エクソシスト
ソフィアは鷲鼻の男を連れてロンディニウムを行く。向かう先は、適当な詰所。目的は果たせたので、いい加減この男を手放したくなっていたのだ。
そして、頭の中で地図を広げながら一番近くの詰め所を探していると、向かいから傘を差した、黒いローブを纏った男がやってくるのが見えた。その男の服装は祭服だったが、カトリックでもプロテスタントのそれではないように見えた。
初めて見る制服だったが、ソフィアには猛烈な既視感と心当たりがあった。彼はエクソシストだ。感じる既視感は、かつてディスプレイの中でその制服を見たからだろう。
二人はまるで示し合わせたかのように、とある公園の前でばったりと出会い向かい合う。そして、ソフィアが鷲鼻の男を公園の方へと押し込むと、彼を含めた三人が、公園へと入っていく。
公園の入り口からは死角になりそうな場所に三人がやってくると、エクソシストの男が口を開いた。
「探しましたよ」
「ほう?」
エクソシストの男がそう言えば、ソフィアは面白そうな声をあげる。鷲鼻の男は力のない声で「いい加減にしてくれ」とつぶやいていた。
ソフィアは男のその声を聴くと眉を顰め、ため息交じりに彼をエクソシストへと突き出す。
「引き渡してもいいか?」
「もちろんです」
エクソシストは鷲鼻の男を引き取ると彼に傘を差して、自分は雨に濡れ始めた。そして、ソフィアは肩をすくめながらポケットに手を突っ込んで口を開く。
「で、どこからどこまで見ていた?」
エクソシストの男はにこやかな笑みを浮かべながら、「話の速い人は好きです」と前置きをしてからイーストエンドの方角を見る。
「異界が消失した後、悪魔を処理したあなたを追いかけたかったのですが、懸念事項がありましてね。追いついたのはつい先ほどですよ」
ソフィアはその懸念事項を考える。付けられる当たりはそう多くはない。近くで何者かが見ていた可能性を真っ先に指摘する。
「あの木端悪魔にも見張りがいたのか?」
「いえ、探したのですが居ませんでした。捨て石だったのでしょう」
エクソシストがあからさまに肩を落とすと、ソフィアはそんな彼を鼻で笑う。ソフィアのそんな態度に傷ついた、と表情を変えるエクソシストは右手を差し出した。
「オリヴァーです」
「ダンだ」
ソフィアはポケットに手を突っ込んだまま、握手には応じずに面倒くさそうに偽名を名乗る。そして、沈黙が場を支配し、鷲鼻の男の僅かに身じろぎをしたのか、締めった衣擦れの音が響いた。
やがてその沈黙を破ったのは、ソフィアの気だるげな声だった。
「エクソシストって所か?」
「ご明察」
「まあね」
元々知ってたから、とは言わず。なぜ自分のことがバレたのかの理由はオリヴァーが自身で勝手に考えるだろうと、ソフィアは説明を投げ捨てた。
(いかようにも勝手に解釈してくれるだろう。はてさて、彼のことはどこまで探れるかな。
できれば今エクソシストたちがどこまで事態を把握しているのかを知っておきたいが)
そんなことを考えていたソフィアが、雨に打たれながら問いかける。
「アラン・ホームズの死を捜査する警察官が次々失踪し、君が駆り出された」
ソフィアが視線をオリヴァーに向ければ彼は頷く。どうやらオリヴァーは対話に応じてくれるようだった。それならばと、ソフィアは腕を組みながら彼と向かい合う。
「そして、容疑者の周りに悪魔の気配を感じ、様子をうかがっていたら私が来たと」
「そうですね。警察官の連続失踪がまさか悪魔と関係しているとは予想外でしたが……」
オリヴァーはわずかに目を細めながらソフィアのことを見る。彼の視線には疑念の色がありありと浮かんでいた。
「なぜ、あなたが悪魔を滅することが出来たのか、実に気になりますね。私のような専門家でもない限り、入念な下準備が必要だと思うのですが」
「ある程度予測できていたからな」
(私とアランが異界に飲み込まれた過去があるという事を把握していないのは明らかか。アランが魔法使いだったという事も把握していないのか?)
ソフィアはどこまで情報を開示するべきかを考える。メリットとしては協力と信用が得られる可能性が高く、デメリットとしては情報が漏れる事とシャーロットに累が及ぶ可能性がある点。
ソフィアはその二つを天秤にかけ、やがて、決心する。
(エクソシストは基本的には味方だ。シャーロットに関しても、彼女のことがバレるのは時間の問題だ。情報の価値が高いうちに売り込んでしまおう)
「聞きたい情報がある」
「……」
ソフィアのその言葉に、オリヴァーは拒絶の沈黙をする。しかし、ソフィアはその沈黙を破らせるほどの情報を大量に持っているのだ。
「なに、一方的には聞かないさ。こちらからも情報を出す。交換といこう。
私が欲しい情報は、エクソシストたちがどこまで事態を把握し、どれ程の戦力があるか?という事だ。
逆に言えば……」
わかるだろう?とソフィアが肩をあげて見せれば、オリヴァーは口元を手で隠して考え始める。目は細められたまま油断なく、ソフィアのことを睨みつけていた。
「あなたは事態のおおよその全貌を把握している。私たちのことを知れば、どう対処すればいいのかが分かる。
とでも言いたいのですか?」
「そんなところだ」
ソフィアが上げた肩をそのまますくめると、オリヴァーはちらっと鷲鼻の男を見る。そして、すぐに男から目を放してソフィアのことを見た。
「信用できませんね。そもそも、あなたのその提案は、我々が事態を把握していないという前提のものです」
「把握しているのか?していないだろう。
把握しているのなら、私が悪魔に対して準備をできた理由も、何故アランを殺したその男の周りに悪魔がいたのかも想像できるはずだ」
ソフィアのその追求にオリヴァーは目を瞬かせ、未だに振る雨に煩わしそうに濡れた顔を手で拭う。彼は雨水を拭った手で、そのまま額に付いた髪をかき上げながらため息をついた。
「お察しの通り、我々は後手後手に回り続けています。腹立たしいことですが」
「ふむ。では、ロンディニウムの地下のことは何も把握していないな?」
オールバックになって額をさらけ出し鋭い視線をしたオリヴァーは、目の前のなぜか楽しそうな包帯の男のことを睨みつける。
「地下ですか。我々はつい最近までヨーロッパ各地を巡る羽目になっていましたから、それについては知りませんでした」
「ヨーロッパ各地……、ああ、コレラは大丈夫だったか?」
「大丈夫ではありませんでした。私も罹って生死を彷徨いましたからね。……ロンディニウムで流行しなかったのは不幸中の幸いだと思っていたのですが」
(コレラのパンデミックは悪魔の仕業。そして、ロンディニウムは意図的に流行らなかった、ね)
史実では19世紀初頭からベンガル地方で流行し始め、やがてアジア各地やヨーロッパ全土を巻き込んだ流行を見せたコレラ。この世界でも同じようにパンデミックが発生していたが、不思議とロンディニウムでは大規模なパンデミックは発生していなかった。
オリヴァーの口ぶりから察するに、このパンデミックをコントロールした黒幕がいるようだった。原作知識でソフィアはそれを知っていたとはいえ、現実では通常のパンデミックで偶々検疫が上手くいったのか、そうではないのかは区別がついていていなかった。
「次の流行は防げそうか?」
「なんとか、と言ったところですね」
「不安だな」
原作ではある程度は成功をするが、完璧とはいかなかった。ソフィアは目の前の男の雰囲気からやはり難しいかと察し、自分でも手を回すことを決意した。
「5人がコレラで亡くなりまして、我々は大打撃ですよ」
「なるほどね。人員補充を王様にでも
「は?王に?」
「おっと失礼、流石に不敬かな。でもまあ、彼のお方に近しい人に頼んでみるといいさ」
王について言及した瞬間、剣呑な雰囲気を醸し出したオリヴァー。それに対してソフィアはおどけた様に首を傾げ、手を広げて見せる。それに対して、オリヴァーはなおもソフィアのことを睨みつけたが、仕草はおどけて見せているものの目は本気だという事に気が付くと、表情を強張らせた。
わずかに体を震わせるオリヴァーに、ソフィアは広げた手を下ろし、片手をポケットに突っ込む。そして、自然体に口を開いた。
「そういう事だ。整理する時間も必要だろう。今日はこれくらいにしておくか」
(エクソシスト達が何も把握していないことも知れたし、彼らに事態の深刻さを伝えることはできた。まあまあの収穫だろう)
「え、ええ……。わかりました」
「動揺しすぎるな。誰がどこで見ているかわからない」
ソフィアはもう終わりだと言わんばかりにそのまま立ち去ろうと踵を返し、動きを止める。そして、オリヴァーに背を向けながら静かに声を発した。雨音にかき消されるギリギリの声量だった。
「気を付けろ。
相手の方が一枚も二枚も上手だ。君達がヨーロッパ中をたらい回しにされたのも計画の内だろう。
加えて事態はこれから一気に進むだろう。が、焦るな。
決して、焦るな。もう何年も私とアランは動いていた。いくつかの策はもうすでに用意されている」
ソフィアは言いたいことを言い終えると、歩き始める。オリヴァーの返事が聞こえたのに片手をあげるだけで応えた彼女は、身軽になった体で時間があれば寄ろうと思っていた場所へと足を向ける。
雨の中長い時間歩いただけではない体の重さと、精神的な疲労を感じつつたどり着いた場所は墓地。アランが眠っている場所だった。
ソフィアは昼間は葬式を遠めに見ているだけだった敷地へと入ると、真っすぐアランの墓標の前まで歩いていく。すると、どこからともなく雨に濡れた黒い犬が現れ、ソフィアの行く手を阻んだ。
(こいつは何だったか……最近読んだ本に書いてあったな)
ソフィアは赤い目をこちらに向け、アランの墓標の前に座る犬を見ながら少し考える。見るに悪いものではないが、だからと言ってソフィアを通す気はないその様子に、彼女は最近覚えた伝承の中からその犬の正体を引き出した。
「チャーチ・グリムだったか?大丈夫だ。私はここに眠るアランの友人だ」
ソフィアは膝に泥が付くのも気にせずにしゃがんで、目の前の精霊の一種であるチャーチ・グリムへと語り掛ける。死者の行末を暗示し、墓守でもあるこの犬は目の前の包帯男に首をかしげるばかりで、ソフィアは目の前の犬の可愛らしい仕草にわずかに口角をあげながら顔の包帯を外していく。
「これでいいか?」
ソフィアがそうやって問いかけるも、チャーチ・グリムは退こうという気配は見せず、彼女はどうしたものかと立ち上がる。すると、チャーチ・グリムは何かを感じたのか立ち上がって、アランの墓標へと素早く振り返った。
そこにいたのは、緑色のドレスに身を包んで、尖ったナイトキャップのような帽子をかぶった妖精。ピクシーだった。
【ほら、犬っ子、どきなさい】
ピクシーがしっしと手を振ると、チャーチ・グリムは渋々と言った様子でアランの墓の前から動いて、その墓標の横に伏せてしまう。
「信用されてはいないな」
【まあね。あんたは見るからに怪しいし、多少知識はつけたみたいだけど、魔法使いでもなんでもないもん】
ソフィアが肩を落としてそう言えば、ピクシーはアランの墓標を撫でながら応える。そして、ソフィアがピクシーを前にどうしようかと考えていると、彼女が首を傾げて口を開く。
【お参りしないの?】
「ああ、そうだな」
自分のことは気にしないでいいというピクシーに、ソフィアはやりにくさを感じながらも、墓石に向かって言葉を投げかけた。
「あれほど気を付けろと言ったのに、死んでしまうとはな。
……私は悲しいよ。
君はどこまで知った?私に言いそびれたことはないか?遺したものは?」
ソフィアはそう言った後、ふとシャーロットのことを思い浮かべた。彼女は結局納得はしなかった。納得しなかったという事は、彼女は自分達の後を追いかけてくるだろう。それがどれほど危険な行為であっても、それを理解しながら歩みを進めてしまうはずだ。
「これは……根拠のない直観だが、もし君が私に遺したものがあったのなら、それは恐らく君の娘が持ったままだろうね。
君は娘を巻き込みたくはなかっただろうが……駄目だろうな」
ソフィアはちらっとピクシーのことを見る。彼女は墓石に座ったまま、ふてくされた様にひざに肘をついていた。
「彼女は君が思う以上に、君のことを愛していた」
【私だって、アランのことを愛していたわ】
「嫉妬は見苦しいぞ、ピクシー」
ソフィアが不機嫌なピクシーにそう言えば、彼女は墓石の上に立ち上がり拳を振り上げた。しかし、墓石の元に伏せるチャーチ・グリムがわずかに鼻を鳴らすと、ここが静かにしないといけない場所だという事を思い出したらしく、彼女はその振り上げた手を下ろす。
「君を殺した男は捕まえておいた。処理はエクソシストたちがしっかりやるだろうさ。
彼らも彼らのプライドがあるだろうから、きっとうまくやるはずさ」
【なあんで、そのクズを殺さなかったのよさ】
「別に殺しても良かったんだが、アランの娘がね。彼女は優しい子だ」
シャーロットのことをことを思い浮かべながら、困ったようにソフィアが笑えば、ピクシーは感情のやり場に困ったように渋顔をしてそっぽを向いてしまう。
そして、ソフィアはピクシーの美しい羽根を見ながら、ふと気になったことを問いかける。
「アランの娘は、魔法使いとしてどうだ?」
【……】
「どうした?」
問いかけに何も言わないピクシーに、ソフィアが訝し気な表情をする。ピクシーは腕を組んで、墓石をつま先をトントンと叩けば、組んでいた手を解き、と落ち着きをなくしてしまう。
そして、腰に手を当てて俯きながら何かを考え始めると、やがて振り返ってソフィアのことを見上げた。その表情は悲しそうで、苦しそうで、不思議と雨に濡れていなかった妖精の頬にはわずかな水滴があった。
【アランにはシャーロットのことはそっとしておいてくれって、頼まれてたの。
それも、あたしだけじゃなくて皆だよ。わざわざ色んなところに出向いて、娘のことはそっとしておいてくれって。
でもさ、あの子、危ないことに首突っ込むんでしょ?】
「突っ込むだろうな」
ソフィアが確信を込めてそう言えば、ピクシーは下のチャーチ・グリムに目を向けた。
【なら、あたし達のことはよく知っておかないといけないと思う。この、街中にある懐かしくて危ない気配は、多分あたし達と同じモノだから。
アランはある程度は教えたって言ってたけど、たぶんそれじゃ足りない】
「もしかして、彼女は才能があるのか?」
ピクシーは再び顔をあげ、愛しのアランとの約束を破ることになるだろう呵責に苛まれて苦し気な表情をしながらも、ソフィアの問いかけに答える。
【ある。アランよりもずっと。
ここ100年……ううん、もっと古い時代から数えても、見たことないほど】
「そうか。ありがとう」
(ゲーム内の描写を察するに、才能はあるのは分かっていたが、それほどだったのか。
どうしたものか……。今すぐには結論は出せないな)
ソフィアはこれからのことを考えながら、懐に手を入れ、リボルバーを取り出す。それに素早く反応したチャーチ・グリムが立ち上がり、ソフィアのことを威嚇し始める。
「大丈夫だ、チャーチ・グリム。少しうるさくなるが、私なりの弔いだと思って欲しい」
ソフィアはそう言いながらリボルバーのシリンダーをスライドさせて取り出し、その中にポケットから抜き取った一発の弾丸を込めていく。
その弾丸に強く反応したのはピクシーで、彼女は目を丸くさせながらソフィアの手元を見た。
【随分と力を感じるけど】
「これがあれば、悪しきものは近寄ってこないか?」
【うん。よっぽど力が強いのじゃないと、手出しできないと思う】
「それなら良かった」
ソフィアはシリンダーを戻した後、ハンマーを持ち上げながら天に向けて銃口を向ける。そして、しっかりと腕を伸ばしてから、ゆっくりとアランの墓標の根元へと照準を合わせた。
「わざわざ聖別して色々彫りこんだんだ、花は手向けてやれないが、これの方がいいだろう?
昔渡したお守りの銀弾が無意味に終わったのは謝ろう。その代わりと言っては何だが、アラン」
一拍。
「後のことは私が全て引き受ける。事件のことも娘のことも」
ソフィアは、ゆっくりと引き金を引いた。
「だから安心して眠っていい」
少ない火薬で発射された弾丸は一瞬白銀の軌跡を描き、その寂し気な銃声は雨が地を叩く音に直ぐにかき消されていくのだった。
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