探偵

 ロンディニウムにあるバッキンガム宮殿の北、メリルボーン。その内のブランドフォード街にそのタウンハウスはあった。

 特に屋号を掲げているわけではないが、時々その玄関扉を叩く人間がいるその場所は、この辺りを知る人間たちからは探偵事務所と呼ばれていた。

 ただ、その家の家主が数年前に亡くなってからは訪ねてくる者もおらず、そのまま人々の記憶の奥底へと隠れていってしまう物と思われていた。

 そんな探偵事務所から出てきたのは、一人の装飾の少ないドレスを着た女性。装飾が少ないとは言っても、しっかりとコルセットを締めている所を見るにどこかのお嬢様であろうことが察せられるその女性は、続けて出てきたシャツにウェストコートを着た亜麻色の髪を持つ美丈夫に向かって軽く頭を下げる。


「ハーロックさん。今日はありがとうございました。無事にキティが見つかってよかった」

「いえいえ。愛猫が無事で何よりでした」

「それでは、わたくしはこれで」


 女性は事務所の前に停車していた馬車に乗り込み、ハーロックと呼ばれた美丈夫はその馬車が道路を曲がっていくのを見送った後に事務所へと戻っていく。

 最近になってこの探偵事務所は再開していた。ただし、探偵はかつてのアラン・ホームズではなく、ハーロックと名乗るこの美丈夫だったが。


「ふう。もうお昼か」


 美丈夫はポケットから取り出した懐中時計を見て呟く。その声は、女性と喋っていた時の中性的なものとは違って、女性らしい鈴を転がしたような声だった。

 彼か彼女か、ハーロックは部屋の隅に掛けられた使い込まれたインバネスコートを見て、一つ頷く。


「ボクは大丈夫だから」

【本当に?】


 独り言をつぶやいたつもりだったハーロックが、返ってくるとは思わなかった返事に驚きながら、声がした方を向く。そこには、部屋の窓のふちに腰かける、緑色のドレスと尖ったナイトキャップのような帽子が可愛い妖精がいた。

 

「びっくりした。ピクシーか」

【やっほ~!】


 ハーロックが声の正体を理解して胸をなでおろすと、ピクシーは窓のふちから飛び立って、ハーロックとインバネスコートとの間に滞空する。そして、彼女はハーロックのことを覗き込むように腰を曲げ、首を傾げて問うてきた。


【ねえ、ほんとのほんとに大丈夫?無理してない?】

「大丈夫だって。無理もしてない」

【心配だよ。シャーロットってば隙が多いもん】


 シャーロットと呼びかけられた、ハーロックはむっと不満げな表情をして、唇を尖らせながらピクシーに注文を付ける。


「正装しているときは、ハーロックと呼んで欲しいな」

【めんどくさい!】


 そんな注文をピクシーは鼻で笑い飛ばして、くるりと空中で一回転した。そんな妖精にシャーロットは肩を落とし、彼女の後ろにある外套に向かって手を伸ばしながら口を開いた。


「結構大事なことなんだよ」

【人間ってほんとよくわかんない】


 そして、シャーロットが外套を手に取って、腕にかけると、ピクシーはふわりと窓の方へと飛んでいく。


「もう行くの?」

【ちょっと寄っただけだからね。ま、せいぜい頑張りなさいな】

「その、頑張らないといけないことを教えて欲しいんだけどな」

【ダメよ。口止めされてるもん。それに、口止めされてなくてもきっと言ーわない】


 何かの示唆を与えてくるピクシーにシャーロットが困った表情になると、妖精はウインクをしながら唇に人差し指を立てて沈黙のジェスチャーをする。そして、彼女が光が差し込む窓の前で燐光だけを残して消え去ると、シャーロットはため息交じりに「誰に口止めされているんだか」とつぶやいた。

 その独り言は今度こそただの独り言として、部屋の中で消え去り、シャーロットは外套を羽織って外に繰り出していくのだった。


 この頃のロンディニウムでは外食文化が盛んになり、いたるところで様々な食事を楽しむことが出来た。相応の金を払いさえすれば帝国が持つ植民地の風土料理を楽しむことが出来たし、ちょっと背伸びするだけで労働者とて美味しいものを食べられる。

 とはいっても、食事に金をつぎ込む余裕などないシャーロットは、露天商からサンドイッチを購入することで今日の朝食とする。

 最近また値上がりしたサンドイッチを片手に、シャーロットは事務所からほど近いスクエアへと足を向ける。そのスクエア、つまりは公園は四方をタウンハウスに囲まれた場所にあり、庭木も植えられて芝生が青々としており、近隣住民の憩いの場であった。

 そして、公園と道路の境目辺りで配られていた新聞を購入し、ベンチに座った彼女は、サンドイッチを口に含みながら新聞を片手で器用に広げる。


『豚顔の女、ついに見つかる!?』

「ゴシップかあ」


 一面に書かれたその胡乱な内容に、シャーロットはあまり面白いものではなかったなと目を細める。そして、またサンドイッチを頬張って新聞をめくろうとしたその時、真後ろから低くよく通る声が飛んできた。


「確かに、ゴシップだな」


 シャーロットはその声の主が、父の葬式の夜に犯人を無理やり連れてきたダンと言う男だとすぐに気付き、立ち上がろうとする。しかし、彼女の肩に手をかけられ、強い力で押し込まれたことによって、立ち上がることは叶わなかった。


「おっと、振り向かないでくれ。今は顔を隠していないんだ」


 事実、この日のダン、つまりはソフィアは女性服を着て顔を一切隠していない、ありのままの姿だった。そんな女性から、地の底から響くような男の声が出ているのだから、もし周りに人間がいたら目を引いただろう。

 それなら、なおさらダンの顔を見たいとシャーロットはゆっくり振り返ろうとしたが、次は肩に置かれた手が頭に乗せられることでそれを咎められる。


「ゆっくりしても駄目だ」


 言う事を聞かなければいけない道理もないとシャーロットは振り返ろうとしたが、それをしようとすると、かなり強い力でを押し込まれてしまう。


「痛い!分かりましたから!やめて!

 ……それで、何の用ですか?」


 シャーロットが憤懣しながら声を上げると、ソフィアは手を彼女の頭から放して腕を組む。ドレス姿でもその姿は堂に入っていた。


「いやなに、君が今何をしているのか気になってね」


 それを聞いたシャーロットは不満げな表情と口ぶりを一切隠そうとせずに、ソフィアの上辺だけのその言葉に返事をした。


「予想の範囲内、と言う口調ですね」

「……まあな。君がアランの跡を継いで、彼の死の謎に迫ろうとするのは予想の範囲内だった」

「男装もですか?」

「女性のまま探偵業をするのは難しいだろうから、男のふりをするのは理にかなっていると思うよ」


 ソフィアは、自分がその実全部予想出来ていてシャーロットのことを何も気にかけていなかったことを、ほかならぬ彼女自身に見抜かれたことに感心したように頷く。学生時代も鋭いシャーロットだったが、その鋭さが自分に向けられているとなるとソフィアはどこか楽しさを感じていた。


「それに、アランの娘よりも、アランの親戚の男という事にしておいた方が都合がいいだろうという事も理解できる」

「随分と推理が達者ですね」


 シャーロットがつっけんどんにそんなことを言うと、ソフィアは小さく笑う。そして、後ろから彼女の肩を叩いて、男装の先輩として一つアドバイスをする。


「そうだな……、もう少し口調は男らしくしたほうが良いと思うぞ?」

「そうですか」

「ま、好きに自分を演出するといいさ」


 そして、ソフィアはベンチの上に乱雑に捨て置かれた新聞に目を向け、そこに書かれていた文字列に眉をあげる。


「ところで、そう言った三文新聞にも、案外真実がまぎれ混んでいるかもしれないぞ」

「どういうことだ?」


 早速男らしい口調にした素直なシャーロットに、ソフィアは微笑む。


「うん、良いね。格好いいよ。

 私の言った意味については、まあ、テストという事にしよう。答えまでの時間制限は、そうだな……、今週末の夜にしよう」


 ソフィアはそこまで言うと、芝生の上を足音を鳴らさないように歩き、日傘をさした。そして、さっさと公園を出ていってしまう。

 後に残されたシャーロットは、しばらく経った後、ダンからの会話が無くなったことに疑問を抱いてそっと後ろを向く。

 もはやそこには誰も立ってはおらず、シャーロットが辺りを見回すと、そこには数多の街を行き交う人々。この中からたった一人を見つけることは難しいだろうが、あの夜のことを咄嗟に思い出した彼女は、一つの手がかりを得た。

 彼は背が高かった。

 シャーロットはベンチを飛び越えて、公園を出て手近な男性に声をかける。


「すみません。男の人を見ませんでしたか?私より少し背が高くて、これくらいの」


 シャーロットは掌を自分の頭の上で振って記憶を頼りに身長を伝えてみたが、目の前の男性はやれやれと言わんばかりに首を振る。


「さあ?そんな男、ごまんといるだろう」

「……そうですね。忘れてください」


 確かに、多少背が高かろうと、男性の平均身長よりわずかに高いくらいで、殆ど一般的だ。シャーロットはその事実に思い至ると、内心忸怩たる思いを抱えて、男性に頭を下げた。

 そして、公園のベンチに戻ってきて、改めて新聞を広げる。 

 そこには、『豚顔の女は金持ちで~』『イーストエンドでの無残な惨殺は悪魔の仕業で~』『メリルボーンで迷いがちなのは~』と眉唾な事柄が書かれていた。

 シャーロットはそんな新聞記事をやはり馬鹿馬鹿しいと折りたたみかけたが、そもそも自分は家を出る前に妖精と喋っていたのだ。これこそ、他人から見たら馬鹿馬鹿しい話だろうと思い至る。

 そして、そう思って新聞記事を見てみると、イーストエンドでの殺人事件に関してだけは、やけに具体的な殺害現場について書かれてることに気が付く。


「ワッピングの倉庫裏にて始まった殺人事件は、ついに同地のワークハウスの目の前で行われた」


 この当時のワークハウスとは、貧困層や傷病者などの社会的弱者を収容して、彼らに仕事や住む場所を与える施設のことを指す。ただ、実態としては強制的な労働や、懲罰行為が行われる等、快適とは言い難い部分があった。

 しかし、この時代においてセーフティネットとしての最低限以上の役割を担っていたのは確かだった。

 シャーロットは最初は人目に付かないように倉庫裏で行われた殺人が、いつしかワークハウスの目の前と、大胆になっているのを理解すれば、真っ先にこれを調べなければいけないと感じた。


「調べてみよう」


 シャーロットは新聞から顔をあげて、まずはこの記事を書いた人に話を聞いてみようと、先ほどから新聞を売り歩きをしている男性へと発行元を聞きに行ったのだった。

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