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 ワッピングでの調査は、元々アシュトンがある程度行っていたために、スムーズに進んでいた。ただ、5件の事件現場に順番に回っていく中、当のアシュトンは目新しい発見はないと肩を落としてしまう。

 そして、彼は新たに連れてきた男――ハーロック――に期待をかけて問いかけることにした。

 二人がいたのは3番目の事件現場、本来は樽家が作った樽を置いていた野外。今は樽などは置いておらず、事件現場も清掃されてしまったために唯の空き地と化していたが。

 問いかけられることになるハーロック、もといシャーロットはその空き地にしゃがんで、むき出しの地面に手を当てて考え込んでいた。


「何かわかったことでもあるのか?」

「一応ある、けど……」


 シャーロットは目の前にある物を見ながら言いよどんでしまう。目の前にあったそれは常人が触れることはないだろう事象だったからだ。

 口ごもるシャーロットに眉をひそめたアシュトンは、腰をかがめて彼女が見ている物を覗き込む。そこには『W』のような形が地面に彫られており、彼はこのシンプルでそこら辺で見ないことはないかもしれない形に首を傾げた。


「これは『W』?落書きか?」


 そうしてアシュトンが疑問を呈すると、シャーロットは観念して目の前にある物についてその正体を言い当てた。


「正確には、二つの『V』。魔除けだね」


 アシュトンがよくよく観察してみると、Wの文字に見えるが、よく見ると真ん中の山の部分が交差していることが観察され、Vサインがずらされて書かれていることを理解した。

 だが、シャーロットが放った胡乱な言葉に、胡散臭そうな表情を作ってしまう。


「は、魔除け?」


 アシュトンが鼻で笑うが、あくまでシャーロットは真面目な顔でそのマークを見つめていた。アシュトンはそんな彼女の後姿を見て、一応スケッチでもしておくかと手帳を開く。


「で、その魔除けとやらは一体どういう物なんだ?後学のために教えて欲しいね」

「二つの『V』は処女の中の処女Virgo Virginumを示し、重ねて書くことでマリアMaryとも解釈が出来るようになる。

 つまりは、聖母の守護を得ようとするものだね」

「はぁ」


 アシュトンが気の抜けた返事をしながらスケッチと備考を手帳に書き終えると、シャーロットは立ち上がって彼と向かい合う。その表情は割と真剣なものだった。


「言っておくけど、魔除けが真実であろうとなかろうとこれは重要な情報だぞ?」

「と、いうと?」

「もしこれが犯人が書いた物なら、犯人はこういったものに造詣が深いことになる。

 こういう魔除けの伝統は大工の間には残っていたりするから、もしかしたら犯人はそれに関連があるかもしれない」

「ああ、なるほど!」


 解説にアシュトンは感心したと目を見開きうんうんと頷く。そして、シャーロットは他にも魔除けのしるしがあるかどうか辺りを見回す。


「ここにはこれだけだね。これと同じものがなかったかどうか、もう一度事件現場を回り直してみよう」

「オーケー、結構な進展だ!」


 アシュトンが足取り軽くもうすでに回った後の現場へと引き返していき、シャーロットも彼の後についていく。黙ってついていく中彼女は、魔除けのしるしは犯人ではなく、後から刻まれものだろうと予測していた。なぜなら、血を全て拭い去ったのに、地面のしるしだけが残されているとは考え難かったからだ。

 そして、二人が5つの事件現場の内4つを回って、よく地面や壁を探してみると、同じVVのしるしを見つけることが出来た。

 だが、最も新しい事件が発生した、ワークハウスのほど近くに行くと、先ほどまで順調に行えていた調査が行き詰まるであろうことは明らかだった。


「チッ、封鎖されてるな」


 なぜなら、未だに警察によって調査がされていて、付近が封鎖されていたからだ。深い紺色の制服を着た彼らはサーベルを帯剣していて、中でも封鎖線を構築する見張りはもうすでに抜刀すらしており、物々しい雰囲気を醸し出していた。

 そして、アシュトンが舌打ちをするのが聞こえていたのか、その内の一人がぎろりと彼のことを睨みつけると、サーベルを納刀してから胸を張って威圧感たっぷりにこちらへと歩いてくる。


「貴様ら、何者だ?」

「俺は記者。こっちは探偵」


 アシュトンが慣れた雰囲気で自己紹介と隣のハーロックのことを紹介する。それを聞いた警察は面倒くさそうな表情をし、手を振ってあっちへ行けとジェスチャーする。


「どっかへ行け、ここは立ち入り禁止だ」

「まあまあ、傍から見ている分には良いでしょ?」

「駄目だ」

「そこを何とか」

「駄目だ」


 アシュトンと警察が押し引きをしている間、シャーロットは僅かに横に動いて、警察官の肩越しに事故現場を観察していた。

 かなり開けた道路の端っこで殺人は行われたらしく、建物の壁と道路に乾いた血が散乱していた。死体は退けられて見ることは叶わなかったが、道路のある一点には黒々と血だまりが出来ていて、その血だまりの形を見るに、裂かれていたかどうかはともかく頭を酷く損傷したのは確からしかった。


「ああもう!しょっぴくぞ貴様ら!」

「おおっと、それじゃ、お暇しましょうかね!ハーロック!行くぞ!」

「はいはい」


 ついに威嚇のためにサーベルにこれ見よがしに手をかけた警察官に、アシュトンは参ったとでも言わんばかりに両手をあげる。そして、二人が退散しようとした時、シャーロットは事件現場に似つかわしくない、黒いローブを纏った人間を見た。

 カトリックでもプロテスタントでもない、祭服を着た、黒髪で背の高い男。

 彼は手に持った杖で地面にVVのしるしを刻みつけていた。

 シャーロットはそんな男のことをしっかりと記憶しながら、アシュトンについて、事件現場にほど近い路地へと入る。警察官から死角に入ったと理解するや否や、アシュトンは振り返ってシャーロットに言葉を向ける。


「何かわかったか?」

「余計わからなくなったよ」


 シャーロットは先ほど見た、奇妙な祭服の男のことを、しるしの事を除いてアシュトンに伝える。すると、アシュトンは何か考えるように眉を顰めながら手帳をめくり始めた。


「あ、あった。変な奴を見なかったかって聞き込みをした時に、そいつについての証言があった。

 ワッピングのあちこちを歩き回ってるらしい」

「なるほど……、なら捕まえることもできるかもしれない」


 この地域を歩き回っているなら、鉢合わせることができるかもしれない。鉢合わせるとは言っても、先ほどの現場検証を抜け出した彼に偶然を装って突撃するのが事実なのだが。


「とりあえず、あの男が動くまでは見張ってみるか」

「そうしよう」


 シャーロットは張り込みをしながら、祭服のような物を着た男のこと考える。警察とは違って、黒いローブを纏った男。彼がしるしをあちこちに刻み込んでいたのは確定的で、それを警察機関は許容しているのだ。

 異質と言って差し支えなかった。


「おい!馬だ!」


 シャーロットが考え込んでいると、彼女のことを慌てて揺さぶってくるアシュトン。見れば、事件現場とは別の方向から馬に乗った警察官が走ってきていた。

 馬にのる警察官の顔は青白く、かなり切羽詰まったことが起きているのは容易に想像できた。

 やがてその騎馬警官がシャーロット達のいる地点を通り過ぎて、さきほどの警察官たちと合流すると、彼らはにわかに騒ぎ始める。そして、現場を取り仕切っているらしい警察官が指示を出し始めるのが見えた。


「新しい殺人かも」


 シャーロットがそう言えば、アシュトンは一も二も無くその場から飛び出して警察官たちの元へと走っていく。


「あ、ちょっと!」


 驚いた声をあげたシャーロットは、アシュトンの記者根性に感心しながら彼のことを追いかけていく。だが、彼が警察官達に突撃する前に事態は急変する。

 祭服の男が疾風のような身のこなしで騎馬警官の代わりに馬にまたがると、そのまま駆け出したのだ。

 そして、祭服の男は進路上にアシュトンがいることを認めると、鋭く警告を発する。


「下がれ!」


 記者魂燃ゆるアシュトンでも、馬で突撃されたらどうにも命は惜しい、彼は警告の通りに脇によけ、そのまま馬は走り去っていく。


「アシュトン!あの男を追いかけるぞ!」


 シャーロットは今通り過ぎた馬のことを追いかけるために振り返る。彼女に呼びかけられたアシュトンは、一瞬未だにいる騎馬警官のことを見たが、すぐに先ほど見張りにされたように追い返されるのがオチだと察する。


「ああ!」


 そして、二人は司祭服の男を追いかけるために駆け出す。ワークハウス前から馬を追いかけるとすぐに、水門で足止めを食らっている男が見えた。その姿を認めたシャーロットは激しく嫌な予感を感じ、隣を走るアシュトンに大声をかける。


「もしかして、水路の向こうか!?」

「は?ワッピングを離れたって事じゃねえか!」


 アシュトンも遅ればせながらその嫌な予想に至る。水路に閉ざされたワッピング内で行われていた殺人事件が、ついにそこから飛び出してしまったのだ。アシュトンは水路の向こうの地区がどういう場所かよく理解していた。


「ワッピングの向こうはホワイトチャペル!悪名高いスラム街だ!まずいんじゃないか!?」


 アシュトンのそんな悲鳴染みた叫び声に、水門で足止めを食らい続ける祭服の男が振り返る。やっとこさ追いついたシャーロットが、上から見下ろされるのに威圧感を感じつつも、息を整えながら自身の胸に手を当てて自己紹介する。


「お前達はなんだ!?」

「ボクは探偵!こっちは記者!きっと役に立つ」

「つ、連れてけ!」


 アシュトンが膝に手を置き、ゼーゼーと激しい息をしながら同行を願うが、祭服の男はすぐに前を向いてその要望を無視する。

 それに待ったをかけたのはシャーロットだった。彼のことを説得するために声をあげる。


「あのを刻んだのは貴方だろう?若干だけど、ボクにはそういう知識があるから、協力が出来る!」

「何?」

「なん、だそれ。俺聞いてねえ」


 シャーロットの言葉に司祭服の男が反応し、アシュトンが初耳の事に抗議の声を上げる中、水路の道が開かれる。


「事は一刻を争う上に、これは我々の問題だ。付いて来なくていい!」


 シャーロットの説得にも関わらず、祭服の男は馬に合図を出して走っていってしまう。水路の向こうでこちらに渡るために待っていた群衆が大慌てて道を開け、馬がその間を走り抜けようと速度を上げていく中、シャーロットも腕を振って疾走する。


「アシュトン!追いかけるよ!」

「ひぃ~!」


 あまり運動が得意ではないアシュトンが悲鳴を上げて馬とシャーロットになんとか追いすがろうとするが、どんどん二人から引き離されていく。


「さ、さき、先に……っ!」

「後で追いついてこいよ!」


 すぐに声をあげるのも無理になり始めたアシュトンのことをシャーロットは見捨てて、どんどん小さくなっていく馬と司祭服の男の背を追いかける。

 ワッピングを抜け、そのまままっすぐ走って左折、すぐに右折。そして、この周辺では一番大きな墓地を要するバロック様式の尖塔が目立つ教会の前まで走ったシャーロットは、馬がまた左折していくのを見送りながら、走る速度を緩めていく。


「はぁ…はぁ…、見失い――」

「はしないだろう」


 突如として飛んでくる低い声、息を切らすシャーロットが横を、教会の方を見るとそこには包帯を顔に巻いた男が立っていた。


「ダン……」

「随分と早い答え合わせになったな。ヒントを与え過ぎたか?」


 ダン、つまりソフィアは顎に手を当てて首を傾げる。一方のシャーロットは上がった息を整えながら不快な表情を隠そうともせずに口を開いた。


「答え合わせだとか、ヒントだとか……、本当に人が死んでいるだぞ」

「それもそうだな。さ、行くぞ」


 しかし、シャーロットの非難の声もソフィアはどこ吹く風と歩き始める。シャーロットはそんな彼女の後ろをついていきながら、問いかける。


「もしかして、殺人事件が起きるのを知っていたのか?」

「ん?どういうことだ?」


 シャーロットからの言葉にソフィアは首を傾げ、自分のことを振り返ってみる。


(確かに彼女から見てみれば殺人事件が起きることを事前に知っていて、彼女のことをけしかけたように見えてしまうのか。

 いやまあ、原作知識でホワイトチャペルまで殺人が拡大するのは知っていたけど、どのタイミングになるかは知らなかったんだよな)

「君から見れば私が関与しているように見えるのは確かだが、ただの偶然だ」


 ソフィアはそう言いながら道行く人に、大急ぎで走っていった馬がどこの方角へ行ったのかを問いかける。


「本当に偶然?」


 なおも疑いの視線を向けてくるシャーロットに、ソフィアはわざわざ振り返って、彼女とちゃんと視線を合わせる。


「そう、偶然」


 そこまでしてようやく一応の納得はしたのか、シャーロットは渋々それを受け入れるように頷く。

 そして、二人は出会った教会から何度か道を曲がって、ホワイトチャペル地区のとある路地へと到達する。そこは、コマーシャル・ロード――そのまま商業道路――と呼ばれるロンディニウムにおいて最も重要な交通の大動脈に、直接接続している路地だった。

 その路地にある家と家との間の小道を人々は遠巻きに取り囲んでいて、さらにその群衆の外側に祭服の男が乗り捨てたであろう馬がいるのが見えた。


「退いてくれ」


 ソフィアはその群衆を手で押しのけて事件現場へと肉薄していき、シャーロットもそんな彼女の後ろをぴったりとついていく。

 やがてその群衆を抜ければ、祭服の男がしゃがんでいるのが見えた。それと、血の海も。


「さて、探偵君。君はこの状況をどう見る?」


 ソフィアは振り返り、顔を真っ青にさせて、殺された人間から目を離せなくなっているシャーロットに問いかけた。


「に、人間業じゃない」


 震える声をあげるシャーロットの視線の先には、一人のの死体。

 死体は、頭から股まで、真っ二つに引き裂かれていた。

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スチームパンクダークヒーロー悪役令嬢 ATライカ @aigistemeraire

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