暴露

 アランは足をくじいた鉱夫に肩を貸し、立坑の螺旋階段を登っていく。友人を一人、危険なトンネルの中に置いてきてしまったことは気がかりで焦燥感をひどく煽ったが、今肩を貸している鉱夫を見逃すこともできない。彼は必死に足を動かし、大柄な鉱夫のことを一段ずつしっかりと引き上げていった。


「助けに来てくれてありがとう。それと、手伝えなくてすまない」


 そんなアランに声をかけたのは、彼が探していた貴族の男だった。彼は狭い螺旋階段でアランのことを手助けできない事を申し訳なさそうにしながら、少し上の段を先行していた。


「ご無事で何よりでした。ご家族がご心配されていましたよ」

「そうか……苦労を掛けたな」


 その時、立坑の下の方から何かの破壊音が反響して、立坑の門が酷く軋んだ音を鳴らす。立坑へと土砂が流入するほどのものではないようだが、それでも恐怖心を煽る音だった。

 三人は立坑の底を青い顔でしばらく眺めていたが、すぐに上を向いて階段を登り始める。


「酷い出水だな……。あの者は無事だろうか?」


 貴族の男が心配そうに言うが、アランはその言葉に応えるすべはない。そして、アランは自身の不安から気を逸らすために、目の前の男に問いかけた。


「あの軍服の男達は何を探していたかわかりますか?」

「わからん」

「何でもいいんです」


 アランが縋る様に聞けば、男は一つ心当たりがあったのか口を開く。


「そうだな。奴らは水を探していた」

「水?」

「そう!出水の度に、奴ら喜んでいた!その度に、ギリギリのところで塞いで……死ぬかと思った!もうたくさんだ!

 なんでトンネル工事で水なんてものを探さないといけないんだ!狂ってる!」


 アランは制服の男達が水を探していることに、背筋にうすら寒いものを感じる。そして、何か重大な閃きが、螺旋階段を登るにつれてにじり寄ってくる。

 なぜ深く掘ってまで水を探したのか?なぜあえてロンディニウム塔の近く?ただ、テムズトンネルが都合がよかったから?

 アランは一足先に地上にたどり着いた貴族の男に問いかけた。


「実際、水があったとして、どれくらいの範囲に広がっているものなんですか?」

「そうだなあ……。もし水を通しにくい層があったら、この辺り一帯に大きく広がってるんじゃないかな?」


 アランはその回答を聞きながら一つゾッとするひらめきを得た。彼は体をわずかに震えさせながら、何とか鉱夫と共に地面を踏みしめる。


「ドラゴン……」

「ん?」


 アランはそう呟いた。


「地底湖、そして、ドラゴン……」

「ああ。おとぎ話の?」


 貴族の男がアランの呟きに首を傾げる。一方のアランは鉱夫を地面に座らせると、大急ぎで踵を返して螺旋階段へと向かい、未だほの暗く、反響した破壊音が何かの遠吠えのように聞こえる縦穴を下っていくのだった。




 体を覆う、重く冷たい土砂を振り払いながらソフィアは立ち上がろうとする。

 しかし、奥から次々と押し寄せてくる土砂に足を取られて立ち上がることが出来ない。一瞬見えたダミアンも同じように藻掻いていた。


(まだ破局は起きていない。なんとか……なんとかしないと!)


 そうは思っても何もできないソフィアは土砂の流れによって、トンネルと立坑とを分かつ門へと勢い良く叩きつけられる。


「ぐぅっ!!」


 左半身を強かに打ち付けることになったソフィアは、呻きながらもナイフを抜き、それを門へと突き刺す。そして、それを支えに何とか立ち上がると、すぐに顔を上げてダミアンがどこにいるのかを確認する。

 果たしてダミアンもトンネルの壁を伝いながら立ち上がっていて、ソフィアは彼の様子を確認した後、門の扉とトンネルの天井とを確認する。


(逃げるか、確実に殺すか。

 今は出水が小康状態、なら、殺す!)


 ソフィアはひざ下まである土砂でもお構いなしに走っていく。そして、ダミアンも同じように走り始め、彼は逃走を選んだのか門の扉へと向かう。

 ダミアンは腐っても軍人だ。彼の方が移動スピードが早く先に扉へとたどり着きそうだった。


(リボルバーは……抜けない!今これをダミアンに見せるわけにはいかない!)


 ソフィアは確実に殺せると確信しないとリボルバーを抜くことはできないと判断した。故にナイフを振りかぶると、ダミアンに向かって投擲する。


「むっ!」


 ダミアンはすぐに飛来物に気が付き、それを躱そうとする。だが、それはソフィアが意図したとおりの悪手だった。足元が悪いこの状況で体をひねればバランスを崩し、彼は盛大に転んでしまう。

 ナイフはダミアンからも遠い位置に落ち、一瞬ダミアンがそのナイフの位置を確認した時間の浪費もあってか、ソフィアはダミアンが立ち上がった瞬間に彼の元にたどり着くことが出来た。

 そして、ソフィアはダミアンに向かって拳を振るい、次は悪手を打たなかったダミアンはその拳を腕で防ぐ。


「軽い!」

「チッ」


 ダミアンは大したダメージも無く、右フックでソフィアに反撃をする。

 そうして、二人はトンネルの出水をよそに殴り合いを始めた。

 足を踏ん張れない状況では殴打しか相手に攻撃する方法はない。しかし、その殴打の威力も著しく落ちている。かといって、このまま泥沼の戦いをしていては共倒れになる。

 ダミアンは必死にあたりを観察し、相手を観察し、打開策を練る。

 そして、彼は一つの物に気が付いた。


「それは!!金属薬莢か!?」


 ソフィアが体に巻き付けたベルトが一部破損し、先端が鉛色で全体は金色の細長い円柱状の物が覗き見えていたのだ。ダミアンはそれを金属薬莢だとすぐさま看破した。


「やはりな!!あのライフル、後装式だろう!?」

「黙ってろ!!」


 ソフィアは高揚した顔のダミアンの顎を強かに裏拳で打ち抜いた。しかし、彼はひるまず立ち向かい続ける。


「一目見て分かったぞ!!あの装填速度!!精度!!やはり俺の考察は正しかった!!」


 叫ぶダミアンの鋭いテレフォンパンチがソフィアの鼻を潰し、彼女は鼻血を噴き出した。赤い鮮血が泥濡れの包帯を新たに濡らしていく。


「あのライフルで戦争は変わる……いや!!」


 ダミアンは好機と体をひねって、回転力も加えたボディブローでソフィアの腹めがけて拳を振りぬく。


「俺が変える!!」

「ぐぉっ!!」


 みぞおちだけは守ろうとソフィアは体をひねる。すると、偶々銃弾の入ったベルトがそこにあり、ダミアンの痛烈な一撃の直撃をなんとか遮ることが出来た。


「くっ!」

「お返しだ!!」


 それでも痛みを訴える体を制してソフィアは手刀を振り抜き、ダミアンのこめかみを打つ。しかし、ダミアンもカウンターでまたもボディブローを放った。

 そして、それをまともに受けたソフィアは息が詰まりながらも踏ん張り、ダミアンの隙を伺い続ける。彼女の奥の手は一瞬で勝負を決めることができる。だが、それは確実に当てられたらの話だ。

 反動で体が硬直するなど、愚の骨頂だ。


「はぁ……はぁっ!」

「しつこいぞぉっ!!」


 二人は一瞬息を入れ、ファイティングポーズで向かい合う。そして、先手を取ったのはダミアンだった。


「我々にはやらなければならないことが山ほどあるのだ!!どけぇ!!」

「!!」


 ダミアンは殴るのではなく、姿勢を低くし、タックルを決めに来た。ソフィアはその、姿勢を低くした瞬間、腰のリボルバーを引き抜いた。


「なぁっ!?」


 銀色に光るものが視界の端に映ったダミアンは躊躇する。ナイフを抜かれたならタックルは悪手も悪手、背中を刺されて殺されてしまう。


「私の勝ちだな」


 その一瞬の隙を見逃すソフィアではない。彼女は引き抜いたリボルバーで、ダミアンの右肩を打ち抜いた。けたたましい銃声と共に、赤い花がダミアンの肩に咲き、彼は打ち抜かれた衝撃で後ろへと倒れ伏す。


「うぎゃあああ!!貴様!!貴様!!それはなんだぁっ!?」


 ダミアンは無事な左手を、銃口を向けてくるソフィアへと必死に伸ばす。


「そうか……そうかぁ!!分かったぞぉ!!それは連発銃だな!?ハーモニカガンの次の形!!」

「だから見せたくなかったんだ」


 ソフィアはため息をつきつつ、未だ垂れる鼻血を拭う。そして、油断なくダミアンへと銃口を向けたまま、トンネルの様子を探る。今は断続的な出水は今は収まっているが、いつまた決壊して大量の土砂が流れ出るかわからなかった。


「聞きたいことがある。誰の差し金だ?」

「言う物かよ。さっさと殺せ」

(ダミアンは戦争狂の英雄症候群だ。原作では戦争がしたいがために悪魔の力を借り、それを自分で鎮圧することで英雄になろうとした。

 だが、今の時系列でのこいつの主目的は何だ?地下の封印を探すのが目的なんだろうが、そう考えると……)


 ソフィアは今すぐ殺していいものか少し迷う。聞きたいことがいくつかあったからだ。一方の、ダミアンはもう覚悟が決まったのか目をつぶって大人しくしていた。

 その時、門の扉とは別の場所のそこそこの大きさの窓が開き、そこからソフィアの知った声が響いた。


「ダーーン!大丈夫かーー!?」

「大丈夫だ!」

「扉が開かなくなってる!早くこっちに来るんだ!」

「わかった!」


 ソフィアはそう言いながらダミアンに意識を戻す。


「さっさと言え。誰の差し金だ」


 ダミアンは黙ったままだった。そして、沈黙の中、僅かな地響き。

 もはや猶予はない。

 ソフィアはダミアンに近づくと、彼の胸倉を掴んで引っ張り、その眉間に銃口を突き付ける。


「言え!!誰の差し金だ!!」

「……」

「早く!!こっちに!!ダン!!」


 なおも黙るダミアンにソフィアは舌打ちをし、歯をむき出しにしながら叫んだ。


「全部言い当ててやろうか!!」

「やれるものなら……」


 ダミアンが不敵に笑う。顔同士が近付いたからか、ソフィアの鼻血がダミアンの頬を伝う。


「全ての黒幕はオールバニ公だろう!!」

「……」

「オールバニ公って……」


 アランが驚きの声をあげる。オールバニ公は王弟であり現在王位継承権第一位、王が高齢で子供が望めないことを考えれば、次の王となる男だ。ダンの口からそんな名前が出てくることにアランは混乱してしまう。


「このテムズトンネルの工事はオールバニ公によって提案されたものだ!!正確には、オールバニ公からの口利きでこの工事は予定より大幅に早く着工した!!

 そして、失敗した!!だが、その失敗は見せかけだな!?

 失敗したと見せかけて、お前らはここで何かをしていた!!」


 ダミアンは何も言わない。天井がきしむ音が響く。


「オールバニ公の最終目標は一つしか考えられない!!いや、一つしかない!!

 王位継承だろう!?

 オールバニ公の目的は玉座だ!!違うか!!」


 ソフィアは掴んだ胸倉を揺らし、ダミアンを激しく詰問する。一方のアランは順当に行けば王になれる男がこんな大それたことをするものなのか、何故ダンはこんなことを叫ぶのか、と錯綜する思考に頭をくらくらとさせる。


「ふっふふ……はははっ!」


 すると、何かが可笑しいのか、ダミアンは血が足りずに青白くなり始めた顔で笑う。そして、目の前の包帯が外れかけた、顔のいい男を見た。


「お前、あれだな?何かを知ったが、証拠がなかったんだな?それで、何もできないんだな?だから俺に自白させたいんだな?」


 ソフィアは何も言わない、しかし、ぐりぐりと銃口を押し付けてダミアンのことを黙らせる。


「今、この地下を掘っている目的は何だ?さあ!言え!!」


 ダミアンは口角を上げ、壮絶に笑う。


「俺はぁっ!!俺は!!英雄になりたい!!それだけだよ!!ちょぉっと、塹壕を掘ってただけだ!!ばぁぁぁか!!!!」


 ダミアンが適当なことを言いながら目の前の男のことを嘲笑すれば、今度は別方向から声が飛んでくる。


「ダン!!こいつの目的はドラゴンだ!!地底湖の底に眠るドラゴンの封印だ!!」


 その言葉にダミアンはぱっとアランの方を見る。ダミアンからは、その男の顔は彼が持つランプの逆光で見えなかった。しかし、アランからはダミアンの、『なぜそれを』という驚愕の表情がよく見えた。


「オールバニ公がなぜ、ドラゴンの封印を探している?そして、お前はなぜオールバニ公に協力した?さあ、答えろ」

「……」


 ダミアンは黙る。だが、無情にもタイムリミットだ。

 ついにトンネルの奥がひしゃげていき、出水が見る見るうちに酷くなっていく。

 ソフィアはそれを見て、それから掴んでいた胸倉を放す。


「ダン!やめるんだ!」

「殺せるか?俺をこ――

 バァンッ!!


 ソフィアはダミアンの眉間を打ち抜いた。最後の最後まで面倒くさい奴だったとソフィアはため息をつき、私刑現場を横で見る形になったアランは頭を抱える。


「ああ……なんて……なんてことを……」

「アラン。こいつは牢にぶち込んでもまた出てくる。今、ここで、確実に殺さないといけなかった」


 アランは何も言えなかった。背後から濁流が迫り始めているのに、目の前の包帯のほどけた男は、ただ冷静に立っているのだ。

 アランは彼に何も言えなかった。


「私は正義を為したいわけじゃない。分かるか?」


 アランはソフィアのその言葉にようやく頷くと、窓から手を差し入れて彼へと手を伸ばす。


「さあ、掴まって。逃げるんだ」


 しかし、状況がソフィアがアランのその手を掴むことを許さなかった。突如として土砂が引き始め、その突然の足元の動きにソフィアは対応するのに精一杯になったのだ。

 凄まじい地面が崩れていく音、風鳴音、もはや音と認識できない音圧の唸り。


「アラァァン!!何が!!起きている!!」

「……!ダァァン!後ろを!!見ちゃぁだめだ!!」


 ソフィアは門の方へと必死に足を動かしているので後ろを見ることは叶わなかった。しかし、アランからはすべてが見えていた。トンネルの奥が落ちくぼんでいき、その奥にが蠢いているのを見た。


「ダン!!早く!!掴まって!!早く!!」

「うおおお!!」


 ソフィアは引きずり込まれるのに何とか抵抗し、アランの手を掴んだ。そして、そこから窓にも手をかけようとするが、上手くいかない。

 腕がきしむのを感じながらアランは必死に叫ぶ。


「ダン!爆破できるんだって!?」

「ああ!」

「爆弾を後ろに投げて!!」

「どうなっても知らないぞ!!」


 ソフィアは体に巻いていたベルトを片手で外し、そこから一本の線を引き出し、それを口で噛む。そして、ポケットからスイッチを取り出すと、その線の先をスイッチに接続した。


「うぎぃっ!!もう無理だよ!!」

「後数秒!!」


 ソフィアは足に感じていた地面の感覚が無くなったことに気が付き、思わず振り返ってしまった。

 そこはもはや崖のような坂になっていた。そして、蟻地獄のような坂の一番奥、そこに――


(目玉!?)


 巨大な目玉を見た。

 ソフィアがベルトを手放すと、線を伸ばしながらそれはゆっくりと坂を転がっていき、アランのもつランプの光の範囲を超えた。そして、ソフィアは茫然としながらも手元の時限スイッチを押し、そのスイッチも手放す。

 数秒の後。


 カッ


 と閃光。そして――


ォォォォオオオオオオオオオ!!!!!


 爆発音をかき消すほどの何かの叫び声。

 鼓膜が破れんばかりの音だったが、引きずり込まれる力は消失した。

 その隙をついてソフィアはアランに引っ張られながら窓から立坑へと、なんとか体を潜り込ませることが出来た。

 立坑の底の暗闇の中は、相変わらずうるさかった。恐らくトンネルが崩落しているのだ。

 上の地盤やテムズ川が全て無くなろうと、あの大穴へと全てが吸い込まれてしまうのではないかと、二人は思ったが、やがて崩落音は収まる。

 音が止んで、恐る恐る二人は立ち上がり、窓を開いてみた。

 もはやそこにはトンネルは無く、空間すらなく、ただの土の壁が見えるだけだった。


「なんだったんだ……」


 ソフィアが茫然と呟く。アランは地面に落ちたランプを拾い上げながら、青白い顔で呟いた。


「ドラゴン……かな」


 ドラゴン、と言う言葉にソフィアはため息をつき、上を見上げる。

 上を見上げれば、いくつかのランプの光が見えた。鉱夫たちの物だろう。心配してずっと見守っていたらしかった、ソフィアはそのランプの光がどうにも、嬉しくて、少し気持ちが軽くなった。


「さあ、登ろう。帰ろう」


 ソフィアはアランの肩を叩き、アランも少し涙目になりながら頷くのだった。

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