16 軍基地

 日が沈んできた頃。顎から垂れる白い髭を撫でながら、ウェイカーは愛すべき部下との再会を果たしていた。


「フリーナ、よくやった」


「ありがとうございます」


 規則正しく頭を垂れるフリーナ。疲れているだろうに、呆れた忠誠だ。


「お前は暫く休んでいい。俺達が忙殺されるのは、きゃつらが作戦を開始してからだからな…。その時が来たら連絡する」


 告げた瞬間、フリーナの口角がひくついた。承諾ということでいいだろう。


「じゃあ俺は寝る。お前も早く帰るんだな」


 背を向ける。あくびを我慢しながら歩き出そうとしたが、「お待ちを」と呼び止められ叶わなかった。 


「…なんだ?」


 振り向くと、フリーナの顔が先程より明るくなっている。彼女は声も僅かに弾ませながら切り出した。


「私が留守の内に、レーナが何か…起こしませんでしたか?」


 ほう、気になるか。


「どうした、ホームシックにでもなったか?」


「まさか」フリーナは珍しくも赤面する。「ただ心配なだけですよ。あの子は無作法でしょう」


「そうでもないが…何もなかったさ。強いて言うなら、正式な訓練生にはしてやったが」


「そ、そうですか」


 フリーナは先程とはうって変わり、落ち着かない様子で頷いた。


「あ…ああ。後は家で駄弁ってくれよ!」


 面倒に感じたウェイカーは強引にけりをつけ、今度こそ引き留められないよう早足でその場を去った。


 取り残されたフリーナの影が、短く縮んで地面に落ちる。



 暫くすると、ウェイカーの後を追うように、彼女も上着を羽織って歩き出した。



「…ただいま」


「あっ、フリーナさん」


 廊下の奥から声がした。フリーナは上着を脱ぎ、足を引きずって中へと向かう。


「お疲れ様です!」


 レーナが玄関まで出迎えてくる。しかしなぜだろうか、彼女は最後にまみえた時より随分と気分が良さげだった。


「なんだ?気味悪いな。まぁ…疲れたよ。アンタは何してたんだ」


「えぇと、まあ、色々と」


 溜め息が漏れる。


「あっそ。もう遅いし寝たらどうだ?」


「いえ、明日の準備がまだで…」


 そうか、コイツも明日から戦場に…。フリーナは面食らってうなだれ、無言でリビングのドアを開けた。


「はぁ、くっ…!酒残ってたかな」


 そのままキッチンへ行こうと電気をつける。


 と、泥だらけの床に目が行く。


「…は?」


 きったな。このガキは何をしてくれたんだ。


 一瞬の間もなく、フリーナの胸に怒りがこみ上げてくる。


「おい!なんだよこれ!」


 舌を打ちながら振り向くと、レーナは飛び上がって左右を見渡した。


「あ!あっあ、あの、あっっあ、あああの、えっと、あの、さっきちょっと、寝ちゃって…。ふ、拭き忘れてましたぁ…。ごめんなさい、あ、えっと、タオル持ってきます!」


 慌てふためき、レーナは元いた部屋へと駆け出していく。


「はー…。ざけやがって」


 ひとしきり歯を軋ませると、フリーナは慎重にソファまで歩み寄り、脱力した体を放った。節々が痛んでしょうがない。


 濡れたタオル片手に突っ込んでくるレーナを視界の隅に捉え、フリーナはそっと目を閉じる。この様子なら勝手に布団でもかけてくれるだろう。


 そのまま彼女の意識は段々と薄れていった。




 朝起きると、部屋にレーナの姿はなかった。


 置き手紙のたぐいもない。首を傾げ、おもむろにソファから降りる。


「もう出たのかぁ…?早いなぁ…、日も出てないのに」


 開いた窓を覗き込むが、明かりのついている家はごく少数である。早く家を出てやらなければならない事でもあったのだろうか?


「ふぁ…まあいいか…。あぁ、ねみ。久々の休みだし、二度寝でも…」


 ふらふらとソファに戻る。背もたれに掛かった上着を枕に使おうと動かし、再び仰向けに飛び込もうとした。


 その瞬間。


「フリイナアアアアアアア!!!」


 ドアを叩く爆音と甲高い声が響いてくる。フリーナは反射的に耳を抑えつつ、慌てて玄関まで走って行った。


「な、なん?てか鍵空いてる」


 コンマ数秒の沈黙があったのち、ドアが勢いよく開く。その向こうには大口を開けたクレインが立っていた。


「こ、ここ、こっここ、子供が全員消えた!!」


「あ、はい…。おはようございます。うん?え…えぇ?…って、はぁぁ!!!?レーナもいないっすよ!!!」


 フリーナの身の毛がよだつ。


「くっ!早く!!」クレインがフリーナの腕を掴み、力の限り引っ張ってくる。


「痛い!待って!何があったんです!?」


「襲撃された!続きは移動中に話すから!!メインスキルガイア!」


 クレインは家のドアを蹴って閉めると、指を鳴らして地面から巨大なハヤブサを出してそれにまたがる。


「ぐう、分かりました!ウイング!」意図を察したフリーナも、背中から白い翼を生やす。


 2人は同時に飛び立った。地面がみるみるうちに遠ざかる。


「ってて…。で、どこに行くんですか?」


 街を見渡しながら問うと、クレインは隣でハヤブサの背中から顔を出す。


「とにかく軍基地へ!あそこに集合してから敵を探すよ!!」


「り、了解!」


 クレインの剣幕に圧され、理解が追い付かないまま翼を振るう。だが、大仕事の前に酷い事件が起こったという事は、寝起きながらも十分に痛感できた。

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