卒業

 ヨーロッパの大学の卒業式はおおよそ6月から7月に行われることが多い。

 ソールズベリー女学校もそれは例外ではなく、卒業式は7月の夏真っ盛りに行われていた。システムの上では学位取得さえすれば卒業を申請できるようにはなっていたが、式典は全員纏めて行うようになっていた。

 シャーロットが天涯孤独となって一年と少し、夏真っ盛りと言っても過ごしやすい気温のソールズベリーに、多くの女生徒とその親族が集まり、大学敷地内に存在する大ホールで卒業式が行われる。

 設立者であり学長でもあるジョージが壇上でラテン語で式を進行していき、やがて彼の言葉が終わると、取得した学位によって異なるアカデミックガウンに身を包んだ女生徒たちが世話になった教師陣と学長への元へと歩いていき一言二言挨拶を交わしていく。

 無論、ソフィアも自身が指導した生徒それぞれと握手を交わしていく。

 その中には当然、黒い礼服に身を包んだシャーロットがいて、彼女はわずかに寂しそうな表情をさせながら、ソフィアの前まで歩いてきた。


「卒業おめでとうございます。まだ教師生活は短いですが、君ほど優秀な子は早々現れないでしょう」

「ありがとうございます。私も貴女ほど素晴らしい先生に会えて、その上指導も行っていただけたことは望外の喜びです」


 二人が固く握手をすると、シャーロットは目を伏せて目礼をしながらソフィアの前を去っていく。入れ替わりにやってきたのはオーガスタで、彼女は晴れやかな笑顔でソフィアに手を差し出した。

 しかし、ソフィアは悪戯っぽい笑みを浮かべながら彼女の手を取る前に口を開く。


「卒業おめでとうございます。君ほど手がかかって、頭を悩ませた子はいませんでした。その分、私も多くを学ばせていただきましたが」

「嫌ですわ、先生。今日くらい素直にほめてください」


 少し拗ねた表情でオーガスタがそう言えば、ソフィアは優しく微笑みながら彼女の手を取る。


「そうですね。君は素晴らしい洞察力を持ち、特別なコミュニケーション能力がありました。君を生徒に持てたことは私の誇りです」

「私こそ、至らぬことは多くありましたが、実に多くのことを学ばせていただきました。本当にありがとうございます」


 彼女は握手の後、アカデミックガウンの裾を片手で小さく摘まんで僅かなカテーシーをする。深く膝を折るような本来の仕草ではなく、いつの間にかこの女学校の伝統になっていたやり方で敬意を表した彼女に、ソフィアはわずかに視線を上に向けることで呆れたことを表現する。

 わざわざソールズベリーに家を借りて大学に通っている内に、完全に校風に染め上げられてしまったらしい彼女だが、本来は王位継承権すらもつ王族なのだ。あまり変なことを覚えるようなら、その責を問われるのはソフィアである。

 一瞬、勘弁してくれ、と思ったが、そこを含めて自分の良き生徒だったのだろうと、去っていくオーガスタの背にソフィアは微笑みを向けるのだった。

 その後も卒業式はつつがなく進行し、やがて式典が終了すると、会場を移して豪華な晩餐会となる。

 ソフィアが講堂から出ると、同じく出てきたジョージと鉢合わせになった。彼はもう豪華な衣装に身を包むことに慣れ切っており、成功者の顔つきをしていた。

 そんな彼にソフィアはガウンの袖をはためかせながら腕を組み声をかける。その表情は、先ほどまで持っていた教師としてのものとは正反対な威圧感さえ感じるものだった。


「美しい羽で着飾っているようだな」

「これはこれは……ソフィア。立派な鳥に見えるかね?」


 ソフィアに話しかけられたジョージは恭しい敬語を使いかけたが、すぐに首を振って礼儀正しい親の表情になる。そして、質の良いアカデミックガウンを手のひらで撫でながらそう問いかけると、ソフィアは鼻を鳴らして答える。


「まあまあだ。もとより侯爵としていっぱしの雰囲気はあったんだ。それに多少投資家としての貫禄が加わったところで、そう変わらない」

「ははは、面白い冗談だ。最近になってようやくだよ、大貴族となれたのは」


 二人は並んで歩き始める。ソフィアは女性としては背が高かったので、ジョージとそう目線は変わらず、傍から見るとやはり親子なので顔つきなどによく似た雰囲気があった。

 新鋭の学者と投資家として空前の成功を収めている学長、二人の関係を知らぬ者はこの女学校にはおらず、二人が歩いていく先を人々は自然と道を譲る。


「これは気分がいい」


 ジョージがぽつりとそう言えば、ソフィアはかつて彼に言った言葉を思い出す。


「名誉も金も、手に入ったか」

「ええ。まさか、殆ど合法な方法でこうなるとは思わなかったが」


 ジョージは実に晴れやかな表情で頭を下げてくる生徒や、その親族に手を上げて応える。


「とはいっても、随分こき使われて金を使う暇がないのが残念だ」

「大量に馬を買っているだろうに」

「貴族の嗜みですから」


 ソフィアが笑顔のジョージのその言葉に肩を落とし、それからしばらく歩いているとやがて晩餐会が行われる大ホールに二人はやってくる。そして、開け放たれた扉から入ると、そこには立食形式ですでに軽食が振舞われ始めており、人々が食事を楽しんでいた。

 スーツに身を包んだ男性と、アカデミックガウンに身を包んだ女性と、それからドレスに身を包んだ女性とが入り混じり、中には欧州以外の文化圏の民族衣装を着た人間すらいた。

 世界中を見渡してもここでしか見られないだろうその光景に、ソフィアは満足げに頷く。

 そして、ソフィアが挨拶周りに行こうかとジョージと別れて歩いていると、前から老年期に差し掛かっているように見えるがガタイの良い男がやってきた。

 彼女はすぐに自分への客だろうと察すると、手近なテーブルからアルコールの入っていないグラスを手に乗る。


「こんにちは。初めまして、私はエドワード・パジェットと言う者です」

「こちらこそ初めまして。ソフィア・ロングフェローです」


 二人が相対すると、まずは挨拶から入る。しかし、慣例的にお辞儀やカテーシーはせずに、二人は対等な立場として握手を交わすことで挨拶を終える。

 少なくとも、このホールの中では握手による挨拶を奨励していた。様々な身分、様々な文化圏から人間が集まっていたので、作法の行き違いをなくすためにそうしていた。だが、保守的な観点から見るとあまり決まり事ではないだろう。


(とはいっても、女学校だからそれ以前の問題なのだが)


 握手を終えたソフィアが内心笑っていると、パジェットは全く内容が減っていないグラスを手に口を開いた。


「博士がオーガスタ様を指導してくださったのですよね?」

「ええ」

「彼女の大学での振る舞いについて教えていただきたい」

「もちろんです」


 ソフィアは目の前の男が王室からの使者であろうことに当たりを付けると、オーガスタについて簡単に伝えていく。基本的には真面目だが、フラストレーションがたまるとお転婆になると教えると、パジェットが大きくため息をつく光景は面白くはあった。

 その後もいくつかのことを告げ口すると、パジェットはその度に呆れたような表情をし、やがて一通り話を聞き終えると顔を引き締め、これが本題だと言わんばかりにソフィアへと言葉を投げかけた。


「オーガスタ様の専攻は経済学でしたか。彼女の論文はいかに?」

「素晴らしいの一言です。視野が広く、多くの課題を見つける才に恵まれています。ただ、数学が苦手ですね」

「そうですか」


 そう返してからパジェットが目をつぶって何かを考え始めると、遠くから件の女生徒の「せんせーい」というのんきな声が聞こえてきた。

 ソフィアがそちらに目を向けると、手をぶんぶんと振る楽しそうなオーガスタと困ったような表情をするシャーロット。そして、オーガスタがふと視線をソフィアから横にずらすと、一瞬で喜色が驚愕の色へと変貌する。


「なっ!パジェット!なんでここに!?インドに行っていたんじゃ!」

「任期は終了したので」


 ソフィアはオーガスタのその発言に、先ほど握手の時に感じた手の感触を思い出す。パジェットは軍人かなと、一人思いながらグラスに口を付けていると、事態はパジェットとオーガスタを中心に回り始める。


「殿……お嬢様。お嬢様が正しく成長できているのかを確認しにきたのです。見るに、実に自由に生活してらしたようで」

「むむむ……」


 一瞬殿下と言いかけたパジェットは首を振ってすぐに言い換え、オーガスタにチクチクと小言を言い始める。ソフィアは一人事態に置いていかれたシャーロットに目配せをして黙っているように伝えながら、横から口を挟んだ。


「我が校では礼儀作法の授業もありますよ」

「ほう?本当ですか?」

「必修です。様々な国から留学生が来るため、統一された礼儀作法は必要ですから」


 この場では無礼講ですが、とソフィアが付け加えながら火に油を注げば、オーガスタは目を見開き、すぐににこやかなものにして口元に手をやって形だけは貞淑に見せる。


「シャーロット様と飲み物でも取りに行ってまいりますわ」


 そして、実質的な逃亡宣言をしながら、自分も何か飲み物をと視線を彷徨わせいていたシャーロットを巻き込もうとする。それに彼女は驚いた表情をしていたが、流石に王族のごたごたには巻き込まれたくなかったのか固辞するかのように首を振った。


「お待ちください」


 それに待ったをかけるのはもちろんパジェットなのだが、彼の雰囲気は先ほどオーガスタに小言を言っていた時とは変わって僅かに剣呑な雰囲気をまとわせていた。

 その雰囲気の変貌にオーガスタは目を細め、シャーロットに視線を向ける。


「シャーロット様、私の分の飲み物を含め、グラスを二杯とって来てくださる?」

「はい。かしこまりました」


 シャーロットも愚かではない。自身に聞かせられない話があるのだろうと判断して遠くのテーブルまで足を向ける。

 それを確認し、周りに耳を傍立てているものがいないことを確認したパジェットは、オーガスタとソフィア両名に視線を向けながら静かに告げるのだった。


「伯父上からの伝言です。『しばらく勉学に励め』と」


 オーガスタはその言葉に直ぐに頷くようなことはしなかった。ソフィアは何でもないかのようにグラスを口に運び、周りからの視線にあくまでただの世間話だと演出してみせる。


「どれほどの期間ですか?」

「分かりません。ただ、伯父上曰く『博士号でも取っておきなさい』とのことです」


 パジェットはそう言いながらソフィアへと目を向ければ、彼女はすぐに頷く。


「微力を尽くしましょう」


 そうやって、ソフィアが言外に面倒を見ることを確約すれば、パジェットは頷いて視線を遠くの方のシャーロットへと移す。彼のその目の動きの意味を悟ったソフィアは、手元のグラスの中の飲み物を一気に飲み干し、口を開く。


「軽食でも取ってきます」


 そう言いながらソフィアは二人に背を向けると歩き去っていく。後に残されたオーガスタとパジェットは、ソフィアが完全に立ち去ったのを確認した後真剣な表情で言葉を交わし始める。


「さて、パジェット、話せる範囲で話しなさい」

「伯父上は『あまり知りたがるな』と」


 その一言の伝言で不愉快そうな表情をしたオーガスタに、パジェットは少し何かを考えるようなそぶりをした後、続いて口を開く。


「伯父上は勉学において優秀な成績を収めているのであれば大学に留め置き、そうでなければグランドツアーに連れ出せと仰っていました」

「つまり、とにかく“家”から離れろと」


 オーガスタの言葉にパジェットは否定も肯定もしない。しかし、自身の意見を言う事にはしたらしく、遠くを歩いているソフィアの後姿を見つめながら呟き始める。


「彼の御仁は、かつてのナポレオンのようです。私のような俗人からは及びもつかないようなを持っていらっしゃる」

「高い視点?」

「一つの戦場だけではなく、戦域全体を見通すようなものです。私は先の戦争でナポレオン軍と戦いました。その時と同じような、底知れなさをロングフェロー家からは感じます」


 オーガスタはパジェットの言葉にいくつか心当たりがあった。西はアメリカ、東はインド、南はケープ植民地、ロングフェローの手は世界中へと伸びている。オーガスタ自身、ネイティブアメリカンやインド人の知り合いはこの大学でできたし、着飾る時に身に着けているネックレスのダイヤはケープ植民地にあるロングフェロー家が持っている鉱山から産出した物だった。

 まだ学生の時分で経済学を極めたとは口が裂けても言えないほどだが、ロングフェロー家は長大な航路と膨大な販路をもうすでに構築し始めている。それを支えるのは、数多の新技術。

 そして、それらが生まれた場所は、この大学だ。


「殿下。ああいった手合いの人間とは表立って敵対せぬことです」

「ええ。心得ていますとも、先生とは仲が良いのですよ」


 オーガスタは伯父から受け取った言葉の真意を理解しようと努める。なぜ多くを語らなかったのか?なぜパジェットを遣わせたのか?なぜは多く、回答は少ない。


「ああ、それから、しばらく私が護衛につきますので、そのおつもりで」

「え゛?」


 パジェットの最後の一言に、オーガスタはカエルが潰れたかのような悲鳴を上げるのだった。

 一方のオーガスタと別れてシャーロットと合流したソフィア、彼女は空いたグラスを途中で給仕に手渡していたので手ぶらだった。そんな彼女はシャーロットに微笑みながら口を開く。


「改めて、卒業おめでとう」

「ありがとうございます」


 シャーロットも嬉しそうに笑えば、ソフィアが一瞬遠い目をする。


「無事に卒業できてよかった」


 父が亡くなった事を暗喩するその言葉に、シャーロットはわずかに影が差す笑顔を作って頷く。そして、何かを誤魔化すようにグラスの中のサイダーを舐めるように飲んだ。


「サイダーが好きなんですか?」

「はい。好きです」

「そうなんですね。覚えておきます」


 ソフィアは自分もサイダーの入ったグラスを手に取り、それを一口飲む。わずかな炭酸と甘さ、それからアルコールの苦い味。ソフィアはその味にわずかに眉をひそめて、グラスを置いてしまう。


「ところで、君は卒業後の進路はどうするのですか?今まではぐらかされてきましたが、今日はきちんと喋ってもらいます」

「ええっと……」


 シャーロットはソフィアの追及に気まずそうな表情をして、彼女の視線から逃れるように視線を彷徨わせる。ソフィアはそんな彼女の様子に心の中でため息をつくと、ある種の許しの言葉を投げかけた。


「君はもう私の手から離れました。好きにしなさい」


 ソフィアのその言葉に、シャーロットはばつが悪そうな表情で頬をかきながら、自分が計画していたことを話し始める。

 

「少し旅に出てみようかと」

「旅?」

「はい。子供のころはウェールズに住んでいて、父はスコットランド生まれと言っていました。故郷を巡ってみようかと」

「ふむ……。最近は鉄道の敷設で交通の便が良くなりましたし、良い選択でしょう。普段とは違う環境に身を置いてみるのは新たな発見を得るチャンスです」


 ソフィアはシャーロットの計画に口を挟む気もなく、頷いて彼女の選択を尊重した。シャーロットは尊敬する人物からの同意が得れたことに嬉しそうに笑う。


(旅を終えた後は聞かない方がいいか。分かり切っていることだし、ソフィアとして聞くことも無かろう)

「海外への興味は?」

「ううん……。グランドツアーには当然興味はありますし、新大陸も心惹かれますが、いかんせん――」

「グランドツアー!いいですわね!行きましょう!」


 シャーロットの言葉の途中で後ろからオーガスタの期待を含んだ声が飛んでくる。

 グランドツアーとは、貴族の子供がローマを目指してフランスやオーストリアなどを巡る海外旅行であり、当時の最先端の文化やかつてのローマ帝国を実地で学ぶという、今でいう修学旅行のような物であった。19世紀中ごろから下火になるが、この世界では鉄道の普及によりまだその習慣は残っていた。

 当然金はかかる上、期間も最大年単位となるので、金銭的にも時間的にも余裕が無ければ実行は不可能なのだが、オーガスタは当然決行することが可能だった。


「もし行くのなら、先生が付いてきて来てくれるのですか?」

「ヨーロッパを巡る程度ではついて行きませんよ。アジア、新大陸にも行かなければ、真にグランドツアーとは言えませんね」

「い、行けません!そんなお金ありません!」


 シャーロットは目の前に立つ女性二人がとんでもないお金持ちであることを今更ながら思い出し、僅かに青い顔をしながら首を振る。

 そして、そんな彼女のことをソフィアとオーガスタが笑っている後ろで、パジェットは微笑みを湛えながらも油断なくソフィアのことを見つめ続けていたのだった。















 あとがき

突然伸び始めランキングに乗ったことや、PV数がこの1週間で今まで3か月分と同じ伸びをし始めたことにびっくりしつつも、お礼を申し上げます。

感想は大切に読んでいます。星もハートもありがとうございます。

応募要項を満たす分書いたことや、その後カクヨムコンに落ちてモチベーションが下がっていましたが、今はモリモリ元気が湧いています。 

また更新を頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。

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