看破

 朝、目が醒めて、それから鏡を見る。

 ソフィア・ロングフェローのいつもの習慣。

 鏡の中には金髪の美女が立っていて、彼女は長い金髪を適当にまとめ始めて、モーニングドレスを着ていく。

 彼女のドレスは当時では男性が着るようなドレスシャツであり、世間一般の貴族女性のような締め付けのきつ過ぎないコルセットとその上から体にフィットさせたガウンを着る形ではなかった。

 動きやすさと快適さを重視していたソフィアは、下もスカートではなくズボンをはいており、はっきり言ってこの時代の貴族の女としては異端も異端でとすらいえる格好だった。

 実際、文句を言ってくる使用人を遠ざけたからこそ、彼女は一人で朝の支度をしていたのだが。


(悪魔の使用人は驚くほど気が利かないからな……)


 そういう事を専門に行うことができる悪魔もいないことはないだろうが、自分の世話のためにわざわざ新しい契約をするのもバカらしかったので、彼女は結局自分の身の回りのことは自分で行うようになっていた。

 とはいっても、朝食の支度は流石に使用人に任せており、彼女はそれを自分の書斎に持ってこさせていた。

 身支度が終わり、朝食と仕事のためにソフィアは書斎に向かう。

 彼女の書斎は多種多様な書物が積み上げられており、最新の論文から運営している会社の資料、最近だとゴシップ誌などもその山に加わっていた。

 ソフィアは書斎で一人、今日配達されたばかりの新聞に目を通す。最近では自社のメディアも上手く回り始めていて、質が良くかつ自分が知りたいことを効率的に調査できるようになっていた。

 ソフィアはつい数日前のゴーストストリートで起こったことが新聞で報道されていないかを一応確認するが、それらしいことは何も書かれていなかった。後もう一日二日もすればアランの通報で、少女の白骨死体が見つかったと大騒ぎにはなるだろうが、狼男の件についてはほぼ闇に葬られることが決定していた。


「お嬢様。朝食です」


 ソフィアが新聞を読んでいる最中、その言葉と共に書斎の扉がノックされる。入室の許可を出せば入ってきたのは、サービスワゴンを押すアスタロト。ワゴンの上には今日の朝食であるサンドイッチが乗せられていた。

 そして、それら朝食が並べられると、ソフィアはまずは紅茶で喉を潤し、その風味と暖かさを味わう。一口飲んで、カップがソーサーに置かれた時、ソフィアは部屋の隅で待機するアスタロトに視線をよこさずに声をかける。


「ところで、アスタロト」

「何でしょうか?」


 アスタロトはあくまで自然体。いつものように慇懃で、しかしどこか人を見下しているような雰囲気があった。

 ソフィアはそんな彼に何も策を弄さずに、あえて直接的に問いかけた。


「かつてイーストエンドに所有していたテラスハウス付近に、狼男を配置したか?」

「ええ。いたしました」


 ソフィアの率直な質問に、アスタロトも何も言葉を飾らずに答える。そして、そのアスタロトの回答に、ソフィアは変に遠回しに聞かなくてよかったと痛感する。そうすれば場合によっては誤魔化される可能性があったからだ。


「そうか」

「何か問題がありましたか?」


 アスタロトの問いかけに、ソフィアは意識的に平静を装いながら首を振る。自分が死にかけた、など口が裂けてもいうつもりはなかった。今は確かに契約しているが、アスタロトはどこまでいっても人間の敵である悪魔なのだ。

 彼らは虎視眈々と契約者の隙を狙っている、それを忘れてはならない。


「いや、特に問題はない。近くを通りかかって襲われたからな、火の粉を振り払う羽目になった。

 後、そこにはもう戦力を配置しなくていい。放っておけ」

「かしこまりました」


 ソフィアはそれだけを言うと、サンドイッチに手を伸ばそうとして、手を止める。彼女は昨日のうちに書いていたメモ用紙を取り出しながら、次はアスタロトの方を向いて口を開いた。


「それと、ケープ植民地で行えることになった鉱山開発のために、いくつか用意して欲しい資料がある」

「かしこまりました。すぐに用意します」


 メモを受け取ったアスタロトは一礼をした後、書斎を出ていく。

 彼が扉を閉め、足音が遠ざかっていったころ、ソフィアはようやくサンドイッチを手に取ってそれを口に含む。


(狼男はあいつの仕業か。となると、アスタロトは私の許可も取らずに独自に動いていることになるな。

 私に動かせる駒は少なく、奴には膨大にある。その上、奴は悪魔だ。魔術だって使うことができる。

 今の段階で独断専行をしていることを知れたのは悪くはない。

 さて、どうするかな……)


 一人で考える事には慣れている。むしろ、考え事をするのには一人が良い。

 ソフィアはそういう人間だったので、アスタロトがいない間、食べているサンドイッチの具が何かを把握できないほどに思索に没頭した。

 そして、サンドイッチを食べ終え、スコーンに手を伸ばす。と、何もない。

 カチと、爪と皿が当たる音だけが虚しく響き、そこでようやくソフィアは意識を浮上させて皿の上を見る。そこにはスコーンなど影も形も無かった。

 ソフィアは首を傾げながら立ち上がり、自分から死角になっている書斎机の影を覗き込む。

 すると、そこには小さく蹲る金色の髪の毛があった。


「クレア、いつの間に……」


 ソフィアがその少女の名前を呼ぶと、クレアが顔をあげる。下がり眉で少し大人しそうな子だが、四人いる義妹の内では一番の悪戯小娘がこのクレアだった。


「おはようございます、お姉様。スチュアートが出ていったときに入りました」

「おはよう。それにしてもアイツ……」

「気付いてなかったと思います」


 ソフィアがため息をつきながら椅子に座り直すと、クレアも立ち上がって、机の上に置いてあったソフィアの飲みさしの紅茶を手に取って勝手に飲み始める。


「やめなさい。はしたない」

「……ごめんなさい。喉が渇いていたの」


 ソフィアは立ち上がると、書斎の棚からこういう時のために置いてある予備のカップとソーサーを取り出す。そして、そのカップに紅茶を注いでいると、クレアは地面に平積みされていた本を適当に積み上げて、即席の椅子を作り上げていた。


「次からは椅子も必要ですね」

「そうだね」


 ソフィアはクレアの行動に呆れた声を上げたが、その行動を咎めることはしなかった。ただ、後で妹四人の分の椅子を用意することはしっかりと頭の中のメモ帳に刻み込んでいた。

 そして、二人が雑談をしながら紅茶を飲んでいると、アスタロトが戻ってくる。手にはそれなりの分厚さの書類。ソフィアがそれを受け取ると、アスタロトは食べ終わった朝食を片付けるために空いた皿類をワゴンに乗せて、すぐに退出していった。


「何を調べていたるんですか?」

「何だと思う?」


 ソフィアが書斎机に書類を並べてその中身を読み始めると、クレアもそれを読もうと覗き込んでくる。しかし、机の反対側からは上手く読めなかったようで、彼女は即席の椅子から降りると、机を回ってソフィアの元にやってくる。

 そして、ソフィアの隣に立って机の上の紙の文字列に目を通し始めるが、難しい語彙が並んでいるためにクレアは眉をひそめて唸り始める。


「う~ん……。採掘……ナントカポンプ、岩盤?」

「やっぱり難しいか」


 クレアが読みやすいように椅子を回して、机に対して体を半身にさせたソフィアが少し笑う。

 すると、それが癇に障ったのか、クレアはソフィアの膝の上に少々乱暴に座り込んだ。10歳近い子供に勢いよく下敷きにされたソフィアは背筋をビクッと伸ばして、無言で痛みに耐える。

 そして、特に機密も何もない書類を手に取ると、彼女は一行ずつ優しくクレアに読み聞かせてあげた。


「難しいです!」


 結局子供のクレアにはやはり難しかったようで、彼女は足をぶらぶらさせながらつまらないと言わんばかりに後頭部でソフィアの胸を叩く。


「暴れるのは止めなさい。要するにこれはね、地下を掘っていって自分達が見つけたいものを……」

「どうしたの?」


 ソフィアは言葉を言いかけて段々と声を小さくしていき、ぱっと机の上にならんだ書類を見る。そして、今自分に必要な情報を取捨選択し、ピースを集めていく。


(地面を掘って、自分の見つけたいものを見つける?

 あの貴族が書いたらしい地盤工学に関する論文は……これか、シールド工法を行う際に必要な地質調査に関して。

 ドンピシャじゃないか!!)

「おー姉ー様ー?」


 ソフィアは膝の上のクレアの頭を撫でて彼女のことを一旦落ち着かせる。


「誤魔化されませんよ!」

(地下で何を見つける?何を見つけたい?今、このタイミングで……。

 いや、今このタイミングじゃないとできないことか!)


 ソフィアはいつか読んだ新聞記事を思い出し、それによって散らばっていた多くのピースが脳内で繋がり始める。しかし、それは大まかな輪郭を浮かび上がらせるだけで、そこに何が描かれているのかは詳細には分からない。

 だが、輪郭さえわかれば、原作の知識を駆使してソフィアは行動することができる。


「クレア。仕事が出来た。今日は帰りなさい」

「えー!?」


 クレアが悲しそうな顔でソフィアのことを見上げる。そんな彼女にソフィアはすまなそうに眉を下げ、心から謝る。


「ごめんな、大事な仕事なんだ。ついでにスチュアートを……」


 ソフィアはそこまで言って口を閉じる。そして、思い浮かべたのは10年近く前、契約をした瞬間の事。

――隠されたものを見つけさせたがった奴がいた。

――それは、あの時無表情になったアスタロトだ。

――ひいては、霧の都のマギに出てきた悪魔全員だ。


「スチュアートが?」

「いや、何でもない」


 ソフィアは首を振る。


(あの状況を打破するにはこの契約が必要だった。後悔はない。

 それに、これを主導しているのはアスタロトでは流石にないだろう。また別の悪魔か、悪魔崇拝者の可能性が高い)

「お姉様、怖い顔してるよ」


 ソフィアはクレアのことを胸に抱きしめ、彼女に見えないように白紙の紙の切れ端に走り書きをして行く。そう多くない量の文章を書けば、それを折りたたみ、クレアのことを解放した。


「クレア」

「何?お姉様」


 ソフィアはクレアのことを膝から下ろし、床の上に立たせる。そして、彼女の両肩に手を置いて、しっかりと目を合わせて口を開いた。


「今からゲームをしよう」


 態度とは裏腹に軽い口調のソフィアに、クレアはまじめな表情でこくこくと頷く。


「この紙をお父様、ジョージに渡しなさい」

「分かった」


 そして、ソフィアは内心こういう事を子供にさせるのを心苦しく思いながら、先ほど書いたメモをクレアにしっかり握らせる。


「スチュアートにも、他のメイドにも見つからずに渡すことが出来たら、お父様からケーキがもらえるよ」

「ケーキ!」

「うん。クリームたっぷりのね。さ、行きなさい」

「ケーキ!ケーキ!」


 ソフィアが笑顔満点のクレアのことを送り出すと、彼女はスキップしながら書斎を横切り、扉に耳を当ててから外に誰もいないことを確認してドアノブを回す。そして、扉を閉めながらソフィアに手を振り、ソフィアもそれに笑顔で手を振り返す。

 扉が閉まり、小さく音が鳴ると、ソフィアはさっと立ち上がって、机の上の書類と、書斎中に散らばった様々な物の中から必要な資料を全部取り出し、まとめていく。

 すると、書斎の扉が叩かれる音。


「スチュアートです」

「入れ」


 ソフィアの許しにアスタロトが書斎に入ってくる。すると、ソフィアはまとめた書類を彼に押し付けるように手渡した。


「アスタロト。遠出するぞ」

「は?」

「ケープ植民地でダイアモンドを掘る方針を立てたいが、実際に現地を見てみたいと思ってな。

 だが、それだけでイギリスを出るのは非効率だ。ついでに、アメリカとパナマ地峡を見に行くぞ。大西洋一周だ。

 4日後、蒸気エンジンを積んだ大型船の処女航海だったろう?あれに間に合わせる」

「はっ」


 突然の強行スケジュールにも、アスタロトは恭しくお辞儀をする。


「少し出てくる。共はいらない」

「かしこまりました」


 ソフィアが散歩に行くかのような気軽さを装って書斎を出ていくと、後に残されたアスタロトは手渡された書類をめくり始める。

 その中には様々なものが書かれていた。高度で綿密な露天掘りの計画書と、現在分かっている地形でのパナマ運河の設計案、加えてとある新兵器。それらを統合して莫大な利益を得ようとする世界をまたにかけた戦略も。


「やはり素晴らしい!」


 アスタロトは掛け値なしにソフィアと言う人間を褒めたたえる。そして、彼は書類をまとめ直し、それを懐に抱えながら誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「だからこそ……ね」




 夕方のロンディニウムを、男装して顔に包帯を巻いたソフィアが走っていた。目指すは銀の輪亭。鉄道と馬車を乗り継ぎ、できる限り近くまで来てからは自分の足の方が早いと路地を縫って走ってきたのだ。

 そして、銀の輪亭にたどり着くと、やや乱暴にその扉を開いた。

 ガランッガランッとベルが激しく鳴り響き、その音に振り返ったハドソン夫人が、突如入ってきた包帯男を見て目玉が飛び出さんばかりに眼を剝く。


「キャーーー!!」

「失敬!アラン・ホームズはいるか?」


 悲鳴を上げるハドソン夫人に構わず、アランの居場所を問いただす。すると、軽食を食べていたのか、口をもごもごさせたアランが店の奥から手を振りながら飛び出してきた。


「ぷはっ。何がどうしたんだい?」

「分かったぞ、アラン」


 ソフィアはすぐさま本題に入る。そして、アランもその言葉で一気に真剣な顔になり、一つ頷いた。


「ああ。僕もいくつか分かったことがあったよ」


 ソフィアは答え合わせのつもりで、口を開く。


「鉱山労働者だな?」

「うん。失踪した人の八割が、かつて鉱山かそれに類するトンネル事業に何らかの形で従事、特に坑夫として働いていた人達だった。

 ダイナマイトの発明で仕事にあぶれた結果、ロンディニウムで職に就いた人たちが狙われたんだと思う」


 ソフィアは自分の予想が当たったことに僅かに上を向き、アランはソフィアに共通点を言い当てられたことに不思議そうにした。

 そして、ソフィアはアランと目を合わせると、彼の目に指をさす。先日アランがしたのと同じように。


「いいか、よく聞け、黒幕の目的は未確定だが、どこで何をやっているかは検討が付いた」

「どこだい?」


 ソフィアはもったいぶらずに、自身の結論を口にした。

 そして、その言葉に、アランはピクシーに言われた『懐かしい何か』と言う言葉も合わせて、顔をこわばらせることになる。


「テムズ・トンネルだ。

 奴等、ロンディニウムの地下で何かを探してる」

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