第十話 チャージ
朝を迎えても、レーナは気分が上がらなかった。
ただ必死に爪を研いで気を紛らわしても、ふとした拍子にトラウマが呼び起されて軽く悶絶する。あのアクセサリーは間違いなく見覚えがあった。むろん、同じものを買った誰かが犯人の可能性もあるが…一国の主を狙えるほどの腕利きとなれば、シークの中でも指を折るほどしかいないだろう。
爪とぎに飽きて歯を磨き、誰もいない食卓へ腰掛ける。未だ食欲のわかない自分を嘲笑うように1枚のパンを口にぶち込むと、酷い目の隈をぶらさげるレーナはドアから無気力に出て鍵を閉めた。
「計画がちと狂ったが、残ったやつらは元の予定通り基地へ向かえ」事務所に着きざま、仮面でもつけているかのような無表情のウェイカーが指示してきた。
「うーっす」先ずエルアが軽い返事を投げる。レーナは戸惑ったのち、エルアの隣に座って浅く頭を下げた。
相も変わらずバッグにとんでもない量の荷物を押し込んでいるエルアだが、止める者がいないせいかバッグの皮が一層と深刻な状態に及んでいた。
レーナは水を僅かに飲んで残りを鞄に放る。家の戸棚で潰れていたものを拝借したはいいが、それなりに美麗だったためフリーナに咎められない保証はない。
苦笑いでそんなことを考えていると、いつの間にか荷物の準備は終わっていた。レーナが一息ついてソファに雪崩れ込もうとすると、エルアが首元を引っ張って止めてくる。
「そんな時間ないんだよ今日は」
レーナは明後日の方向へ溜め息を送った。
*
基地の大広間は豪邸のそれを彷彿とさせ、レーナも久しぶりに興味というものを起こした。シャンデリアと赤いカーペットが彩る空間の中、金の無駄遣いとしか思えない大量の大理石のデスクが不規則に置かれている。
昔はよく見た空間だが、今一度視点を変えて見てみると見栄としか思えず笑えてくる。もの珍しい目で見まわしながら大広間から出ると、一気に簡素になった廊下に出た。
「早くしろ—」奥から聞き覚えのない男性の声がする。レーナは慌てて走り抜けた。
廊下で繋がれたその部屋は、だだっ広いジムだった。リングの横に空いた空間へ集まった大人たちに気付き、レーナは掌を横にして近づいた。
「シークの対人部隊とアラジアの特殊軍人達だ」歩み出たウェイカーが指差す。「エルアももうじき来る。他のガキがどうなったかはお前らの口から話してくれ。そんじゃ」
そう腕を振ったウェイカーが消えると同時、廊下からぶかぶかの軍服を着たエルアが躍り出てきた。
「なんだ、この服着なくていいの?」私服のレーナを見たエルアは開口一番、呆気にとられたような顔で発する。
「なんだ、天才児と聞いて来たがただの馬鹿か」軍人達は笑いながらそれぞれトレーニングに入っていった。
エルアは後味悪そうに頭を掻くと、見覚えのある葉巻の男の元へ歩み寄った。
「グレンさん、一応話しますね…私達が何に遭ったのか」
「ああ、気になるところだ」
エルアはそれから、身振り手振りと共に誘拐について説明した。話の肝となる政治家に話題を向けると、グレンは目を光らせて熱心に聞いていた。
一通り話し終えてエルアが息を切らし始める。グレンは黙り込んで隣に置かれたバーベルに手を伸ばした。服が自ずと脱げ、盛り上がった
レーナは落ち着かない気分で2人が切り出すのを待った。
バーベルを目の仇の如く投げ捨て、グレンは新しいコートを肩にかけた。そして生真面目な顔で口を切る。
「俺達は誘い水を飲んでも足手まといになるだけだ。あの3人なら安心感が違う」
エルアは分かり切った顔で顎を上げた。レーナもそれにならう。
足元のボトルが倒れる音と共に、グレンは遠くへ手を招いた。バーベルが落ちる音響とともに、大柄な男がこちらへ歩いてくる。
レーナはその男に見覚えが無かったが、レーナはよく馴染んでいるように男の腰を叩いていた。彼はランガと名乗ったのちにグレンの背中をぶったたき、赤いあごひげをいじりながら話を始めた。
「おいおいトランサーのガキ、久々に会ってみたら随分とかわいげが無くなったじゃねえか」
「はぁ?」エルアは瞳孔を開いて舌を打った。ランガはひとしきり笑うと、何故かは知らないがレーナに握手を求めてきた。
「お前がもう1人のガキらしいな。エルアと一緒に逃げるたぁとんでもないな、ハハ!ところで俺の上着を知らないか?高かったんだが…グレン、お前まさか…」
よくわからない話を延々聞かされたのち、彼はレーナと同じ場所を防衛する部隊に入ったらしいことだけは分かった。その場所は確か、南区とだけ言われていた。
エルアは持ち前の運動神経でジムを駆け巡ってちやほやされていたが、レーナは水だけ飲んで乗り気でないように休憩の時間が来るのを待った。
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