第三章

旅の最中に出会う

 ウェールズ北部にはコンウィという都市がある。グレートブリテン島とアイルランド島に挟まれたアイリッシュ海に注ぎ込む、コンウィ川の河口に広がる古い街だ。

 大学を卒業したシャーロットはその街に一人やってきていた。

 季節は冬。彼女はリバプールから乗り継いできた列車を降りると、アイリッシュ海から吹いてくる冷たい海風にインバネスコートをたなびかせた。

 父のおさがりのコートの前を閉じながら、シャーロットは旅行鞄を片手にプラットフォームを歩いていく。そして、駅員にチケットを見せて駅舎を出ると古い城壁が目立つ通りに出る。

 この地には城塞が存在し、そこを中心に発展した街なのだ。イングランドとウェールズが争っていた時の時代の物だが、城壁はそのほとんどが完全な状態で残っていた。

 そんな街に唯一存在し、リバプールから伸びる路線の終点である駅で、シャーロットはぼうっと立ち尽くす。


「なんで、この街だったんだろう?」


 そう言って彼女はポケットの中から古いチケットの半券を取り出す。それはアランが購入し、使用したチケットの半券だ。何枚かあった半券を見るに、ロンドンからブリストルへ行き、そこからバーミンガム。バーミンガムでしばらく逗留してからリバプール経由でここに来たであろうことが分かっていた。

 一方で、復路のコンウィから出発したらしい形跡はない。


「分からないなぁ……」


 シャーロットは首を振り、とりあえずこの街を巡ることにした。とはいっても、観光地としてそれなりにしか整備されていない、ただの田舎町で見るべきものはほとんどない。コンウィ川の西側はすぐに巡り終えてしまう。

 民家と農地、それ以外は湿地帯だけで、それを見回ってしまうとシャーロットはますます首を傾げてしまう。なぜ父親はこんな所に来たのだろうと。

 やがて足はこの街のシンボルの一つである、川のほとりに建つコンウィ城の本丸へと向けられる。

 13世紀、イングランドとウェールズがまだ別の国だったころ、この地を征服したイングランド王エドワード1世によって建造された城であり、エドワード1世はこの城や他の城でもってグウィネズに立てこもるウェールズ王を包囲しようとしたのだ。

 しかし、そんな経緯は今は昔、エドワード1世がすぐさまウェールズを屈服させたこともあって、ゆっくりとその要害としての地位を失っていって今に至る。

 ただ、このコンウィ城は数々の絵画のモチーフに選ばれるほどに美しい城だった。

 城のほど近くに建築された吊り橋もそれを意識してか、城と釣り合う様に塔がデザインされすらいた。

 そんな城の方へと歩いていくシャーロットは、見回りをしていたらしい警備員を見つける。初老の男だった。彼女は男にウェールズ語で話しかける。


「こんにちは」

「ん?おお、こんにちは。観光ですか?」

「ええ、そんなところです」


 シャーロットはにこやかに応対してくれる男に好印象を持ちながら、少し会話を続けることにした。


「中には入れますか?」

「入れるよ。補修工事もつい最近終わったしね。入り口でチケットを買ってくださいね」

「補修工事?」


 シャーロットが気になった部分を問い返すと、城の目の前にあるつり橋を指さす。


「橋を作ったらついでに鉄道が来たもんで、いっちょ観光地にしちまおうってあちこち直したんだ」

「ああ、なるほど。鉄道が。ありがとうございます」


 それを聞いたシャーロットはお礼を言うと、最後に一つダメもとで一つ質問をする。あまり真剣な表情にならないように気を付けながら、形見であるコートを指さす。


「これと同じコートを着た男性を見た覚えがあったりしませんか?」

「いやあ……」


 男は首を傾げながらシャーロットが着る使い込まれたインバネスコートを観察する。しかし、何も思い至ることはなかったのか、首を左右に振った。


「覚えは無いなあ。昔ならいざ知らず、最近は観光客も来るようになったし」

「そうですよね。変なことを聞いて申し訳ありません」


 シャーロットは軽く頭を下げるとコンウィ城の入り口の方へと回っていく。その間にも本丸の城壁と塔は見えていて、苔むした石造りのそれを見ながら歴史への思いをはせる。

 そして、城入り口付近に作られた掘っ立て小屋でチケットを購入すると、シャーロットはそれなりに急な坂を上って城の中へと入場する。

 城がもはやその機能を失っていたのは確かで、シャーロットは何にも妨害されることなく門を抜け、中庭へと入る。その一方で、城壁に存在する矢狭間、大きく深い井戸、複雑で分かりにくい建物への動線は確かに城としてのかつての機能を思わせた。


「これは、凄い」


 素直な感想を呟き、シャーロットは観光を楽しむ。その内、彼女は案内板からこの城の来歴を知り、塔へと登っていく。

 塔の上からは古いおもむき残るコンウィの街やアイリッシュ海が見え、そこから振り返るとコンウィ川の穏やかな流れが見える。川を上っていけばウェールズで一番高い山のスノードンがあるのだろうか。

 そして、ふとコンウィ橋に目を向ける。つり橋の中でも鎖橋と呼ばれるタイプのそれにシャーロットは違和感を覚え、目を凝らして見ることにした。列車に乗っていた時には速度が出ていて観察を満足に出来てはいなかったが、塔の上であれば話は別だ。下から見上げるよりもはっきりとつり橋を観察することが出来た。

 つり橋で一番よく目立つロープは、長い鉄のロッドを連結した鎖、アイバーチェーンと呼ばれるもので作られていた。しかし、それに交じって別のロープが見える。


「ワイヤーロープかな」


 そう呟いてから、シャーロットは自分の言った言葉に首を傾げる。そして、よく目を凝らしてつり橋の塔部分やアンカレッジを身を乗り出してまで、観察する。


「……コンクリートか」


 つり橋の塔部分は石を積み上げてできているように見えた。しかし、一方のつり橋のロープを支えるアンカレッジは、溝が掘られて一見石造りには見えるもののコンクリートで作られているように見えた。

 シャーロットはそれを確認すると、足早に塔から降りてすぐに城から抜け出す。そして、コンウィ橋の歩道へとやってくる。

 そして、よくよく観察すると、アイバーチェーンに交じって、かなり太いワイヤーが使用されているのを確認できた。


「何でここに?」


 そして、視線を下げれば、吊材もただのロッドに交じってワイヤーが使用されているのが確認できた。

 あまり考えられないことだ、とシャーロットは腕を組んで考え込む。

 異なる建材を使うことは現場が混乱してしまい、事故の元だ。それも、アイバーチェーンもワイヤーロープも建設当時は新しい建材であり、コンクリートだってそう。

 コンウィ橋は道の巨人とも称されたトーマス・テルフォードという土木技師によって建設されたものだ。果たして円熟した設計士がこんな不必要に複雑で挑戦的なことをするだろうか。

 シャーロットは数年前に読んだ本の内容から、彼が最晩年に手掛けたメナイ海峡に架けられたつり橋がここからさらに西にあることを思い出せたが、つり橋の設計についてはついぞ思い出せなかった。


「……?」


 シャーロットはふと気配を感じて振り返る。歩道橋のど真ん中で立ち止まり続けて迷惑だったかと反省しながら、その気配へと目を向けると、そこには古めかしい紺色の服に身を包んだ若い男が立っていた。


「アランの娘」


 しかし、一方でその声はしゃがれており、聞き難ささえあった。

 シャーロットはわずかに腰を落としながら目の前の男から意識を外さず、視線を辺りに彷徨わせる。いつの間にか周辺に人はおらず、その上、つり橋の端や周囲が霧に包まれ向こうが見えず、下を覗き込めば散々行きかっていた小舟も見当たらなかった。

 つまり、異界。

 父から話は聞いていた場所に、シャーロットは冷たい汗をかきながら生唾を飲み込む。


「そう、警戒しなくともよい」

「警戒はしますよ」

 

 シャーロットはそう受け答えをしながらポケットに手を入れ、その中にあった一つの木の指輪を手にする。

 男はそんな行動をしたシャーロットに対して感心したかのように片眉をあげ、シャーロットがその指輪をポケットの中で器用に親指に嵌めたところで、男は顔を引き締め直して口を開いた。


「アランの娘よ。お主が求めているものはまだ早い。お主の手に余る」

「どういうことですか?」


 シャーロットが疑問を投げかければ、男は首を振る。


「言葉通りの意味だ。まだお主は未熟であり、事は大きすぎる。身の丈に合っていないのだ」


 その言葉にシャーロットが黙りこくっていると、男は言葉を続けていく。


「アランでさえ、押しつぶされた。遠く今の都では奔走している異教の人間もいるが、頼りない。

 頼みの綱はお主であり、お主を失うわけにはいかないのだ」

「私の父はここで何かを探っていました。私はそれを知りたいだけなのです」

「ならぬ」


 父の名前を出されて若干気色ばんだシャーロットが男に抗弁すると、彼はゆっくりと首を振った。そして、シャーロットに向かっていた体を横に向け、霧の中、川の上流の方を向いた。


「幸いにも時間は大きく稼がれた。お主が成長するだけの時間も、ちょうど良い試練もあろう」

「いったい、どういう事なんですか!今、何が起こっているんですか!私が頼みの綱とは?!」


 シャーロットが語気を強めながら声をあげれば、男は踵を返してしまう。


「お主自身を探るのもまた試練。だが、まだだ。まだなのだ。ゆめゆめ忘れるな」


 そして、伝えたいことはこれだけだとでも言わんばかりに、男は霧の向こうへと歩んでいく。彼の紺色の衣装がゆっくりと白み、やがてそれが見えなくなれば、どこからともなく蒸気機関車の警笛が響いてきた。


「本当に、何を知ったの?お父さん」


 ガタンガタンという、騒音がどんどん近付いてきて、歩道の横にあるレールの上を低速の列車が通り過ぎていく。

 列車に巻かれた風でインバネスコートがたなびき、冷たさが頬を叩く中、シャーロットは男が見た川の上流、つまりは南東の方角を見る。

 欄干に両手をつき、男が何を見たのかを考えようとしたがやはりここからでは川の穏やかな流れしか見ることはできなかった。

 そして、彼女は足にばさりと何かがまとわりついたのを感じる。見れば、新聞がばさばさと音を鳴らしていた。


「まったく」


 ポイ捨てに悪態をつきながら腰を折って新聞を取り上げる。そこでふと目に入った見出しには『大西洋海底ケーブル敷設成功!4度目の正直!』と出ていて、他にもロンディニウムで起きた事件や、早速海底ケーブルを使ったのか海の向こうの話題すらある。

 何かが起これば、数日のうちに世界を駆け巡るようになった今の時代、こんな田舎でだって世界情勢に詳しくなれる。

 シャーロットは自分が子供のころ想像したことも無いような、一見不可能だと思ったようなことが次々と現実になることに、わくわくするような興奮と一抹の恐怖を感じる。

 そして、捨てられ、しわくちゃになった新聞に載る最後の話題を呟いた。


「万国博覧会の開催日時決定、かぁ」

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