王女殿下
冬が終わり春の季節になると、雪も解け気温も上がっていく。そしてイギリスは高緯度地域であるがゆえに、春とは言ってもソールズベリーの最高気温は15度にも満たない。その分、夏の一番暑い時期でも22度前後が平均最高気温と、過ごしやすいのだが。
そんな春真っ盛りのソールズベリー女大学を、一人の生徒と教授が歩いていた。
「暖かくなってきましたね」
「そうですね」
亜麻色の髪を春の暖かい風になびかせながら、隣のアカデミックドレスを着る教授に話しかけたのはシャーロット。しかし、裏地を少し分厚くしたドレスを着ていたソフィアは不満げな顔で襟に首を少し擦りつけながら応える。
そんな彼女のことを見ると、シャーロットはどうしても口角が緩んでしまう。この2、3か月の付き合いでソフィアが寒がりだという事を、彼女は理解し始めていた。
実際に「寒いのが苦手」などとはソフィアは言わないのだが、知り合ってからはよく彼女と一緒に居るシャーロットから見ると、彼女が寒がりなのは仕草によく表れていた。
暖炉の近くに陣取っているのはよく見た光景ではあるし、曇りや風の強い日は建物から出ずに人を遣うようになったり、それでもどうしても外に出ないといけない時は相当早足になったり。
シャーロットはそんな彼女がよく飲むココアのご相伴にあずかることが出来ていて、うぬぼれを差し引いても彼女にとても気に入られていると感じていた。
流石にバースという隣の隣街まで温泉に入りに行こうと誘われた時は断ったが。
そして、今日もソフィアはココアを飲みにカフェへと向かい、シャーロットはそんな彼女の隣であれこれ質問したり、最新研究に対する自分の所感を述べていた。
「相変わらず、君の考察は鋭いですね」
ソフィアはシャーロットとの議論がひと段落つくと、素直にそう言う。ソフィアに褒められたシャーロットは短い髪をかきながら、照れた表情で首を振り、最初出会った時よりかは幾分か砕けた口調で言葉を返す。
「いえ、ボクはまだまだですよ」
「そんなことはありません。私が君の年のころは……、何でもありません。忘れてください」
ソフィアはシャーロットの謙遜に良くある常套句で返そうとするが、シャーロットの今の歳になる前から色々やってたことをすぐに思い出し、失言だとすぐに悟る。
あちゃあ、と額に手を当てて首を振ると、シャーロットはくすくすと笑う。
「うかつでしたね、先生。私の年のころには飛び級していましたね」
「そうですね」
ソフィアはため息をつきながら、いつもの一面がガラス張りになっているカフェの扉を開ける。最近は暖房も切られてしまっていて、ソフィアにとっては少し肌寒い室温だった。
カフェの中はいつも通り平和で、二人はいつものように2人分のココアと3人分のチョコレートを頼む。最近はソフィアがシャーロットにチョコを少し分けてあげるのも常態化しており、その様子をよく見ていた店員は最初から一人分と少しの量のチョコを皿へ盛りつけていた。
そして、二人が良い雰囲気でお茶を楽しみながら、全く可愛くない内容の話をしていると、突如カフェの外から窓に一人の女性が張り付く光景が。
張り付くと言っても、照り返しを遮るために手を傘にした程度なのだが、あまり見られない行動ではあった。すると、その女性はカッと目を見開き、ソフィアとシャーロットのテーブルを睨みつけ、下品にならない程度の駆け足でカフェの入り口の方へと走っていく。
ソフィアはそんな女性がいたことに気が付いていなかったものの、気付いていたシャーロットは実に嫌な予感をさせながらココアをすする。
やがてすぐに、窓に張り付いた女性がカフェへと入ってきて、二人のいるテーブルへと歩いてくる。
その歩き方は背筋が伸び、威厳があった。服装も華美なものではなく、大学と言う場にそった物だが、いたるところに細かいレースがあしらわれていて、明らかに高級なものだった。
そんな彼女は黒い髪を束ねていて、その束ね方も恐らく使用人にやってもらったのだろうと見当がついた。
「ソフィア・ロングフェロー様!やっと見つけましたわ!」
「ええと?」
そんな女性に突然話しかけられたソフィアはほんの一瞬迷惑そうな顔をするが、すぐに笑顔を作ってその女性に応対しようとし、ピタッと固まる。そして、彼女は慌てて立ち上がろうとするが、それを目の前の女性が手でいさめる。
「いえ!お待ちになって!私からご挨拶いたします。
私の名前はアレクサン――……」
アレクサンと名乗りかけた女性にソフィアは冷や汗をかき、周りの一部の紳士淑女も何人かが顔を引きつらせていた。一方の、ソフィアの向かいに座る、シャーロットは何が何やらと言う表情だった。
「シャーロットですわ!そうしましょう!」
(ああ、アラン、私がダンと適当に名乗った時、君はこういう気分だったんだな)
ソフィアは今度こそ立ち上がろうとして、それを立っている方のシャーロットはまたも咎める。それに、ソフィアは内心ため息をつき、座ったまま仮称シャーロットを見上げて挨拶をすることにした。
「そのままで結構ですわ、ロングフェロー様。私は、今はただのシャーロット。ええ、ただのシャーロットですから」
「そうですか……。では、このままで失礼して。私の名前は、ソフィア・ロングフェロー。マームズベリー侯、ジョージの一人娘です」
ソフィアはそう名乗ると、段々事態が飲み込めてきたらしいシャーロットに視線を向けて発言を促す。シャーロットは恐らくソフィアよりも身分が高いと推察される女性に失礼の無いように立ち上がり、不器用なカーテシーをする。
「シャーロット様、初めまして。私もシャーロットと言う名前です。シャーロット・ホームズと言います」
「まあ!」
仮称シャーロット、アレクサン何某は名前が目の前の平民と被ってしまったことに大層驚いたという表情をし、それからそのシャーロットと今まさにお茶をしていたらしいソフィアに視線を向けた。
「ところで、つかぬことをお伺いいたしますが、ロングフェロー様。彼女とのご関係は?」
「教え子です」
「まあ!まあまあまあ……」
アレクサン何某は口元を手で押さえ、僅かに嫉妬の炎をまとわせた瞳でシャーロットのことを視線で射貫く。
「勝負ですわ。シャーロットさん」
「え?」
「私だって、ロングフェロー様に色々教わりたいのです!」
「皆等しく生徒で、教え子ですよ」
アレクサン何某がそんなわがままを言い始めると、ソフィアは笑顔のまま応対する。因みに本名シャーロットはそんな笑顔のソフィアを見ながら、めんどくさがってる顔だなと当りを付けていた。
「等しい教え子なんて嘘ですわ。ただの教え子にチョコレートを分けるものですか」
鋭く反論したアレクサン何某に、ソフィアは笑顔のまま言葉に詰まる。そして、図星だったので何も反論はせず、彼女が言う勝負を用意するかとすぐに思考を切り替えた。
ソフィアはあたりを見渡し、野次馬がこちらを見ているのに辟易する。
「では、こうしましょう」
ある物を見つけた彼女がそう言いながら立ち上がると、事態を見守っていた別のテーブルに行き、そこに座っていた生徒に「そのチェス盤を貸して欲しい」と頼む。すると、すぐに「構いません」と返され、また彼女は別のテーブルへと足を運ぶ。次に貸してもらったのは、ドミノだった。
それは、今日、日本でよく見る倒すだけのドミノではなく、1~6までの数字が書かれた牌としての役割もある物だった。
ソフィアはその二つの玩具を持って帰ってきて、テーブルの上にその二つを置く。
「では、この8×8のチェス盤の上にドミノを敷き詰めてください。
ルールは二つ。斜めに置かないこと、ドミノの数字の書かれた正方形とチェス盤のマスを一致させること。つまり、チェス盤のマス二つでドミノが一個ですね。
それだけです」
「そんなの、簡単ですわ」
アレクサン何某は容易いことだと微笑み、ドミノをチェス盤に並べていく。その間にソフィアはカフェを巡って、同じものを用意し、それをシャーロットの目の前に置く。
「できましたわ」
「お見事。では、シャーロット・ホームズ君。
この、白のキングをチェス盤の角の白マスに置いた場合、ドミノはチェス盤に敷き詰められますか?」
ソフィアは言葉の通りにチェス盤の角にあらかじめ白のキングを置き、ドミノをシャーロットに手渡す。すると、シャーロットはすぐに、首を振って答えた。
「不可能です、先生。ドミノを置くルール上、敷き詰められるマスの数は必ず偶数です。
キングで一マス埋まっていると、マスの数は63マス。奇数となります」
「よろしい。では、ええと、ただのシャーロット様、何かご反論は?」
ソフィアはどう呼びかければいいか困りながら、黒髪のシャーロットに問いかける。彼女も、亜麻色の髪のシャーロットと同意見だったようで、首をすぐに振った。
その二人の正しい回答を聞いたソフィアは、その白のキングの対角線に、黒のキングを置く。加えて、アレクサン何某のチェス盤にも、黒のキングを角の黒マスに置き、その対角線に同じように白のキングを置く。
「はい。盤上は正しく偶数の62マス。
このチェス盤に、ドミノは敷き詰められますか?」
「?できるんじゃ……」
アレクサン何某はパチパチとドミノを敷き詰め始め、同じようにシャーロットもドミノを敷き詰めていく。すると、アレクサン何某のマスには3マスの空きが、シャーロットのマスにも2マスの空きが存在した。
ソフィアはそれを確認すると一つ頷き、顔をあげて二人に交互に視線を向け、口を開いた。
「できるなら、私にそれを見せてください。
できないなら、その理由を私に聞かせてください」
もはや、カフェの中の全ての視線が二つのチェス盤へと注ぎ込まれていた。カフェはしんと静り、やがて、視線の中心の二人の邪魔にならない程度に議論が巻き起こり始める。
そして、実際の盤面が渡されている二人は真剣な顔でドミノの敷き詰め方を変えたりし始めるが、どうしても残りの2マスが埋まらない。
ソフィアはそんな二人のことを見て、時間がかかりそうか、とぬるくなったココアを一気に飲み干すと、カフェのカウンターへと足を延ばそうとする。
すると、アレクサン何某のボードを眺めていたシャーロットが目を見開く。
「あっ!」
そして、小さく声をあげ、ソフィアのことを見る。ソフィアはココアの替えを貰おうとしていた体勢を翻し、彼女へと向かい合い、心の底から賞賛の微笑みを浮かべる。
「その気付きはきっと正解です」
「ええっ!!」
ソフィアの正解宣言に、次はアレクサン何某が声をあげる。周りの野次馬達も顔を見合わせ、シャーロットのことを見つめていた。
そして、ソフィアは愕然とした表情の、アレクサン何某へと向かい、軽く頭を下げる。
「さて、殿下。お戯れはほどほどにしてくださいますか?」
「……殿下はよしてください」
殿下と呼ばれたアレクサン何某、本名を、アレクサンドラ・ヴィクトリカという、この世界における王位継承権保有者は、ため息を大きくつく。
「私は、試験を行って正式にこの大学に入りました。そして、構内では身分関係なく他者と接することも了承しています。
ゆえに、今の私は……この問題も解けないただの小娘ですわ」
アレクサンドラはドミノを弄りながら、やはり2マス埋まらないと首を傾げる。そして、ただの小娘発言をした彼女に、ソフィアはさっと礼をやめ、すぐに教師の顔になる。
「そうですか。なら、シャーロット君、解説を」
話を振られたシャーロットは目を丸くさせ、無茶ぶりをするソフィアと隣で眉を下げるやんごとなきお方を交互に見る。そして、助けを求めるようにあたりを見るが、野次馬達はすぐに目を逸らす。
事ここに至っては、腹をくくらないといけないかと、シャーロットは息と共に色々な物を飲み込んだ。
「では、僭越ながら――」
「普通で構いません」
「……はい。では、殿下、私の敷き詰められた盤面と、貴女の敷き詰められた盤面、この二つにはある特徴があります」
アレクサンドラは二つのチェス場に目を落とす。そこには必ず2つのマスが開いていて、よくよく思い返せばそのマスは必ず同じ色だった。
「同じ色?なのに、私の物と、あなたの物とは違う……」
「そう。私のボードは必ず黒マスが開き、貴女のボードは必ず白マスが開きます。そして、私のボードに置かれたキングのマスは共に白、一方で」
「私のキングのマスは黒」
チェス盤の対角線は必ず同じ色である。白マスの対角は必ず白で、逆もまた然り。シャーロットに促されたアレクサンドラはその事実を踏まえて、思考を巡らせる。
そして、最初にソフィアが提示した『チェス盤のマス二つでドミノが一個』というルール、いやヒントを思い出した。
「白と黒は必ず隣り合う。つまり――」
アレクサンドラは閃いたという表情の顔をあげて、頷くシャーロットと目を合わせる。
「ドミノは白と黒、その二つのマスを必ず使わなければ置けません」
「なのに黒マスは最初から2つ足りない!だからあぶれたペアの白マスが必ず2つ開いてしまう!」
アレクサンドラは手を叩き、そして、シャーロットの手を取って飛び上がる。
「わかりました!わかりましたわ!」
やんごとなき身分のお方がスカートでぴょんぴょん飛び跳ね無邪気に笑うのに、シャーロットは引きつった表情になる。
そんな二人ににこやかな表情で拍手を送るソフィアだったが、その内心は余り穏やかではなかった。
(ゲーム内では本編が始まってからしばらくして出会い、意気投合する二人だったのだが……)
「ねえ、シャーロット、私、あなたのことが気に入ったわ!お友達になりましょう!」
「えっ!?」
シャーロットがソフィアの方を向いて助けを求めるが、ソフィアのそれにもにこやかに頷くだけ。なんなら、本編でも友達になるんだからそういう運命だ諦めろ、とすら思っていた。
「ええっとぉ……。
はい、なりましょうか」
あまりに身分が違い過ぎると一瞬シャーロットは葛藤したが、自分の中で折り合いを付ければ決断ができる彼女、少し躊躇はしたがしっかりとアレクサンドラと目を合わせて頷いた。
それに喜色満面、春の訪れを喜ぶ花のような笑顔を作ったアレクサンドラは、初めての同年代の友達にハグをした。
「ありがとう!」
(こうしてみると、アレクサンドラも普通の女の子だなあ)
ソフィアは拍手を継続しながら少し失礼なことを想い、シャーロットはどうにでもなれと半ばあきらめた表情でハグを返す。
そして、ハグをやめたアレクサンドラは思案顔になる。
「ええっと、じゃあ、ジョージアナ……。いや、それだとロングフェロー様のお父様と被ってしまうわね……」
数秒むむむと考えると、アレクサンドラは手を叩く。
「決めました!私の名前はオーガスタですわ!
よろしくお願いします。シャーロットさん!」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。オーガスタ様」
「様はいりません!」
「……オーガスタ」
「はい!」
そうして、片方は笑顔、片方は疲れた表情の二人はしっかりと握手を交わしたのだった。
ソフィアは終始笑顔で、二人が握手をやめてこちらを見てきた瞬間に、ポケットから懐中時計を取り出す。そして、アレクサンドラ改め、オーガスタに、もう先生と生徒と割り切った態度で声をかけた。
「次の予定の時間が来てしまいました。お二人はごゆっくりどうぞ。
オーガスタ君、次はゆっくり話しましょう」
「あら、そうでしたの。お忙しい身ですものね。
さ、シャーロットさん。ティータイムとしましょう!」
シャーロットはどうしたものかと困った表情でオーガスタに連れていかれ、一方のソフィアはチェス盤とドミノを元の持ち主に返却してからカフェを出る。
カフェを出た瞬間、冷たい風に吹かれたが、彼女は真剣な表情のまま構内を散歩し始める。
(いったいなぜ、アレクサンドラがここにいる?
王室で何かが起こっているのか?
確かに、シャーロットとアレクサンドラが仲良くなるのは本編同様だ。だが、そのタイミングが早すぎる)
ソフィアは、こういった疑問にぶち当たった時は、比較検討するのが良いと知っていた。故に、本編の流れと今現在の流れとを比較する。
ややあって、彼女は自身が席を置く研究室のある建屋のはるか手前で立ち止まり、振り返る様にしながら大学を見渡す。
(マームズベリー女大学。この学校がタイミングを狂わせたのか。
アレクサンドラは好奇心旺盛だ。大学に入りたいとわがままをこねた可能性が高い。
多少はストーリーが狂うと思ってたが、ここまで狂うか)
ソフィアはポケットに手を突っ込みながら、大学のランドマークである時計台の文字盤を見上げ、ポケットの中の手に当たった硬質な物、懐中時計を握りしめた。
(色々確かめなければならないか)
彼女は一つの決心をすると、懐中時計を取り出して時間を確認し、次の予定に遅れないように足早に研究室へと向かうのだった。
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