調査

 インバネスコートに身を包むシャーロットはロンディニウムのとある新聞社にやってきていた。古くはシティ・オブ・ロンディニウム――我々の世界ではシティ・オブ・ロンドン――と呼ばれた、ロンディニウムの中心で最も重要な地区の外れに、その新聞社はあった。

 シャーロットが外からその背の高い建物を見ると、屋上に設けられた鉄塔があり、そこへいくつもの電線があちこちから引っ張ってきているのが確認でき、ここは情報の集積地点でもあるのだろうと察せられた。

 事前の下調べによると、ここは恩師の実家のロングフェロー財団が立ち上げた新聞社であり、真っ先に電信網を活用したメディアのうちの一つだった。

 そして、シャーロットがその新聞社の扉を開けば、中はざわめきと怒号が響く鉄火場だった。玄関ホールにすらその声が飛んできているのを考えれば、社員が集まるデスクでは修羅場になっているのだろう。

 シャーロットはそんな中尋ねてきてしまったことに罪悪感も感じながら、受付へと向かった。


「すみません。尋ねたいことがあるのですがよろしいですか?」


 彼女がそうやって持参した、ワッピングでの殺人事件についての新聞記事を見せながら事情を話すと、アポイントメントも無しにその事件の調査をした記者に合わせてくれることとなった。

 そして、シャーロットが通された個室で待って数分後、部屋をノックする音が。


「入るぞ」


 そして、ぶっきらぼうな男性の声と共に入ってきたのは、癖のある赤毛を持った人物。目の下に隈があり、ふとシャーロットが彼の革靴を見ればそれはボロボロであり、彼は実に勤勉な記者であることが一目でわかった、


「あんたがワッピングの事件について聞きたい奴だって?」

「はい。ハーロックと言います」

「ん。俺はアシュトン・ブレイク」


 二人は握手をした後に、個室のテーブルに向かい合って着席する。アシュトンは一見して手ぶらで、テーブルの上にはシャーロットが持参したいくつかの新聞が広げられていた。そのうちの一つに載る、『イーストエンドでの無残な惨殺は悪魔の仕業で~』という文字列が見えると、アシュトンはその文字を指先で叩きながら早速本題に入った。


「で、何でこの事件なんだ?」

「直球ですね」

「時は金なり、だ」


 シャーロットは顎を引きながら油断なくこちらを見てくるアシュトンを見て、信用されてないなと困った笑みを浮かべる。そして、ここは信用を得るためにも、この記事から自分が感じたことを全て詳らかにしたほうが良いと考えた。


「このゴシップ誌に載っている記事の殆どが根拠が薄い物でした。しかし、この記事だけは違った。

 殺人現場や日時の詳細があり、目撃証言もある」


 シャーロットが記事の文章の所々をなぞりながらそう言えば、アシュトンは眉間にしわを寄せていく。ただ、怒っているわけではなく、こちらを見極めようとしているだけだとシャーロットが気付けば、彼女はそのまま言葉を続ける。


「そして、何より、ワッピングの殺人事件について触れられた新聞記事がこれだけだったというのも気になります」


 シャーロットは脇に置いていた、その他のゴシップ誌や別のまともな新聞を取り出してくる。そこには豚顔の女の話はあっても、ワッピングの殺人事件については何一つ触れられていなかった。

 シャーロットがそこまで言い切れば、アシュトンは眉間の皴を色濃くしながら目を閉じて詰まっていた息を長く吐き出す。


「……お上から圧力がかかってる」

「貴方だけが書けた理由は?」

「上司が、ゴシップ誌に混ぜれば向こうも気付かないだろう、ってな」

「賢い」

「な」


 アシュトンがにかッと笑えば、シャーロットもにやりと口角をあげる。シャーロットの直観は正しく、アシュトンも彼女のことを認めた瞬間だった。

 そして、アシュトンは懐から手帳を取り出し、それを開きながら真面目な表情で口を開く。


「殺人事件はマジだ。俺が調べられただけで5件、ワッピングの狭い範囲で発生している」

「目撃証言などを教えてもらえませんか?」

「そう畏まらなくてもいい、俺とお前の仲だ。

 最初の事件は顔が潰されていた。その次が腕の関節が全部逆方向に曲げられていた。ってな感じでどんどん過激になって行って、現状最後の事件では頭が引き裂かれていた」


 アシュトンはまるで十字を切るかのように額から胸の辺りまで指を下ろす。

 そんなあまりにも猟奇的すぎる殺害方法に、シャーロットは顔を強張らせる。


「な、ヤバいだろ?流石にここまでは記事に書けなかった」

「捜査の進捗具合とかは?」

「どこもかしこも完全に口を閉じてやがる。わからねえ」


 その後もシャーロットはアシュトンにあれこれと聞くが、彼も全てを知っているわけではないので何度も首を振る。その後、アシュトンの手帳と改めて用意した地図を挟んで、やり取りをして行くうちに意気投合した二人は、議論を重ねていく。


「ハーロックの言う通り、どんどん目立つような場所で殺しをやっているのは確かに気になるな。次は教会の目の前でヤるか?」

「どうだろう、傾向として教会は避けているような気がする。むしろ、離れていっているんじゃないか?」


 シャーロットは広げられた地図に書かれた、ワッピングに数か所ある教会に親指を立てて、コンパスのように人差し指をぐるりを回す。


「うぅん……。いや、確かにそうかもしれないが……分からん。もっと情報が欲しいな」


 アシュトンはそう言って頷くと、立ち上がって個室から出る。そして、鉄火場と化しかしているフロアに向かって大声で叫んだ。


「ボス!ちょっと取材に行ってきます!」

「あいよー!」


 アシュトンに大声で答えたのは、金髪の女性。背の低い彼女は手を挙げて応え、それを確認した彼はシャーロットに向き直る。


「手伝え。俺にはお前の頭脳が必要だ」

「わかった。精一杯頭をひねらせてもらうよ」


 そして、アシュトンはシャーロットを伴ってフロアを出ていく。

 後に残された、彼曰くボスは、そんな二人の後姿を確認した後、部下にあれやこれやと指示した後、その鉄火場から抜け出す。彼女が向かったのは新聞社の最上階。そこは、下の階とは打って変わって静かだが、断続的に電子音じみた軽い音が幾つも鳴り響いていた。

 廊下に掲げられたプレートに書かれていたのは『機械室』、ここはこの新聞社の核と言っても差支えが無い、電信を管理しているフロアだった。

 ボスはそんなフロアを勝手知ったる足取りで歩いていく。


「電信室借りまーす」


 そして、そう言いながら電信が置いてある一室へと入り、使用中の札を立てた。電信室の中には電信の使い方と、信号を送る電鍵、それから送り先を変更する数多のスイッチがあった。

 ボスはそのスイッチを複雑に押してから、電鍵を摘まんで、トン・ツーと信号を送り始める。


『こちら、クレア。聞こえていたら、応答、願います。

 こちら、クレア、聞こえていたら、応答、願います』


 ややあって、トン・ツーの信号が――


『こちら、ソフィア、どうぞ』


 ――と返ってきた。アシュトンからボスと呼ばれていた人物、クレアは、先ほどの操作で通信先をロンディニウムにあるロングフェローの別邸に繋ぎ、その先にいるであろう姉に連絡をしたのだ。

 連絡事項はただ一つのみ。


『アシュトン、予定通り、ワッピングへ』

『了解、交信終了』


 素早くソフィアからの返信がきて、そのまま通信が終了する。クレアはまたもボタンを操作して、ロングフェローの別邸に繋いでいた痕跡をなくすと、一仕事終えたと肩を回す。


「はてさて、どうなることやら」


 クレアはそう言いながらアシュトンから上げられる記事を心待ちに口角をあげるのだった。




 ワッピングはイーストエンドの中心を構成するロンドンドックとテムズ川に囲まれた1km四方の場所を指し、ロンドンドックのための倉庫や、港湾労働者のための施設、いくつかの工場が立ち並んでいた。

 加えてワッピングは港と水路に完全に囲まれているため、そこに行くためには水路を越えなければならず、もちろんそこは船が通っている間は渡ることが出来ないので、案内のアシュトンと連れ添いのシャーロットは船が通っていくのを眺めながら立ち往生していた。

 そんな暇な時間を利用して、シャーロットはロンドンドックの大きなプールを遠目に見学して、感心した声をあげる。


「いやあ、凄い港だ。400m×200mって所か」


 今まさにテムズ川から船が水路を通ってやってきて、港に停泊し、積み荷の石炭をガラガラと音を鳴らしながら下ろしていく。

 労働者の怒声にも似た掛け声が港中から聞こえ、その活気にシャーロットは目を丸くさせていた。

 

「メインのウエスタン・ドックが20エーカーだから……」

「うん。大体合ってる」


 アシュトンはこの辺りの調査のために読み込んだ地図を思い出しながら、ヤード・ポンド法の数字を口に出す。シャーロットはその数字をすぐにメートル法に直して、自分の目算が合っていることに頷く。

 やがて通行が可能になった水路を二人は渡って、ワッピングへと入る。ワッピングは労働者がせわしなく動いていたが、皆どこかピリピリと神経をとがらせているようだった。

 そんな神経質になっている街の中で、港湾労働者よりは比較的身なりの良い二人は若干浮いていて遠巻きに見られていたが、彼らはそれをあまり気にしていなかった。

 その証拠に、シャーロットは水路を渡ってもなお、気になるといった表情で港に停泊する船を眺めながら雑談に花を咲かせていた。


「そういえば、コンテナ船は止まってないんだな」

「それはさらに東向こうのアイル・オブ・ドッグスになるな。この港はもう手狭になりかけなんだとよ」

「ああ、コンテナ船は大きいからか」


 シャーロットが納得したように頷く。このロンドンドックに泊まっている船は木造製のものが多く、帆船も目立つ。しかし、最近流行のコンテナ船は鉄製で、蒸気の力を使った大型の船になる。

 いつか見た資料のコンテナ船のサイズでは、この港に停泊するのは難しいだろうとシャーロットは結論付けた。

 シャーロットが一人頷く中、アシュトンは懐から出した手帳をめくりながら口を開く。


「詳しくはないが、テムズトンネルがとん挫したってのも大きいだろう」

「テムズトンネル?」


 聞いたことのあるようなないような単語にシャーロットが首を傾げると、アシュトンが目的のページに書いてあった内容を読み上げ始める。


「このワッピングの向こう岸、ロザーハイズも港なんだが、何年も前からこの二つの港同士をトンネルで繋げようって話があったんだ。それがテムズトンネル。

 だが、大崩落事故で全部白紙。計画は露と消え、このワッピングと、特にロザーハイズの大規模開発も中途半端に終了。その代わりがアイル・オブ・ドッグスの開発ってわけさ」

「詳しいね」

「記者だからな」


 アシュトンは閉じた手帳を振りながらシャーロットを先導するために先を歩いていく。そして、彼の後ろをついていくシャーロットは、顎に手を当てながら考え込んでいた。


「テムズトンネル、少し気になるな……」


 かつて立ち消えたただの土木工事であるはずなのだが、シャーロットは何となくそれが気になって仕方がなかった。

 しかし、今はそれを気にしている暇はない。まずは、ワッピングの殺人事件だ。

 シャーロットはすぐに気を取り直してアシュトンのことを追いかけたのだった。

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