13 グエ!

 12年前。政界のドブネズミと呼ばれた男が遺した一人娘は、ある殺し屋に拾われた。


 当時、まだ独立して間もなかったその殺し屋は組織にその子供を持ち帰り、ウェイカーという男に預けた。それが決まりだったから。


 それとほぼ同時にもう一人、子供が組織のアジトに迷い込んだ。酷く傷ついており、まともに息もできない程の容態であったから、1人の少女が三日三晩かけて治療したらしい。


 そうして組織で名を授かったエルア・トランサーとルイ・スカイガーデンは、すぐさま天才と呼ばれるようになっていった。だれも追いつけない程に。



『…雑魚。なにしにここ来たの?』


『コラ。そんな物言いしたって良い事ァないぞ』


『あ、フリーナさん…。いやでも、こいつやる気ないでしょ?』


『だったらやる気出させろよ。へし折ってどうするつもりだ』


『いやでもぉ…。あぁ、泣き出した。うぅ、もう最悪』


『はぁ――。エルア、あんた最高に殺し屋向いてるよ。ただ、人間向いてないみたいだけど』


『わあ、うれしい。フリーナさんのお墨付きだあ』


『あのなァ…。…私は来月で16歳、独立だ。アンタをほっといたら誰か殺しちまいそうで心配だね』


『ひどい!』


『ルイ、ちゃんとアンタが首輪付けときなよ』


『はぁ!?嫌ですよこんなクズ』


『ひどい』


『はー…。誰かもう一人、強い子来てくんないかねえ…』


『俺達くらいの?無理ですよ、あなたが他の組織から引き抜いてきてくれれば考えますけど。いや、いっそこの馬鹿を引き抜かせた方が早いですかね』


『ひどい…』



 …なるほど。


 それでフリーナは、強い子供を血眼になって2年間も探していた、と。彼らは今更気付いたらしい。


「とばっちりで殺し屋やらされた…ってコト!?なんか嫌だなあ、それ」


「キャハハ!いいね!!」


 強すぎる腕力でコーヒー豆を砕きながら笑うエルアが、なんだか狂気的に見えてきた。


どおりであんな急いで…怖かった」


 そう言うと、腕立てをしながら聞いていたルイの顔が綻ぶ。


「あの人はやっぱりおかしいな!当分死なねえよ」


 エルアは憤慨したようにルイの腕を蹴った。


「当たり前でしょ。わかってないねあんたは!」


「ほら、そんくらいにしときな」呆れた様子のクレインが口を挟む。


 エルアは渋い顔をしてコップを手に取った。ルイはまだ疲れが残っているのか、力尽きてその場に倒れ込む。


「ウェイカーさんが他の子達と現場行くから、今週一杯は君ら3人の面倒見ろって言われたよ…。でもやっぱりガキだねあんた。私は断りたくて仕方がなかった」


 クレインが悔し気に告げると、エルアの顔が青ざめる。


「グエ!よりによってあなたぁ!?待って待って待って」


 叫ぶだけでは飽き足らず、エルアはベレー帽を引っ掻きまわして暴れ始めた。


「しばくよ!」クレインの怒声が飛ぶ。エルアのうなだれようからして、彼女は相当に厳しいらしい。


(そうは見えないけどな…)


 レーナが眉を寄せていると、それを見たエルアが恐ろしい勢いで首を横に振る。


「この人の前だと、命いくつあっても足りないよ…いやマジでさぁ…」


 クレインはやれやれと肩をすくめた。


「何を言いますか、戦場の全能神と呼ばれたこのクレイン先生が面倒を見てやりましょうと言うのに」


「出ぇたソレッ!!そういうとこですよホントに」


 空になったコップを置き、エルアが身を乗り出した。クレインはそそくさと後ずさり、ソファに腰を下ろす。


「はーぁ…レーナ、覚悟してね」


「え?」


「クレインさんの訓練、ウェイカーのおっさんより10億倍キツいから」


 心底嫌がっているのだろう、エルアに強力な目くばせをされたルイもひっそりと頷いた。


「そこまでじゃないから!レーナ、騙されないで」クレインが大声で諭してくる。


 どちらも必死だな…


 まあ、そこまで言うならば逆に興味も湧いてこようというもの!レーナは甘すぎるコーヒーに顔をしかめながら思った。




「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」



 想像していたのと違う。あまりにも。毒蛇1万体って、何ですか?どうして私は逃げなければならないのですか?おお、神よ。やはり私の罪は忘れられていなかったのですね。アーメン。この裁き、謹んでお受け致します。


「足が遅ーい!!もっと腕振れー!!!」


「うぇへ――」


 河川敷から急かしてくるクレインに返事をする余裕さえない。


「——ヴヴ!ぶはあぁ、お待ちください!エルア様!私はここにいます!!」


 エルアは振り返りもせず、ひたすら前方を走り抜ける。


「ハァ、ハァ、ハァ――ヴぁ。やっべ、足が…」


 数分で足先が痺れてきた。だが、背中に感じる気配から、追いかけてくる蛇の速度は心なしか上がっているように思える。


「お許しください!お許しください!」情けなく叫ぶ。エルアの背中が遠くなる。


 しぬ!


 悟った。どうしようもない。…しかしそこで、一昨日エルアが放った言葉が脳裏をよぎる。


『なんとかするんだよ!』


 そうだ。なんとかするんだ。あいつらから、逃げ切るためには…?


「うっ、ぐぅ!」死に物狂いで逃げながら、体を川辺に寄せる。そして塩梅を見計らって、一気に緩やかな坂を下る。


「え!?なにしてんのレーナ!!?」クレインが大声を張り上げてくる。


「うおお!」ちらと振り向くと、毒蛇が体をくねらせながら坂を下りてくる。だが川辺が砂利になっているためか、僅かに速度が落ちているようだ。


「…ッッ!!」


 レーナは覚悟を決めた。スキルの使用は反則と釘を刺された以上、もうこれしかない。


「何する気ィ!?」クレインがこちらに駆け寄ろうとしてくる。急がねば阻止されるやもしれぬ。


「グレインざん!止めないで!!」


 そして、レーナは蛇の大群を振り切って川へと飛び込んだ――。


「ごぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


「中止!中止!戻って!!レーナを掬います!!!」


 クレインの悲痛な呼びかけが地上から届いてきた。






「…ひゃー!疲れたぁ。レーナずるくない?あれからずっと寝込んでさあ」


「ずるくない。蛇だよ?死ぬじゃん」


「あー、ごめんなさいね。あの蛇はガイアで出したやつだから、噛まれても解毒できんの。言ってなかったわ」


 なんだそれ。レーナは肩を落とす。


「結局、ガイアってなんなんですか」


「あ!それすら言ってなかった!?終わりだ~、よよよ」


「いいですから」


 クレインの茶番を流すと、彼女は不貞腐れたのかぶっきらぼうに話し始める。


「ガイア…私が知りうる中で最強のスキルよ」


「そういうのいいから」


 ルイが口を挟む。クレインはますます機嫌を悪くして続ける。


「私がガイアを使えば、どんな生物でも地面から出す事ができる。例えばこんな風にね」


 そう言ったクレインが立ち上がり、地面を睨んでひとつ唸ると、盛り上がった土から巨大な蝶が現れて空へ消えていった。


「伝えてなくてごめんねえ。でもほぅら、凄いと思わない?」


「ええ、それはそうですが…もう手遅れといいますか」


「手遅れじゃないよ!明日こそ逃げずに走ってね」


 そう話す笑顔のクレインが、私には鬼に見えました。

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