スチームパンクダークヒーロー悪役令嬢
ATライカ
序章
プロローグに代えて、幕引きの始まり
豪華なオペラハウスの舞台に一人の女性が立っていた。
モダンなドレスを着て、人好きのする溌剌とした笑顔を湛えた彼女にはスポットライトが当てられており、まさしく主役の舞台女優と言った様子だった。
「貴女が……貴女こそが29番目の悪魔、アスタロトだ!」
そんな彼女へと鋭い声が飛んでくる。
男性にしては高く、女性にしては低い声。暗い観客席からだった。
そして、カツカツという足音が聞こえ、やがて一人の美丈夫が壇上に上がっていく。インバネスコートを着たいかにも探偵然とした彼が壇上で女性と相対すると、女性は笑みを深めながら頷く。
「ええ……ええ。認めましょう」
その言葉に美丈夫は失望と悲しみに顔をしかめ、逆に女性は先ほどの人好きするような笑みから不敵でエスプリの利いた血気溢れる微笑みを湛え始める。
「確かに、私が最後の一柱だよ」
「どうして……悪魔なんかと契約したんだ」
美丈夫が声を絞り出すようにそう問いかけると、女性は腕を組み、自身の野望を言語化するために頭を働かせ始める。
「私はね。世界が欲しいんだ」
「それは……どういう意味だ?ルシファーは力によって世界を滅ぼす者だろう」
やがて吐き出された言葉の固さと、およそ今まで知っている彼女のものとは正反対の仕草をする女性に、美丈夫は狼狽えながら言葉を返す。
「知りたい?」
美丈夫が恐る恐る頷くと、女性は両手を大きく広げて高らかに歌い上げる。
「私は先ず、シェフィールドとリバプールを鉄道で繋げた。何をするにも鉄が必要だからね。まあ、シェフィールドの近代化が難しかったのは誤算だったが。
それからすぐに、マンチェスター、バーミンガム、ロンディニウム。これら主要都市を鉄道で繋げて、それから電信を張り巡らせて私は全イングランドのロジスティクスを手に入れた。
人々は日の出から日の入りの間に、イングランドを縦断することが可能になった。イングランドの端と端にいる人々が数分で連絡を取り合うことが可能になった!
ターンパイク・トラスト?あんなものメじゃない!!蒸気機関は素晴らしいパワーを秘めていた!!予想以上だった!!複々線を引けるようにしていたのは僥倖だった!!
その上、南ウェールズには資本を投入すれば投入するほど跳ね返ってきた!!グラスゴーでは無限に船を作れた!!コンテナも!!
世界を変えたのは蒸気機関じゃない!!コンテナとすらいえる!!一番大切なのは“繋がり”だ!!ある地点と地点を効率よくつなげるのが重要なんだ!!」
「それは貴女の父親の事業だろう!!」
段々ヒートアップしていく女性に美丈夫が鋭く反論すると、彼女は溜息をついて、それから落ち着いた口調になる。
「あの男にこんなことが出来るわけないだろう。全部私だよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ。私は5歳のころにダイナマイトを作ったんだ」
女性の言葉に美丈夫が絶句する。
「それが――」
「ああ、世界を手に入れるって話。まだ終わってなかったね」
美丈夫の言葉を遮り、女性が静かに語り始める。
「私はイギリスを手に入れた。だが、それだけじゃつまらない。
手に入れるなら世界だ。それもヨーロッパ世界ではない、新大陸も、アジアもだ。
それには何が必要だと思う?」
「……」
「航路だよ。だから私はスエズ運河を作った。予想外に簡単で拍子抜けしたよ。オスマンがギリシア独立戦争で派手に負けたからなあ……。いや、負けさせたんだけども。これで帝国を含めてヨーロッパからインド、中国へ驚くほど簡単に行くことが出来るようになった。
かつての大西洋の三角貿易のように、この三点で密な貿易が自由競争的に行われ、その貿易の度に利潤がスエズに落とされている。
次は……パナマだ!」
女性が美丈夫に向かって指をさす
「ロンディニウムから始まり、ジブラルタル、スエズを抜けてインドに行く。
インドから、シンガポールを抜けて中国へ。もちろん、オーストラリアでもいい。いや、オーストラリアには資源が豊富だからな!ここがいいだろう。
そして、ハワイやアメリカ西海岸を経由して太平洋を横断し、パナマから大西洋へ。
そうすればもう世界一周だ!!!
スエズとパナマ、この二つの運河があるだけで3割近く世界が小さくなる!!!
故に世界各国ほとんどすべての船はこのいずれかを通る羽目になる!!!
それを私が!!いや、帝国が掌握すれば!!世界を獲れる!!海洋帝国の誕生だ!!」
女性の怒声に迫るほどの熱弁に、美丈夫は一歩後ずさり、そして意を決する様に目を閉じる。
「それが……」
美丈夫が目を開けると、そこには力強い意志の力が宿っていた。
「それが、ソフィア・ロングフェローと言う悪魔の全てですか」
ソフィア・ロングフェローと呼ばれた女性は楽しそうに手を合わせ、語ってみせる。
「ふふふ……まだ……まだもう一つ先がある。
確かに、王室や議会の連中は海洋帝国構想を理解していたし、その重要性はますます高まっていくのを実感している。その証拠に、世界中の最短航路を押えるように着々と軍事拠点が作られている。
だが、きっと、帝国はこれから100年もしない内に没落する。施設の老朽化、新たな資源、新たな産業、新たな価値観との競争に負ける。
だから、私がいる。
私が、その競争の全てに打ち勝つ。
帝国を勝たせる。
そうすれば、帝国は私に跪かざるをえなくなる」
ソフィアの静かだが確信に満ちた声に美丈夫がため息をつき、コートの内側から柄の長いナイフを取り出し始める。
「……貴女は凄まじい悪魔だ。力で世界を征服しようとしたルシファーとは違い、知恵と金で世界を征服しようとしている」
そして、彼はナイフを抜き放った。
「お前ほど危険な悪魔はいない!ここで滅させてもらう!」
ナイフの刃は光り輝き、ロングソードほどの刃渡りとなる。その切っ先がソフィアに向けられると、彼女は相貌を崩し始め、体を逸らしながら大声で笑い声をあげ始めた。
「ふふふ……あはは……あーはっはっ!!」
「何が可笑しい!?」
ソフィアはホールに笑い声を響かせ、やがて満足すると目の端の涙をぬぐう。
「何か勘違いしているようだ」
一歩美丈夫に近づく。
「私は――」
笑みが、最初のころのような人好きのする柔らかいものへと変わる。
「私はね――」
そして、光り輝く剣を掴むと、自身の喉を貫かせた。
「悪魔なんかじゃないんですよ」
「なっ!!」
悪魔なら苦しむはずの刃にソフィアは一切顔を歪めず、その事実に美丈夫は目玉が飛び出さんほどに目を剝く。
「ねえ、ハーロック。いいえ、シャーロット・ホームズ。素敵な探偵さん」
美丈夫のハーロックと言う名前を、そして、彼の本当の名前を続けて呼ぶ。
「私が悪魔じゃないなら、どうするつもりなんですか?教えてくれませんか?」
ソフィアは天使のような笑顔を親友のシャーロットへと向けて、そう問いかけた。
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