第一章 4カ国戦争

第一話 汚牢

 気が付くと、あまりに視界が明るい。咄嗟に目を覆う。


「うっ!頭いってぇ…。なんだ?」


 周囲から聞こえる雨音が邪魔で、脳味噌の整理ができない。レーナはぼんやりとあぐらをかき、首を傾げる。


(っとぉなんだ?今日は…アレだ、昼ぐらいから出発?んで電車乗るんだっけか。やだなあ、家で寝てたい。というかここ家?こんな場所無かったよな?またクレインさんか誰かががなんかやってくれたのか?)


 溜め息を漏らし視線を落とす。布でできていた床に、なぜか石が敷きつめられていた。


「んん?おいぃ、ぁんだよここ」


 目をこすりながら呼びかけるとすぐさま、誰かのうめき声の様な応答があった。レーナは額に上腕を押し付けゆっくりと目を開く。


「誰?こども?」


 振り向くと、分厚い布団やら赤いベレー帽やらが散乱していた。帽子が誰の物かは想像にたやすいのだが、何故彼女と同じ場所で寝ていたのだろう?


「エルア?いるの?ってか、まぶし…」


 目を細める。視界の隅に、細い足首が見えた。


「あぁいた、ねえ、ここなんなの?どうして寝てる間に――」


「え?」


 エルアとおぼしき人物に目を向けた瞬間、レーナは目を疑い、言葉を失った。


 そこにいたのは確かにエルアであったが、目の前にいる彼女は両手を壁に吊られ、体の自由を奪われていたのだ。


 更にその隣には、エルアより遥かに小さい子供が縄で縛られ、意識を失っていた。性別はわからないが、幼いながらも黒いシャツを着ているため、恐らくは訓練生だろう。


「っ?」


 唖然としていると、こちらに気が付いたエルアが目を開き、消え入りそうな呼吸をした。


「ふぅ、ふぅ…あ…あは…は。レーナ?えっと…生きてる?」


 レーナははっとした。


「エルア!と、君は!?え、なにが…」


 エルアは眉間にしわをよせる。


「落ち着いて…っ。変な男に襲われたの。寮の全員がここに連行されたはず…他の檻にみんなもいる」


 エルアはそう言い終えると、力が抜けたように首をぐったりと垂らした。


「…!?」


 暫く理解が追い付かなかったが、レーナはなんとか事態の旨を理解した。そして鉄格子を視界の隅に捉え、地面に両手をつく。


「監禁?ってことか?他のみんなも?というか…フリーナさんの家にいたはずなのにどうして…。あれ?」


 頭が真っ白になっているレーナを見かねたのか、エルアが僅かに顔を上げてうなる。


「考えすぎないの。まずは私の手に付いてるやつ、取って」


 レーナは2度もはっとして、エルアに手を合わせた。そして彼女の頭上を見やる。


「うわ。随分と…ごつい手枷てかせだね」


「どう?取れる?」


「うぅん…」恐らく不可能だが、スキルでも使えばあるいは…。


「やれるだけやるよ。メインスキル、ドリーム」


 頷くエルアに向かい、レーナはその手をかざす。


「崩れろ」


 手枷に手を伸ばしたその瞬間、手の甲の皮膚に裂けるような痛みが走った。


「って!ぐぅっっ!!?」


 手を押さえて苦悶の声を上げる。歯を食いしばって見上げると、肝心の手枷は表面こそ風化しているものの、相変わらずエルアの腕をがっちりと掴んでいる。それどころか、削れた鉄に肌が擦れて手首から鮮血が垂れているという有様だ。


「なんだよ、クソッ…」


 なんとも無念だが…これを何度か繰り返せばどうにかできる気はした。こちらの体が持つかはわからないが、駄々はこねていられない。


「はー…もう一回。もう一回やる。…崩れろ!」


 鉄くずが宙を舞う。2人は同時に悲痛な叫びをかみ殺す。


「チッ、畜生…!」


 右手がだらりと垂れる。エルアの息も荒々しくなり、狭い檻に響き渡っている。レーナは眩しさと痛み、そして恐怖感に頭を抱え、歯をむき出した。


「なによ…塞ぎ込んで」エルアが口を挟む。


「そりゃあ、こんな状況じゃあね」


 小声で返すと、エルアの失笑が聞こえてくる。なんとも情けない姿だった。


 そして追い打ちをかけるかのように、粘着質な足音が響いてくる。もはやそれが助け船でないことさえ、本能で分かった。


 そして足音は光の差す方向へ移動し、まさに檻の前で止まった。


 足音の主らしき男が口を開く。それはやけに澄んでいて、あからさますぎる怠惰をこちらに感じさせる声色であった。


「ガァキ3人、1人は…まだ寝てるのか。…おぉい嬢ちゃんら、ここの住み心地はどうだい?」


 驚くほどに軽く、聞き取りづらい口調。レーナは怪訝な視線を送り、素早く男を指差す。


「冗談じゃない。早く出してくれ!」


「あれ、君は拘束されてないのかぁ?」男はこちらの言葉を聞き流し、へらへらと笑う。


「…でもかわいそうだなあ、子供なのに。出られないのは怖いだろう?はは。これはアドバイスだが…諦めた方が楽だっぞ?ははは」


「…ふざけるなよっ…!」


 逆光で男の顔は見えないが、レーナは憤りを抑えられずに舌を打つ。


 だが男は、まるで相手にしていないかのように鼻で笑い続けた。そして、わざと聞こえるように大声で独り言をつぶやき始める。


「うぅぅん…こいつは尋問できねえなぁ。さっさと縛るか?隣にいるガキはどうかねえ?寝てるか、ちゃんと起きてくれればいいけどなあ」


「……ッ」


 レーナは目を細めて鉄格子の外を睨む。その時ようやく、男の顔がうっすらと見えた。


 丸い目を見開き、口元をピクピクと吊り上げるその表情はまるで…ふざけた子供のようだった。


「あぁ?どこ見てんだ?」


「…ッ」


 一通り男を観察したレーナの背中に悪寒が走る。この男、間違いなく――。


「薬漬けにされてるな、お前…」


 その言葉に、隣のエルアが目を見開く。男は汚い笑みを浮かべて口を開いた。


「やだなあ、そういう言い方。子供の相手をするだけでお幸せになれるときたもんだ、最高だぜ?それに、君は人様のこと気にかけてていいご身分じゃないだろぉ?」


 虫唾が走った。エルアも不愉快なのか、歯ぎしりの音を檻に響かせる。


「糞野郎…!」


 吐き捨てたエルアへ、男は嘲笑を浴びせる。


「惨めだねえ、嫌いじゃない」


 レーナは薄気味の悪い男へ軽蔑の視線を向ける。殺すことを躊躇う理由は一つもなかった。


「この野郎。誰の命令で私達をさらった」


「あーん?いうかよゴミ」


 舌を出して挑発してくる男に対し、レーナは無言になって腕を突き出す。


 エルアがそれを見て息を呑むと同時、男の首から筋が浮き上がる。彼は目を見開き、訳も分からぬまま腕を虚空へ振り回し始めた。


「もう一度聞く。誰に命令された?」


「か、かは…なんかぁ、息が…。タスケテ…」


「聞いてんだよ」


「わ、わからな…」


 レーナは溜め息をつく。こいつはどうにもならんな。


 男の顔がじわじわと青くなるのを愉悦の顔で見ながら、レーナは腕を持ち上げる。


「たっ…助け…!」


 言いかけたところで、男の頭が電球と衝突する。ガラス片が飛び散り、男は落下して泡を吹いた。


 薄暗くなって目への負担が軽くなると、レーナは一気に周りを見渡す。


 と、目の前の鉄格子の奥で岩肌が露出しており、それが左右に続いているのが分かる。格子の隙間に顔を押し付けるが、見える景色は一様であった。


「ここは洞窟か何か…なのか?」


 呟いて下を見るが、そこは男が無様に倒れているだけの殺風景な空間だ。レーナは腕を組んだ。


 しかし、これからさんざ悩もうとしたタイミングで、後ろから乾いた笑い声が飛んで来る。


「くっ!くくく…っ」


「なに?エルア」


「やるときゃやるんですねえ、レーナ。かあっくいい」


「あぁ…うん」


 振り向きざま呆れた顔を見せると、エルアは油を注がれたように笑い声を大きくする。


「なにがおかしいんだか…」


 不貞腐れたようにあぐらをかく。視界の隅にいる幼子の顔も、心なしか綻んでいるように見えた。


「その子もどうにかしないとねえ」覗き込むエルアが心配げな口調で囁く。レーナははっとして幼子に歩み寄った。


「…さっさと戻らないとな」


 レーナは子供の隣に腰掛け、頭を抱える。エルアは小さく頷いた。


「そう。早く帰らなきゃあね…迷惑はかけられない。なにも考えずに、敵を全員ぶっころしながら最短で出よう」


「物騒だねえ、まあ頑張ろ。私は疲れたから…休む」


 そう言いながら薄目でエルアを見やると、彼女は目を瞑ってにやりと笑った。


「いや、そろそろ私の手枷とろうよ」

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