納得
ロンディニウムに降りしきる雨をその身に受けながら、ソフィアとアランを殺した鷲鼻の男が歩いていた。
鷲鼻の男は酒で上がった体温が雨によって急速に冷やされたからか、それとも後ろの男に殺されるかもしれないという恐怖からか体を小刻みに震わせていて、ソフィアはそんな男に声をかける。
「後悔しているか?」
鷲鼻の男は何度も頷き、それにソフィアは「そうか」とだけ小さく呟いて、やがて見えてきた自分が所有する別邸に視線を向ける。
ソフィアは別邸の門を開けると我が物顔で中に入っていき、屋敷の扉の前に鷲鼻の男を跪かせる。一方の男は豪邸に侵入させられたことで挙動不審となり、辺りを見回し始めた。
ソフィアは玄関扉横に付いたドアベルのボタンを押す。わずかに家の中からリンリンというベルの音が響き、ソフィアはそれに加えてドアノッカーも鳴らして、中の人間を急かす。
家人の呼び出しを行ったソフィアは、自分の包帯がしっかりと巻かれていることを確認すると、一歩下がって男の傍に立つ。
やがて僅かな足音と、鍵を開ける音が玄関先に響き、扉が開かれた。
「お待たせしました。……どちら様で?」
中から顔をのぞかせたのは、使用人の服を着たアリスだった。彼女は最初は余所行きの表情だったが、呼び鈴を鳴らしたのが包帯の男であることと、座り込んで青い顔をしている男を見たとたんに、表情を硬くさせた。
ソフィアは今はアリスに用はないとばかりに挨拶も無しに要件を伝える。
「アラン・ホームズの娘に用がある。ここにいるはずだ」
それを聞いたアリスは目を見開きすぐさま扉を閉めようとするが、ソフィアは足を延ばして扉が閉まらないように靴を挟んでしまう。
「そんな方いません!お帰りください!」
(アリスは仕事着。という事は、今の今までシャーロットと話していたな?)
ソフィアはアリスの服装から、今の今までシャーロットのことを慰めていたことを察すると、扉に手をかけ、そのまま強引に開いてしまう。アリスは体重をかけて扉を閉めようとしていたが、体を鍛えていたソフィアの腕力には勝てずに扉が完全に開け放たれてしまう。
その衝撃でアリスが倒れてしまうが、ソフィアはすぐに彼女から目を放し、灯りのほとんどが落とされて薄暗くなっていた室内に顔を向け、息を大きく吸った。
「アラン・ホームズの娘!いるんだろう!出てくるんだ!話がある!」
低い声は屋敷の中に良く響き、そんなソフィアの声が反響してやがて消えれば、どこからか扉が開く音がした。
「ロティ!来なくていい!逃げなさい!」
アリスが悲痛な声をあげてシャーロットに逃げるよう促し、ソフィアは溜息をつきながら床に座り込むアリスに視線をちらと向けた。
「勘違いしているようだが、私はアランを害した人間ではない」
(アリスもアランが目的があって害されたと察している?
シャーロットから話を聞いて客観的にそう思ったのか、それともシャーロット自身がアランが殺されるに足る理由を抱えていたと察してそれを彼女に相談したか?
……いや、考え過ぎか。私の風貌を見れば理由がどうあれ手荒なことをすると勘違いもするか)
ソフィアがアリスがすぐさま逃げるように促した理由を考えていると、ロビーに足音がわずかに響き、暗がりから目を腫らしたシャーロットが現れた。
玄関にいる三人が彼女を認めた時真っ先に動いたのはアリスで、彼女は慌てて立ち上がるとシャーロットに駆け寄り、ソフィアから庇う様に間に立った。
「アリスさん。ボクは大丈夫ですから」
「いいえ。駄目です」
シャーロットはアリスの肩に手を置きながら穏やかにそう言うが、アリスは首を振って彼女の前に立ち続けることを選んだ。
いつの間にそんなに仲が良くなったのかと聞きたいソフィアだったが、さっさと本題に入るために足元の男の髪を掴んで顔を二人から見えるように上げさせる。
「こいつがアランを殺した男だ」
不審者から告げられる突然の暴露に、シャーロットは息をのみ、アリスは目を吊り上げながら非難の声をあげる。
「何を勝手なことを!悪い冗談はほどほどにしてください!」
アリスのその言葉にソフィアはそれもそうかと頷き、しゃがんで男と目を合わせる。そして、彼のことをしっかりと見据えながら、ドスの利いた声で尋問を始めた。
「頷くか、首を振るかだけで答えろ。
お前が刺したのは、インバネスコートに身を包んだ亜麻色の髪の男だな?」
鷲鼻の男は頷く。続いて、ソフィアはシャーロットのことを指さした。
「背格好はあれくらいだったな?」
男はまたも頷いた。
「男を刺した場所は――」
「もういいです!」
ソフィアがなおも尋問しようとしたところをシャーロットの鋭い声が遮った。彼女は今にも泣きそうな顔で、涙をこらえるためかアリスの肩に置いた手を震わせていた。
「すまないな」
ソフィアが掴んでいた男の髪を弾く様に手荒に手放すと、男はふらつきながら蹲り額を地面に擦りつける。そして、ソフィアは立ち上がり、シャーロットと目を合わせる。アリスは警戒する様に一歩後ずさりしようとしたが、後ろにいたシャーロットは一歩も引く気はなかった。
「こいつが、多少の金欲しさにお前の父親を刺した」
「それで……私刑でもするんですか?」
今にも泣きそうな表情のシャーロットは、しかしそれでも、強靭な意思を湛えた瞳でソフィアのことを睨みつける。彼女は男の手の甲にある刺し傷のことを目ざとく見つけていた。
そして、そのわずかに非難の色が混じった視線にソフィアは乾いた血の付いたナイフを取り出す。
「君がそれで納得するなら、今ここでこの男を殺してもいい」
「私に私刑の方法を選択させるために、この人をここまで引きずってきたんですか?」
ソフィアの言葉にシャーロットはすぐさま言葉を返し、そのまま矢継ぎ早に言葉をソフィアに投げつけていく。
「確かに、捜査は進んでいませんでした。父は確かにそこら中にいる、ただの男です。だから捜査は後回しにされたんでしょう。
それで、先んじて男を捕まえてきたと?
その上、やることが私刑ですか?」
ソフィアは畳みかけられた言葉に包帯の奥で僅かに口角をあげる。そして、ナイフを懐にしまうと、手をひらひらと振ってもう何も持っていないという事をアピールした。
(よく頭が回る。アランが死んですぐに連れてこれればいくらでも言いくるめられると思ったが、間違いだったか)
そして、その一瞬の間の後、ソフィアが口を開く。
「何、私刑は言葉の綾だ。君が不愉快に思うのであれば、私はもう何もしない。
私の目的はこの男を君の目の前に連れてくることだからだ」
事実、ソフィアの第一目標は、彼女の父を殺した犯人を確保して彼女の前に連れ出すことだ。父を殺した犯人が見つからなかったのが、彼女が探偵になることのトリガーなのだから、それを発生させなければそれでいい。
シャーロットが何も選択しなかったという事も彼女の立派な決断だ。彼女は一定の納得を得ることになるはずだ。
アリスが包帯の男へと向かって「悪趣味な」とつぶやき、シャーロットは雨に打たれて更にうらぶれた男のことを見る。
「何か言葉でもかけるか?何も無いようなら、私はもう行くが」
シャーロットにソフィアがそう声をかけると、彼女は男から目を放してソフィアへと目を向ける。
「いえ。もう十分です」
「そうか。恨み節の一つでも言っても罰は当たらないと思うが」
「恨み?」
ソフィアの何気ない一言に、シャーロットが小さく言葉をおうむ返しすれば、廊下のランプの灯がわずかに揺れた。
「私は彼のことは恨みません」
そして、彼女はそう短く言った。
アリスは驚いた表情で振り返り、ソフィアはわずかに目を細めた。
「恨みませんよ。ボクは……この人を恨みなんてしない」
アリスには、表情の薄いシャーロットが自分に言い聞かせているように聞こえただろう。だが、ソフィアは違った。やや間をおいて、彼女は片手をシャーロットに向けてその先を促した。
促されたシャーロットは、鷲鼻の男のことを見て口を引き結び、やがて、目をつぶって語り始めた。
「お金が欲しくて手を血に染めたのなら。それなのにこの人が普段はまじめに働いていたのなら」
シャーロットは目を開き、鷲鼻の男の男の汚く節くれだった手を、その碧眼の瞳を強く光らせながら見た。
「ボクは彼の背中を押してしまった、そのきっかけを恨みます」
「……そうか」
ソフィアはしばらく何かを考えるように視線を彷徨わせると、やがて頷くように視線を下げながら小さく呟く。
そして、彼女は「そうだよな」と零すと視線をあげて、シャーロットのことを見た。
「
二人の視線が交錯し、シャーロットが何を思ったのかは分からないが彼女は頷き、ソフィアはしばらくシャーロットを見つめた後、彼女から視線を外して男へと目を向けた。
「だそうだ。私からも、もう何もない。立て」
ソフィアは男を無理やり立たせると外に出ていくために踵を返した。だが、すぐには歩き出さず、暗く雨が降る外を見ながら暫く黙る。
そして、意を決したように一度息をのむと、静かな声で語り始めた。
「
最期がどうあれ、アランの人生は幸せに満ちていた。
……私はそう思うよ」
その言葉にシャーロットは目を見開き。アリスも驚いた表情をした。
ソフィアは、墓地に来ていたであろう、いくらかの人ならざるものを思い浮かべ、少し言葉を付け加える。
「善き人間だったと思う。慕われていたはずだ。
私にとっても数少ない友人だった。交流は少なかったが、確かに友だった」
「あの!父は!
……父は私のことを何か言っていましたか?」
幼いころから寮生活で、父と過ごした時が少ないシャーロットは少しでも多く父の話を聞きたがった。だが、ソフィアもあまりアランのことは詮索はしなかったので、語れることは少なかった。
「君のことはあまり多くは聞かなかった。だが、彼が君のことを常に考えていたことは知っている」
「……ありがとうございます。
貴方の名前は?」
「ダン」
それだけ言い残すと、ソフィアは男を蹴り出し、闇夜へと消えていった。
後に残されたアリスは足の力が抜けたのか、へなへなとその場に座り込んでいってしまい、そんな彼女のことをシャーロットはしっかりと支えてあげる。
そして、今だ開いたままの扉を眺めながらアリスは茫然とした表情で呟く。
「今の人は一体何だったんでしょう?」
「わかりません。ただ、悪い人ではないように見えました」
シャーロットはアリスに肩を貸すと、玄関扉を閉めてから先ほどまで二人で使っていた客室へと戻る。そして、アリスを椅子に座らせると、すぐさま自分の荷物の元へ行き、そこから一つの封筒を抜きだした。
「ロティ、それは?」
「父が遺していた遺言書に、『ある男が来たら渡せ』と書かれていたんです」
シャーロットはそう言いながらぺーバーナイフも使わずに手で乱暴にその封をあける。果たして、中から取り出されたのは数枚に渡る手紙。しかし、その内容は暗号化されているのか、意味不明な文字列で構成されていた。
「『渡すべき男は見るか会話をすればわかる』と書かれていました。
それがあのダンと言う男だというのは、彼自身の誤魔化すような『多少の金欲しさ』と言う言葉や、シェイクスピアを引用して何か隠された物があると匂わせてきたので確実です。
だから、きっとこの最初の方か最後の方の文字列に“ダン”と言う名前もあるはずです」
「ちょっと待って!いったいどういう事?もしかして、全部カマかけだったの?あの男も、ロティも?」
理解が出来ないという表情でアリスが言えば、腫らした目をきつく光らせたシャーロットが手紙から顔をあげる。
そして、彼女は言うべきかどうかを逡巡した表情になり、やがて頷いた。
「もともと、父は通り魔に刺されてしまったのに、ボクに対する遺言書を遺していました。長期休暇の時に『帰ってくるな』とも電報があった。
そんなの……おかしいでしょう!?」
首を振りながら慟哭すれば、枯らしたはずの涙でまた瞳が潤んでいく。
「父は自分の死を予期していた。なのに、遺言にはその点について一切触れていなかった」
声を小さくしながらシャーロットは父から自分に宛てられた遺言の内容を思い返す。遺産の事、いくつかの手続きや関係のあった人への挨拶のお願いに始まり、最後は自分に対する心配と愛とが綴られていた。
よくよく考えなくとも、おかしいことだった。
確かに、あらかじめ遺言書を書いておく人もいる。だが、それにしてはあまりにも最近書かれていたし、すぐにそれが必要になると分かっているような書き方だった。
「だから、ダンって言う人があの男を連れてきた時、彼はきっとボクを踏みとどまらせるためにあんなことをしたって、すぐに分かった。父の事を詮索するなって。
もしかしたら、父があらかじめそう頼んでいたのかもしれないとも、思った。
でも!」
父からダンに送られた手紙の内容に真実へのヒントがあろうとも、暗号化されたそれを今すぐに読む事は叶わない。それを理解したシャーロットは父からダンに送られた最期の手紙をテーブルに叩きつけながら、涙を目の端から零し、悲痛に叫ぶ。
「納得できない!」
その、枯れるほどに喉から絞り出された声にアリスは眉尻を下げる。そして、シャーロットはテーブルに両手をつき、その手の甲に水滴を落としながら声を震わせた。
「お父さんはなんで、死なないといけなかったの?
なんで、あのダンって人はボクにわざわざ犯人を見せつけて、ボクに一線を引かせようとしたの?
人を憎まず、罪を憎む?そりゃあそうだよ!
だって、お父さんは……お父さんは……」
「ロティ……」
どう声をかければいいのか分からないアリスは手を、テーブルに置かれ手紙を握りしめるシャーロットの手に伸ばし、そっと重ねる。
シャーロットが顔をあげる。涙の跡はあったが、視線はまっすぐ前を向いていた。
「お父さんは、あの男が殺したんじゃない。もっと、大きな何かに殺されたんだから。
貴族かもしれない。他の国の人かもしれない。それでも――」
もう声は震えてはいなかった。しかし、アリスは重ねた彼女の手が小刻みに震えていたのに気が付く。その震えの根源は、悲しみか、怒りか、それ以外なのか。それはアリスにはわからないことだったが、一つ分かったことがあった。
「ボクは、その黒幕を絶対に突き止めます。
そして、必ず償わせる」
シャーロットのこの一言は決して覆らないであろうという事だ。
そしてアリスは、彼女がその行動を起こさないようにするために、先ほどの包帯男がやってきたのだとようやく理解した。あの男は、シャーロットが実行犯を見て、それですべて納得して、気持ちに区切りを付けるのを期待していたのであろう。
しかし、包帯男や彼女の父が思っていた以上に、シャーロットは賢く、実直で、父を愛していて、それと同じくらいに愚かだった。
「私には……何も、言えません」
アリスはシャーロットのことを引き寄せると、彼女のことを抱きしめた。彼女の痛みも決意も彼女自身だけのものであって、アリスがそれに干渉することはできはしないのだ。
あの男も、それが分かっていたから、何も止める言葉を言わなかったのだろう。
アリスにできるのは、このいたいけな友人の良き友であることだけだった。
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