突入
ロンディニウムのロザーハイズと言う場所、そこは端的に言えば港だった。
ここでは大型のドックが建設され、日夜船を作ったり、貨物船から荷物を積んだり下ろしたりしていた。現代ではそのほとんどが埋め立てられてしまうのだが、この時代では日夜開発が進められており、まさしく黎明期と言ったところだった。
ロザーハイズの開発が進む一方、この場所はテムズ川の南側にある立地が問題となり始めていた。この時代、テムズ川の南北を行き来するのは少々難儀するものだった。そもそも川を横断できる橋が少なかったからだ。
だが、ロザーハイズは成長していく一方。このままでは多くの機会を損失するという事は誰の目にも明らかで、そのために求められたインフラ工事の一つがテムズ・トンネルだった。船が行き来するので橋はかけられない、ならば川の下にトンネルを通せばよい、という考えでこのトンネルは生まれたのだ。
かくして、ロザーハイズの成長は約束された。
とはならなかった。大型の船舶が行き来できる規模の川の下にトンネルを通すことなど、世界を見渡しても例が無かったからだ。
当然工事は難航し、当時最新技術だったシールド工法が投入されても、工事は失敗に終わってしまう。
そして、度重なる失敗で一時的にテムズ・トンネルの工事は放置されてしまうのだ。
その、放置されたテムズ・トンネルの工事現場に、ソフィアとアランはやってきていた。
時間は夜。もうとっくに日は落ちて、月と星の灯り、加えて手元のランプだけが頼りだった。
「ここがテムズ・トンネルの工事現場だ」
大きな鞄を背負ったソフィアがランプを手にアランのことを先導する。見えてきたのは、背の高い木でできた壁。一般人が入ってこれないようにするための衝立であった。
アランは辺りを見回し、遠くに見慣れた建築物があるのを見つけた。
「あそこは、ロンディニウム塔か」
テムズトンネルの工事現場の対岸を見て、少し左を向けばそこにあるのはロンディニウム塔――現実ではロンドン塔――だ。中世にロンディニウム防衛のために立てられた砦であり、今は王宮の一つとなる場所。
そして、その位置はイーストエンドとロンドン中心部の境目。
そう、テムズトンネルの対岸は曰く付きのイーストエンドなのだ。
「ジャスト1マイルと言ったところだな」
ソフィアはあらかじめ調べていた、この地点からのロンディニウム塔までの距離を言う。それにアランはわずかに険しい顔をする。
そんな渋い顔をするアランにソフィアは声をかけた。
「地下に何があると思う?」
「分からない。分からないけど……妖精が『懐かしい』と言ったんだ。何が出てきても驚かないよ」
「そうか。『懐かしい』か」
ソフィアは木の壁に近づくにつれて嫌な予感を感じ、アランは恐怖心を押さえつけるために拳を握りしめていた。やがて二人はそこにたどり着き、扉に手を掛ける。
不思議と鍵のかかっていなかった扉を開けると、そこには暗闇が広がっていた。
ソフィアは扉をあけ放ったまま、背負っていた鞄を地面に下ろし、それを開き始める。一方のアランが中を確認するために扉の中へと顔を入れようとすると、ソフィアが慌てて声をあげた。
「危ないぞ!」
「うわっ!……凄いな」
アランは扉の奥の光景に驚き、素直に感嘆する。そこにあったのは巨大な円形の縦穴だった。機材や物資、他には換気用の空気を地下に運び入れるための、
テムズ・トンネルの立坑は、この工事が前例のないものだったからか余裕をもった半径と深さの立坑が掘られており、その円に沿うように木で螺旋階段が地下深くまで設置されていた。
アランが恐る恐る一番底を見ようと覗き込むが、ただでさえ暗い夜ではその底を見ることは叶わなかった。
「準備する時間を与えられなくてすまない。時間がないんだ」
アランが覗き込んでいると、ソフィアが申し訳なさそうな声をあげた。彼女は鞄から取り出した装備を体に巻き付け、その後は何かを組み立てていた。
「謝らなくていい。ここに一人で入るよりもずっとましだ」
「そう言ってくれると助かる」
(私に内緒で動き始めているアスタロトを一旦帝国から遠ざけるために外遊をねじ込んだが、そうなるとアランが孤軍奮闘することになるからな。
できればこの一番真実に近しいであろう事件は一緒に解決してやりたい……)
ソフィアは地面に置いていたランタンを掲げてそれをアランに手渡す。そして、今組みあがった物を両手で持って立ち上がった。
ランタンに下から照らされる、アランとソフィア。亜麻色の髪を持った男と、包帯を巻いた男。彼らは信念を瞳に湛えながら目を合わせる。
「私はこの事件が解決しようとしまいと、アメリカに行くことになった。
アラン。今日に限らず、気を付けるんだぞ」
「わかった。御忠告痛み入る。無謀なことはしないと誓おう。
……ところで、なんてものを持ってきているんだ」
ソフィアは手に持ったものを掲げて見せる。それは、ライフルだった。
土台は磨かれた木でできており、それに乗るのは少しくすんだ色の鉄。それに加えて、今までのライフルと一線を画すものが、横に向かって飛び出ていた。
「使い方を一応教えておく。この横に飛び出ている物はボルトと言う。これを握って持ち上げ、それから引くと、このように薬室が開く。
そして、この金属薬莢を薬室に入れ、ボルトを逆の手順で戻せば装填完了だ。
後は狙いを定めて引き金を引く」
「ええっと……」
アランは困惑した表情で、後にボルトアクションライフルと呼ばれることになる最新式のライフルを眺める。そして、ソフィアに疑問を投げかけた。
「こんなライフル見たことがないんだけど?」
「あまり出所は聞かないほうが良い。アイデアそのものはもうすでにあるから喋ってもいいが」
「誰にも言えないよ、こんなの」
アランは大きくため息をつく。そして、目の前の男はやはり学者か技術者で、それも相当に優秀なのだろうと理解した。
アランが様々な物を飲み込んで無理やり納得したのを、ソフィアは表情から理解する。それを確認すれば、ライフルを軽く構えながらもうすでに開いている扉に視線を向けた。
「さあ、行こう。ランプを頼んだ」
「わかった」
アランは頷き、ランプを掲げながら扉をくぐる。立坑は暗闇に満ちていて、弱弱しいランプの光程度ではその先の全てを見通すことなどできはしない。見えるのはかろうじて足元の木でできた螺旋階段と、落ちないための手すり程度。
アランとソフィアはそんな中で、ぎしぎしと小さな音を立てながら一段ずつしっかりと暗闇の底へと降りていく。
(立坑には見張りはいないか)
ソフィアは時々立坑の底を覗き込む。もし、底に人がいるのであれば、向こうからはランプの光が見えてしまうだろう。それなのになんのアクションも無いという事は、この立坑には誰も人がいないという事の証左となる。
やがて二人は時間をかけて立坑の底へと降り立つ。足元はしっかりとしていたが、空気はわずかによどみ、腐ったような匂いと何かが焦げたような匂いが充満していた。
アランがランプを掲げ、辺りを見回す。
ちょうど円形になったこの立坑は木で壁が崩れないように補強されていた。そして、そんな木の壁は上に向かって伸びていて、三階建ての家くらいなら余裕ですっぽり入りそうなほどの規模だった。
「凄い」
「正しく工事されていれば後々貴重な遺産になるだろうな」
アランの賞賛にソフィアも追従する。そして二人はそんな木の壁にある、一つの門に目をやった。
テムズ川方向に備えつけられた門は、本来なら資材の搬入の時には開けられ、出水や何らかの事故が起これば閉じられるのだろう。工事が行われていないはずの今もそれは閉じられていたはずだ。
しかし、その門の下部にある、人が一人分出入りできる扉のわずかな隙間から光が漏れ出ていた。
「私が先行する。アランは囚われた人を助け出すことを優先しろ」
「わかった。頼んだよ」
ソフィアがその扉のとりつこうとすると、その向こう側から騒ぎ声が聞こえ始める。先行するソフィアがアランに目配せをすれば、彼はソフィアが見えやすいようにランプを高く掲げ、ソフィアはわずかに扉を開きそっと中を覗き込んだ。
――見つかったか!?
――おい!出水じゃないか?逃げるんだ!
中は天井が高くアーチ状のトンネルが掘られ、それとは別に進行方向から垂直に小さな坑がいくつも掘られていた。ソフィアが観察するに、その横坑の一番奥のもので大騒ぎをしているらしかった。
雑に設置されたランプで薄暗いトンネルでは、作業服を着た男たちが坑から出てきて顔を見合わせていて、逆に統一された軍服に身を包んだ男たちは何かがあったらしい坑へと入っていくのが見える。
ソフィアは後ろのアランにそれを説明しながら、これからどうするかを考えるためにさらに観察を続ける。
「本来のトンネルは500フィート(約150m)くらい。ただ、そこから別方向に幾つも穴を掘っているな。そのうちの一本で何か問題があったらしい」
「どうする?」
「今のうちに侵入する。今人がいないらしい穴があるからそっちに行こう。
ランプは消していい。
走るぞ!」
ソフィアはそう言いながら静かに扉を開き、姿勢を低くしながら一番近い横坑へ転がり込む。アランも彼女の後ろについていって、同じように横坑へと身を隠す。
横坑は本来のトンネルとは違って、ずさんな作りだった。高さは大人の男が腰をかがめなければいけないほどで、天井は適当な木の板で作られ、それが崩れないように木の棒でつっかえる形になっていた。
そんな作りのトンネルはいつ崩れてもおかしくなかった。
「炭鉱みたいだ」
ソフィアは率直な感想を述べると、ちらっと顔を出し、数メートル先にある別の横坑を確認し、またそこに走っていく。すると、そこにはぼろぼろの作業委に身を包んだ鉱夫が隠れていた。
「わっ」
「シッ!」
鉱夫が声を上げかけたのをソフィアは手で口をふさいで黙らせる。彼女は自分が包帯男という事をすっかり忘れていた。
そして、アランがすぐに合流すると彼がすぐに事態を察して説明を始めた。
「大丈夫です。僕たちは貴方達を助けに来ました。
だから叫び声をあげないで、いいですか?」
アランの言葉にこくこくと鉱夫が頷くと、ソフィアは彼の口から手を放す。すると鉱夫はアランに縋りつきながら涙目で訴え始めた。
「たっ助けてくれ。頭のおかしい奴らに攫われたんだ!」
「大丈夫。大丈夫ですから」
「その、頭のおかしい奴らは軍服の連中だな?人数は?」
「そうだよ、見りゃ分かんだろっ、20人くらいだ!なあ、早く俺を逃がしてくれ!」
横坑から外をうかがうソフィアの問いかけに律儀に答えた鉱夫、アランは先ず彼をどうにかしようと提案しかける。だが、彼女に話しかける前にアランは、トンネルの中央付近に一人の男を見つけた。
「ダン。彼だ、彼が失踪した貴族だ!」
「あいつか」
その男は薄汚れたスーツを着ていて、顔は憔悴していた。彼は何か騒ぎがあったらしい坑を見ながら、へたり込んでいた。
「アラン。私はひと暴れするから、誘導を頼んだ」
「何をするか事前に言ってくれ!」
「爆破する時は言う」
「ばっ!?」
ソフィアはそう言うと、絶句するアランを置いて、ライフルを構えながら横坑から飛び出す。そして、一番奥の横坑の前で中をうかがっていた制服の男の背中に向かって照準を合わせ、すぐさま引き金を引いた。
ダーンッ!!
拳銃とはレベルが違う銃声がトンネルの中で反響し、その音の中で背中に穴が開いた男は悲鳴も上げる暇なく前に倒れ込んでいく。
銃声がわんわんと反響する中、トンネルはぴたりと静まり返り、全員がソフィアのことを見た。
「鉱夫全員に告げる!!逃げろ!!逃げろ!!逃げろ!!」
「う、うわああああ!!!」
鉱夫達はライフルを持った包帯男に恐怖したのか、悲鳴を上げながら這う這うの体で出口に向かって走り始めた。そして、一番奥の横坑からは地響きのような怒声が飛んでくる。
「誰だ貴様は!!」
「貴様らに名乗る名はない!!」
ソフィアは油断なくライフルを構えつつ、別の坑から飛び出してきた制服男の眉間をぶち抜いた。そして、四方八方から撃たれるのを防ぐために手近な横坑へと身を隠す。
その間にも刻一刻と状況は進んでいく。
鉱夫たちは転びながらも出口に向かって走り――
「総員戦闘準備ィ!!!」
横坑からは命令が轟き――
「そこの人!!出水だぞ!!君も逃げるんだ!!」
貴族の男が逃げながらもソフィアに忠告を飛ばし――
ダーンッ!!
ソフィアは奥の横坑から頭を出した男を狙って撃ち――
「ダン!!すぐに逃げるんだよ!!」
アランが必死に叫びながら避難誘導をし――
「構えェ!!」
再度命令が飛んだ瞬間。
地響きのような音がトンネル中に響いた。
一瞬皆が天井を見上げ――
「出水だぁっ!!」
誰かがそう叫んだ瞬間、一番奥の横坑から、慌てた人間が何人も飛び出してきて、彼らのすぐ後ろから大量の土砂がトンネル内に雪崩のように流入し始めた!
ソフィアは慌てて無事そうな軍服の男達を優先して狙い撃ちし、アランはこけた鉱夫に手を貸して立坑への扉をくぐっていく。
「おのれぇ!!」
「隊長!!何人も巻きこまれた!!」
「畜生!!」
制服の男たちが悪態の声をあげようと、出水はどんどんひどくなっていき、一番奥の横坑だけではなく、その近くの横坑からも濁流が発生し、その土砂は見る見るうちにトンネルの地面を覆い始める。
そして、自身の足元にまでその土砂がきたソフィアはすぐに構えを解き、自身も逃げようと腰を上げる。
だが、その瞬間、ダーン!というけたたましい銃声が鳴り、ソフィアのすぐ真横の壁が吹き飛んだ。
「っ!」
ソフィアはすぐに横坑に体を引っ込める。そして、そっと顔を半分出せば、体中を泥だらけにしながらもしっかりと膝をついて射撃体勢に入り始めた男たちが見えた。5人が横並びになり、1人がその列の後ろに控えて手を振り上げる。
「射撃用意!!」
ソフィアは彼らのライフルが旧式の物であろうことを推察し、その上その銃身が酷く濡れていることも理解すると、また走り出そうとする。
(脅しだろ!)
「発射!」
(まずっ)
ソフィアは横目で、先ほどの銃撃で彼らが発生させたはずの白煙が無いのを見た。はっきり言って、100m以上先のそれが無いことを見たのは、ただの幸運だった。
ソフィアは慌てて横坑に戻る。その瞬間なり響いた一糸乱れぬ5発の銃声。
バババッ!!という音と共に、ソフィアが隠れる横坑入り口付近がはじけ飛ぶ!
ソフィアは急いで彼らが再装填する前に体を出して、ライフルを放った。それによって、一人の腹に穴が開けば、後ろに控えていた隊長格の男が叫ぶ。
「いかん!!前進!!前進!!前進!!」
(奴等、無煙火薬を使っている!?まだ秘匿されている情報のはずだ!!)
ソフィアは内心動揺しつつも、すぐにボルトを引き、次弾を装填する。そして、銃剣を振り上げながら走り込んでくる男達に向かって発砲した。
「「「チャァァァァジ!!!」」」
そして、彼らの執念は一人の男をソフィアの元までたどり着かせた。
その男は銃剣を走ってきた勢いのままソフィアへと突き出す。
「死ねぇぇぇ!!!」
「うおおお!!」
ソフィアも裂ぱくの気合と共に、両手で持ったライフルを横に振るう。そして、何とか男の刺突を受け流す。しかし、足元が悪い中では男の勢い全てを逸らすことはできず、二人はもみくちゃになりながら土砂の中に倒れ込んだ。
最初に立ち上がったのは男だった。その男は腰から瞬時にナイフを抜き取ると、それを振り上げ一気にソフィアへと突き刺してくる。
「クソがよぉ!」
泥にまみれたソフィアは悪態をつきながら男の腕を掴んで何とかそれを押しとどめる。勢いのまま男は体重をかけてソフィアを殺しにかかり、ソフィアはその男からのナイフをなんとか押しとどめるために歯を食いしばった。
そして、ソフィアは男の泥にまみれた顔を見た。
(こいつ!ダミアンか!)
ソフィアは先ほどの白煙の出ないライフル射撃、そして目の前の見覚えのある男の顔で全てを理解した。
目の前の男はギリシア独立戦争に、無煙火薬を持って秘密裏に出征をした男だという事を。
霧の都のマギに出てくる悪役の一人であるという事を。
「貴様ぁ!!我々の計画を邪魔しよってぇ!!」
「ぐぅぅっ!!ろくでもない計画だろうがぁ!!」
ダミアンが叫び、ソフィアも叫ぶ。
そして、その叫び声にも負けないくらいの破壊音がトンネルに響いた。
放置されたトンネルの天井が、無計画な横坑と、そこからの出水によって崩れ始めたのだ。
さらに流入する多量の水を含んだ土砂、地面で取っ組み合いをする二人は、その土砂による黒い津波に巻き込まれてしまうのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます