアは無色透明に固めた拳で檻を殴り、怒気の混ざる声を上げた。火花が飛び、金属音が木霊す。


 しかしいくらか待っても、期待していた反応はなかった。エルアは息を殺してもう一度拳を当てる。


 部屋には檻が置いてあるのみで、出口などは見受けられない。エルアは焦りをあらわにして地団駄を踏んだ。


 しかし怒るエルアの隣で、レーナの背筋に生温く気色の悪い予感が伝う。目を見開いて檻を見つめ、不快感の正体を探る。


 そのうちエルアの背中に目を移すと、なにやら赤い点が彼女の肩で揺れていた。レーナは訝しみ、彼女の肩へ手を伸ばす。


「エルア、後ろに…」


 声に反応し、エルアが振り向く。その瞬間、彼女はあんぐりと口を開けてレーナに飛びついてきた。



「あぶだいっ!!!」腰から地面に叩きつけられる。レーナは仰天して周りを見回した。そして壁に突き刺さった紫色の矢を見て、またも目を疑う。


「クソッ!誰だ!」エルアは瞬時に飛びのいて周りを見渡す。部屋に違和感がないことを確認すると、確信したような目で天井を睨みつける。


 釣られたレーナもひと呼吸遅れて首を上げる。小さな隙間から、フクロウのような目が覗いていた。


「このやろ…出て来い!」


 エルアが舌を打ち、頭上にそこらの石を投げ上げた。


「言われずとも」不気味な高い声と共に、天井が開く。そこからは、黒い装束で身体を隠す男が颯爽と現れた。


「誰だ」開口一番、エルアが問う。男は自らの右手を持ち上げて乾いた笑い声を発した。


「誰かとおもえば、あの時逃げたクソガキか。腹立たしき下役共も目に余るが…罠に食いつき俺の前に顔を出すとは、貴様らも随分と無能らしい」


 男はせせら笑うと、拳に収まるほどのナイフを腰から抜いた。


「貴様らの仲間のガキは既にギラ政府のお偉いさんにまで渡ってるさ。シークに介入されちゃあ困ったもんだからな」


 舌をなめずり、男がゆっくりと歩み寄ってくる。エルアは一歩下がり、男とは対比的な大剣を掌から作り出した。男は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに前方へ歩みを戻す。


「フン、子供だましがねえ…?お前らも死なない程度に無力化して、友達の元へ送ってやるさ」


「死ね」エルアは直球に呟いた。


 その勢いのまま彼女は、首の血管を浮かせる男へ足を踏み出す。


 僅かながら肝が冷えたのか、男は笑みを浮かべたまま半歩後ずさった。


 そしてエルアは、その一瞬を見逃さない。


「隙だらけ!!」


 大剣を腰に構えてたけり、瞬きすら許さない速度でエルアは男の死角に飛び込んだ。男は腰を捻るが、回避するには程遠い。


「ウラアァッ!!」銀閃が飛び、男の脇腹に横一文字の鮮血が滲んだ。


 あまりに素早い一振りに慌てた様子で、男は後ろへ飛ぶ。ひるがえった装束から、細長い顔があらわになった。しかし、その顔には冷や汗一つ見えず、それどころか薄く歪んだ笑みが浮かんでいた。


「やるじゃないか、こいつなあ」男の口元が吊り上がる。まるで痛覚がないかのようだ。


 レーナとは相反してエルアは気に留めず、剣についた血を払って再び腰に構えた。本当に隙が無い。しかし男は無造作にナイフを持ち換え、切ってくださいと言わんばかりに右足から踏み出した。


「シュ!!」低く構え、エルアは足元を突く。透明な剣先が男の左ももを貫通した。


 エルアは眉を下げて剣を引き抜きにいく。その刹那、男の足がじられ、両刃剣は血飛沫をかぶりながら肉に引っかかった。


 目を見張るエルアへ、男は持ち替えたナイフを投げる。躱しきれず、エルアの肩が浅くえぐられた。


「ぐうぅっ!?」


「はは、隙だらけだぜ」


 男はにやりと笑う。そして追加のナイフを取り出しながら、置き去りにされたエルアの剣を蹴り飛ばした。


「メインスキル、モルヒネ。こんなちゃちな剣なぞ、今の俺には痛くも痒くもない」


「そういう事か…」レーナは後方から男を睨んだ。目が飛んでいた先の看守を想起し、眼光をさらに鋭くさせる。おそらくは、あの看守にヤクを与えたのもこいつだろう。


 レーナは飛んできたエルアの大剣を拾い、男の脳天めがけて両手で投げた。


「馬鹿か?」男は体を反らせて避ける。しかしそれと同時に、エルアが再び男の懐へ潜り込んだ。


「馬鹿はアンタだ!」叫びを上げ、男の腹に掌底を押し付ける。男はボールのように軽く飛んで、壁に叩きつけられた。


 その勢いからして、彼の内臓はいくつか潰れただろう。しかし知らぬ存ぜぬで、男は大きく笑いながら立ち上がる。


「暇なのか?逃げた方がいいと思うぜ、力尽きてお仲間を救えなかったら大変だろ」


「じゃあまずあんたが消えてよ」エルアは目を血走らせて返す。


「生意気だな。大嫌いだ」


「あんたの趣味は…聞いてない!!」


 とんでもない速さで駆け出したエルアの爪先が、男の頬骨に突き刺さる。だが男は僅かにのけぞったのみで、瞬時に顔先にある足首を掴んでみせた。


 男は腰を引き、少女をひっくり返すべく手に持った足を持ち上げる。


「ヒャハァ!!」


「…フン」


 しかしなんと、エルアは体を持ち上げられたまま凛として腰をひねり、空中で直立するような動作でかかと落としを放った。



「ぶぎぇ!?」意表をつかれた男がたまらず手を離す。エルアは一瞬で体勢を立て直し、頭に意識がいってガラ空きになった男の腹へ全力のハイキックを叩き込んだ。


「ひょええ!」あまりに人間離れしたエルアの動きに、レーナは感嘆の声を上げる。最後に側転を魅せ、エルアは倒れ伏す男から距離をとった。


「この…クソガキ…」意のままに動かない体に困惑しつつ、男は耳まで真っ赤にして立ち上がった。その顔からは笑みが消えている。


「さっき言ってた政府のお偉いさんってのは誰?」エルアはまさしくゴミを見る目をして問う。男の肩が強く震え出した。


「言うかよ…吐くくらいなら道連れにして殺す…!」


 エルアはひとつ溜め息をついて先の大剣を拾い上げた。それは瞬く間に白く、不透明に変色を遂げる。


「じゃあやっぱ殺すね。刺殺はつらいよ?」


 男の反応も待たず、エルアは一段と早い踏み込みで男の真横まで飛んだ。


「クソッ…!メインスキル!モルヒ…」


「遅すぎる!」


 もはや目視もできない程の突き。それは男のこめかみを穿ち、あたり一面に大量の血液を撒き散らす。


「キュエェ――」男は勢い余って床に崩れ落ち、白目を剥いて奇妙な断末魔を上げる。


 エルアは冷たい光を目に宿らせ、赤と黒にいろどられた遺体から視線を逸らした。

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